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吉田大助│これは「アンファン・テリブル(恐るべき子どもたち)」の系譜を発展的に受け継いだミステリーなのだ

エリート棋士を父に持つ少年と、落ちこぼれ女流棋士の息子。彼らは出生時に「取り違え」られていたのかもしれない――
綾崎隼さんの最新作『ぼくらに嘘がひとつだけ』は、プロ棋士を目指す若者たちを描いた瑞々しい青春群像劇。その一方で本作では、出生時に課された宿命が少年たちに重くのしかかる。神童と呼ばれ、才能を羨ましがられる少年たちが、人知れず葛藤し、最後に出した結論とは……⁉
書評家・吉田大助さんがいちはやく本作のレビューを寄せてくれました。

「宿命論的な人生観」を回避するためには

短いプロローグで記されるのは、「僕」が親子間のDNA鑑定の結果を今まさに目にしようとする瞬間だ。切り取られたクライマックス・シーンの一部には、こんなモノローグが書き込まれている。
〈才能とは遺伝子で決まるのか、それとも環境で決まるのか〉。正直なところ、この一文を目にした時に抱いたのは不安だった。どちらか、ではなく、どちらも、では何故いけないのか? もしもどちらかを決めるような物語であったら……という不安を推進力の一つにしながら読み進めていくと、あまりにも鮮やかで説得力ある回答を前に、大きく目を見開かされることとなった。

『ぼくらに嘘がひとつだけ』は、青春群像劇の名手として知られる綾崎隼あやさきしゅんが “再び” 将棋界に材を取った長編小説だ。最初のトライアルであった『盤上に君はもういない』(2020年刊/KADOKAWA)は、2022年夏現在はいまだ歴史に登場していない女性棋士──女性だけのリーグで戦う「女流棋士」ではなく、男女の区別がないリーグ戦に参加する四段以上のプロ棋士──の出現と躍進を綴る物語だった。前回のトライアルで構築された架空の棋界の歴史が、今作でも受け継がれている。「第一部 カッコウの悲鳴が聞こえるか」で描かれるのは、同時代に同年代の女性棋士が現れた衝撃におののく、二人の「下層」女流棋士の心情だ。

 看護師から25歳でプロになった朝比奈睦美あさひなむつみと、タイトル獲得経験を持つ棋士の娘である向井梨穂子むかいりほこ。親友同士である二人は進退を懸けてトーナメントに出場し、直接対決を果たす。その後二人の関係は途絶えたものの、東京都清瀬市の病院で偶然の再会を遂げる。二人は妊娠中であり、睦美は離婚し元夫と没交渉の状態だったが、梨穂子にはプロ棋士の優しい夫がいた。一日違いで共に男の子を産んだ直後の場面で第一部は幕を閉じる。
〈才能とは、遺伝子ではなく、生まれた家で決まるはずだ。/環境さえ与えられれば、きっと、この子は……〉。
 不穏な気配に、あなたの鼓動は高鳴るだろう。

 全五話構成が敷かれた「第二部 モズは誰を愛したか」の主軸をなすのは、「入れ替え」の当事者となった可能性がある二人の少年の物語だ。長瀬厚仁ながせあつひとと長瀬梨穂子の子どもとして育てられた京介きょうすけは、史上最年少の九歳一ヶ月で奨励会に入り将棋のエリート街道をひた走っていた。そんな彼の前に現れたのが、小学五年生で奨励会の入会試験を突破し自らを「天才」と称する、朝比奈千明ちあきだった。以降、物語は全く異なる性格や棋風を持つ二人が切磋琢磨する姿を、実直に丁寧に描き出していく。その過程で家族ぐるみの交流が始まり、やがてプロローグの場面が現れる。驚くべきことに、その場面は総ページ数の半分にも満たないところで登場する。では、その後で描かれていくものとは何か?

 本作は、将棋に魅了され、その頂点に立つことを夢見る人々の努力や友情、諦めを綴った王道の青春小説である。と同時に、「アンファン・テリブル(恐るべき子どもたち)」の系譜を発展的に受け継いだミステリーでもある。アンファン・テリブルが、将棋の世界で神童と呼ばれる男の子である点に、モチーフとテーマの有機的融合が実現しているのだ。そして本作は、ノンフィクション作家・奥野修二の著書『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年』(文春文庫)、および同書を「参考文献」にクレジットした是枝裕和監督の映画『そして父になる』を踏まえたうえで構想された、親子愛の物語でもある。

 本作の大きな魅力はさらにもう一つある。
 社会学者の土井隆義どいたかよしは『親ガチャという病』(宝島社新書)収録の論文で、「2021ユーキャン新語・流行語大賞」のトップテンに選ばれるなど一世を風靡した親ガチャという言葉には、現代日本の若者たちの間で広がる「宿命論的な人生観」が象徴されていると指摘した。その言葉は当初、〈幼少期に親から虐待を受けて育った経験を持つ若者たちが、自らの生きづらさを周囲の友人たちに語る際に使い始めた言葉〉だったが、右肩下がりの経済不況下では親の経済力が教育格差に直結する、という現実も反映するようになったという経緯を踏まえたうえで──〈自分の人生が希望通りにいかないとしたら、それは出生のくじ運が悪くて外れを引いてしまったからだ、親ガチャにはそんな思いが込められています〉〈親ガチャは、さまざまな偶然の結果の積み重ねではなく、出生時の諸条件に規定された必然の帰結として、自らの人生を捉える宿命論的な人生観です〉。

 もしも現実がそうであるならば、フィクションの役目は「宿命論的な人生観」をキックすることにあるのではないか。いや、それ以外にないのではないか? 〈才能とは遺伝子で決まるのか、それとも環境で決まるのか〉──本作がプロローグで掲げ、以降も幾度となく作中で顔を出すその問いに対する回答は、どちらか、ではなく、どちらも、でもない。二項対立そのものをキャンセルする想像力を、この物語は結末部のたった一行の文章で提示している。

 その一行を、ここで抜き出しても意味がない。プロローグから丁寧に読み進めていき、登場人物たちの心理を理解したうえでその一行と出合うことに意味がある。極めて特殊な人間関係のドラマを構築しながらも、届けられるのは圧倒的な普遍。感動する、とはこの小説のことを指すのだと思う。


『ぼくらに噓がひとつだけ』綾崎隼・著
才能を決めるのは、遺伝子か環境か?
エリート棋士の父を持つ京介と、落ちこぼれ女流棋士の息子・千明。二人の「天才」少年は、またたく間に奨励会の階段を駆け上がる。期待を背負い、プロ棋士を目指す彼らに、出生時に取り違えられていたかもしれない疑惑が持ち上がる。才能を決めるのは、遺伝子か環境か? 運命と闘う勝負師たちの物語。

◆プロフィール
吉田大助(よしだ・だいすけ)

1977年、埼玉県生まれ。「野性時代」「ダ・ヴィンチ」「小説新潮」「CREA」「週刊SPA!」など、雑誌メディアを中心に、書評や作家インタビューを行う。構成を務めた本に、指原莉乃『逆転力』などがある。


★『ぼくらに嘘がひとつだけ』第1部はこちらから全文読めます★


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