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朝倉かすみ「よむよむかたる」#006

「返事なんぞ期待しちゃいません」
会長の言葉に、安田はかつて〈ご返事ご無用〉の手紙を書いたことを思い出した

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 マンマの「読み」は、抑揚のつけ方がいくぶんおおで、なんでもない場面でも大変なことが起きている印象を与え、ドラマチック読みとか、大輪のしん読みとか、らんばんじよう読みと評価されている。「我が読む会の看板女優」というキャッチコピーが献上されていて、マンマが朗読し終えると、かならず誰かがそう口にするのが一種の型になっていた。
 三節で「ぼく」は小人の話をいろいろ調べ、アイヌに伝わるコロボックルの物語にいきあたり、「こぼしさま」はコロボックルではないかと考え始める。「黒いかげ」の一件ともども「こぼしさま」に確認の手紙を書き、草かげにおいてみた。友だちになりたいとも書いたのだが、返事はなかった。
 感想タイムではきっとコロボックルに話題が集中する、それがやすの予想だった。
 安田はコロボックルの話題をいくつか用意していた。が「なまら美味い!」と送ってくれた「じゃがポックル」なるスナック菓子に一時期ハマった思い出話と、「じゃがポックル」はじゃがいも+コロポックルの造語で、課題本では「コロボックル」とあるがアイヌ語では[b]と[p]の音素を区別しないため「コロポックル」ともいうとのWikipediaによるきゆうごしらえの知識を披露する心算でいた。畳敷の店内を見回し、背を反らして玄関のほうを見ようとした。からだの硬い安田は背をそんなに反らせなかったので、三和たたと向かい合う本棚の側面しか見えなかった。
 あそこもそろそろほこりを払わなきゃな、と雇われ店主らしいことを思った。
 時代が匂い立つような雑多な本が詰め込まれた書棚は、古本屋でも貸本屋の棚でもなく、誰かの家の本棚みたいに見える。背表紙を読んでいくと、持ち主の足跡のようなのだ。それもそのはず、それはもともと美智留の本棚だった。彼女いわく「あたしの青春のかたまり」だ。安田の知る美智留に読書家のイメージはなかったが、熱心に読んでいた時期があったのだろう。若さゆえか時代ゆえかは知らないが、昔の若者はよく本を読んだものだというのはしばしば耳にする。安田からすればディズニー映画のエスメラルダ級の自由さを発散しているように見える美智留だが、実際は、案外典型的な「昔の若者」だったのかも、など、思うともなく思っていたら、読む会では感想コーナーが沸いていた。
 話の種は手紙についてだった。安田の予想したコロボックルではなかった。そういえばと頭をよぎったのがドラえもんで、あれもピンときてなかったみたいだったしなぁ、とうなずき、もしかしたら八十オーバーの人たちにはドラえもんほどではないにしろコロボックルも新キャラなのか? と思ってみたりしたが、確証はない。おそらく誰かの発言がみんなの琴線に触れ、我も我もと語りだした、というところだろう。
「今でも年賀状をくれる子が何人かいましてね」
 ホレ、あの、とちようネクタイがシルバニアに合図のように人差し指を動かした。
「しょーこ組」
 シルバニアが即答した。目を細め、頰を持ち上げ、笑顔ができあがったら「かみむらしょーことその一味ですので」と、その顔を蝶ネクタイに向けた。ふたりは元中学校教諭で、同じ学校に勤めていた時期がある。
「そう! しょーこ組!」
 ヤー、モー、傍若無人の者どもで、と蝶ネクタイはハッキリと相好を崩し「とにかくあー言えばこー言うで、だいぶてこずりましたネェ」と片耳に下げたマスクをぶらぶらさせた。蝶ネクタイが言うには、万引き飲酒ドラッグなんかの不良行為はしないのだが、「けばけばしい」化粧と髪型を頑としてやめず、授業中も手鏡を覗き込んではまつ毛を指の背でいじったり、「んぱぁ」と唇をひらいたり閉じたりする。いくら注意してもニヤニヤと空返事したり唐突に爆笑したりするだけ。明るくお喋りだが妙な落ち着きがあり教諭にも敬語を使わない、とのこと。安田はバラエティ番組で見かけるタメ口タレントを連想した。無礼なのだがなんだか憎めず、意外と根性と甲斐性がありそうな若くて可愛い女の子たち、くらいの印象しかないが、「しょーこ組」もそんなふうだったのではないか。
「しかしマァ、ワタクシみたいなダメ教員にも年賀状をくれるのはあの子たちだけなんですよネェ。『謹賀新年』とか『新春のおよろこびを』といったような印刷文の下に『たけがんば!』って殴り書きがネ、ン、ふっといサインペンの殴り書きをネ、毎年、あの子たちみんなして書いてよこすんですよ」



 蝶ネクタイはソファの背もたれに寄りかかり、腹の上で手を組んだ。実に満足そうな顔つきだ。
「わたしにも」
 シルバニアもちいさく手をあげた。
「わたしには『ももちゃんドンマイ!』と」
 あの子たち、なんでか、みんな揃ってすんごい殴り書きで、とテーブルに置いてあったマスクの位置を真っ直ぐにした。ふふふ、としあわせそうに微笑みながら蝶ネクタイに「かみむらしょーこ、あだちかおる、ないとうしのぶ」と指を折る。詰まったら、一緒に指を折っていた蝶ネクタイが背もたれからからだを起こして「はやしゆーこ」と薬指を倒してその手をちょっと上げてみせた。「そうそう、はやしゆーこ」とシルバニアが応じ、「はやしゆーこ、はやしゆーこですので」とひとりごちた。
 安田はなんとなくかたひざをゆるく抱えた。蝶ネクタイとシルバニア。ふたりを眺めながら、現在のキャラのままキュルキュルと時間を巻き戻してみて、うーん、と腹のなかで短くうなった。まぁまぁポンコツ教諭だったかもしれない。蝶ネクタイは真面目すぎ、不器用すぎの傾向があり、シルバニアは言わずもがなの天然爆弾持ちだ。生意気盛りの中学生や教育熱心な保護者相手にいろいろ辛い場面があったのは察するにあまりある(相手も相手で歯痒かっただろうが)。そんなふたりに「しょーこ組」の連中は朗らかに声をかけたにちがいない。
 安田の脳裏に、明るい茶色のふわふわパーマをなびかせた四人の女の子が廊下ですれ違いざま「佐竹がんば!」とか「桃ちゃんドンマイ!」と蝶ネクタイやシルバニアの背をたたきスキップするように去っていく映像がよぎった。彼女たちの背中を見るふたりは怒ったような呆れたような笑いだしそうな顔をしている。その顔は現在のふたりよりいくぶん若い程度だった。どうも安田は、ほんとうに若い頃のふたりを思い描くことができないようだ。
「しかしですネェ、なんでまたあの子たちがズーッと年賀状をくれるのか分からないんですヨ」
 律儀そうというか義理人情に厚そうな子らではありましたが、と蝶ネクタイは首をかしげた。蝶ネクタイが以前なにかの折にかつての同僚から聞いた話では、「しょーこ組」が年賀状を送っている教諭は蝶ネクタイとシルバニアだけだそうだ。シルバニアが「え?」と蝶ネクタイを見る。「ほんとに?」とシルバニアがつぶやくと、蝶ネクタイがうなずき、なぜか、その場にいた全員がうなずいた。
「たっ」
 安田の第一声は若干、割れた。
「たぶんですね」
 言い直したら少し落ち着いた。
「おふたりのようすが『しょーこ組』の励みになったというか、世界の広さみたいなものを垣間見せたというか、そういうアレじゃないっすかね」
「ってアンタ、どういうアレさ?」
 マンマに突っ込まれ、口ごもった安田にシンちゃんが加勢した。
「おふたりが最初に『しょーこ組』に手紙を書いたんじゃないですかね。『しょーこ組』からの年賀状はその返事のような気がします」
「です、です」
 安田はシンちゃんに向かってブンブンうなずいた。
「おふたりの態度というか存在が彼女たちになんらかのメッセージを放っていたのだと、つまり手紙を書いていたのだと思うんです」
 ですよね、というふうにシンちゃんに視線を送ると、シンちゃんがしっかりとうなずき、引き取った。
「先生、と呼ばれる、大人、のなかで、おふたりだけが素、の部分を見せてくれた、ということじゃないんですかね。ありのままの部分、人間味あふれる部分、言い換えるとまー、そんなに立派じゃない部分といいますかね。それが周りとの折り合いのつけ方、いや、その前に自分自身との折り合いのつけ方にモヤモヤしたものを抱える『しょーこ組』にはエールとして胸に刺さったのかもしれません」
「きみたちも大丈夫だよ、みたいな」
 安田はそう付け足したが、一同はうっすら口を開けたままだった。伝わっていないようだ。蝶ネクタイとシルバニアの毎日勤めている姿が、いうなればまぁ、ポンコツでもやっていけるんだ、といった発見というか希望みたいなものを「しょーこ組」に与えたのだと安田は思うのだが、まさかそんなにハッキリ言うわけにはいかない。
「あー、でもなんか、分かる気するワ」
 マンマが唇をタコのようにつぼめてからチャプッとひらいた。
「言ってることややってること、言わないことややらないこと、みーんなお手紙みたいに誰かに届くかもしんないよぅ、って、そういうアレかい?」
 安田を見て足を組んだ。安田がうなずくと、ふふん、と得意げに顎を上げる。
「そうおっしゃっていただけるのでしたら、『しょーこ組』の連中からの年賀状は、実にソノものすごく口幅ったいんですけどワタクシたちへの返事かもしれないんですネェ。あの子らみんな、真面目にやってるようですから」
 蝶ネクタイはりようびんを手のひらで撫でつけた。シルバニアも襟足にそっと手をやっている。その手を上に滑らせ、割合高い位置でつくった銀色のお団子を触りながら、
「まさかご返事をいただけるとは思ってもいませんでしたので」
 誰にともなくつぶやくと、まちゃえさんが「あたし、あたし」と左右に尻をずって座面の前に出てきた。
「今、気ィついたワ。そうそう、お手紙みたいだったのサァ。あきのりがネ、あんなこと言ったこんなこと言ったって思い出すときの感じ、言われてみればお手紙もらったような感じなのサァ。郵便受けにコトッて音がして、アッお手紙きた! って取り行ってハサミできれーに封ば切って」
 フッ、とまちゃえさんは封筒に息を吹き込む振りをした。指先で便びんせんを引き出す身振りをして、動きを止める。
「あたしらがツイなんだかんだ話しかけるのもお手紙みたいなもんだからサァ、けっきょく行ったりきたりで、もうドッチがご返事なのか分からないネェ」
「いや、そういう手紙を書くときはネ、返事なんぞ期待しちゃいませんですよ、エエ、そういうものですよ」
 ご返事ご無用、と会長が腕を組んだ。唇を引き結び、目玉を斜め上にして、あれこれ思いを巡らす顔をする。幼かった娘さん、亡くなった奥さんにしたためたご返事ご無用の手紙が胸中に去来していると安田は見たが、自信はなかった。それより会長の顔色にテカッとした生気が戻ってきているほうに気がいった。
 よかった。安田は腹に手をあて息をついた。すると思い出した。モンなる人物にご返事ご無用の手紙を書いたことを。
 ひようせつを匂わす手紙を受け取ってからそんなに時間が経っていなかった頃だ。当時安田はSNSにアカウントを持っていた。編集者とのやりとりを経て一件落着とはなっていたが、安田のわずらいは消えず、むしろ肥える一方だった。これっぱかりのことで、と、ときに安田は自分を痛めつけてやりたくなる衝動に駆られた。なにも手につかなくなるようなデリケートちゃんクッソだせぇ、と自分の顔を、まぶたが切れ、鼻血が出るまで殴りたいような怒りを覚えた。
 半面、イタいファンだかなんだか知らないが自己アピールしたすぎて、わざわざ手紙という手段でもって根も葉もない言いがかりをつけ、新人作家に深いメンタルダメージを与えた差出人にたいする怒りもあった。それはやや大ぶりの被害者意識とでもいうものとほぼ同じ分量で、そのことがまたクッソだせぇ、と安田が自分自身を非難したくなる理由になった。
 ——きみはぼくを潰したいの?
 夜中にビールを飲みながらした投稿は、翌日だったか二日後だったかには削除した。SNSをやめたのは、それから少ししてからだ。あの投稿がモンなる人物に届いたかどうかは不明である。なんの反応もなかったからだ。
「とはゆーものの!」
 マンマが陽気な声を発した。パン、とひとつ手を打つような声で、空気が変わったのが見えるようだった。
「やっぱり、ご返事もらえるのは嬉しいよね!」
 と、シルバニアに話しかける。もちろん、というふうにシルバニアがうなずく。
「ご返事はご返事でも手紙ではなくて、ある日突然、ちいさな白い小包が届くことがあります」
 ね? と軽く身を乗り出してマンマ越しに安田に顔を向け、微笑した。両手で寿司折りほどの箱のかたちをあらわし、再度「ね?」とコックリする。
「え?」
 安田は曖昧な笑みを浮かべた。上半身を浅く倒し、マンマ越しにシルバニアを見ている。マンマは気を利かして、ソファの背にもたれ、顎まで引いた。
「あらやだ、やっくんのお話に出てたじゃないの」
 作者なのにウッカリですので、とシルバニアは肩をすくめてクスクス笑った。ニット帽のボンボンみたいなお団子を揺すりながら身振り手振りでみんなに教える。
「わたし、やっくんのお話、読みましたので。キンドルで。なぜならアマゾンで検索しますと本のほうは一円の中古しかなくて、さらに文庫落ちすらしていないようですので、キンドルにダウンロードしたんです」
 なんかひどいぞ、と安田は唇のすみに苦笑いを含ませた。とほほ、ってこういうときに使うんだろうなぁ、と遠望するように思ったあと、シルバニアの言った「ちいさな白い小包」を考えた。寿司折りほどのサイズらしい、と両手でかたちを作ってみたが、思い出せない。書いたっけ? と、書いたとしたらどこで? が頭の中をぐるぐるした。
 シルバニアはみんなにキンドルを説明していた。読む会会員たちが食いついたのは(安田の著書についてではなく)「キンドル」だったようで、「オンドル?」「いえ、キンドル」「キンとドルとは景気がいい」というやりとりが聞こえていた。
「本くらいの大きさの、パッと見こどものオモチャみたいな平べったいキカイで、オシャレな若者がこぞって使ってるんですけど、でもでも実は、軽くてかさばらないし、字の大きさが自由に変えられるしで、わたしたちシニアにこそ役立つお品ですので」
 とシルバニアに説明され、おおっそれは便利、と一同沸き立ったのだが、入手し活用するにはアマゾンアカウントなるものが必要と聞き、そんな面倒なことまでしたくない、と潮が引くように関心をなくした。
「とても簡単ですので」
「ヤー、キカイにたんのうな方からそう言われてもネェ」
「あたしたちにはとてもとても……だよぅ」
「そうそう、触らぬ神に祟りなし」
「君子危うきに近寄らず、ってネ」
 どっと笑い声をあげるみんなにシルバニアは「ほんとうに、ほんとうに、とても簡単ですので」と胸で組んだ両手を何度も握り直していたのだが、不意に「あ」と安田を見た。
「ちがった。あれは漫画」
「なにがです?」
「小包。むかし読んだ漫画に出てきたので」
 シルバニアは不思議そうに首をかしげた。
「やっくんのお話ではなく」
 と、首のかたむきを深くする。安田もゆっくりと頭を横に倒した。

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