ピアニスト・藤田真央 #02「わたしに”合っている”モーツァルト」
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わたしが共演したイスラエル・フィルハーモニーは、昨年85周年を迎えた伝統ある楽団です。初代音楽顧問のウィリアム・スタインバーグから始まり、レナード・バーンスタインやズービン・メータといった、偉大なるマエストロたちとともに歴史を刻んできたオーケストラですので、ご一緒できたのはたいへん光栄でした。
欧米の一流オーケストラの音楽監督を歴任した大ベテラン、クリストフ・エッシェンバッハとの共演も、極めて刺激的なものでした。短いリハーサルの間にも、彼の音楽性に圧倒されました。手指のほんの少しの動きだけで、ああ、こういう音を求めているんだなと明瞭に伝わるのです。
彼は言うまでもなくピアニストとしても名を馳せた方で、わたしが2017年に優勝したクララ・ハスキル国際ピアノコンクールの1965年の優勝者でもあります。
クリストフの語る思い出話は、いちいちスケールが大きく驚かされっ放しでした。今回共演したモーツァルトの21番を、彼が初めて弾いたとき、指揮者はなんとカラヤンだったそうです。
カラヤンは若きクリストフに、「21番で共演したピアニストで最も印象的だったのは、ディヌ・リパッティだ」と語ったのだとか。
ディヌ・リパッティといえば、1940年代に活躍し、30代で早世したルーマニアの伝説的ピアニスト。カラヤンとのコンチェルトをはじめ、すばらしい録音がいくつか残っています。
わたしも以前からリパッティはよく聴いてきました。15歳の時にリパッティの存在を知り、当時通っていた東京音楽大学付属高校のライブラリーで、CDを探し漁ったものでした。
20世紀音楽の歴史そのもの、といったエピソードがポンポン飛び出すクリストフと過ごす時間は、何にも代え難い歓びに満ちたものとなりました。
わたしに「合っている」モーツァルト
今回のテルアビブでのコンサートはすべてモーツァルトのプログラムとなりましたが、わたしは幼少期からモーツァルトに入れ揚げてきたというわけではありません。
2017年のクララ・ハスキル国際ピアノコンクールでは、たしかにモーツァルトを弾きました。決勝に進んだわたしが選んだのは《ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491》。クララ・ハスキル自身が、この曲のみごとな録音を残していたので、ぜひ取り組みたかったのです。
他の2名のファイナリストは、それぞれショパンとシューマンの協奏曲を弾いていました。わたしの選んだ24番は技術的な難易度自体はさほど高くないのでコンクールで弾く曲としてはどうかとも言われましたが、わたしはこれが弾きたいのだと意志を貫きました。
曲選びも功を奏してか、わたしはそのコンクールで優勝することができました。そのとき演奏を聴いてくれていたのが、元審査委員長でもある音楽プロデューサー、マーティン・エングストロームでした。
演奏を終えたわたしが楽屋でピアノを弾きながら結果を待っていると、マーティンは「コンクールは終わったのにまだ弾いてるの?」と声をかけてきました。そして、「僕はきみが一番だと思った。ぜひヴェルビエ音楽祭にアカデミー・スチューデントとして招待したい」と申し出てくれたのです。
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