見出し画像

エモすぎる!将棋の世界に生きる勝負師達の物語――綾崎隼『ぼくらに嘘がひとつだけ』第一部を先行公開☆

「WEB別冊文藝春秋」で連載されていた
綾崎隼さんの最新作『
ぼくらに嘘がひとつだけ』が
7月25日(月)に刊行されます!

女性棋士を目指す少女たちを描いた『盤上に君はもういない』が版を重ね、『死にたがりの君に贈る物語』がTikTokでも話題となりベストセラーに。
まさにいまエンタメ小説界で最も注目される書き手の一人である綾崎さんが最新作の舞台として選んだのは、プロ棋士を目指す若者たちが集う「奨励会」でした。

エリート棋士の父を持つ長瀬京介と、落ちこぼれ女流棋士の息子・朝比奈千明。親からの期待を一身に背負い、奨励会に入会した二人は、プロ棋士を夢見て研鑽の日々を送っています。そんな中、彼らは出生時に「取り違え」られていたのではないかという疑惑が浮上し――

ライバルとして切磋琢磨し合う京介と千明。女流棋士として挫折を味わった二人の母。プロ編入試験に挑戦する異才のアマチュア棋士と、彼の夢を引き継いで「名人」を目指すA級棋士。
将棋に魅せられてしまった勝負師たちのひとつひとつのドラマが胸に突き刺さります……
大の将棋ファンの綾崎さんが「どうしても書きたかった」と語る、感涙の青春ミステリー。連載時には棋士・佐藤天彦九段に公開取材も行い、「自分の奨励会時代を思い出す作品」というお言葉もいただきました。

刊行に先駆けて、プロローグおよび第一部を全文公開いたします。
まずは、京介の母と千明の母、ふたりの女流棋士たちの物語から幕開けです――!


『ぼくらに嘘がひとつだけ』

プロローグ


 才能とは遺伝子で決まるのか、それとも環境で決まるのか。
 僕には分からない。今は、分かりたいとも思わない。

『去る六月十八日、当院の四階、調乳室で発生した火事につきまして、皆様に多大なるご迷惑とご心配をおかけしたことを衷心よりお詫び申し上げます。報道されております通り、出火の原因は確認出来ておりません。現在は放火事件として東村山警察署に捜査をお願いしています。調乳室の一部が焼損しましたが、怪我人が発生しなかったことが不幸中の幸いでありました。診療に支障をきたす期間を最小限にするべく、原状回復に努めておりますので、何卒ご了承のほどお願い申し上げます。』
 奨励会の友人、あさあきが送ってきたURLに載っていたのは、『火災発生のご報告』だった。東京都清瀬市にある、僕らが生まれた総合病院の十四年前のリリースだ。
 事件発生は僕が生まれた翌日であり、千明の出生二日後である。
 あいつがこの記事を送ってきた理由は、尋ねるまでもなく分かっていた。
 れいかいの後で千明に渡された封筒を開け、書類の上部を引っ張り出すと『私的DNA型親子鑑定書』なる文字列が顔を覗かせた。送付したサンプルの鑑定結果が出たのだ。
 千明は結果を言わずに書類だけ渡してきた。
 真実を確認するのか否か、最後に、お前自身が選べということだ。

 僕は、自分がながあつひとながの子どもではないのではと疑っている。
 千明は、自分があさむつの子どもではないのではと疑っている。
 両家の親は僕らの疑念に気付いていない。僕だって、僕らだって、疑わずに済むならその方が良かった。でも、その可能性に気付いてしまったら最後、目を逸らすことは出来なかった。家族を大切に思っているからこそ、確かめずにはいられなかった。
 僕たちは取り違えられた子どもなんだろうか。
 調乳室に火を放ち、赤ちゃんを入れ替えた犯人がいるのだろうか。
 この扉を開けたら最後、心はもう二度と、真実を知る前の世界には戻れない。それが分かっているのに、答えを求めずにはいられない。
 棋士を目指す僕たちは、とどのつまり、そういう生き物だった。

第一部 カッコウの悲鳴が聞こえるか

あさむつさんは女の子とは思えないほどに負けず嫌いで、根性があります。』
 小学四年生の終わりに、通知表の通信欄に担任の先生が書いてきたコメントだ。
 『女の子とは思えないほどに』なんて、教師が発する言葉としては、二十年前でも時代錯誤だし、今になれば皮肉も込められているのだと分かる。けれど、当時の私は、努力を認められたような気がして、舞い上がってしまった。ただ素直に嬉しかった。
 通信欄を読んだ父は、微妙としか形容出来ない表情を浮かべたが、私は少年漫画の主人公にでもなったみたいな気分でいた。ああ、そうか。人より根性があるから、私は年上の男の子たちにも勝てるのだと、妙に納得していた。
 我が家は父子家庭である。学童保育で将棋と出会った私は、あっという間にそこで一番強くなった。対局相手は十人にも満たない子どもたちだ。価値の低い一等賞と言えばそうなのだけれど、運動も音楽も苦手な私にとって、それは本当に誇らしいことだった。
 中学生になってからは、棋書を読み、定跡も覚えるようになった。部活には入らずに地元の将棋道場に通い始め、煙草の匂いにむせながら研鑽を積んでいく。
 井の中の蛙、大海を知らず。本当の実力を知り、現実に打ちのめされたこともあったが、私には先生お墨付きの根性があった。相手が自分より強いなら、努力で追い越せば良い。時間がかかっても、負け越していても、関係ない。最後に笑った方が勝者である。盤上とは小さな戦場に違いなく、戦士は諦めた時に負けるのだと信じていた。
 女流棋士になりたいと、ずっと願ってきた。だけど、同時に、自分なんかが目指しても良いのだろうかという迷いも抱いていた。私は将棋を知ったのが遅い。真剣に勉強を始めたのは中学生になってからだ。スタートが遅いことを思えば、驚くほどのスピードで成長してきたが、将棋を愛するが故に、未熟なキャリアでプロを目指すなんて失礼だと感じていた。
 憚る心が夢に蓋をして、女流棋士への登竜門である研修会を受験することも、プロへの道が開ける大会に出場することもないまま、新潟の片田舎から東京の大学に進学した。
 父が医療従事者だったこともあり、看護師になると決めて進路を選んだものの、勉学に励む傍ら、将棋から離れることも出来なかった。
 男子が九割を占める将棋部に入った私は、医学部医学科の自信家な部員たちを押しのけ、一年目から団体戦のメンバーに選ばれた。四年生になると、女子としては異例の大将を任せられるようにもなった。
 私が大会で難敵から白星をあげる度に、部員たちは女流棋士を目指すべきだと勧めてくる。学生女流名人戦でも結果を残していたから、自信がないわけではない。
 だけど、やっぱり、どうしても、その一歩を踏み出すことが出来なかった。
 本気で女流棋士を目指すなら、もっと早く挑戦するべきだった。遅過ぎる。今更だ。
 言い訳の言葉を並べて、貴重な四年間を学生将棋だけに費やしてしまった。
 プロにはならない。将棋は趣味で良い。そう決めたのだ。
 悩むだけ悩んで、熟考の末に下した結論だ。そう信じていたのに、看護師として働き始め、益体もない日常に削られていく心が、ある日、悲鳴をあげた。
 就業時間の早送りを願い続ける毎日には、もう耐えられない。
 本当にやりたいことがあるのに。確固たる夢があるのに。願いを押し殺したまま生きて、老いていく。何者にもなれない、そんな人生は嫌だ。
 唐突に、しかし、もう二度と誤魔化すことは出来ない強さで、そう思った。
 どうして私は、いつもスタートで出遅れてしまうんだろう。
 仕事に疲れたから。繰り返すだけの毎日に絶望したから。きっかけは後ろ向きで、凄く格好悪いものだったけれど、どんな形であれ、覚悟は覚悟に違いなかった。

 女流棋士に限らず、将棋界では時折、昇級、昇段のルールが改定される。
 私がプロを目指すと決めた頃は、「日本将棋連盟」なら満二十七歳未満、「日本女子プロ将棋協会」なら満四十歳未満であることが、プロになるための条件の一つになっていた。
 女流棋士の待遇改善を求めて後者の団体が起こした独立、分裂騒動は、実態を知れば、改革と言うより醜聞と呼んだ方がしっくりくる。私は日本将棋連盟所属の女流棋士になりたかったから、残された時間は約四年だった。
 女流棋士になる方法は三通りあるものの、奨励会から女流棋士にスライドするエリート街道とも言うべきパターンは、私に関係ない。選択肢は二つだ。
 華々しくデビューしたいなら、アマチュア参加枠のある女流棋戦でベスト8に入り、一発でプロ入りを決めるのが良い。女流タイトル戦には、一般募集でアマチュアにも門戸が開かれている大会がある。主催者の推薦も必要ないため、実力さえあれば大会を勝ち抜くだけで女流棋士になれるのだ。
 ただ、それが現実的な道筋とは思えなかった。トーナメントの途中で、プロの女流棋士と何度も戦うことになるため、シンプルなプロセスとは裏腹に、難易度が極めて高いからである。
 やはり一番スタンダードな方法で目指すべきだろう。将棋連盟が運営する育成機関「研修会」に入会し、地道に昇級を繰り返して、女流棋士の資格を得るのだ。
 研修会はSクラスを頂点に、A1、A2、B1、B2、C1と続き、Gまでの十四クラスが存在する。二十三歳以上の者はD1に合格する必要があるが、入会試験に落ちるようならプロなど夢のまた夢である。
 研修会でB2クラスに昇級すると、女流2級の資格を得て、正式に女流棋士となれる。
 目標までの道のりは長く、険しい。遅過ぎるスタートだけれど、残された時間が少ないからこその集中力と情熱が、私の中で燃えていた。
 奨励会とは異なり、研修会は毎月、入会試験を受けられる。
 ただ、誰でも即座に受験出来るわけではない。プロ棋士の師匠が必要になるからだ。学生時代に通っていた将棋道場のせきしゅに紹介を頼むと、諏訪すわまさはる先生に師事出来ることになった。
 諏訪一門は数々の著名な棋士、女流棋士を輩出している名門である。二十三歳からプロを目指そうなんて人間は、門前払いになるのではないだろうか。不安もあったが、大学時代の実績を評価され、意外にも快く歓迎された。何もかもが回り道だったわけでもないらしい。
 雅治先生は一門の創設者である諏訪永世おうの娘婿である。諏訪一門は門下生まで含めて激しい攻め将棋で知られているが、師匠は人格も棋風も穏やかそのものだった。
 「朝比奈さん。君なら女流棋士になれると思う。ただ、一つだけ、覚えていて欲しいことがある。夢を叶えられたとしても、女流棋士になってからの方が、きっと、苦しい。女流棋士というのは、とても苦しい職業なんだ」
 実力を見てもらった後で師匠に告げられた言葉が、印象的だった。
 二十三歳で研修会に入会した人間が、二十七歳になるまでに女流棋士の資格取得を目指す。夢を追う旅路には制限時間があったし、楽な道のりでもなかった。
 怯んでは駄目だ。負けが続いても投げやりになってはいけない。過程なんて関係ない。最後に笑った人間が勝者だ。そう自分に言い聞かせ、必死に勉強を続けた。
 もちろん、泣き明かした夜もある。年端もいかない少女に敗れ、才能の差を痛感し、震えが止まらなくなったこともある。それでも、腐ることはなかった。
 現実を受け入れた上で努力を続けた私は、研修会入会から二年半後、宿願を達成する。
 B2クラスに昇級し、正式にプロの女流棋士となったのだ。
 生涯忘れられない、二十五歳の初秋の出来事であった。
 嬉しくて、涙が止まらなくて、生まれて初めて、心の底から自分を認めることが出来そうだった。だけど、この世界の現実は、いつだって大半の人間に対して手厳しい。
『女流棋士というのは、とても苦しい職業なんだ』
 夢を叶えた私は、師匠の言葉の意味を、すぐに身をもって知ることになった。

『女の子とは思えないほどに負けず嫌いで、根性があります。』
 あの日、担任の先生が通知表に書いてくれた言葉は、真実だと思う。
 私は二十五歳でプロになった遅咲きの女流棋士であり、諦めの悪い女だ。
 一回り下の少女もいる世界で、苦汁も辛酸も舐めることになったが、一年目は心を強く保つことが出来ていた。たとえ負けが続いても、手も足も出せずに惨敗しても、新米女流棋士だからという言い訳を使えたからだ。
 しかし、二年目にもなれば嫌でも現実が見えてくる。かつては醜聞としか思えなかった日本女子プロ将棋協会の独立問題までもが、その意味を変え始めた。
 女流棋士と棋士では対局料に雲泥の差がある。私たちには定期的な給料がない。棋戦を運営することも叶わないし、一昔前までは連盟の意思決定に参画することも出来なかった。だからこそ、一部の女流棋士が待遇改善を求めて独立運動を起こしたのだ。
 あの騒動が起きた当時、内外を問わず、彼女たちの行動に正義を感じる人間は少なかったと記憶している。理由は単純明快で、盤上には本来、男女差がないからだ。
 男性の棋士を「棋士」、女性の棋士を「女流棋士」と呼ぶわけじゃない。三段リーグを突破すれば、女性だって棋士になれる。ただ、その高みに到達した女性が一人もいないだけだ。
 一九七四年に「女流棋士」という制度が作られたのは、女性の競技人口を増やし、将棋をより普及させるためである。故に、同じプロでも、棋士と女流棋士の待遇には、厳然とした格差が存在している。
 対局料を上げろと主張するなら、将棋連盟の運営に参画したいなら、棋士になれば良い。肝心の将棋で勝てない人間が、権利を主張するのはおかしい。皆、そう思っていたから、一部の女流棋士たちの乱暴とも言える主張に、冷ややかな眼差しを向けた。
 だけど今なら、女流棋士として、もがき苦しんでいる今ならば、彼女たちの気持ちが少しだけ理解出来る。あの日、師匠が言ったように、女流棋士は苦しい。とても、とても苦しい。上位層はともかく、私たちのような段位もない人間は、ほとんど名前だけのプロである。
「その仕事だけで食べていける人間をプロと呼ぶ」
 昔、有名な映画監督が、テレビでそんなことを言っていた。
 彼の言葉が正しいかは分からない。どうしたって専業というわけにはいかない職種もあるだろう。だけど、往々にして、それが真実ではないだろうか。
 タイトル戦を争うような女流棋士たちは立派だ。彼女たちは社会に求められているし、時には棋士とも対等に渡り合う。賞金や対局料だけが収入源ではないため、年間数千万円を稼ぐ人もいる。けれど、そんなのはトップ・オブ・ザ・トップだけの話だ。誰に注目されることもなく、飛躍も期待出来ないまま引き立て役のように敗北を重ねる。それが私の現実だった。
 二年かけて女流1級に昇級したが、この仕事だけでは食べていけない。女流棋戦はトーナメントがほとんどだ。負けた時点で終わりだから、年間の公式対局数が十を切ることもある。
 ようやくこの身で実感をもって理解出来た。奨励会員どころかアマチュア強豪よりも弱い女流棋士までプロとして優遇されているのは、将棋界の発展のためだ。いつだって求められているのは話題性であり、実力ではない。
 私、朝比奈睦美がプロになって、もうすぐ四年が経つ。
 二十九歳、女流1級。通算成績は十三勝二十八敗。
 自他共に認める下層の女流棋士だ。
 そして、三十歳の大台を前に、さらなる絶望を知る日がやってきた。

 その日、長い歴史を持つ将棋界に、史上初となる女性の棋士が誕生した。
 奨励会三段リーグを突破し、「女流棋士」ではなく「棋士」となる女性が現れたのだ。
 どのニュース番組も彼女の快挙をトップで報道している。
 奨励会で三段リーグに到達する女性が、一人、また一人と増えていたから、いつかは必ずこういう日が来ると分かっていた。だけど、それは、もう少し先の未来だと思っていた。そう願っていたかった。しかし、棋界の歴史が変わる日は、今日だった。
 ついに男と対等以上に戦える女が現れた。今はまだ一人だが、女性棋士の数が十人、二十人となれば、いずれは女流棋士という制度が廃されるかもしれない。
「女性の棋士」が活躍する時代に、私たち「女流棋士」は必要ない。
 一睡も出来ないまま夜が明けて。
 眩し過ぎる朝日を浴びながら、私はプロとしてあるまじき精神状態にあることに気付いた。
 昨日、女性棋士誕生の報を聞いた時、嫉妬も悔しさも覚えなかった。
 たった一晩で、私は戦士ですらなくなってしまったのだろうか。そんなこと起こり得ない。私に限って、あるわけがない。そう信じたいのに、無力感に全身を支配されていた。
 午前七時を待って、一人の女流棋士仲間に電話をかけた。
 私は傷の舐め合いはしない。そう決めて、四年間、どんなに悔しくても泣き言だけは自制していたのに、今日ばかりは止められなかった。
 一つ年上の友人、女流2級のむかさんは、すぐに通話に応じてくれたが、その声は心なしかいつもより低かった。低血圧で午前の対局が苦手と聞いたことがあったけれど、今日はそれが原因ではないだろう。
「朝早くにごめんなさい。今、大丈夫ですか?」
『うん。大丈夫だよ。私も誰かと話したいと思っていたから』
「良かった。梨穂子さんなら、この気持ちを分かってくれると思ったんです」
 私は年齢制限の一年前に昇級基準を満たし、二十五歳で女流棋士になった。梨穂子さんはその一週間前に、ナデシコ女子オープンの本戦でベスト8に残り、年齢制限ギリギリの二十六歳で女流棋士になっている。二十代半ばでプロになった苦労人。キャリアだけを見れば私たちは似ているけれど、その実、歩んで来た人生は対照的だ。
 学童保育で将棋を知った私は、中学生になってから本格的に勉強を始めている。町の将棋道場で研鑽を積んだ野良育ちであり、二十三歳まで師匠もいなかった。
 一方、梨穂子さんは棋界の家庭で育ったエリートである。彼女の父親、むかよしただ九段は、六度のタイトル獲得経験を持つ現役の棋士だ。もうすぐ還暦なのに、白髪一つない若々しい外見で女性人気が高く、今も順位戦では第一線のB1で戦っている。
 人気棋士の娘である梨穂子さんは、若くして研修会に入会した期待のホープだったが、いかんせん将棋の才能がなかった。
 女流棋士には年度成績の順位下位者に降級点がつくという制度がある。
 スポーツほどではないものの、将棋の世界でも高齢になれば自然と棋力が落ちていく。そのため、段位は低くても、プロになったばかりの者が降級点を取ることは珍しい。ところが梨穂子さんは初年度でいきなり躓き、三年目にも降級点を取っていた。
 言い方は悪いが、梨穂子さんはプロの世界では間違いなく底辺にいた。
「私、昨日のニュースを見て、真剣に引退を考えました。勝てないのに、勝てる気もしないのに、これ以上、耐えて、戦い続けることに何の意味があるんだろうって」
『分かるよ。睦美ちゃんの気持ち、よく分かる』
 重たい本音を吐き出すと、憂いを含んだ寂しそうな声が返ってきた。
『私は子どもの頃から将棋が大好きだったけど、将棋は私のことが好きじゃなかった。それがつらいし苦しい。だから、私も昨日は引退を考えてしまった』
 梨穂子さんには父親が人気棋士という話題性がある。何より、彼女自身も抜群に美しく、実力に反してメディア露出が多い。梨穂子さんはそんな自身の現状に、いつも落胆していた。
 あの子は顔だけ。女流棋士たちから、そう陰口を叩かれていることも知っていた。
 目立つから。嫉妬されやすいから。彼女はいつも理不尽な言葉に傷つけられてきた。
 それでも、梨穂子さんは戦い続けた。諦めなかった。折れそうになる心を必死に両手で支え、気持ちを奮い立たせて、四年間、戦ってきた。
 しかし、史上初の女性棋士が誕生して、女流棋士という存在を過去のものにしてしまうかもしれない女性が現れて、必死に守っていた、なけなしのプライドを粉々に砕かれてしまった。
『昨日の夜にね。お父さんに相談したの。もう続けられないかもしれないって』
「向井先生は何て?」
『お前が決めたことなら尊重するって。どれだけ頑張ってきたか知っているから、娘が先に引退したとしても受け止めるよって』
「優しい師匠ですね」
『うん。外では硬派ぶってるけど、家族には甘いから。でもね、今すぐに引退するのは、やめなさいって言われた。祝福ムードに水を差すことは、歴史を変えたあの人に失礼だからって。まあ、そうだよね。このタイミングで辞めたら当てつけみたいだもの』
 私たちの心が折れたのは、女性の棋士が誕生したからだ。当てつけでも何でもなく、それが事実なわけだが、向井先生の言わんとしていることは理解出来た。
『お父さんには五月のナデシコ女子オープンまで戦ってみたらって勧められた。四年前にお前を女流棋士にしてくれた大会だし、あと二ヵ月、頑張ってみたらって。師匠の言葉だしね。従おうと思う。ナデシコでもう一度、本戦まで進めたら、もう少しだけ頑張ってみる。でも、途中で負けるようなら、すっぱり諦めて引退する』
 四年前、梨穂子さんは研修会のC2クラスに在籍していた。プロになるには、あと二つクラスを上げる必要があり、年齢制限の問題で退会が現実味を帯びていた中、一発勝負が続く大会で結果を残し、女流棋士入りを決めている。苦労人である梨穂子さんの女流棋士入りは皆に歓迎されたし、その物語性もあって棋界で大きな話題になったことも記憶に新しい。
「向井先生の言葉をお聞きして、反省しました。今朝まで自分のことしか考えていなかったなって。私たちが女性棋士の活躍に水を差すようなことをしちゃいけませんよね。あの、真似みたいになってしまうけど、私もナデシコまで頑張ってみて良いですか?」
『もちろんだよ。睦美ちゃんは私より強いし、諦めるのは早い気もするけどね』
「身の程を嫌って言うほど思い知りましたから」
 梨穂子さんは三十歳、私は二十九歳。一般的に最も脂が乗ると言われる年齢だけど、裏を返せば、ここが棋力の頂点である可能性が高い。
 全盛期でもなお、勝ち越すことすら叶わない。それが私の現実だ。
 女流棋士の多くは対局料だけでは生活出来ない。私は看護師の資格を生かし、アルバイトで主な収入を得ている。あまりにも中途半端な二足の草鞋を履く生活に、心も身体も蝕まれ、日々、削り取られるようにバランスを欠いていく。そんな生活を、もう四年も続けてしまった。
 女性棋士が誕生しなくても、遅かれ早かれその決意を固める日はやってきたのかもしれない。ここに至り、そんなことも思う。肩書きは女流棋士でも、胸を張ってプロと名乗ることが出来ない。そんな惨めな日々は、もう終わりにするべきなのだ。

 五月の下旬にスタートするナデシコ女子オープンは、女流棋士界有数のお祭りである。
 最大の特徴は、アマチュア選手にも門戸が開かれていることだ。優勝賞金が五百万円と高額なため、いつも以上に気合いが入っている女流棋士も多い。
 ナデシコ女子オープンでは、まず「チャレンジマッチ」と呼ばれるプロアマ混合の「予備予選」がおこなわれる。それから「一斉予選」、「本戦トーナメント」と続き、最終的に勝者となった一人が、「女王」の称号を持つ前年度チャンピオンへの挑戦権を得ることになる。
 昨年の結果が奮わなかったため、私や梨穂子さんは今年もチャレンジマッチからの挑戦だ。
 非公式戦扱いだから対局料が出ないし、何勝しても公式記録上の成績にはカウントされない。負けたら終わりで得るものは何もない。
 今年は総勢六十名で、一斉予選に進むための九つの枠を争うと聞いている。引退を覚悟しているとはいえ、アマチュアに負けるつもりはない。だが、何処にどんな天才がいるか分からない世界でもある。警戒すべきは、むしろ怖い物知らずの小学生や中学生だ。
 チャレンジマッチは主催者の拠点がある千代田区のビルで実施される。紫外線の強い季節に、地下鉄の駅から直接会場に入れるのは、ありがたかった。
 公開対局となり、一般の観客が入るのは一斉予選からである。今日は観客がいないから気を散らされる心配もない。目の前の対局だけに集中しよう。そんなことを考えながら会場に入ると、予期せぬ顔を発見した。
 彼を見つけた瞬間、分かりやすく身体が強張り、思わず自分でも苦笑してしまう。
 今日で女流棋士人生が終わってしまうかもしれないのに、こんな時でも、私は女であることを忘れられないらしい。
あつひとさん。お久しぶりです」
 その特徴的な痩せた猫背に声をかけると、振り返った彼が珍しく眼鏡をかけていた。
「ああ。睦美ちゃん。チャレンジマッチから?」
「はい。情けない話ですけど今年もここからです。厚仁さんはどうして?」
「あー……。一斉予選に解説で呼ばれたんだよね」
 一斉予選は有観客での公開対局だ。勝ち上がった選手が同時に対局し、別室で棋士や本戦から出場する女流棋士による解説会がおこなわれる。対局を生で観戦し、解説まで聞ける。ナデシコ女子オープンがお祭りと言われる由縁の一つだ。
「あれ、でも今日は解説なんてありませんよね。ネット中継でも入っているんですか?」
「いや、何て言うか、仕事じゃないんだ。雰囲気だけでも掴んでおきたくて、フラッと立ち寄ったって言うか。その、俺、ナデシコに関わるのは初めてだからさ」
 妙に歯切れが悪いのは何故だろう。厚仁さんに対し、クールな理論派というイメージを抱いていたこともあり、困った少年のような表情が新鮮だった。
 一歳年上の二世棋士、ながあつひと六段は、私にとって同期のような存在である。
 彼が同じように考えてくれているかは分からないけれど、私はそう感じていた。
 棋士と女流棋士は、別次元の存在だ。同じプロでも奨励会を勝ち進んで四段になるのと、研修会で女流2級になるのとでは、その難易度に天と地ほどの隔たりがある。そもそも半年に一回、二名ずつプロになる棋士とは違い、女流棋士はプロ入りのタイミングもその時々だ。だから、本来、両者が一緒にプロ入りの会見をすることはない。
 しかし、四年前の初秋、奇跡的に二人の二世棋士が同時期に誕生した。
 ファンに支えられている遊戯である以上、話題性はそれすなわち武器である。長瀬厚仁と向井梨穂子、二人の二世棋士の誕生を世に知らしめるため、将棋連盟は合同の記者会見を開くことを決め、若干、場違いではあったものの、私もそこに同席することになった。
 梨穂子さんは私より一週間早く、厚仁さんは私より一週間遅く、プロになっている。しかも三人とも二十代半ばでのプロ入りだ。
 慣れない記者会見に臨み、極度の緊張を共有した私たちは、その日を境に友達になったし、多くの共通項を持つ同期として、その後も時折、一緒にイベントに呼ばれるようになった。
 厚仁さんのことを異性として意識するようになったのは、いつからだろう。
 多分、きっかけは本当に些細なことで。しかし、もうずっと、心の奥の奥、とても柔らかい場所を、彼の涼しげな眼差しと声に独占されている気がする。
 厚仁さんは予選の解説者として呼ばれていると言っていた。今日、上位九人に残れば、来月もまた会えるのだ。組み合わせ次第では、対局を解説してもらえる可能性だってある。
 これが最後の大会になるかもしれないのに、舞台に立ちもせずに敗退するなんて耐えられない。今日だけは本当に、絶対に、何が何でも、脱落するわけにはいかなかった。

「負けました」
 チャレンジマッチ突破をかけた第三試合の相手は、初段の女流棋士だった。
 段位は上がることはあっても下がることはない。五十代の女流棋士である彼女は、段位だけで見れば上位の存在だが、投了の言葉を告げたのは私ではなかった。
 局面は終始、優勢だったし、完勝と言って良いだろう。十分ほど前に、梨穂子さんも対局を終えている。終局した時に見えた反応で、彼女が勝利したことも分かっている。これで二人とも、少なくとも来月までは引退が延びたということだ。
 梨穂子さんが下した相手は、中学生くらいの女の子だった。
 プロに敗れたというのに、少女は悔し涙を見せていた。負けるなんて夢にも思っていなかった、そんな眼差しで唇を噛み締め、父親に慰められていた。
 大丈夫。その悔しさを感じられるなら、君はまだ成長出来るよ。かつての私がそうだった。悔しいと思える間は、弱い自分に怒りを感じられる間は、強くなれる。
 私に敗れた初段の女流棋士は、負けても笑っていた。去り際には、早く帰って夕ご飯を作らなきゃなんて軽口を叩いていた。彼女は主婦で、既に子育ても終えているらしい。流行の定跡を網羅出来ておらず、持ち時間は三十分しかないのに、研究され尽くされている盤面で、馬鹿みたいに時間を使っていた。
 久しぶりに三連勝したけれど、アマチュア相手に二勝、成長を放棄したベテランに一勝しただけだ。公式戦の記録にも残らないし、自信を取り戻せたなんてこともない。
 勝ち上がった九人は、来月、一斉予選からの参加となる五十二名の女流棋士と合流し、十二枠しかない本戦進出をかけて戦う。チャレンジマッチと違い、一斉予選には敗者復活戦が存在しない。梨穂子さんと同じブロックに入ることも十分に考えられるが、お互い本戦に進めなければ引退と決めているのだから、潰し合うようなことはしたくなかった。
 荷物を取りに控え室に向かう途中、運営スタッフと話している厚仁さんが目に入った。
 今日は仕事でもないのに、こんな時間まで残っていたらしい。
 一般的に、奨励会の男性に注目が集まる機会は少ない。人々が存在を知るのは、あくまでも彼らが棋士になってからだが、私は厚仁さんのことを学生時代から知っていた。
 二世棋士である厚仁さんは、小学生のうちに奨励会に入会している。その後もエリート街道を歩み、わずか十六歳で三段リーグに到達した。奨励会で四段に昇段すれば、晴れて棋士である。そのスピードだけを見ても、将来を嘱望されるに相応しい歩みと言って良かった。
 とはいえ、身分は一介の奨励会員に過ぎない。長瀬厚仁の名前を私が知っていたのは、彼が十代の時に起こした行動が、ちょっとした騒ぎになっていたからだ。
 三段リーグに参戦して以降、厚仁さんはずっと勝ち越しを続けていた。多くの若者の心を破壊してきた魔境でも十分に通用していたのに、彼は何と十八歳にして奨励会を自主的に退会したのである。
 奨励会には二十六歳という年齢制限の壁がある。自らの実力を知り、時間切れを迎える前に退会する者だって珍しくない。だが、そういった選択をするのは、ほぼ確実に二段以下の人間だ。十代の三段が自主的に退会するなんて異例の出来事だった。
 その後、数年の時を経て、長瀬厚仁は再び表舞台に現れる。
 アマチュアの大会で八面六臂の活躍をし、三段リーグ編入試験を受けて奨励会に舞い戻った彼は、退会前を上回る快進撃を見せ、見事、二十六歳で棋士となった。
 少年時代の彼は父親を師匠としていたが、奨励会に戻って来た時には、別の棋士に師事していた。そして、息子が棋士になったことに対し、父親であるながやすのり七段は最後までコメントを出さなかった。その親子関係が微妙な状態にあることは誰の目にも明らかだったけれど、そういう摩擦も含めて、二世棋士の誕生には物語性がある。
 過去の退会について、復帰について、父親について、厚仁さんは今日まで口を閉ざしている。本音を語らないミステリアスなプリンス。それが彼の世間的なイメージだった。
 厚仁さんとはイベント後の打ち上げで、何度か食事を共にしたことがある。
 編入試験上がりの彼は、研究会に所属しておらず、仲が良い棋士もいないと言っていた。恋人がいるらしい素振りも見せたことがない。
 多分。これは希望も込めての多分なのだけれど。交友関係の狭い彼にとって、私は特別に親しい関係者の一人であるはずだ。
 出会って一年後には恋をしていたし、理由を探して、口実を見つけて、時折、メールのやり取りなんかもしてきた。鈍感な男でなければ勘付くだろう、好意を匂わせる文面を送ったこともある。彼からの反応は曖昧なものだったわけだけれど、可能性がないなら、はっきりそう言ってくれたんじゃないだろうか。
 私は二十九歳、厚仁さんは三十歳。友達から先に進むには良い年齢だ。来月、もしも本戦トーナメントまで進めたなら、引退を思い留まり、厚仁さんに気持ちを伝えよう。告白しよう。
 遠く、彼の横顔を眺めながら、私はそんなことを決意していた。

 梨穂子さんは十分前に対局を終えたばかりである。まだ会場に残っているに違いない。
 お互いに勝ち残れたことだし、食事に誘って、久しぶりに恋愛の相談をしてみよう。
 閑散とした通路を抜け、控え室の扉に手をかけたタイミングで、
「どれだけ周りに迷惑をかけたら気が済むんですか!」
 廊下にまで響く怒声が、室内から聞こえた。
 今の声は、梨穂子さんか?
 私は彼女が怒ったり声を荒らげたりする姿を見たことがない。
 音を立てずに扉を開けて中を覗くと、色黒で無精髭を生やした長髪の男が立っていた。梨穂子さんも背が高い方だが、その彼女より頭一つ大きい。
 あの独特な風貌には見覚えがある。名前は何て言ったっけ。
 元奨励会員で、五、六年前に、プロ編入試験を受けた男だ。
「まあ、そう怒るなよ。笑っていた方が可愛いぜ。もう梨穂子ちゃんもいい歳だろ」
「こんなことばかりやって、師匠やご家族がどう思うと……」
「俺に家族なんていねえよ。沖縄から出て来た時に勘当されてる」
 薄ら笑いを浮かべながら、男は梨穂子さんの言葉を鼻で笑った。
 沖縄出身……。ああ、そうだ。くになか遼平りょうへいだ。沖縄出身のアマチュアチャンピオン。
 どうして元奨の男が、女性しか参戦出来ない大会の予備予選にいるんだろう。招かれる理由がないし、どうやって会場や控え室に入ったのかも分からない。
「師匠に心配をかけるのは本意ではありませんよね。あんなにお世話になっていたんだから。もう子どもじゃないんですよ。生き方を改めるべきです」
「改めようと思って改められるもんでもねえんだよ。生き方っつうのはさ」
「格好付けないで下さい! 私は真剣に話しているんです!」
 梨穂子さんがこんな声を出せるなんて初めて知った。
 二人の口論は収まりそうになりない。部屋から離れ、ロビーで時間を潰していると、やがて国仲遼平が一人で出て来た。
 彼が立ち去るのを確認してから、控え室に戻る。
「あの、大丈夫ですか?」
 パイプ椅子に腰掛け、一人、額を押さえてうつむいていた梨穂子さんに声をかける。
「あ。睦美ちゃん。三戦目はどうだった?」
「勝ちました。組み合わせに恵まれたと思います」
「良かった。おめでとう。私も何とか一斉予選に進めたよ。最後までアマチュアさんが相手だったから、正直、助かった」
「おめでとうございます。お互い、来月も頑張りましょうね」
「うん。後悔が残らないように精一杯戦うよ。次で最後になるかもしれないしね。これからの一ヵ月は、将棋のことしか考えないつもり」
「さっき出て行った人、元奨の国仲さんですよね?」
「睦美ちゃんも会った?」
「すれ違いました。あの風貌でここの社員だとも思えませんし、何をしていたんですか?」
「ああ……うん。そうだね。えーと、何て説明したら良いのかな。彼の師匠とお父さんが仲良しだったから、昔から私も知り合いで。あの人、ちょっとって言うか、随分と変わった人で」
 こんなに歯切れの悪い梨穂子さんは珍しい。
「話したくないことでしたら、無理に答えてもらわなくても」
「ごめんね」
 何を言い淀んでいるのか知らないが、男女の関係なんてこともあるまいし、こちらもそれほど興味があるわけじゃない。
「一斉予選の公開抽選会っていつだっけ」
「予選の十日前だったはずです」
「次も同じブロックにならないと良いね」
「さすがに大丈夫だと思いますよ。十二分の一じゃないですか」
 その日、私は本気でそう思っていた。
 しかし、後日開催された抽選会で、よりにもよって同じ組に入ってしまう。
 幸運にも私は二勝で本戦に進めるシードに入っていたが、隣の山には梨穂子さんがおり、彼女が初戦に勝利すれば、直接対局となる組み合わせになっていた。
 女流棋士の誇りと命を懸けて、この大会に臨んでいるのに。
 どちらかが翻意しない限り、少なくとも片方は引退することになるのだ。

 決戦の土曜日は、梅雨の季節に相応しい小雨が降り注ぐ一日となった。
 観客を入れて戦う一斉予選も、持ち時間は三十分である。
 梨穂子さんは午前の初戦で勝利し、二戦目で私と戦うことになった。
 プロになってから通算三度目となる対局だ。過去の成績は私の二戦二勝だが、レーティング通りに勝敗が決まるとは限らない。組み合わせが決まって以降、彼女は私の棋譜を数多く並べてきたはずだ。選んだ戦術、対応手で、結果は容易にひっくり返る。油断は絶対に出来ない。
 例年通り、チャレンジマッチとは比べものにならないほどに会場は華やかだった。
 雰囲気に慣れておこうとメイン会場に足を踏み入れると、前方に設けられたステージに、職務を果たす厚仁さんの姿があった。
 目標を達成出来たら、梨穂子さんに勝ち、反対から上がって来る可能性が高いくらもと女流三段にも勝利して、本戦トーナメントに進めたなら、現役を続け、厚仁さんに想いを伝える。
 どういう結果になろうとも、今日が人生の分水嶺で間違いなかった。
 控え室に入ると、ナデシコカラーである水色の着物を纏った梨穂子さんと目が合った。軽く会釈だけして、少し離れた場所に着席すると、
「朝比奈先生。二回戦の中で一番、対局スポンサーがついていますよ」
 女性の運営スタッフが、親切にもそれを教えてくれた。
「次は梨穂子さんが相手ですもんね」
「ライバル対決で注目が集まっているんだと思います。先生たちは令和の三羽烏ですから」
「何ですか、それ」
「長瀬厚仁六段、朝比奈女流1級、向井女流2級、プロ入りを決めた年に、一緒に記者会見をした三人のあだ名です」
「三羽烏って優れた三人を指す言葉ですよね。長瀬六段はともかく私たちはどうでしょう」
 ナデシコ女子オープンには大会を盛り上げるためのアイデアが、これでもかと用意されている。個人が参画出来るスポンサー企画もその一つで、ファンたちは「対局スポンサー」か「本戦出場応援スポンサー」を選び、対局料という形で女流棋士を応援出来る。
 今大会の対局スポンサーは、一口、一万五千円だ。好きな対局を選ぶと、企画運営費の三千円を抜いた額が、大相撲の懸賞金のように加算される仕組みになっている。
 一口であれば取り分の半分、六千円がそれぞれの対局料に上乗せされ、一人で複数口のスポンサーがいれば、企画運営費は一口分しか引かれないため、さらに額は増える。
 薄給の女流棋士からすればありがたい話だけれど、否応なしに人気の差が浮き彫りになる残酷なシステムでもあった。私は去年も一昨年も対局スポンサーを経験していない。段位も持たない無名の女流棋士にとっては、それが普通だ。
「どのくらいスポンサーがついているんですか?」
「凄いですよ。二十口を超えています」
 一人一口だとしても、単純計算で取り分は十二万円だ。一人で複数口のファンがいれば、対局料はさらに増える。個人スポンサーの見返りは、女流棋士との2ショット写真、当日の棋譜、直筆のお礼カードだ。申込者は百パーセント、梨穂子さんのファンだと思うが、その場合でも、私もお礼カードを書かなきゃいけないんだっけ。
 見目麗しい梨穂子さんの対局には、三年連続で二桁のスポンサーがついていたと聞く。
 男どもが応援しているのが梨穂子さんでも、上乗せされた対局料の半分は私に入るし、勝利を譲るつもりもない。むしろファンを奪ってやるくらいの気概で挑もう。

 こんなに凍てついたオーラを、彼女から感じるのは初めてかもしれない。
 梨穂子さんは良くも悪くもお人好しの善人だ。対局に負けた後でさえ、相手の体調を気遣ってしまうような人格者であり、勝負師としては致命的に優しい。そんな人間性だから、いつまで経っても女流棋士として成長出来ないのだ。今日まで私はそう考えていた。
 しかし、今日の梨穂子さんは違った。
 私が目の前の席に座っても、挨拶どころか視線すら合わせてこない。
 将棋に魅せられていなければ、どんな人生があったんだろう。何回人生をやり直すことになっても女流棋士を目指すだろうけれど、もっと別の人生があったんじゃないかという思いは、恐らく一生、消すことが出来ない。
 梨穂子さんは私よりも遥かに長い時間、将棋と生きてきた。棋士の娘に生まれた彼女は、物心がつくより早く駒に触っている。人生のほとんどすべてを将棋に捧げてきた女流棋士。向井梨穂子はそういう人間だ。
 運命の一戦、先手になった梨穂子さんは、私の王を全力で狩りに来た。彼女の覚悟は痛いほどに分かる。一流になれなかった私だからこそ、諦めずに戦い続けるその心に共感を覚える。
 でも、いや、だからだろうか。盤面が進めば進むほどに心が重くなっていった。
 梨穂子さんが弱いことが、優しい彼女が将棋の才能に恵まれなかったことが、ただひたすらに悲しい。自分のことのように苦しい。私と彼女では、先を読む力が違う。有望な手を数十手先まで検討するには、卓越した記憶力が必要だが、梨穂子さんにはその力も足りていない。
 終盤、自らの運命を察し、泣きながら指す彼女を、私はいつものように一蹴した。女流棋士として、たった一人だけ分かり合えた戦友の首を、自らの手で刎ねることになった。情けもかけずにそうすることだけが、私の選び得る誠実さだった。
「負けました」と告げた彼女に、かける言葉が見つからない。
 涙を隠せない梨穂子さんに、ハンカチを差し出すことすら出来なかった。

 勝負の世界はいつだって非情だ。
 本戦進出まで、あと一勝。次の対局に勝利し、女流棋士として初めてとなる大舞台に立つことが出来たなら、もう少しだけ自分を信じてみよう。将棋を諦めずにいよう。
 梨穂子さんに勝利し、希望に胸を膨らませていたのに。
 続く対局で、一時間近く続いた一分将棋の末に、私は倉本三段に敗れてしまった。
 格上の相手に食い下がって、逆転を信じて、みっともないほどに王を右往左往させて、しかし、奇跡は起きなかった。運命を覆すことは出来なかった。
 両者が時間を使い果たしてからも長く続いた対局である。
 他の一斉対局はとっくの昔に終わっている。観客はまばらにしか残っていない。
 既に対局を終えている女流棋士たちの姿も見当たらなかった。
 梨穂子さんとの対局には、二十口を超える個人スポンサーがついたのに、最終戦には一口もついていない。ほとんど注目を浴びることもないまま、私はプロとしての最後の対局を終えることになった。

 関係者以外は立ち入れない更衣室へと続く廊下を進むと、曲がり角の向こうから、しゃくりあげるような声が聞こえてきた。
 他人を気遣う余裕なんてない。無視して更衣室に入ろうと思ったのだけれど、そこにいた二人を目撃し、思わず顔を引っ込めてしまった。
 曲がり角の向こうにいたのは、梨穂子さんと解説者として呼ばれていた厚仁さんだった。
 泣いていたのは梨穂子さん。見間違いでなければ、その肩に彼が手をかけていた。
「こんなの俺の我が儘だって分かってる。でも、お願いだから諦めないで欲しい」
「私は女流棋士で一番弱いから」
「そんなことないよ。今日の初戦で倒したのは女流棋士だったじゃないか」
「研究会で教えてもらった手を指したからです。情けない話ですけど、本当はどうして勝てたのかもよく分かっていないんです。組み合わせを見た兄弟子が相手の棋譜を研究して、これで勝てると思うよって教えてくれて。それを覚えて指しただけで、私の実力じゃ……」
「そんなの別に珍しい話じゃない。コンピューターが最善と言った手を暗記して、理屈も分からないまま指す。俺たちだって、そういうことはある。勝利は梨穂子さんの実力だよ」
 今日、告白しようと思っていた人が、引退を決意したライバルに、切々と励ましの言葉を告げている。全身の力が抜けていくように感じるのは、多分、気のせいじゃない。
「お願いだから早まらないでくれ。今日の個人スポンサーの数だって覚えているだろ。君に期待している人があんなに沢山いるんだよ」
 昂ぶる感情を隠す余裕もないのか、厚仁さんの声は上擦っていた。
「私みたいに弱い人間が、いつまでも諦めずにいたら、連盟に迷惑がかかります。向井義忠の娘だから、スポンサーが喜ぶから、ろくに盤面も理解出来ないのに、ほかの女流棋士を差し置いて解説に呼ばれるんです。そんなの対局者に失礼じゃないですか」
「君が努力を続けている姿に、励まされている人間がいるんだ。俺がそうだ。ファンの人たちだってそうだ。君は君の知らないところで、沢山の人を笑顔にしている。だから頼むよ。引退するなんて言わないでくれ。俺はもっと、一緒にプロとして戦っていたいんだ」
 梨穂子さんのすすり泣きは止まらない。
「力になれないかな。俺で良ければ支えになりたい。迷惑でなかったら、俺に君を……」
 自分の感情も整理出来ないまま、もう一度、角の向こうを覗くと、二人の距離は変わっていなかった。厚仁さんは泣きじゃくる梨穂子さんの肩に手を置いているだけ。
 梨穂子さんは肯定するでも否定するでもなく、ただ肩を震わせて泣いていた。

 女流棋士としての人生。
 分かり合えたかもしれない友人と、積年の片想い。
 そして、敗北を誰かのせいにしないプライド。
 あの日、私は一体、幾つの大切なものを失ったんだろう。
 師匠の了解を得て、引退届を提出した時、冗談みたいに体温が下がったことを覚えている。
 二十九歳の初夏、私はそうやって何者でもない自分に戻った。

 引退という決断が正しかったのか、間違っていたのか。
 一ヵ月が経ち、三ヵ月が経っても、分からなかった。
 引退後、条件の良かった総合病院の中途採用に応募すると、一発で採用が決まった。
 面接官が将棋好きだったこともあり、元女流棋士という肩書きが、思わぬ形で武器になったからである。履歴書に綴った経歴は、私にとって敗北の歴史以外のなにものでもない。しかし、将棋ファンからすれば勲章に見えるのだろう。
 看護師には患者やその家族から笑顔で感謝される瞬間が沢山ある。それはとても幸せなことだったけれど、この仕事で真に満たされることはないということも、分かっていた。
 そう言えば、結局、梨穂子さんは引退届を出さなかったらしい。
 翻意を咎めるつもりはない。騙したと責める気もない。引退はあくまでも私自身の意思で決めたことだ。梨穂子さんの言葉がきっかけになったのは確かだが、タイミングに影響を受けたというだけで、彼女がいなくても遅かれ早かれ同じ選択をしたはずだ。
 梨穂子さんはどうやって、もう一度、心を奮い立たせたんだろう。今更、確認する気にもならなかったが、少しだけ、本当に少しだけ、あの人はズルい女だったのだと思った。

 再びナデシコ女子オープンの予選が始まる頃、梨穂子さんから一年振りに連絡がきた。
 切手が貼られた手紙をもらうなんて何年振りだろう。女子中学生かと思うような可愛らしい手紙には、婚約したこと、その相手が長瀬厚仁さんであることが綴られていた。
 私だって馬鹿じゃない。あの日見たやり取りで、厚仁さんが梨穂子さんに好意を寄せていたことは感じ取っている。だけど、それは一方的な想いに見えていた。
 以前、梨穂子さんのパーソナルな悩みを聞いたことがある。彼女は子どもの頃から、女性特有の嫌な思いを数多く経験してきたらしい。痴漢やストーカーの被害はもちろん、将棋界の中でさえ、恐怖を覚えるほどの熱烈なアプローチを受けていた。実際、父親とほとんど変わらない年齢の棋士に、強引に言い寄られているのを見たこともある。
 異性関係で散々、怖い目に遭ってきたからだろう。私が知っている梨穂子さんは、恋愛というものに対し、初めから一線を引いているような人だった。愛敬を振りまくことはあっても、異性に誤解されるような言動は、注意深く避けているように見えていた。
 女流棋士時代、私が片想いを相談した唯一の相手が梨穂子さんである。当時は信頼出来ると思っていたし、男に恐怖心を抱いている彼女なら、ライバルにならないと考えていたからだ。
 少なからず私への後ろめたい気持ちがあるからか、手紙の後半には、謝罪とも受け取れる文面が綴られていた。
 今更謝られたって惨めな気分になるだけだが、幸いにも二人の婚約を知って必要以上にショックを受けることはなかった。何故なら私自身も一ヵ月前に婚約したばかりだったからだ。
 年度末の歓送迎会で出会った、一つ年下の臨床検査技師に言い寄られ、数ヵ月付き合った後で、性急とも思えるプロポーズを受けた。出会ってまだ半年も経っていない。同僚とはいえ、勤務中に会うことはほとんどないから、仕事ぶりも知らないし、人間性についても理解し切れていない。正直、本当にこの人と結婚して良いのかという迷いはあった。
 それでも、三十歳という年齢が決定打になった。この機会を逃したら、二度とチャンスは巡ってこないかもしれない。何より早く結婚して楽になりたいという気持ちが強かった。
 看護師の仕事には、やり甲斐を感じている。しかし、本当の居場所はここではないという思いを、一年が経った今も拭えていない。
 引退したのに。私はもう、女流棋士ですらないのに。

「これ、棋士時代の友達だろ」
 新居への引っ越し準備中に、婚約者が梨穂子さんの手紙を発見した。
 四ヵ月後に夫になる男、もろはしなおは、将棋に対して無知だ。棋士と女流棋士の違いも分かっていない。説明する意味を感じないから訂正もしない。
「似たようなタイミングで結婚するんだな。結婚式には招待するの?」
「しないよ。私も呼ばれていないし、将棋界の人とは距離を置くって決めているから。お世話になった師匠にも、婚約の報告をした時にそう伝えた」
「同期ってことはライバルか。女の世界って嫉妬とか凄そうだよな」
「まあ、そうだね。妬み、嫉み、ドロドロの世界だよ。でも、将棋は私の方が強かったんだよね。現役時代は三戦三勝だった」
「じゃあ、嫉妬を感じる理由もないか」
「どうだろ。嫉妬はしていたんじゃないかな」
「何で? 嫉妬するなら弱い棋士の方だろ」
 直樹は物事を深く考えないタイプだ。直情型で、考えるより先に動く。結婚に最後まで迷ってしまったのも、それが最大の理由だ。
 この半年間に、直樹が私以外の女友達と二人きりで出掛けたことが何度かある。彼は遊びだと笑うけれど、仮に遊びだとしても、私はそんなことをしたらパートナーがどう思うかを考える。でも、直樹は欲望に忠実に動いてしまう。
「梨穂子さんが結婚する長瀬厚仁六段って、私が片想いしていた棋士なんだよね」
 直樹の交友関係を根に持っていたからか、思わず本音を零してしまった。
「恋愛相談をしたこともあったし、あの人、私の気持ちを知っていたはずなんだけどな」
「え、今もそいつのことが好きなの?」
「まさか。それならプロポーズに頷かないでしょ。昔の話だよ。ちょっと憧れていただけ」
 本当は、ちょっとどころではないほど好きだったけれど、そんなことを話しても面倒なことになるだけだ。
「じゃあ、睦美は裏切られたってことか」
「さあ、どうかな。私が厚仁さんと付き合っていたわけじゃないしね」
「でも、お前がその男を好きだったことを知っていたんだろ? それで婚約を知らせてくるとか、嫌味以外のなにものでもないじゃないか」
 婚約者を袖にされたことが許せないのか、直樹はずっと仏頂面だ。
 厚仁さんが梨穂子さんと結婚することに対して、複雑な気持ちがないわけじゃない。とはいえ、私自身、未来に進み始めているし、今ではもう昔の話だった。気にしても仕方がない。
 二人の婚約を知った四ヵ月後、私は直樹と結婚した。結婚式には将棋界の知人を招待しなかったけれど、式の後、梨穂子さんには葉書で簡潔に事実を報告することにした。
 本当にこれで最後だ。そう心に決めて、私はその葉書を投函した。

 人生というのは将棋によく似ている。
 そんな馬鹿みたいなことを本気で思う日がくるとは、夢にも思っていなかった。
 私は負けた対局でも大抵、持ち時間を多く残したまま終局している。もっと熟考すべきだったと、何百回、後悔しただろう。数え切れないほどの敗北を経て、分かっていたはずだった。立ち止まり、考え直すことが出来ないから、勝てる試合さえ落とすのだ。そう知っていたのに、散々、それで失敗してきたのに、人生で最も大切な決断でも同じ過ちを犯してしまった。
 将棋の対局では、持ち時間がどんどん減っていく。それが少なくなればなるほどに焦ることになる。本当に時間が必要な時に、考えをまとめられないまま指さなければならなくなるのが嫌で、いつも早指しを心がけていた。
 思えば、あの時も一緒だった。女の旬には期限がある。張りを失っていく肌を触る度に、強迫観念に駆られていった。結婚したいなら相手を選んでいる場合ではない。持ち時間のように終わりが近付いていく旬を実感しながら、私はいつものように熟考を放棄した。だから、こういう結末に辿り着いてしまった。
 引退から二年、結婚からわずか一年。
 三十一歳になった私は、一人で役所を訪れ、離婚届を提出した。
 直樹が誠実な男でないことは、交際している時から分かっていた。奔放な性格は結婚しても直らず、二回の浮気を知り、私は離婚を決意した。
 結婚しているのだから直樹がやったことは不倫だ。私はそう思うが、一度や二度、火遊びをしたくらいで、大袈裟なことを言い出すお前の方がおかしいと罵られた。実家の父親には呆れられ、直樹の両親にも、たかが異性と遊んだくらいでと責められたけれど、どれだけ頭を捻っても、私が間違っているとは思えなかった。
 人間は何歳で本当の自分を知るのだろう。私が本当の私を理解したのは、結婚生活の歯車が狂い始めた頃だったように思う。
 最初から噛み合っていなかったと言えば、そうなのだけれど、新婚マジックとでも言うべき時間で誤魔化されていた齟齬は、三ヵ月もせずに露呈し始めた。
 そして、その頃から、私はまた将棋のことばかり考えるようになってしまった。
 過失のある直樹が部屋を出て行くことになり、アパートで一人きりになって、ようやくホッと一息つけた気がした。一年間暮らした自宅で、皮肉にも初めて安らぎの時を得た。
 今更、女流棋士に戻ろうとは思わない。実力の問題で戻れるとも思えない。でも、趣味で指すことは出来る。引退した身なのだから、アマチュアの大会に出場することだって可能だ。
 離婚を経験した直後なのに、不思議と落胆より未来への期待が大きかった。
 人生は長い。ここからまた、新雪に向かって踏み出していけば良い。憑き物が落ちたように、何故かすっきりとそう思えた。
 私には看護師という資格がある。健康な身体だってある。
 落ち込む必要なんてない。人間はそうと決めた日から、やり直せるはずだ。
 直樹とは職場結婚だった。同じ病院に勤めている限り、嫌でも顔を合わせることになる。噂話の種にされるのも癪だったから、離婚届を提出する前に病院を辞めることにした。
 事情が事情だったこともあり、快く送り出してもらえたし、相変わらず看護師は引く手数多で、一週間と間を置かずに次の勤め先も決まった。
 新しい職場で、新しい人生を始めよう。
 前向きな気持ちで頭を切り替えようとしていたからだろうか。
 離婚届を提出してから一ヵ月後、その事実を確信した時、文字通りの目眩を覚えた。
 月のものが遅れていることに不安を抱き、しかし、現実を認めたくなくて、信じたくなくて、延ばし延ばしにしていた妊娠検査薬の判定結果は、何度見ても陽性だった。別の検査薬で確かめてみても結果は変わらなかった。
 医師の診断を受けるまでもない。自分の身体のことは、自分が一番よく分かっている。
 私は、離婚した夫の子どもを、身ごもっていたのだ。
 三日三晩悩んだ後、最初に伝えた相手は直樹だった。
 今はもう赤の他人でも、お腹の子どもにとっては父親だ。私は不貞を是とする人間性に失望して、離婚を決めている。まともな返答を期待していたわけじゃない。だとしても、
「それ、本当に俺の子どもか?」
 三秒と間を置かずに返ってきた回答に、落胆を通り越して呆れ果ててしまった。
「思い当たる節があるでしょ」
「お前も浮気をしていたんじゃないのか? 長瀬って言ったっけ。二世棋士のことを忘れられなかったみたいじゃないか」
「引退してから連絡は取っていない。そもそも向こうが私に興味なかったって言ったよね」
「お前のプライベートなんて知らないよ。こっちは毎日働いているんだから」
「働いていたのは私も一緒だけど」
 むしろ残業の多さを考えれば、勤務時間はこちらの方が長い。臨床検査技師と看護師の給料にはほとんど差がないが、夜勤の日数が多いから年収も私の方が高かった。
 私たちは喧嘩と仲直りを繰り返し続けた夫婦だった。
 いい加減な性格の直樹は、すぐに論点をすり替えて誤魔化そうとするし、悪びれもせずに仲直りしようとしてくるものだから、流されやすい私は、つい許してしまう。
 私は浮気なんてしていない。父親は直樹でしかありえないが、無責任な発言を繰り返す元夫に、それ以上、何かを言う気も失せてしまった。
 私は男を見る目がなかった。これは多分、それだけの話なのだ。
「もう良いや。私が馬鹿だった。二度と相談しないから、そっちも連絡してこないで」
「はあ? するわけないだろ。何言ってんだ、お前。子どもがどうとかってのも、どうせ嘘だろ。慰謝料代わりに養育費を騙し取ろうって……」
 聞くに堪えなくて、通話を切る。人間、余りにも呆れると、怒りも湧いてこないらしい。
 もう本当に、直樹のことは、すべてがどうでも良かった。

 身重の身体になる前に、何もかもを清算しよう。
 古い自分とさよならして、生まれてくる子どものために、新しい自分になろう。
 確かに妊娠に気付いた時は愕然とした。離婚直後だったこともあり戸惑いも大きかった。
 だけど、不思議なことに、いつしか喜びや期待を感じるようになっていた。
 既に勤め先は変えている。職場近くのアパートを借り、携帯電話の番号を新しくしたことで、本当の意味で自由になれた気がした。
 誰を恨めば良いかも分からないくらい、失敗してばかりの人生だ。それでも、お腹の中にやって来てくれたこの子となら、まったく違う世界を、今はまだ想像も出来ない日々を、作っていけるかもしれない。もう一度、ここから、まっさらな人生を始められるかもしれない。
 そう期待した。願いたかった。それなのに……。
 妊娠を確信してから二ヵ月も経てば、自覚症状が出てくる。大量に分泌されるプロゲステロンが基礎体温を上げ、子宮内膜を厚くし、子宮の収縮を抑制する。教科書で習った通りの兆候が現れ、不幸にも、私はそれを気持ち悪いと感じてしまった。
 この子は希望だ。何もかもを失った私にとって、唯一の拠り所だ。
 何度もそう思おうとしたけれど、悪阻のピークを迎え、苛立ちばかりが増していく。
 体調の変化と共に芽生えたのは、ほとんど嫌悪感と言ってもいい感情だった。
 新しい命は、否応なしに私の身体を変えていく。上司に話すどころか、産婦人科で検査すら受けていないのに、もうすぐお腹だって目立ってくる。
 私には母親も頼れる相手もいない。父親は新潟に住んでいるし、離婚が後ろめたくて、妊娠したことすら伝えていなかった。こんなの完全に八方塞がりじゃないか。気付けば、私は自暴自棄とも言える心理状態に追い込まれていた。
 再就職から四ヵ月しか経っていない。しかも上司や周りには独り身だと話している。妊娠の事実を、どんな顔で説明すれば良いか分からなかった。
 正直に話せば、産休はもらえるかもしれない。ただ、陰口を叩かれることは避けられないだろう。冷ややかな視線に晒され続けるくらいなら、いっそのこと、ここも辞めて……。
 離婚した直後は、生活が落ち着いたら、もう一度、将棋を楽しみたいと思っていた。アマチュアの大会に出場することも考えていた。でも、もう、すべてが不可能になった。
 将棋を指す時間なんて作れるはずがない。そんな余裕、何処にあるというのだ。
 一人だから。相談出来る友達がいないから。これから、どうすれば良いのか分からない。見当も付かない。きっと、私の人生はもう、とっくの昔に詰んでいたのだ。

10

「睦美ちゃん。久しぶり」
 勤務中に声を掛けられ、振り返ると、予期せぬ顔が立っていた。
 どうして、こんなところに梨穂子さんが……。私は二年前に棋界とも、彼女とも、縁を切っている。不意の再会に虚をつかれ、挨拶すら返せなかった。
「あれ。少し痩せた?」
 引退以後、将棋の話題からは距離を置くようにしている。新聞やテレビから入ってくる情報はあるものの、最弱の女流棋士だった彼女が、今もプロでいるのかは知らない。
「梨穂子さん、清瀬に住んでいたんですか? 以前、頂いた手紙の住所は練馬でしたよね。実家も確か石神井公園のあたりだったような」
 ここは東京都の中央北に位置する清瀬市だ。人口十万人にも満たない小さな市である。
「住んでいるのは練馬だよ。実家を出たから、最寄りの駅は大泉学園になったけど」
 大泉学園なら西武池袋線で四駅しか離れていない。近くと言えば近くだが、
「睦美ちゃんと話したいことがあったの」
「そんなの電話をすれば……」
 そこで気付いた。私は離婚を機に、それまで使っていた携帯電話を解約している。そして、新しい電話番号を梨穂子さんには教えていない。
「諏訪先生に勤務先を聞いたんだ。久しぶりだし直接会って話したいなと思って」
 私が電話番号を変えたこと、それを自分には教えなかったこと、どちらも気付いているだろうに、梨穂子さんはその話題には触れなかった。彼女は昔からそういう人だ。相手が気まずいと思っていること、聞かれたくないことには、初めから踏み込まない。
 二年振りの再会だが、彼女の外見はほとんど変わっていなかった。相変わらず可憐で、三十代だなんて思えないほどに肌も綺麗である。
「休憩時間ってある? ないなら、お仕事が終わるまで待つよ。夕方までだよね? あ、看護師さんって準夜勤もあるんだっけ」
「今日は日勤です。あと三十分で休憩に入ります」
「じゃあ、一階のレストランで待っているね。ご馳走するから、何か食べながらお喋りしよ」
 あの頃と変わらない明るい口調で誘われたものの、率直に言って、気乗りはしなかった。
 更衣室に入り、携帯電話で確認すると、彼女は今も現役の女流棋士だった。段位は変わらず、最も低い女流2級のままである。
 私はもう引退した身だ。話したいことというのが将棋の話題だとは思えない。休憩までの三十分間で様々な可能性を考えたけれど、辿り着いた結論は一つだった。
 師匠は私たちが仲良しだったことを知っている。梨穂子さんに私の新しい勤め先を話した際、家庭の事情まで伝えたんじゃないだろうか。梨穂子さんは私が離婚していたことに驚き、慰めようと思ったのだろう。結婚生活に失敗し、電話番号も変えるほどに落ち込んでいるかつての同僚を、励まそうと思ったに違いない。でも、それって本当に優しさなんだろうか。
「私が離婚したことを聞いたんですよね?」
 レストランに入り、向いの座席に腰を下ろすより早く、低い声が喉から飛び出した。
「え。睦美ちゃん、別れたの?」
「とぼけないで下さい。諏訪先生に私の話を聞いたって言ったじゃないですか」
 彼女の首が横に振られたけれど、それを鵜呑みに出来るほどお人好しじゃない。
「今更、私に会いに来る神経が分からないです」
 ここまできたら、言い繕う意味もない。
「梨穂子さんは私の気持ちを知っていたじゃないですか。相談したことがありましたよね。厚仁さんを好きだって。その厚仁さんと結婚しておいて、どういう神経で私を慰めに来たんですか。こんなことをされたら、普通は傷つきますよ。私にだってプライドくらいあります」
「ごめんなさい。私、本当に、睦美ちゃんが離婚したなんて知らなかったの」
 今にも泣き出しそうな顔で告げられたが、とても信じる気にはなれなかった。
「だったら、今更、何の話があるって言うんですか?」
 はっきりと彼女が言葉に詰まったのが分かった。三十秒ほどの沈黙を挟んでから、
「……私、妊娠していて。もうすぐ四ヵ月なの」
 思いも寄らぬ言葉が、梨穂子さんの唇から零れ落ちた。
「超音波検査で前置胎盤の可能性があるって言われて。最終診断でも結果が変わらなかったら、帝王切開になる。お母さんが私を産んでくれた個人の産婦人科に通っていたんだけど、緊急時に対応出来る病院に移った方が良いって勧められて」
 胎盤とは着床後の子宮内に出来る器官だ。正常であれば子宮の上部に貼り付くが、低い位置に付着した場合、出口を胎盤が塞いでしまう。そのせいで、ほぼ確実に帝王切開で分娩することになるのだ。出血や赤ちゃんの発育次第では、緊急帝王切開をおこなう必要も出てくるため、小さな産婦人科では対応が難しい。
「睦美ちゃんが働いている病院なら安心だよなって思って、それで……」
「私、小児科の看護師ですよ。ここの産婦人科は評判が良いみたいですけど、梨穂子さんが出産する頃には、もう働いていないと思います。もうすぐ妊娠四ヵ月って言いましたよね」
 辺りを見回す。近くに見知った顔はない。それでも、声を潜めて、
「まだ診察も受けていないんですけど、私も妊娠しているんです。四ヵ月です」
 今度こそ本当に、どんな表情を作ったら良いか分からない、そんな顔で見つめられた。
「どういうこと? 再婚を考えている人がいるってこと?」
「前の旦那の子どもを妊娠していたんです。離婚してから気付いて」
「その話、別れた方には?」
「伝えましたけど、『それ、本当に俺の子どもか?』って言われて。何て言うか、もうそれ以上何も言う気が起こらなくて。だから一人で育てます」
「睦美ちゃん、新潟出身だったよね。ご両親は?」
「母親は小学生になる前に、私を父親に押しつけて別の男と出て行きました。それ以来、一度も会ったことがありません。連絡先も知りません。父親は新潟で暮らしていますけど、結婚式以来会っていないし、妊娠したことも話していません。相談する気もおきなくて」
「誰か頼れる人はいる?」
「将棋しか指してこなかったのに、そんな人、いると思いますか? 私の人生は、もう詰んでいるんです」
「そんなこと言ったら駄目だよ」
 立ち上がった梨穂子さんに右手を取られ、両手で力強く握り締められた。
「私、ここで出産する。睦美ちゃんもそうしよう。四ヵ月ってことは、出産予定日も近いはずだよね。私、力になりたい。手助け出来ることがあればしたい」
「そんなの何のメリットがあって……」
「だって心強いじゃない。私も出産は不安だった。正直、怖かった。でも、睦美ちゃんと一緒なら勇気が湧く。新米のお母さん同士、助け合えるよ。一緒に戦った仲間じゃない」
「……私、転職したばかりなんです。ここで産休なんて取ったら、どんな目で見られるか」
「当然の権利だよ。それに、こうなると分かっていて転職したわけじゃないでしょ。シングルマザーになるんだから、使える制度は絶対に利用するべきだし、睦美ちゃんみたいな立場の人にこそ、制度は優しくあるべきだよ。もしも嫌味を言う人がいたら、私も一緒に戦う」
「いや、梨穂子さんは部外者じゃないですか」
「友達じゃない。ねえ、一緒に産もう。そう出来たら私も嬉しいし、心強い」
 離婚と望まない妊娠。私は二つの大きな事件で、既に十分過ぎるほどに弱っていた。
 梨穂子さんとの再会も、最初は億劫だったというのが正直なところである。
 それなのに、彼女の前向きな言葉に触れて、少しだけ心が軽くなった気がした。

11

 転職から大して間も空けずに産休を取るのだ。絶対に冷ややかな目で見られると確信していたのに、特異な事情を知った同僚たちは皆、快く受け入れてくれた。
 産婦人科の先生には、妊娠中期まで診断を先延ばしにしていたことを怒られたけれど、幸いにも赤ちゃんは順調に成長しているとのことだった。
 曖昧模糊とした不安は、これですべて解消した。そう思った。そう思いたかったのに。
 ホルモンバランスの急激な変化に伴い、妊婦の自律神経やメンタルは揺さぶられる。
 マタニティ・ブルーズは、年齢、人種、健康状態、経済的社会的背景にかかわらず発生するものだ。出産と育児への不安、苛立ちが募り、心が揺れるのは自然なことである。そう知っているのに、知識では壊れていく心を守れなかった。
 不意に、理由も分からずに涙が零れ落ちる。胸のざわつきが静まらず、緊張が解けない。熟睡が出来なくなり、やがて食欲までなくなっていった。
 皆そうだよ。あなただけじゃないよ。出産を経験済みの同僚たちが励ましてくれたが、不安や苛立ちが解消されるわけじゃない。私はシングルマザーになる。頼れる親も親族も身近にはいない。現実に押し潰されそうになる度に、他人とのどうしようもない差を思ってしまう。
 梨穂子さんは定期健診に、厚仁さんに付き添われてやって来る。
 幸せそうな二人を見かける度に、途方もない失望を覚えた。比べても意味がないのに、梨穂子さんは私を支えたいと言ってくれているのに、嫉妬心を消せなかった。
 厚仁さんが梨穂子さんを選んだのは、何故だったんだろう。
 綺麗だから? それとも、彼女が将棋の家の子どもだから?
 二世棋士の彼女なら、自分の艱難辛苦を理解してくれると思ったから?
 私がもっとまともな家に生まれていたら、英才教育を受けた棋士の娘で、タイトルを狙えるような女流棋士だったら、何か変わっていたんだろうか。
 梨穂子さんが羨ましくて、妬ましくて、仕方なかった。
 怨念めいた想いを募るだけ募らせて、私は出産のその日を迎えることになった。

 生まれて初めて経験する長時間の物理的な痛みに、私の心は限界を迎えた。
 二度と子どもなんていらないと思った。本当に、本当に、苦しかった。
 何度、諦めてしまおうと思ったか分からない。帝王切開が予定されていた梨穂子さんを憐れんでいたのが馬鹿みたいだ。お腹を割いて赤ちゃんを取り出せるなら、そっちの方がよっぽどマシじゃないか。死ぬほどの痛みを経験しながら、私は女であることを後悔し続けた。
 それなのに、不思議なもので、我が子を抱いた瞬間、それまでの苦しみが吹き飛び、全身を愛情みたいな何かが貫いた。この子のためにしてあげられることがあるなら、何でもしてあげたい。泣きじゃくる赤子の温もりを感じながら、心からそう思った。
 私と梨穂子さんの出産予定日は一週間ほどずれていた。しかし、出血に伴い緊急帝王切開をおこなうことになった彼女は、私が息子を産んでから、ちょうど二十四時間後に、自身の出産を迎えることになった。私たちはほとんど変わらないタイミングで女流棋士になったが、母親になったのも、たった一日違いだったのである。
 帝王切開に備えて梨穂子さんは事前に入院し、準備を整えていた。しかし、出産では何が起きるか分からない。梨穂子さんの出産後、母子共に健康だと聞き、素直に安堵を覚えた。
 安堵を覚えることが出来た自分に、それ以上にホッとした。

 厚仁さんは三ヵ月前、八大タイトルのうちの一つ、飛王戦の挑戦者になった。棋士生活八年目で、初めて大舞台への切符を掴んだ。
 タイトル獲得は、すべての棋士、女流棋士の目標であり野望である。
 飛王戦は持ち時間が八時間の二日制、七番勝負だ。今期は、防衛側のあん飛王が、序盤に体調不良で日程を飛ばしたため、厚仁さんの二勝一敗で迎えた第四局と第五局は、他のタイトル戦との兼ね合いもあり、苦肉の策で異例の連戦となっている。
 梨穂子さんが息子を出産したのは、大分で開催された第四局二日目の夕刻だった。
 新しい命を祝福するように、厚仁さんは会心の勝利をもぎ取り、念願のタイトル奪取にリーチをかけた。このまま移動日を一日挟み、第五局は福岡で開催だ。
 彼らの息子がどんな人生を選ぶのか、今は想像もつかない。ただ、二人は紛れもない将棋一家である。三世となるあの子も同じ茨の道を望む可能性が高い。
 私の息子はどうだろう。私は積年の夢を叶えて女流棋士になった。しかし、その先に待ち受けていたのは、失意の日々だった。
 果たせなかった目標を、夢を、息子が叶えてくれたら、どんなに幸せだろうか。
 未来に思いを馳せた時、私はついに、渇望していた本当の願いに気付いてしまった。
 でも、現実はどうだ? 私はシングルマザー。この子を育てるために、働かなければならない。そうでなくても、三流の女流棋士が教えてやれることなんて、たかが知れている。
 師匠の娘、諏訪すわ飛鳥あすかちゃんを見てみれば良い。まだ少女なのに、信じられないほどの活躍をしているじゃないか。
 才能とは、遺伝子と環境、どちらで決まるのだろう。
 梨穂子さんや厚仁さんには、血統も環境もあった。私にはどちらもなかった。ほとんど同じタイミングで女流棋士になり、一日違いで息子を産んだのに、朝比奈睦美と長瀬梨穂子の人生に、ここまで決定的な差があるのは、生まれた家が違うからだ。
 将棋の家に生まれた梨穂子さんの子どもと、シングルマザーの家に生まれた私の子ども。どちらが恵まれた環境にあるかなんて考えるまでもない。
 くよくよと考えても仕方のないことに思いを馳せていた、その日。
 新生児室に向かう廊下で、予想外の姿を発見した。
 ちらりと横顔を見ただけだが、あの特徴的な猫背を見間違うはずがない。厚仁さんだ。
 彼は昨日まで大分で飛王戦の第四局を戦っていた。明日は福岡で第五局である。
 次の対局が中止になったなんて話は聞いていない。
 短い時間でも良いから赤ちゃんの顔が見たくて、東京に立ち寄ったのか? オンラインで幾らでも映像を確認出来るこの時代に? 棋士人生で最大の対局を控えているのに?
 将棋は体力勝負でもあるから、対局前は心と身体を整えなければならない。梨穂子さんはタイトルの価値を理解している。仮に厚仁さんが息子に会いたいと言っても、たった一日の移動日に、東京と九州を往復するような愚行は止めるはずだ。
 厚仁さんは新生児室の方から歩いて来たけれど、向かった先は、梨穂子さんが休んでいる病室ではなかった。内緒で子どもの顔だけ見に来たのか? そんなこと有り得るのか? 狐につままれたような気分で新生児室に向かうと、そこでも見知った顔を発見することになった。
 新生児室の壁は大きな窓ガラスになっており、廊下から室内が見渡せる。誰でも赤ちゃんの様子を確認出来るわけだが、その廊下に、無精髭を生やした長髪の男が立っていた。
 あの長身の無頼漢は間違いない。プロ編入試験、二人目の受験者となった国仲遼平だ。
 彼のことは何年か前にも別の場所で見かけた記憶がある。あれは最後の挑戦になったナデシコ女子オープンのチャレンジマッチだったっけ。あの日はアルバイトか何かを斡旋されて会場にいたのだろうが、今日の彼は入院服を纏っており、歩行器に寄りかかっていた。
 遠目にも酷く痩せているのが分かる。国仲さんもこの病院に入院していたのだ。
 彼は生気のない顔で、身動き一つせずに、眠る赤ちゃんを見つめていた。

 それから、どれくらいの時間が経っただろう。
 覚束無い足取りで国仲さんが立ち去ったのを確認してから、新生児室の入り口に近付く。
 そこで、廊下に何かが落ちているのを発見した。最近ではすっかり見かけることが珍しくなったライターだった。隠れて煙草でも吸っていた入院患者が、落としていったのだろうか。
 ナースステーションにも新生児室にも看護師の姿が見当たらない。
 拾ったライターを渡すために調乳室を覗いたが、そこにも看護師の姿はなかった。
 その時、不意に、それが視界に入った。
 新生児室には赤子以外おらず、私が調乳室に入る姿を見た者もいない。そう気付いた次の瞬間、反射的にそれを掴み、自らのポケットに入れていた。
 新生児室に戻り、息子の前に立つ。ポケットの中には、廊下で拾ったライターと、咄嗟にくすねたあれが二つ入っている。
 新生児の判別方法は病院によって違う。最近は万が一のミスを防ぐため、ID情報を埋め込んだRFIDタグを使用する病院が増えているらしいが、この病院はアナログ方式だ。母親の名前を記入した医療用のリストバンドを、生まれた直後の新生児の足につけている。
 事故や誤認を防ぐために、リストバンドは付け外しが出来ない仕様になっている。切る以外の方法では外せないため、新生児は退院するまでそれを付けたままだ。
 そして、私は看護師だから、このシステムの脆弱性を理解していた。
 電子タグではないから、外しても警告音が鳴らない。赤ちゃんがつけているリストバンドを切って捨て、くすねてきた予備のリストバンドに筆跡を真似て別の名前を書き込み、新しく装着し直しても、誰も気付かない。
 そう、予備のリストバンドがあれば、赤ちゃんを入れ替えられるのである。
 ただし病院がその個数を管理していたら、二つ減ったことがバレるかもしれない。産婦人科の管理体制はどうなっている? 命を預かる部署だ。杜撰なことはやっていないはずだ。
 そこまで考えたところで、天啓が降りてきた。
 管理帳に手を加えなくても、ほかの予備ごと有耶無耶にしてしまえば良いんじゃないのか? 備品が燃えれば、個数の確認どころじゃなくなるはずだ。

 目の前で眠る我が子を見つめながら、かつて体感したことのない葛藤に身を焼かれていた。
 この子は、私の子どものままでは、きっと、幸せになれない。棋士になりたいと願っても、そういう未来を夢見てくれたとしても、私の息子のままでは成長が期待出来ない。
 才能とは、遺伝子ではなく、生まれた家で決まるはずだ。
 環境さえ与えられれば、きっと、この子は……。
 せめて、この子だけは……。
 愛しているから。あなたを誰よりも愛したいから。だから……!

 まだ名前もないこの子がつけているリストバンドに、私は手を伸ばした。


ここから先は

0字

《読んで楽しむ、つながる》小説好きのためのコミュニティ! 月額800円で、人気作家の作品&インタビューや対談、エッセイが読み放題。作家の素…

「#別冊文藝春秋」まで、作品の感想・ご質問をお待ちしております!