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今井真実|願掛けは、辛くて痺れる明太子スパゲッティ

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第3回 願掛けは、辛くて痺れる明太子スパゲッティ

 窓から陽が差し込んでいる。強い光のせいで、ほこりが薄く舞っているのが見えてしまった。
 ソファに寝そべり、部屋をぼんやり眺める。いいかげん掃除機をかけて、洗い終わっている洗濯ものを干さなくては。でも、もう少しだけ。あと10分、このままぼんやりと静けさを味わいたい。
 ああ、やっと家にひとりきり。この日が来るまで本当に長かった。
 今朝、久しぶりに子どもたちがふたり揃って元気に登校していった。

 いつもぴょんぴょんと跳ねている彼らが二人とも風邪をひき、ぐったりしていた2週間。
 子どもの病気はなんど経験しても慣れないものだ。そのたびに胸が痛み、なぜだか自分を責めてしまう。あのときこうすればよかったのではないか、対処が後手になってしまったのではないか。病気なんてコントロールできないものだと頭ではわかっているものの、熱でうるんでいる子供の目を見ると、いたたまれない気持ちになる。
 消化のいいものを、少しでも口にできるものを。どうか元気になってほしい――祈るようにごはんを作る日々は魂が削られていくようだった。

 はあ、疲れちゃったなあ。もうへとへとだよ。
 時計を見ると、おひるの12時をとうに過ぎていた。どうりでお腹が空くはずだ。でも……自分ひとりのためだけに料理するの面倒くさいなあ。ずっと子供たちがいたから頑張れたけど、なにを作るかなんてもう考えたくない。
 おなかのお肉をつまんでみる。私の体には、栄養がきっと十分蓄積されている。一食くらいすっ飛ばしたって大丈夫なはずだ。ついでにぎゅっぎゅっぎゅっと掴んでマッサージ。きもちいい。このまま飽きるほどソファでごろごろしていたい。でもなあ、やっぱり一食抜くだなんて不健康かしらねえ。
 そのとき、ふと思い出した。
 私、1週間前に、願掛けのように辛子明太子を買って冷凍していたんだった。子どもたちが学校に行けるようになったら明太子スパゲッティを作ろうって決めていたのだった! 具体的にたべものが頭に浮かぶと、急に差し込むように空腹を感じた。ぷにぷにのおなかに埋もれている胃が反応している。
 寝続けるかご飯を食べるか、うじうじと考えるのはもうやめだ。意を決して立ち上がるのだ。
 ソファからのそのそとキッチンへ行き、とりあえず手を洗う。最初はぬるま湯を出したけど、水に切り替えたらいくぶんさっぱりした。よし、おひるごはんを作ろう。

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