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二宮敦人 #004「サマーレスキュー ポリゴンを駆け抜けろ!」

アナーキーなプレイヤーが集う「3T」にログインした千香と巧己。
敵の攻撃をすり抜け、罠が張り巡らされたエリアを
やっとの思いで抜け出した二人が見たものは……

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「千香、こっちだ、こっちに来てくれ!」
 すぐ隣で、ノートパソコンを操作しながら巧己が叫んでいる。こっちと言われても困る。
「ゲームの中なんだから、座標か方角で教えてよ」
「右! 右の方にいる。この崖見てくれよ、なあ」
「だから誰から見て右なのさ」
 とはいえ、巧己のことだからどうせ自分から見ての話だろう。注意深く画面を見つめながら左に向かっていくと、谷底で孫悟空が手を振っているのがわかった。
「いたいた。今行く」
 急な坂を下っていく。孫悟空が示している崖は真ん中がえぐれていて、奇妙な景観だった。どことなく人工的とでも言おうか。巧己と同じ視点に立ったとき、その理由がわかった。
「あ、こんなところに」
 崖の中にゲートが立てられていた。暗がりで紫色の光を発してはいるが、巧妙にあたりの地形に遮られ、目立たない。巧己が言う。
「千香の言った通り、あたりを探してみて正解だったな」
 千香は降りてきた丘を見上げた。四つのゲートが並んでいるのが、かろうじて見える。目の前のゲートは頂上からは完全に死角だ。
「どれが罠か、手がかりでもあればと思ってたんだけど。まさか五つ目がこんなところに隠されてたなんて」
 コーラをあおり、にやっと笑う巧己。
「やったな。あの四つから選んでたら、トラップにかかってたぜ」
「そう?」
「そうだろう。丘の上に目立つように建てられた四つは、おとりに決まってる。一方でこっちのゲートは、誰かが普段から使ってるんだろうな。しっかり隠されてるし、ほら。作業台ブロックやかまどブロックまで置かれてる。間違いない、ここならハイウェイに行けるよ」
 確かに、ゲートのすぐ横には家具の役目を果たすブロックが並んでいた。いわばこのゲートにだけ、生活感があるとでも言おうか。
「おっと……千香、まずい。身を隠せ」
 孫悟空がするりと物陰に飛び込んだ。
「どうしたの」
 千香は言う通りにする。巧己はわざわざ声を潜めて続けた。
「丘の向こう、空中に誰かいる。ってバカ、見んなって」
 暗がりからほんの少しだけ身を乗り出し、千香は丘の向こうを探った。
「本当だ」
 かなり遠いが、全身に纏っている光り輝く青い鎧がはっきりわかる。プレイヤーが一人、空中に静止していた。手には剣と盾を持ち、視線はこちらに向けられている。顔は真っ黒で、赤い目が不気味に光っていた。
「フルダイヤだな。きっと初心者狩りだ」
 巧己が舌打ちする。ダイヤの兜、ダイヤの鎧、ダイヤのレギンス、ダイヤの靴。最高級の防具一式を身につけて、3Tのスタート地点をうろうろしているようなプレイヤーは、大抵は危険人物だという。
「見てるだけで、襲ってこないけど」
「こっちに気づいてないか、タイミングを計ってるか。浮いてるってことは、チート使いでもあるな。早いとこ向こうに行こう」
 ゲートに向かって走り出した孫悟空を、千香は一発ぶん殴った。ビシッ、という効果音が響いて孫悟空がのけぞる。巧己の見ている画面では、ハートが少しだけ削れたはずだった。
「おい、何すんだよ!」
「ちょっと待って」
 千香はもう一度、丘の向こうに目をやる。青い鎧はまだそこに浮かんでいる。近づいてくる様子はないが、相変わらずこちらを見ているようだった。
 何か変だな。
 いくつかの選択肢を出して、その中に正解があるかと思わせつつ、本命は別に隠しておく。千香もそういう仕掛けは大好きで、小学校の頃はよく自分のワールドに作っていた。そう、小学生でも思いつくようなことだ。3Tにしてはちょっと素直すぎないか。
 このゲートも丘を回り込めばすぐ見つかるわけで、厳重に隠されているというほどでもない。かまどや作業台……プレイヤーキラーがばっするスタート地点周辺で、そんなもの悠長に使うだろうか。偽りの生活感を出すために、あえて置かれているとしたら。
 そして、あの青鎧のプレイヤー。
 あそこで何をしているのだろう。ぼうっとこちらを眺めている。
 千香には彼の気持ちがわかるような気がした。
 母親にランドクラフトをプレイさせて、後ろから見ていた時の感情が蘇ってくる。間違った扉を選ぶ瞬間を、今か今かと待つ胸の高鳴り。
 そう、誰かがゲームしているのを見るのは面白いものだ。特にそれが、自分の仕掛けた罠に嵌まる瞬間だったりしたら。
「巧己、逆だよ」
 千香は叫ぶと、飛び出した。
「何だって?」
「こっちに来て」
 さっき下ってきたところを駆け上がる。
「いや、待て待て。どうしてそうなっちゃうんだよ」
「隠したゲートが正解だと思わせて、その逆なんだ。ゲートのトラップを知っているプレイヤーは、あんなにあからさまに並んだ四つのゲート、怖くて選べない。私ならそこに正解を置く」
「そうかあ? そのまた逆って可能性もあるんじゃ」
 ぶつくさ言いながらも、孫悟空は千香の後ろについてきていた。丘の向こうが見える。千香は目を丸くした。
 あの青鎧のプレイヤーが、剣を振りかぶってこちらに向かって来る。行かせまい、とするかのように。
「やっぱり」
 ブロックの崖を這い上がる。でこぼこの石でできた丘を、足場を探しながら懸命に上っていく。青鎧は猛然と突き進んできたが、ゲートまでの距離は千香たちの方がずっと近い。
 丘の上に出た。ゲートの紫の光が四方から差し、シュウーンという音も四つ分聞こえてくる。
 問題は、この四つのどれを選ぶべきか。全部が正解とは限らない。
「何だってんだ全く、ってうわ!」
 巧己の悲鳴に、千香は振り返る。ビインと弦を弾くような音。すぐ足元に、矢が突き刺さっていた。視線を上げる。青鎧が、剣から弓に武器を持ち替えていた。次の矢を引き絞り、放つ。
「巧己、危ない」
 とっに孫悟空をかばって間に入る。ビシッと効果音が響き、千香の画面が一瞬真っ赤に染まった。
「おい千香、パンダのへそに矢が突き刺さったぞ」
「どこに刺さったっていいでしょ」
 画面下の表示を見て、千香は戦慄していた。ハートが一撃で九個半も持って行かれてしまった。
 巧己はさっき千香が一発殴ってしまったから、ハートは九個半くらいになっているはず。二人とも次の攻撃を受けたら終わり。
 ビシッ。すぐ近くの石ブロックに矢が刺さる。はっと思う間もなく、風切り音と共に頭の上を矢が通り過ぎていった。
「まずいまずいまずい、やられる。どうしよう、千香」
 時間がない。
 千香は四つのゲートを睨みつけた。
 私だったら——一番わかりやすいところに正解を置く。そして目の前に正解があるのに疑心暗鬼から避けてしまい、罠にかかるプレイヤーを見てほくそ笑む。
「頂上、真ん中のゲートに入って!」
 千香の叫びと共に、二人は駆け出した。まず孫悟空が、数歩遅れてパンダがゲートに向かう。丘の中央、堂々と建てられたゲート。いかにも入ってくださいと主張しているような紫の光。
「信じるぞ、千香」
「いいから早く」
 孫悟空が飛び込み、その姿が消えた。と、ゲートの上辺に矢が突き刺さる。千香は振り返って、息を呑んだ。青い鎧がすぐそこまで迫っている。爛々らんらんと輝く赤い目。矢が放たれる、ヒュンと鋭い音。その手元、数ドットの白い点に過ぎなかったものが、瞬時に画面いっぱいに広がり、千香の眉間を目がけて突き進んでくる。
 ビシッ。
 衝突音と同時か、いやそれより少し早かったか。
 画面が歪む。世界が紫の光に包まれると、やがてゲームはロード中の画面に切り替わった。
 千香はほっと息をつく。額に触れると、冷や汗をかいていた。
 しかしまだ安心はできない。ハイパースペースに閉じ込められているかもしれないのだ。果たしてこのゲートは正解なのか、それとも。
「ハイウェイだ、ハイパースペース・ハイウェイがある! よくわかったな、千香」
 巧己が叫んだ。
 ごくりと唾を飲みこむ。ほどなくして千香の画面も切り替わった。
 真紅の大地が広がっており、あちこちに溶岩の滝がある。遠くに、巨大で異様な建造物が見えた。横幅六ブロックほどの、黒いブロックで作られた高架である。その両脇にはガードレールのようにブロックが突き出している。あまりにも整然としていて、まるで宇宙人の遺跡のようだ。
 千香はおそるおそるゲートから出た。真っ赤な空間の中で、漆黒のハイウェイはどこまでも、どこまでも続いている。上り坂も下り坂もなく、真っ直ぐに。ハイウェイの上に立つと、地平線が見えた。
 やった。
 深いため息が出て、胸の中がじわっと熱くなった。
 ほとんど博打だったけど、正解だった。罠を仕掛けた相手の心理を読み切り、勝利したのだ。
 マウスを握る手がぶるっと震えたのを、千香は慌ててもう一方の手で抑え、懸命に自分に言い聞かせる。
 だめ。こんなことで嬉しくなっちゃだめ。ゲームなんか楽しんでも何にもならないんだから。
 そんな千香の気など知らず、孫悟空が機嫌良さそうに歩いてきた。
「何度見ても凄いな、このハイウェイは。知ってるか、千香。座標(0、0)を中心に、縦横斜めの八方向、延々と続いてるんだって。数百万ブロックっていう長さだぞ。バイパスや環状線なんかもあちこちにあるらしい」
「よく作ったね、こんなの」
「本当だよな。何年もかけて、たくさんのプレイヤーが作り続けてきたんだ。3Tで最大の建造物と言っていいんじゃないかな」
 まるで自分が携わったかのように誇らしげな巧己をよそに、千香はじっくりと足元を見つめる。この黒いブロックは、3Tの果てまで繫がっているのだ。感慨深い思いで踏みしめた。
「よし。さっそく、グラズヘイム? だっけ。祥一の手がかりがある場所に向かおうよ」
「そうだな……って、あ」
 孫悟空が、千香の方を見て凍り付いた。
 どうしたの、と聞くより先に嫌な予感がして、千香はキーボードを操作する。ほんの数歩、前に出てから振り返る。
 鼻先を刃がかすめた。
 心臓が止まるかと思った。すぐそこに青い鎧のプレイヤーが立っていて、剣をこちらに突きつけている。その背後でゲートが紫色に揺れていた。
「追っかけてきた! 逃げろ」
 孫悟空が走り出した。慌てて千香もその背を追う。後ろを振り向かなくてもわかる。青い鎧のプレイヤーが剣を手に、追いすがってくる。
 そうか、バカ。ハイウェイに気を取られて忘れてた。
 相手だってゲートをくぐってハイパースペースに来られるのだ。このしつこいプレイヤーキラーは、どこまでも追いかけて千香たちを仕留めるつもりらしい。嫌な奴に目をつけられてしまった。
 キーを力一杯押し込んで、ハイウェイをひたすら駆けていく。赤い岸壁や溶岩の滝が、びゅんびゅん背後に消えていく。直線だから走りやすいが、それは敵も同じ。これではいつまでも差がつかない。
 こちらが操作ミスをしたら、それで終わり。あるいは相手が弓に持ち替えて狙い撃ってきたら、それも致命的だ。
「千香、何かいい案ない?」
「えっと、えっと」
 案。案と言われても。ハイウェイから降りてどこかに隠れる。ガードレールから岸壁に飛び移り、ブロックを掘って潜む。いや、どれも無理だ。これだけ近づかれたらどうにもならない。じゃあ、一か八か巧己と二人で相手に殴りかかるか。勝ち目は万に一つもないけれど。
 ヒュッ、ヒュッと剣を振るう音がすぐ近くで聞こえる。
「千香、どうする、どうするんだよ」
「今考えてるの!」
 画面の下の方で、何かが動いた。何だろう。走り続けていると、また動いた。骨付き肉のマークが一つ、また一つと減っていく。
 ああそうだ、空腹度の問題もあった。永遠に走り続けることはできない。いずれキャラクターは腹ぺこになってしまう。ああ、もうだめだ。斬られて死ぬか、飢えて死ぬか。
 万策尽きた。
 その時だった。激しい爆発音が続けざまに響いた。
「何の音?」
「さあ」
 背後が気になったが、足を止めるわけにもいかない。だが、後ろにぴったりついてきた足音が消えたようだ。やがて我慢できなくなった孫悟空が足を止め、振り返った。
「クルセイダーズだ! 俺、生で初めて見た」
 何それ。
 千香も振り返り、目を疑った。
 青い鎧のプレイヤーが増えている。分身できるチートでも使ったんだろうか。いや、違う。
 青い鎧同士が戦っているのだ。追いかけてきた赤い目のプレイヤーが、千香たちに向かって矢を射かける。が、別の青い鎧が間に立ち塞がり、盾を構えて弾き返した。また別の青い鎧が剣を抜き、赤い目のプレイヤーに斬りかかる。赤い目は慌てて一歩下がり、剣を振るって応戦する。
 巧己が説明してくれた。
「クルセイダーズっていう有名なクラン、要するにプレイヤーのグループがあるんだよ。3Tにはスタート地点を荒らしたり、よってたかってプレイヤーを狩るような悪質クランもあるんだけど、クルセイダーズは違う。彼らは正義の味方なんだ」
 どうやら赤い目のプレイヤーも、仲間を呼んだらしい。いつの間にかハイウェイ上の戦いは、複数対複数の乱戦となっていた。剣と剣とがぶつかり合い、矢が飛び交う。ところどころで爆発も起きていた。見たところ戦いは拮抗していて、長引きそうだ。いや、クルセイダーズは意図的にそうして、時間を稼いでくれているのかもしれない。
 ふと、青い鎧のプレイヤーが一人、こちらに近づいてくる。剣を収め、攻撃する意思はないという風に軽く手を振ってみせると、チャットメッセージを送ってきた。
「ここは僕たちに任せて。君たちは先に行くといい。グッドラック」
「うわあ、感動だな。クルセイダーズに助けて貰えるなんて。サンキューっていっぱい送っておこう」
 巧己にも同じメッセージが届いたのだろう。ひとしきりキーボードを連打してから、孫悟空に頭を下げるジェスチャーを繰り返させている。
「さあ行こう、千香。今のうちだ」
 千香はまだ、戦いをぼうっと見つめていた。
 わざわざ初心者を守るプレイヤーもいるのか。
 3Tは何でもありのワールドだ。弱い者を守る義務なんてない。クルセイダーズのメンバーは、ただ好きでそうしているのだ。
「面白いなあ」
 思わずそう呟いてしまった。
「千香。早く」
「あ、うん」
 今度こそピンチは去った。後は目的地に向かうだけ。
 二人は戦場を後にし、意気揚々とハイウェイを歩き始めた。

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