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高田大介〈異邦人の虫眼鏡〉 Vol.2「自炊者の告白」

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 連載初回のリード文で「食事もすべて自炊」であるとか「自然と向き合い」などと書かれてしまった。これでは私が、言うところの「丁寧な暮らし」をむねとしているみたいではないか。実情に反するとまでは言わないがどうも認識にがある。「雑な暮らし」をおくっている自覚なら無くもない。ここのところとみに自然と向き合っているのは、昨今の情勢から向き合う相手が庭の地面ぐらいしかなかったからであって、これは自然派というよりは単に怠惰な引き籠もりである。

 自炊についても主義主張に基づくものでは毛頭なく、ひとえに止む無き事情によって強いられているばかりだ。事情というのは、例えばフランスの大衆食堂の料理が食べきれなくって「肉をお残し」するという屈辱に耐えかねたとか、一家そろってとうなので外食でげいいんした日にはエンゲル係数が異様な値を叩き出してしまうとか、あるいはもっとも趣味と体調に適うのが和食であるとかいった具合である。

フランスで寿司

 パリやニースといった観光大都市ならばいざ知らず、フランス中西部の小都市では「和食レストラン」はだいたい文化さんだつの好例といった具合で、店側にも客側にも日本人なんかいやしない。スーパーの「パック寿司」はサーモンばかりだし、巻きものは海苔が巻いていないもので、あれを寿司と認めるのなら私が常食しているきゅうだって寿司の末座に控えられそうだ―品書きはかっでどうか。

 公平のために言い添えればフランスのトロサーモンは実に美味しい。だが「お任せで」ってことでわくわく待ってみたところ、寿司下駄の上に鮭ばかりが並んでいるというような寿司屋があったとしたら……料理漫画の「寿司対決、テーマは鮭」の回にたまたまあたってしまったというならともかく、二度と足を運ぶ気になるまい。信じていただけないかもしれないが「フランス内陸部の地方都市の名前と寿司」で検索でもかけてみればすぐに判ることだ、この辺では寿司はきほん鮭一択であり、白身やまぐろなんかはだいたいアボカドと同じような立場に置かれている。光り物など影も形も……つまり光無き世界である。もっと光を!

 要するに寿司が喰いたければ、自ら作るしかないのである。幸い、フランスは食材に関しては安くて新鮮なものが幾らでもある。に日参していれば、時には鮮度も値段も申し分なしの寿司ねたぐらいお目にかかれる。あとは出物があった時に、目が利くか、魚がさばけるか、寿司が握れるか、という問題があるが、試行錯誤で十年もやってりゃ自己流でも形になってくる。

いわしのお造り。
新鮮な時に限って安い。
鯛の松川造り。
素人の節下ろしのコツは中骨に贅沢に身を残すこと。
そっちは鯛飯なりなんなりに用がある。
雲丹はどう食べるのかと魚屋に聞かれた。
割って濯いで「ワサビ」で喰う、以上だ。
タイセイヨウクロマグロ。
大トロは ventre de thon と言い、珍重されていない。
しばしば赤身より安い。

糠漬け

 めしは今でこそ炊飯器を導入したが、もともと鍋で炊くノウハウがあった。遠き異邦で恋しくなるのはむしろ加工食品である。味噌は欧州にも生産者があり、醬油もどこでも手に入る。ここで次に欲しくなるのは主菜ではなく漬け物の類いだ。白菜chou chinoisは塩をして重しをかけてたかの爪の類似品piment de Cayenneでも入れておけば勝手に立派な漬け物になる。ドイツ人だってキャベツでやっている。白菜が漬かるなら、とうぜんキムチも欲しくなる。私は韓国料理にはちょっと通じているのでアンチョビanchoisや干しなどを混ぜ込んで本格を志した。ところが家人の手になるシンプル・キムチの方がいつでも歴然と評価が高い。納得いかないが、評判の差が明白でざんに堪えない。評価につながらぬ作意になどこだわってはいられない、これも教訓である。

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