見出し画像

ほうじ茶「これは信じなくてもいいんだけどね」

初の単行本『どこかでちょっとずつ傷ついてる やさしいみんなへ』を出版したほうじ茶さんからエッセイが届きましました。心がほんのり温まる本に救われた話。

TOPページへ

 思えば私の人生は、たくさんの本に救われてきた。
 本はどこにいても、どんな時でも、私を辛い現実から逃がしてくれた。言葉にできない感情や行き場のない想いをひょいっとすくい上げてくれた。てのひらに載るほど小さくて軽いのに、真っ白な紙に小さな黒い文字が縦に並んでいるだけなのに、ただ、それだけなのに世界はどこまでも広くて深いことを教えてくれた。生きる希望を与えてくれた。
 夏休みの宿題の読書感想文は、取り組むのが嫌で嫌で、提出日ギリギリまで手を付けられなかったし、日記をつけるのも3日と続いたことがない。そんな私が今こうして文章を書いているなんて想像もしていなかった。
 やっぱり人生は、何があるか分からない。

 もしもタイムリープをして中学生の頃の私に会いに行ったとして、「ねえ! これは信じなくてもいいんだけどね、大人になったらⅩやInstagramに文章を書くようになるよ! 紙の本を出すっていう夢もできて、27歳でその夢を叶えられるよ‼」と人生の盛大なネタバレをしても、きっと信じてもらえない。
 過去の私は、〈何言ってるんだろうこの人……ⅩとInstagramって何? こわいな……〉とびっくりして、ひきつった笑顔で私に会釈をし、その場からそそくさと逃げると思う。そして家に帰って、当時ハマっていたシュガーロールをむしゃむしゃと頰張りながら、祖母に「なんかさっき変な人に話しかけられた。真っ直ぐな目で意味分からないこと言ってきてこわかった……」と報告するだろう。

 人生で初めて自分の書いた本が発売された10月2日、私は有休をいただいていた。普段、旅行に行くこともなければ、一人で生活しているので、子どもの運動会や記念日などの特別な行事も特にない。余りに余っていた有休を、この日にこそ使おうと思った。
 朝、起きたら髪の毛がギトギトだった。これは前日にお風呂に入らず寝てしまったからだ。お風呂に入ることは大好きだけれど、お風呂に入るまでの時間が何よりも苦手だ。お風呂に入ろうと思ってから実際に行動に移すまでに、数時間かかってしまう。仕事終わりでもうHPがほとんど残っていない時には、潔く今日を諦めて明日の自分に入浴を託す。そんな風に言うと何だか聞こえがいい。
 物事を先延ばしにしてしまう際には、こう考えるようにしている。ZOZOTOWNのツケ払いも3万円ほどあるが、これも未来の私に託しているのだ。2か月後の私へ、どうかよろしくお願いします‼
 朝、ぬるめのお湯に浸かり、髪の毛を3回洗ってようやく綺麗になれた気がした。発売日の翌日に健康診断があったので、検便のための採取もした。〈こんなハレの日に、何をやっているんだろう……〉と思ったけれど、どうしたって人間なので仕方ない。

 自分の足で本屋さんに行き、自分の目で本棚に並んだ本を見たかった。そして自分の手でレジに持って行き、自分のお金で買いたかった。
 家から一番近い大きな本屋さんは新宿の紀伊國屋書店さんだ。新宿駅は何度行っても迷子になる。街自体がダンジョンすぎると思う。私が方向音痴すぎるだけかもしれないけれど……。
 自分の本が本屋さんに並んでいるのを見て、初めて〈紙の本を出せた〉という実感が湧いた。夢は叶わないものだと諦めてこれまで生きてきたが、叶う夢もあるのだと知った。
 心の中でガッツポーズをしたし、おどりもしたし、お輿こしも担いだ。〈驚き〉と〈嬉しい〉の感情が、時間と共に感動に変わってちょっと泣きそうになった。
 お礼を伝えたくて、ありったけの勇気を振りしぼって書店員さんに声をかけた。
「あ、あの、私の書いた本、置いてくださって本当にありがとうございます‼」
 緊張で伝えたいことの2割も言えなかった。話している間ずっと、バクバクと心臓の音がうるさくて、〈私生きてるな~〉とうっすら他人事のように思った。「作者さんなんですね! 書いてくださって本当にありがとうございます‼」と言ってもらえた。涙がぶわっとあふれそうになった。頭を下げて足早に階段の下に移動し、ひっそりこっそり泣いた。
 本に救われていた私が、本を書いて誰かにお礼を言ってもらえた。その事実が何よりも嬉しくて、走馬灯で見たい記憶第2位になった。第1位は特にまだないけれど、死ぬ直前まであえてとっておきたいと思う。案外どうでもいい、くだらない、何気ない記憶ほど1位かもしれないな……と思っている。

 本を出すという夢は叶ったけれど、私の日々は、以前とほとんど変わらない。相変わらずお風呂に入れないし、ZOZOTOWNのツケ払いはあるし、検便はしなくちゃだし、駅で迷うし、上手に人と話せない。仕事でミスをして落ち込む日もあるし、大好きな本を読めないくらい心が疲れてしまう日もある。
 ただ、唯一にして最大の変化は、〈本の感想をいただけるようになった〉ということだ。
「明日も生きようと思います」「お守りになりました」と本の感想をいただく。スクショして印刷して、部屋の壁に貼って飾っておきたいほどに嬉しい。
 ただ、力をもらっているのは間違いなく私の方だ。私の文章を読んでくれる人がいるから生きられる。生きていける。
 きっと私は書くことを通して、どこかに自分の居場所を作りたかったのだと思う。誰かとSNSの中だけででも繫がっていたかったのだと思う。誰かの何かになりたかったのだと思う。
 日々生きていたら、本当にいろいろなことがある。嬉しいことや楽しいことよりも、辛いことや悲しいことの方が多いかもしれない……。
 会ったことも話したこともないけれど、顔も名前も分からないけれど、今この文章を読んでくれているあなたのこれからの毎日が、少しでも穏やかで温かで優しいものになるように、祈っているね。
 私を救ってくれた本たちのように、私も誰かの日々を少しだけ彩ったり、寄り添ったり、〈明日も頑張ろう〉の力になれたら嬉しい。


著者紹介 ほうじ茶(ほうじちゃ)
 社会人x年目のOL。広告代理店で勤務する傍ら、XやInstagramで日々の思いを綴り、静かに隣にいてくれるような文章が幅広い層の支持を得る。2024年、初の単行本となる『どこかでちょっとずつ傷ついてる やさしいみんなへ』を出版。

TOPページへ

ここから先は

0字

《読んで楽しむ、つながる》小説好きのためのコミュニティ! 月額800円で、人気作家の作品&インタビューや対談、エッセイが読み放題。作家の素…

「#別冊文藝春秋」まで、作品の感想・ご質問をお待ちしております!