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ピアニスト・藤田真央 #07「亡き恩師・野島稔先生ーーわたしの音楽は、あのレッスン室で培われた」

WEB別冊文藝春秋

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 2022年5月9日。恩師、野島稔先生があの世へ旅立たれました。
 わたしが最後に先生のお声を聴いたのは、亡くなる2ヶ月ほど前のことでした。ベルリンへ発つ前にと、わたしからお電話を差し上げたのです。ふだん電話では用件しか話さない方だったのに、その日はいろんなことを話してくださって、素敵な時間でした。お身体の具合を尋ねると、「元気ではないけれど、きみの声を聴いて元気が出たよ」と仰いました。

 わたしの、これからのコンサートについてもお話ししました。11月にブラームスの《ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 Op.83》を弾くので、ぜひレッスンしてくださいとお願いしましたが、先生は笑って話頭を転じられました。
 先生は、20代前半だったある時を境に、ブラームスを弾いていないそうなのです。それがなぜなのかは、はぐらかされて、とうとう聞き出せずじまいになってしまいました。

 野島先生との出逢いは、わたしが11歳のときにまで遡ります。2010年にわたしは、第64回全日本学生音楽コンクール・ピアノ部門の小学校の部で1位をいただいたのですが、そのとき審査員をされていたのが野島先生だったのです。コンクール後に新聞に掲載された講評で先生は、わたしの演奏をひじょうに高く評価してくださいました。
 当時、野島先生は第一線で活躍されているピアニストですから、学生の審査をすること自体が珍しかったようで、小学校の部を審査するのはまさに初めてだったそうです。

 奇しくもそのコンクールの夜、東京音楽大学の方が先生のもとを訪れ、学長就任の打診をされたそうです。その時、先生が「今日はおもしろい子がいたよ」と話されていたと後で聴いて、なんだか不思議なご縁を感じました。
 その後、先生は東京音大の学長に着任され、わたしは引き寄せられるように、東京音楽大学付属高校へ、さらには同大学へと進学します。17歳のころには、先生から直接指導していただくようにもなりました。

 野島先生は確固たるご自身の世界を持っていて、誰にでもオープンに接する方ではありません。もちろんわたしにとっては雲の上の存在でしたから、初めてのレッスンはとにかく緊張しましたね。どうやってノックしよう、どうやって先生に声をかけようと悩みました。
 忙しい先生のことですから、最初はレッスンも頻繁にしていただけるわけではありません。そんななか少しでもお近づきになりたくて、わたしはタバコを吸い始めたんです。先生は愛煙家でしたから。喫煙所では、音楽のことはもちろん、世界情勢からスポーツの話題まで、様々なお話ができて、心弾むひとときでした。
 レッスンが終わったあと、思い切って食事にお誘いしたこともありました。ぽつりぽつりと昔話をしてくださって、それはそれは素敵な時間でした。
 阪神・淡路大震災の直後、予定されていた大阪フィルハーモニー交響楽団との共演が中止になり、代わりにチャリティー・リサイタルを開いてくれないかと打診されたことがあったそうです。その申し出を、先生は準備不足だからと辞退された。「真央くんなら弾くでしょう?」と尋ねる先生に、わたしは「そうですね」と答えましたが、いつ何時でも理想の音楽を届けねばならないという先生の誠実さに、心を打たれました。

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