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ピアニスト・藤田真央エッセイ #52〈奇跡的なピアニシモ――ゲヴァントハウス管〉

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 オーケストラと奏でる協奏曲は、まさに一期一会だ。〈作品の性格×オーケストラの個性×指揮者・ピアニストの音楽性〉がかけ合わさり、生まれる演奏は種々様々、千差万別といった具合である。また、世界には沢山の楽団があり、縁があっても再オファーは数年先の約束、短いスパンで同じオーケストラと二度共演できる機会はそう多くはない。そんな中、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とは幸運なことに、毎年共演させてもらっている。2022年にユジャ・ワンの代役としてショスタコーヴィッチ《ピアノ協奏曲第1番》で初共演し、この度2023年11月にシューマン《ピアノ協奏曲》で再びタッグを組むこととなった。

 ゲヴァントハウス管は、1743年に創設された歴史と由緒ある楽団である。その頃の日本では徳川幕府第八代将軍吉宗の時代で、且つ鎖国下だったと思うと、私には大昔のことに思える。今を生きる私たちがよく知る多くの傑作の初演もこの楽団が担ってきた。ベートーヴェン《ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」》(1811年初演)、〈グレート〉の愛称で知られるシューベルト《交響曲 第8番》(1839年)、ブラームス《ヴァイオリン協奏曲》(1879年)やブルックナー《交響曲 第7番》(1884年)などなど。そしてこの度私が演奏するシューマン《ピアノ協奏曲》とも、彼らは深い結びつきを持つ。ロベルト・シューマンの妻でありピアニストのクララは、1845年12月4日ドレスデンにてこの作品を献呈者のフェルナンド・ヒラーの指揮で初演し、その後一月も経たない1846年1月1日、ゲヴァントハウス管と共に再び演奏しているのだ。今回のツアーはチョ・ソンジンがライプツィヒでの定期演奏会を皮切りに、韓国、台湾、日本を含むアジア公演も担うはずだったが、彼のスケジュールの都合上、私が台湾での2公演を代役する運びとなった。

 つまりはチェコ・フィル同様、既に彼らの音楽は出来上がっているのだ。私はライプツィヒで行われた、チョ・ソンジンとの定期公演のラジオ放送を聞いて予習しておいた。まさかソンジンと同じアプローチで弾けるはずはないが、オーケストラの音楽性や全体のテンポは把握しておきたい。そして11月9日、最初の公演が高雄で行われた。
 私は朝からステージのピアノを入念に触り、音の飛び方を確かめ、弱音の出し方を研究した。

 この日は18時から、ゲネプロではなくたった45分間のサウンドチェックが予定されていた。これにはメンデルスゾーン《交響曲 第3番》の確認時間も含まれているため、協奏曲のカデンツァやピアノのソロパートは割愛、オーケストラとの協奏箇所を一回通すことしかできなかった。この限られた時間の中でオーケストラの響きに順応しつつ、今夜の相棒となるピアノに対する理解を再度深めなければならない。過酷ではあるが、なんとか食らいつき、私なりの音楽もアピール出来るくらいにバランスは整っていった。サウンドチェックが終わると楽屋に帰り、楽譜を開いて音楽の方向性を再考する。

 あっという間に本番の時間になり、慌てて衣装に着替えた。するとうっかりしたことに、本番用の靴下ではなく、短いプーマの靴下を履いているではないか。やってしまった、これではくるぶしが丸見えだ。しかしズボンの裾で隠れてばれないか、いや、椅子に座ったら……。などと一人で悶々としながらも、仕方なくそのままステージへ上がった。

 今回の指揮はゲヴァントハウス管のカペルマイスター、アンドリス・ネルソンス。立派な体格から繰り出す的確な指揮、そしてオーケストラの音を変幻自在に操るテクニシャンだ。第一楽章冒頭、オーボエのソロのC-H-A-A、即ちクララの動機がネルソンスの手の平から美しく憂いのある表情で生み出された。私はそれをなぞるようにピアノで同旋律を奏でる。私はオーボエの音質、歌い回し、間を全て記憶し、同じように表現しつつ飛躍させてみせた。そしてその直後には、背筋がゾッとするような低音の響きをピアノで作り出し、弦楽器の旋律を支える。その際もネルソンスは私の些細な音色やニュアンスの変化に即対応し、類い稀なタクトさばきでそっくりそのままオーケストラに伝える。第二主題ではクラリネットとピアノの掛け合いは絶妙に絡み合い、常にフレーズの終わりの音まで神経が行き届いていた。終着したトニックのハーモニーも絶妙だ。この楽章はイ短調であるのに変イ長調で始まる異例の展開部を持つのだが、その場面でもオーケストラ、ネルソンス、そして私がお互いの音を聴き合い、寄り添いながらハーモニーが変わる瞬間を確かめ合った。そして繊細さを持ちつつ温かみを深めて発展していき、カデンツァ前のオーケストラの高揚感の高め方は今までに聞いたことがないほど、響きの厚みが怒涛のごとく押し寄せていた。まさにウサイン・ボルトにバトンを託されたように私のカデンツァが始まり、さあどう解釈しようかと悩みながら弾き進めた。そのまま一直線に突っ走るか、または一気に流れを遮断して美しいppに昇華させるか。二日間あるのだからと割り切り、初日は突っ走ってみることにした。しかしこの日は入念な準備の故か指が特別良く回る。想定していないテンポだったが重音の連続も難なく突破し、様々な表情を見せつつ最後には恐ろしいほど揃った両手のトリルでオーケストラへ受け渡した。

 二楽章では弦楽器との対話を楽しみつつ中間部のチェロのロマンティックな旋律を邪魔しないよう、まろやかに全体の響きをまとめた。特にこの中間部の終結部は絶品で、全てが救われたかのような極上の跳躍を皆が一丸となって味わった。三楽章は全ての旋律、内声、ハーモニーを理解できるテンポ設定にしたが、細部にわたって躍動感を残し、明快な終楽章を演出した。忙しなく曲が展開する際もネルソンスは私の音を注意深く聞き、少しも歪みのないようピタリとオーケストラへ合図を出していた。全く嫌らしさや作為的な面はなく、表現豊かな音楽を築いていき、理想的なシューマンの色を出すことができた。終演後にはたくさんの団員さんが私の部屋に集まって、賞賛の言葉をかけてくれた。

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