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ピアニスト・藤田真央#14「あと2日でユジャの代役を――ネルソンスとの出逢い」

WEB別冊文藝春秋

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#15   11月25日(金) 
→11月末公開予定

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 夏の暑さの盛りを過ぎても、欧州各地を飛び回る日々はまだまだ続きます。
 9月2日からは、ジョージアの小村ツィナンダリで行われるツィナンダリ音楽祭に参加しました。2日にはオクサナ・リーニフの指揮のもとブラームスの《ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 Op.15》、4日はリサイタル、そして6日にはヴァイオリニストのルノー・カピュソン、チェリストのキアン・ソルターニと、メンデルスゾーン《ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 Op.49》とチャイコフスキー《ピアノ三重奏曲 イ短調 Op.50》を演奏しました。

 その6日のコンサート終演直後です。わたしのもとに連絡が入りました。ユジャ・ワンが親指を怪我してしまったので、急遽代役を頼めないかというのです。演目はショスタコーヴィチの《ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 Op.35》で、ドルトムント(ドイツ)とブダペスト(ハンガリー)での2公演。指揮はアンドリス・ネルソンス、そしてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との共演だと聞くやいなや、わたしは「やります」と即答いたしました。

 しかしドルトムント公演は9月8日、すでに2日後に迫っています。幸運にも、ドイツに向かう飛行機がすぐ確保できたということで、そのまま深夜0時発の飛行機でジョージアを発ちました。7日の朝8時にベルリンに着き、鉄道に乗り換えてリハーサルを行うためまずはライプツィヒへ。正午に会場のホールに到着するなり練習を開始し、夜はオーケストラとのリハーサルという怒涛のスケジュールでした。翌8日の演奏会当日は朝からドルトムントへの移動とサウンドチェックでリハーサルの時間はとれないので、オーケストラと合わせられるのはこの夜のみです。
 ひと通り練習をこなしていくと手ごたえを感じましたので、当日は暗譜で弾くことにいたしました。《Op.35》は全4楽章で20分ほどという短さですし、ポイントを外さなければそこまで難しい曲ではありません。

©︎ Bjørn Woll

 わたしは今回のような代役の場合であっても、できることなら楽譜を見ずコンサートを進めたいと考えています。ピアノを弾かない方からは、「よくあんな複雑なものをすぐに覚えられますね!」としばしば驚かれますが、これは経験による慣れに尽きると思っています。
 たとえば、わたしは自転車に乗れないのですが、乗ることのできる方にとってみれば、慣れさえすれば簡単なことなのでしょう。わたしからすると、足を宙に浮かせて漕ぎ始めるなんて、曲芸以外の何物でもないのですが。わたしがいま住んでいるベルリンでは、移動手段として自転車を使う人が多いので、軽快に自転車を乗りこなす方々を横目で見ながら、毎日ちょっとうらやましく思っているのですよ。

 さて、今回代役を引き受けた大きな理由のひとつに、アンドリス・ネルソンスと共演してみたかったというものがありました。ラトヴィア出身のネルソンスは、43歳という若さにして世界最高峰のマエストロのひとり。深い音楽的教養と、豊かな人生経験に裏打ちされた素晴らしい音楽を作り上げる方で、わたしは以前から心を寄せていました。そして昨年2021年の夏、ラトヴィアの首都リガで行われたユールマラ音楽祭に参加した際に、実際に彼の音楽を聴く機会に恵まれたのです。奥行きのある見事なワーグナー《ワルキューレ》の第一幕に、深く感銘を受けました。
 いつの日かご一緒したいものだと周囲にも漏らしていたのですが、まさか1年後に想いが叶うとは思いもしませんでしたね。

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