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【祝・本屋大賞! 宮島未奈最新作・期間限定で全文無料公開中】「婚活マエストロ」第二話

40歳の三文ライター・猪名川は、65歳以上限定のシニア向け婚活パーティを手伝うことに。今日も司会の「マエストロ」鏡原奈緒子は絶好調のようだ。

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第二話

 一人暮らしには快適な六畳一間も、他人が来ると狭すぎて酸素が薄く感じられる。大学生なら大勢でワイワイやっても許されるだろうが、四十路のおっさんは三人で定員オーバーだ。
「この部屋に来ると、タイムスリップしたみたいな気持ちになるよ」
 桑原くわばらはそう言って床に寝っ転がった。杉田すぎたも「そうだよなー」と同意する。
「いやいや、テレビとか変わってるから」
 俺は大学入学から二十年以上、レジデンス田中たなかの同じ部屋に住んでいる。今使っているテレビは三代目だし、カーテンやラグなどマイナーチェンジをしているが、大学時代からの友人には何も変わっていないように見えるらしい。
「この宅飲みも最高に大学生って感じ」
 桑原と杉田は年に二回程度、こうして俺の部屋を訪ねてくる。冬はこたつになるローテーブルに、隣のローソンで買った缶ビールや缶チューハイ、ポテトチップスにナッツ類が雑多に並んでいる。
「だいたい、ほかの入居者ってみんな大学生じゃないの? なんでこんなおっさんがいるんだって目で見られない?」
「見られたところで、あいつらは四年で出ていくから気にならないよ」
 むしろ二十代後半の頃がキツかった。かげりが見えるレンタルビデオ屋で働いていた俺には、これから何にでもなれる大学生がまぶしくて仕方なかった。
 三十を過ぎて在宅ライターになってからは悟りの境地である。夜中に宅飲みらしき笑い声が聞こえてきても、「元気だねぇ」と流す余裕がある。
「大学生の頃は良かったよな~。昼まで寝てても授業サボっても怒られないし」
 桑原は新卒で入社した金融機関に今も勤めている。年々おでこが広くなっているが、声がでかいのは相変わらずだ。
「ほんとほんと。ケンちゃんがうらやましいよ」
 杉田はブラック企業勤務を経て、今は地元の市役所で働いている。三文ライターの俺から見たらふたりとも真っ当すぎる存在だ。
「そんなこと言って、俺みたいにはなりたくないって思ってるだろ」
 俺が憎まれ口を叩くと、桑原は「まぁ、結婚しちゃったからな」と笑う。
「やっぱり、子どもがいると、こういう暮らしはできないもんな」
「あれ? 桑原んちの子ども、いくつだっけ?」
 そういう杉田は三年前に結婚し、去年子どもが生まれたという。
「上が小一で、下が四歳」
「小一?」
 俺は思わず声を上げる。桑原と杉田とはLINEでなんとなく連絡を取り合っていて、こうしたライフイベントについては逐一報告を受けていた。しかし、桑原から子どもが生まれると聞いたのはつい最近のように感じる。バスタオルに包まれていたような赤子が、もうランドセルを背負って歩いているのか。
「女の子なんだけど、黒いランドセルを選んだんだよ。うっかり『女なのに黒?』って言っちゃって、嫁さんに怒られた」
「うわー、俺も気をつけないと」
 たいがい家の中にいる俺でも、世の中ジェンダーレスが進んでいるのは知っている。俺だって一昔前なら「男なのに仕事に出ないでぶらぶらしている」と陰口を叩かれていたことだろう。いや、今も聞こえないだけで言われている可能性はあるが。
「二人は結婚相手をどうやって見つけたの?」
「おっ、おまえも結婚したくなった?」
 桑原が体を起こしてにやりと笑う。
「たぶんこのへんでも行政主導の婚活事業があるんじゃないかな」
 杉田はメガネのフレームを直し、スマホでなにやら調べはじめた。
「いやいや、そうじゃない。おまえたちの話を聞きたいんだ」
 俺は結婚じゃなくて婚活に関心があるのだ。両者は似ているようで大きく異なる。
「なんで?」
「仕事で、婚活について調べてるんだよ」
 口に出すと大層だが、どんな記事を書くのか具体的な話はまだ出ていない。来週、ドリーム・ハピネス・プランニング主催のシニア向け婚活パーティーを取材することだけが決まっている。
「俺は全然たいしたことないよ。嫁さんが派遣社員でうちの職場にいて、仲良くなって付き合ったって流れ」
 桑原が事もなげに言うが、同じ職場の派遣社員と仲良くなって付き合う過程が俺にはさっぱり理解できない。
「杉田は?」
「俺は……うーん、これ、記事とかに書くの?」
 この言いづらそうにしている感じ、俺は「書かない」と答えるほかないだろう。
「書かない。絶対に書かない」
「婚活アプリで知り合ったんだよ」
 俺と桑原が「マジで」と色めき立つ。
「あんなの全部詐欺さぎだと思ってた」
 桑原の気持ちもわかる。俺たちはインターネットが流行りだした九〇年代後半にネチケットを叩き込まれた世代で、実名や写真をネットにアップしてはいけないものだと思っている。ましてや、ネットで知り合った人と実際に会うなんて、隔世の感がある。
「ちゃんと結婚を考えてる人用のアプリだから」
 杉田が主張するが、全員が全員そうではないだろう。
「ケンちゃんも登録する? 俺の招待コード入れたらポイントもらえるよ」
「おっ、いいじゃん、やってみたら?」
 水を向けられてしまった。
「いや、俺はやめておくよ」
 これまでもクラウドソーシングサイトで「マッチングアプリのレビュー記事募集」をたびたび目にしていたが、マッチングアプリに登録するのが嫌でスルーしていた。想像だけでも書けるんじゃないかという悪魔の声は無視した。こたつ記事量産ライターにも矜持があるのだ。
「だいたい、個人情報とか心配じゃないの?」
「たしかに最初は気になったけど、職場でもやってるやつが結構いて、どのアプリが出会いやすいとか教えてくれるんだよ。市役所って職場結婚が異常に多いんだけど、それはパスしたいっていうひねくれ者がこぞってやってたな。俺以外にも二人、アプリで結婚したやつがいるよ」
「そういう場合、親とかに説明するときはどこで知り合ったって言うの?」
「知人の紹介で、が定番かな」
 この場合、知人が紹介したのは新婦じゃなくてアプリだが、ウソは言っていない。
「ちなみに、婚活パーティーは行ったことある?」
「うーん、そんなに大層なもんじゃないけど、市のイベントに行ったことあるよ」
 アプリもパーティーも経験済みなんて。そんな婚活上級者が身近にいたとは驚きだ。
「すげえな」
 桑原も俺と同じような感想を抱いているようだ。
「っていっても婚活パーティーは人数を増やすための動員だよ。田舎だから参加者にそんなバリエーションがないんだ。男は市役所とか農協とか信金に勤めてて、女は実家に住んでイオンで働いてる人ばっかりだったな」
「へぇ~」
 杉田が話す婚活パーティーの様子は、俺がこの前参加したドリーム・ハピネス・プランニングのパーティーとそう変わらなかった。
「婚活、楽しかった?」
 我ながら適当な質問をすると、杉田は「全然」と首を横に振る。
「だいたい、ゴールが見えないじゃん。大学入試なら一年か二年で終わるけど、結婚なんて何年かかるかわからないし、結婚しない人生だってある。俺はたまたまアプリで知り合って結婚できたけど、ほんとにたまたまとしか言いようがない」
「たまたまねぇ……」
 鏡原かがみはらさんが「本気の出会い」と言っていたのを思い出す。「本気」と「たまたま」には温度差があるが、本気の出会いを果たして、たまたま結婚できた、というのは両立する気がした。
「一応、俺が使ってたアプリの招待コードを送っておくよ」
 杉田がスマホを操作すると、俺のスマホがポォンと間抜けな音を立てた。

 ドリーム・ハピネス・プランニングのホームページは相変わらず古めかしい仕様で、来週行われる佐北さきたコミュニティセンターでのシニア婚活パーティーを紹介している。まるでボロボロのバス停に最新の時刻表が貼られているかのようだ。
 ローソンでも行くかと外に出ると、マンションのオーナーである田中ひろしが日課の掃除をしているところだった。
「今度、佐北コミュニティセンターでシニア婚活パーティーがあるんですけど、田中さんは来ないんですか?」
「いやぁ、高野たかのさんからも電話かかってきたんだけどさ、ケンちゃんが取材に来るって言うからやめとくよ~」
「別に俺がいたっていいでしょう」
「ああいうのは、知らないモン同士で集まるからいいんだよ。なんつうの? 非日常感?」
 まぁたしかに気持ちはわかる。俺だってあの中に知り合いがいたら気まずいだろう。
「普段は偉そうにしてるジジイも、女性の前では全然話せなかったりするからね。それとは逆に、いつもヘコヘコしてるやつが女性にはグイグイ行ったりして。そういうのが婚活の醍醐味なんじゃないかな」
「深いですね」
 適当に相槌を打つと、田中宏は「そうだろう」とご満悦の様子だった。
「そういや、広報たにがわにも参加者募集って載ってたな」
「ええっ、市の広報に?」
 ここ谷川市は人口四十万人の地方都市。中心駅である谷川駅のまわりはそこそこ商業施設があって栄えている。俺の最寄り駅である佐北駅は谷川駅から三駅離れたところにあり、大学と住宅地ぐらいしかない。そんな佐北コミュニティセンターでやる婚活パーティーが、広報で宣伝するほどちゃんとしたものとは思えなかった。
 俺はスマホで広報たにがわを検索し、PDFを表示する。いきいき体操クラブと生け花サークルの広告に挟まれて、シニア婚活パーティーのお知らせがあった。

 本気の出会いを求めるアナタへ
 六十五歳以上の方ならだれでもOKです。
 初めての方もお気軽にどうぞ!

 日時 一一月二日(木)一五時~
 場所 佐北コミュニティセンター二階ホール
 参加費 無料
 持ち物 身分証明書
 申し込み ドリーム・ハピネス・プランニング(000―0000―0000)

 誰も見ていないようなホームページよりも、広報の方がよっぽど集客効果がありそうだ。広報にしっかり目を通しているのなんて年寄りばかりだろうし、ホームページより広報に力を入れる方向性は間違っていない。
 だけどこの前のパーティーに来ていた同世代のやつらがどうしてパーティーを知ったのか、依然として謎である。
「ていうか、参加費無料なんだ」
 若者からは五千円徴収するくせに、年寄りは無料。これも若者が選挙に行かないせいだろうか。
「これは市が補助金出してるんじゃない? 佐北コミュニティセンターって市の施設だし」
「そういうものなんですかね」
 いまいちこのビジネスの内情……というか、ドリーム・ハピネス・プランニングの経営状況が見えてこない。そんなに儲かっていなそうなのに、あのホームページが市民権を得ていた時代から長く続いているのは事実である。
「ドリーム・ハピネス・プランニングの経営がどうやって成り立っているか、ちょっと気になっちゃって」
 田中宏は持っていた竹箒たけぼうきを抱え込んで腕を組む。
「そうだよなぁ、俺も高野さんとは知り合って間もないからわかんないけどさ、昔はもっと別の事業もやってたんじゃないかな。なんかわかったら教えるよ」
 俺は田中宏に「よろしくお願いします」と軽く頭を下げて、ローソンに向かった。

 佐北駅の近くにある佐北コミュニティセンターまでは自転車で行った。クルマもなければ運転免許証もない四十歳。都心ならともかく、こんな地方都市では珍しいだろう。
 パーティーの受付は十四時三十分からと聞いていたが、その十分前には会場のホールに到着した。
「おはようございます」
 思いがけず業界人みたいな挨拶になってしまったが、十二時に目を覚ましたからまだ朝みたいな気持ちだ。
 会場は広い会議室といった雰囲気だ。長辺を合わせた長机二つにテーブルクロスをかけて、ちゃんとしたテーブルっぽく見せている。各テーブルには四枚のプロフィールカードが置かれていて、それぞれにパイプ椅子が並んでいる。椅子の背もたれ部分には「1」「2」と番号が振られていた。
 テーブルには早く来たらしいおばあさんがすでに一人座っていて、プロフィールカードを記入している。その脇には鏡原さんが立って、サポートしているようだった。
「あぁ、がわさん。おはようございます」
 俺に気づいた鏡原さんが受付の長机までやってくる。最初のパーティーで出会ったときは不審な参加者として冷たい目で見られていたが、今日は取材者として来ているせいか、にこやかに迎えてくれた。紺色のパンツスーツで、前回同様しっかりメイクしている。
「思った以上にたくさんの申し込みがあったんです。もしかしたら猪名川さんにも話しかけてくるお客様がいるかもしれませんが、対応お願いできますか?」
「はい」
 勢いで返事をしてしまったが、それはタダ働きということか? ゆくゆくライターの仕事を受注すれば金銭の受け渡しが発生することになるが、その仕事に年寄りの相手を含めるのはちょっと違うのではないか。
 そうした不満を心のうちでモヤモヤと膨らませていると、鏡原さんは小声になって、
「もしよろしければ、今晩、社長を交えて食事しましょう」
 と食べ物で釣ってきた。
「わかりました」
 そして俺も素直に釣られた。このところの激しい物価高で節約を求められ、晩飯をふりかけご飯一杯で済ませることもある。外食には無条件で心が躍った。
「たくさんの申し込みって、何人ぐらいですか?」
「男性十八人、女性十二人の三十人ですね。ドタキャンの人もいるので、実際来るのはもうちょっと少なくなると思いますが」
「三十人?」
 予想外に多かった。この地域にそれほど「本気の出会い」を求める独身シニアがたくさんいるというのか。
「すみませんが、これを下げていただいていいですか」
 鏡原さんは「STAFF」と書かれた吊り下げ式の名札を手渡してきた。スタッフとして稼働すると知っていたら、長袖シャツにジーパンという大学生みたいな服装じゃなくてもうちょっとマシな格好をしたのだが。
「これから私が受付をしていきます。席は自由なので、適宜空いている席に誘導してください。着席したらプロフィールカードを記入してもらうんですが、たぶん猪名川さんにもあれやこれやと話しかけてくると思います。困ったことがあれば、遠慮なく私を呼んでください。よく訊かれるのはトイレと喫煙所ですね。トイレは左に出て突き当たりで、喫煙所はありません」
 ここで何度もイベントをやっているのだろう。鏡原さんが慣れた調子で説明する。
「リピーターさんも多いんじゃないですか」
 思い浮かんだことを口にすると、鏡原さんは顔の前で手を振り、「それが、意外にそうでもなくて、ご新規さんのほうが多いんです」と答えた。
「こんにちは~」
 鏡原さんの声が仕事モードに切り替わった。競艇場にいそうな、ジャンパーを着たおじいさんが入ってくる。鏡原さんは視線を合わせ、ゆっくり丁寧に話しはじめた。
「お名前教えていただけますか」
松田まつだです」
 鏡原さんが素早く名簿に目を落とす。
「松田昭二しようじ様、ようこそお越しくださいました。身分証明書をお見せいただけますか」
「はぁ?」
「身分証明書です。マイナンバーカードや、保険証、なんでもかまいません」
「なんだって?」
「松田様の、住所と氏名が書かれた証明書を見せてください」
 俺は背中がぞわっとするのを感じた。決して威圧的な言い方ではないが、相手を敬おうとする気持ちが感じられない。鏡原さんはこのやりとりを三十回やるのか。
「まずは、自己紹介カードを書いていただきます。お好きな席に座って、記入欄を埋めてください」
 鏡原さんが一通りの説明を終える頃には、すでに順番待ちの列ができていた。近くで何もせず立っている俺に対し、冷たい視線が向けられている気がする。
「はぁ?」
「こちらの席にお越しください。お相手の女性に松田様のことを知っていただくための、履歴書を書いていただきます」
 俺はその場の空気に耐えられず、松田昭二を席へと案内した。この調子でどうして婚活パーティーに来ようと思ったのか、不思議でならない。鏡原さんは俺の顔を見て大きくうなずき、受付業務を再開した。
「兄ちゃん、代わりに書いてよ」
 ここで断ったところで、持ち場なんてあってないようなものだ。俺はプロフィールカードに添えられたペグシルを手に取り、松田昭二の個人情報を代筆することにした。
 シニア用プロフィールカードは、前回俺が記入したものよりも字が大きく、項目が少なくなっていた。
「まず、お名前を教えてください」
「松田昭二。松田聖子せいこの松田に、昭和の昭、数字の二」
 前回俺はここに実名フルネームを書いて失敗したわけだが、シニア婚活においてはそこまで考えなくていいだろうか。俺はプロフィールカードに「松田昭二」と書き込み、ふりがなをふる。
「次は生年月日です」
「昭和二十二年五月二十日」
 俺の親父が昭和二十八年生まれだから、それより六歳上である。といってもすぐに計算できない。親父っていくつだっけ?
「おいくつですか」
 計算するのを放棄して尋ねると、「七十六」と答えが返ってきた。そういえば俺と親父はちょうど三十歳差だから、親父も七十になったんだよなとぼんやり思う。
 年齢の次の欄は「お住まい(書ける範囲で構いません)」だった。
「このあたりにお住まいなんですか?」
「生まれも育ちも佐北だよ。昔は佐北町っつったんだけど、いつのまにか谷川市に合併されたんだよな。こないだも市役所で住民票を取るときに、うっかり佐北町折田おりたって書いて怒られたんだわ」
 なにが松田昭二のツボを刺激したのか、佐北町ネタを語りはじめる。ともかく佐北町の次の住所が折田というのは間違いなさそうなので、「佐北町折田」と書き込んだ。松田昭二が特に何も言わないので、次に進む。
「松田様の趣味はなんですか?」
「ねえな」
 あまりに潔い返事だった。
「どんなことでもいいんです。お休みの日にされていることとか」
「休みっつっても毎日休みだからな」
 言われてみればたしかにそうだ。俺の親父も家で一日中テレビを見ていると母親から聞いている。
 そこで俺ははっとした。ここに参加しているってことは、松田昭二には「お父さんが一日中家にいてやんなっちゃう」と言う妻がいないのだ。
「普段おうちでどんなふうに過ごされているんですか」
 思わず自分が訊きたいことをそのまま訊いていた。俺だってこのままいったら松田昭二と同じ道をたどることになる。良いとか悪いとかじゃなく、明日は我が身だ。
「テレビ見てる」
 まぁそうだろうなと思う。しかし趣味の欄に「テレビ鑑賞」と書くのも無粋だ。俺が頭を悩ませていると、助け舟がやってきた。
「松田様、この『趣味』というのは、お相手が会話のきっかけにするためのものです」
 鏡原さんはしゃがみ込み、座っている松田昭二の顔をじっと見つめる。
「なければ『なし』でもいいのですが、それでは松田様という人物を知ってもらうきっかけをひとつ逃してしまいます。テレビで見るのが好きなスポーツなどありませんか? たとえばお相撲すもうを見るのが好きなら『相撲観戦』と書かれると、お相撲を好きなお相手と力士の話題で盛り上がるかもしれません」
 俺はなんとはなしに会場全体を眺めてみた。気付けばほかの席も埋まって、にぎやかになっている。
「たしかに相撲は毎場所十五日全部見てるな」
「いいじゃないですか! ぜひ書きましょう」
 受付に二人連れのおばあさんが現れると、鏡原さんは「すみません、受付に戻ります」と言って去っていった。
「じゃあ、相撲観戦」
 松田昭二に言われて我に返る。あれ、相撲ってどう書くんだっけ。俺はスマホでカンニングして「相撲観戦」と書き込んだ。
「次は……『これまで一番がんばったこと』だそうです」
 なかなかの無茶振りである。少なくとも俺が出席した通常の婚活パーティーにはなかった質問だ。仮に俺が質問されたとして、どう答えるべきかわからない。
「仕事かなぁ」
 松田昭二が無造作に投げたブーメランが俺に刺さった気がする。俺は仕事すらがんばった実感がない。
「どんなお仕事をされていたんですか」
 俺が尋ねると、松田昭二は遠くを見るような目をした。
「電器屋だよ。ナショナルの店で、販売とか修理とかやってた」
 俺の地元にも町の電器屋さん的な店があったなと懐かしく思い出す。ああいうところに勤めていた人たちはどこに行ったのか、考えたこともなかった。
「へぇ、たとえばどんな修理が多いんですか」
「テレビが映らなくなったとか、冷蔵庫が冷えなくなったとか、そんなとこよ」
「それなら今でも直せるんですか」
「物によるな」
 仕事の話をはじめた途端、松田昭二が急に若返ったようだ。プロフィールカードにこんな効果があるなんて思わなかった。
 俺は松田昭二の仕事についてしばらくやり取りをした。というのも、次の質問事項が「結婚経験」で、自分から切り出しにくかったのだ。
 だいたいこんな重要事項、もっと早いうちに書かせるべきではないか。シニアだし離別や死別を経験している人は少なくないだろう。変に奥ゆかしいプロフィールカードである。
「あの、次は結婚経験なんですが」
 俺がおずおず尋ねると、松田昭二は「若い頃に一度」と簡潔に答えた。
「まぁ、いろいろあって三年ぐらいで離婚したのよ」
 そこで松田昭二の口が閉じたので、踏み込まずに次の質問に移る。
「お子さんはいらっしゃるんですか?」
 だいぶデリケートな質問だが、本気の出会いを求める者同士では早いうちに確認しておきたいところだろう。しかしよく考えてみればシニア婚活における子どもはたいてい成人だから、いたとしてもあまり関係ない気がする。
「いない」
 そんな調子でプロフィールカードを埋めていった。最後の質問は「どんなお相手を望みますか」だ。
「家事が得意な女性だな」
 松田昭二の気持ちは痛いほどわかるが、現代においてその条件はきわめて印象が悪い。俺だって家事全般をやってくれる女性と結婚できたらどんなにいいだろうと夢想することがあるが、俺が大金持ちでもない限り、向こうにメリットがない。
 だからといって、松田昭二の希望を変えさせる権限はない。俺はそのまま「家事が得意な女性」と書き込んだ。家事が得意で、とにかく結婚だけできればいいと考えている女性が参加している奇跡に賭けよう。
「できました」
 すべての欄を埋めたら充実感があった。松田昭二はありがとうとも言わず、そのシートを受け取る。
「で、これをどうしたらいいんだ」
「後で女性とお話しする時間があります。相手の女性とこのシートを交換して、見ながらお話しするんです」
「そうか」
 書かれている内容は松田昭二のものなのに、俺の筆跡だから、自分が参加するような気恥ずかしさがある。
「お兄さん、ちょっとこっちに来てくださる?」
 別のテーブルのおばあさんが俺を呼んでいる。鏡原さんは別の客のサポートに入っていて、動けそうにない。知らないうちに社長も来ていて、別の参加者のプロフィールカードの記入を手伝っていた。
「はい」
 俺は松田昭二のもとを離れ、呼ばれた方へと向かう。
「ガーデニングってどう書くんだったかしら」
 白いレースのカーディガンを着た、上品そうなおばあさんだ。プロフィールカードを見ると、趣味の欄にカタカナの「ガーデ」の後に「ン」とも「ニ」とも読める文字が書かれている。これほど対応に困る質問も珍しい。
「えっと、ガーデニ、まで書けてますね」
「ううん、あたし、ガーデンって書いたの」
 二択を外してしまった。
「それでは、この『ン』の棒を横にまっすぐ伸ばして、『ニ』にしましょう」
 おばあさんは言われたとおりに自称「ン」を「ニ」に改造する。
「その後、『ン』を書いて、クに点々の『グ』です」
「わぁ、ありがとう」
 ガーデニングと書けたことが心底うれしそうで、俺はちょっとキュンとした。さっきまでぶっきらぼうな松田昭二の相手をしていたせいで、ポジティブな反応がうれしい。おばあさんの名前の欄には「エイコ」と書かれている。
「お兄さん、この紙には絵とか描いてもいいのかしら」
「もちろんです。自由にお描きになってください」
「わかったわ」
 エイコさんが何かを描きはじめたのを見て、俺はその場を離れた。窓を背にして、もっともらしく直立したまま会場内を見回す。知り合い同士話しているようなところもあるが、基本は単独行動のようだ。スマホをいじっているおじいさんもいれば、編み物をしているおばあさんもいる。
 それにしても、思っていた以上に年齢層が高い。おそらく七十代後半から八十代前半の参加者がほとんどだ。シニアと聞いて六十代ぐらいをイメージしていたが、よく考えたら最近の六十代は現役世代といってもおかしくない。田中宏だって八十を過ぎているし、そのぐらいの年代が配偶者を亡くして婚活に励んでいるのだろう。
「それでは定刻になりましたので、はじめさせていただきます。私はこのパーティーを運営しておりますドリーム・ハピネス・プランニングの鏡原奈緒子なおこと申します」
 ワイヤレスマイクを持った鏡原さんが前に立つと、ざわざわしていた室内が一気に静まり返る。今日もアナウンサー顔負けの美しい発声だ。
「十一月に入りましたが、まだまだ暑さを感じるような日もあって、落ち着かない気候でございます。寒暖差があると体調を崩しやすくなるので、規則正しい生活をして疲れを溜め込まないようにしたいものですね」
 前回同様、時候の挨拶からはじまるのがお決まりらしい。
「本日はたくさんの方にお越しいただき、主催者としてもうれしいです。ここで楽しいひと時をお過ごしくださいね。まずは、自己紹介からはじめます」
 俺が参加した婚活パーティーではいきなり一対一のトークからはじまったが、シニア向けはプログラムが違うらしい。
「お名前は、下の名前だけを教えてください。『たろう』とか、『はなこ』といった具合ですね。それと、最近食べておいしかったものを簡単に説明してください。耳の遠い方もいらっしゃいますので、恥ずかしがらずに大きな声でお願いします」
 いかにもシニア向けの呼びかけだ。会場から笑いが漏れる。
「では、私からいきますね。私の名前は、なおこです。最近食べておいしかったのは、『みよし』のうな重です。甘めのタレがほかほかのごはんにマッチしていて、いくらでも食べられそうでした」
 うなぎなんてしばらく食べていないなと若干の悲しみを覚えるが、老人たちは柔らかな表情で拍手を送っている。たしかに食べ物は年齢男女問わず関心のあるところだし、自己紹介のネタとして使いやすそうだ。
「次は、我々ドリーム・ハピネス・プランニング社長の高野にバトンタッチします」
 鏡原さんが言うと、脇にいた社長が真ん中に進み出てマイクを受け取った。
「僕の名前は『ゆたか』です。おいしかったものは、佐北駅前にあるパン屋さんのクリームパンです。ちょうど焼きたてのアツアツだったので、お行儀が悪いですが店を出てすぐ歩きながら食べてしまいました」
 俺は感心した。うな重という高級品で身構えた参加者は、庶民的なクリームパンにほっとするだろう。しかも地位の高い男性と、若い女性が、一見逆とも思える食べ物を挙げる。事前に打ち合わせしていたのか、鉄板ネタなのか。
「次は、スタッフの猪名川さんです」
 二人の自己紹介を分析していたら、突然名前を呼ばれた。いやいやそれはナシだろうと思ったが、さっき話したエイコさんがキラキラした目をこっちに向けていたので逃げ出せそうになかった。
 俺は前に進み出て、社長からマイクをもらう。
「僕の名前は『けんと』です。最近マンションの大家さんにおごってもらったロースカツ定食がサクサクでおいしかったです」
 ローソンで買った期間限定にんにく増し増しペペロンチーノと迷ったが、シニアに伝わりやすい方を選んでしまった。俺に対しても拍手が送られ、くすぐったい気分になる。
「では、私がマイクを持って回りますので、こんな感じで自己紹介お願いしますね。その場に座ったままで構いません」
 鏡原さんは左前のテーブルに座るおじいさんにマイクを向けた。
「『しゅういち』です。物忘れが激しくて何を食べたか覚えていません」
 しゅういちがおどけた様子でシニアネタを繰り出すと、会場がどっと沸いた。
「あらー、そうなんですか。ちなみに今、なんでも食べられるとしたら何が食べたいですか?」
 鏡原さんが合いの手を入れる。
「そうだなぁ、若い頃みたいに焼肉をたくさん食べたいなぁ」
 ほかの参加者から「あ~」と納得するような声が上がった。
「お好きなお肉はなんですか?」
「カルビにタレをたっぷりつけて、コメと食べるのが好きだったな」
 しゅういちがいい感じに会場を温めてくれたようで、続く参加者たちもスムーズに名前と食べ物の名前を挙げていく。鏡原さんが松田昭二にマイクを向けると、なぜか俺の方まで緊張してきた。
「松田昭二です」
 名前だけというルールなのにあっさりフルネームを名乗る。別にダメなわけじゃないけれど、やっぱりそういうやつだったかというがっかり感がある。
「マクドナルドのサムライマックだったかな。トマトが入ったやつ。あれがうまかった」
 意外にも、ちゃんとした答えだ。マクドナルドのレジで、ベーコントマト肉厚ビーフの写真を指差す松田昭二の姿まで浮かぶようだった。
「私、サムライマックは食べたことないです。今度注文してみようかしら」
 鏡原さんがほどよい感想を述べて、次の人に移る。表情を変えない松田昭二だが、終わった瞬間ほっと一息つくのがわかった。
「本日は男性十四名、女性十一名の二十五名様がお越しくださいました。これから一人ずつお話しする時間を設けます。すみませんが、皆さんお荷物とプロフィールカードを持って、いったんお立ちいただけますか」
 前回の婚活パーティーでは参加者自身に椅子を運ばせていたが、さすがにシニア相手にそのようなことはさせないらしい。自己紹介の効果か、すでに会話をはじめている参加者もいる。
「まずはこちらがわの列に、女性の方がお座りください」
 各テーブルの四脚の椅子のうち、前方の二席に女性が座っていく。
「その正面に、男性に座っていただきます。男性の方が三名多いので、その三名はこちらのテーブルで待機です。こちらのテーブルの方も、ちゃんとすべての女性とお話しできますので、焦らずお待ちくださいね」
 鏡原さんの説明に笑いが起こる。さっきから笑いの沸点が異様に低い。
「お相手と向かい合ったら、まずは『よろしくお願いします』とご挨拶しましょう。プロフィールカードを交換して、三分ずつお話しします。お話が盛り上がって三分じゃ足りないって思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、イベントの後半でもお話しする機会がありますので、ここは三分で切り上げていただきます。お疲れが出た方は休憩できますので、遠慮なくおっしゃってくださいね」
 参加者はうなずきながら鏡原さんの説明を聞いている。
「ここからが重要です。後で気になる相手のお名前を書いてもらいますので、『この人とまたしゃべりたい!』と思う方がいたら、ちゃんとお名前を覚えておいてくださいね。記憶力に自信がない方も、ここはがんばって覚えてください」
 たしかにこうして事前にアナウンスがあれば、相手の名前にも意識がいくだろう。さっき自己紹介で下の名前だけ名乗らせたのも記憶の定着をはかる目的があったのかもしれない。
「それでは一回目をはじめます。よーい、スタート!」
 各テーブルから「よろしくお願いします」の声が響いた。みんな小学校低学年みたいに素直である。
「猪名川さん、挨拶が遅れました。今日は手伝ってもらってしまってすみません」
 黒いスーツを着た社長が小声で話しかけてきた。
「いえいえ」
「少しですが、謝礼をお支払いさせていただきますので」
 まるで充電されたかのように背筋が伸びた。
「ありがとうございます」
 だけどこのイベントは無料だったはずで、どこからお金が出ているのか疑問である。
「思った以上にたくさんの方が来ていて驚きました」
「そうですね。こういうイベントは他になかなかないみたいで」
「広報を見て来られる方が多いんですか?」
「そのようですね。あとはホームページで告知したり、以前来られた方に直接電話したりしています。ほかには、お友達のクチコミで来てくださる方もいらっしゃいますね」
 前回のパーティーに参加していたアリサも友達の紹介で来たと言っていた。なんでも、鏡原さんが「婚活マエストロ」として有名だとかなんとか。アリサは怪しいやつだったが、すべてが噓というわけではないだろう。
 俺はなんとはなしに松田昭二の姿を探した。待機テーブルに腕組みをしたまま座っていて、俺の書いたプロフィールカードはまだ出番がないようだった。
「はい、三分経ちました。男性は番号を一つ進めてください。1番に座っていた方は2番のお席、2番に座っていた方は3番のお席です。待機テーブルからも、お一人、1番の方へお願いします」
 隣に次の番号がある人はいいが、テーブルの列がずれてまごつく人も少なくない。誘導を手伝っていると、松田昭二が1番の席に向かうのが見えた。まるでマウンドに上がる投手のような面持ちである。
「移動に戸惑うのも最初のうちだけで、すぐに慣れてスムーズになります。このぎこちなさを楽しんでいただければと思います」
 鏡原さんに言われると本当にそんな気がしてくるから不思議だ。
「それでは二回目まいります。よーい、スタート」
 二回目も「よろしくお願いします」の声からはじまった。松田昭二がプロフィールカードを相手に渡すのを見て、自分の通知表を差し出されたような気持ちになる。
 お相手は髪を紫に染めた丸顔のおばあさんで、明るそうな雰囲気だ。後方に立ってしまったため松田昭二の顔は見えないが、お相手の方は笑顔でペラペラしゃべっている。ときどきお相手が口を閉じてうなずいているので、松田昭二もちゃんと受け答えしているようだった。
 傍観者ぼうかんしやでいるのはなかなか暇だ。前回の婚活パーティーでは参加者側だったから、相手とのトークを進めるうちに時間が過ぎていた。話を盗み聞きすれば気が紛れるかと思ったけれど、参加者たちの声がまじってあまりよく聞こえない。鏡原さんと社長はうっすら笑みを浮かべて立っていて、これがプロフェッショナルかと思う。
 俺も口角を上向きにキープしながら会場をながめる。おじいさんはどれも似たりよったりだが、おばあさんにはいろんなタイプがいる。ガーデニングおばあさんことエイコさんはこの中でも際立って身なりがきれいだ。ああいうタイプが実は詐欺師だったりして、という不謹慎な妄想まで抱いてしまう。ガーデニングをやっていると言っていたし、庭付きの広い家に住んでいるのだろうか。ティーポットで紅茶を入れて、舶来品のクッキーを食べているところまで思い浮かぶ。
 松田昭二がエイコさんの正面の席につくと、関係ない俺まで手汗がにじんできた。エイコさんはさっきまでと変わらず、優雅な身振り手振りをまじえて話す。松田昭二は微動だにしないが、多少の受け答えはしているのだろう。エイコさんが口に手を当てて笑ったときには俺の方までガッツポーズしたくなった。

 途中でトイレ休憩を挟んで、三分×十四回のセッションが終わった。最初と比べて気温が三度ぐらい上昇している気がする。どの参加者も顔を上気させており、場が温まるってこういうことなのだと実感する。
「皆さん、楽しくお話しできましたでしょうか」
 鏡原さんの問いかけに、参加者たちは元気のいい拍手で応える。その間、社長はてきぱきと新しいカードを配布していた。
「それは何よりでした。では、ここからお待ちかねのアンコールコーナーです!」
 アンコールコーナー。なんとなく意味するところはわかる。社長にカードを見せてもらうと、自分の氏名を書く欄と、「また話したい方のお名前」、「もう話したくない方のお名前」の欄があった。各行には「さん」があらかじめ印刷された親切設計である。
「お手元のカードに、ご自身のお名前と、もう一度お話ししたい人のお名前を記入してください。三人まで書けますので、ご遠慮なくお書きくださいね。ちょっといいなと思っただけでも、再びお話しすることでさらに印象が深まるかもしれません。逆に、この方とはちょっと、という方がいたら、それもお書きになってください」
 鏡原さんはマイルドな表現で説明したが、「もう話したくない人」はなかなかの拒絶である。俺が参加したパーティーでは「もう話したくない人」の欄はなかった。書かれていたらと想像するだけで胃が痛い。
「お書きになったカードは近くのスタッフに渡して、アンコールコーナーの開始まで休憩してください。しっかり水分をとってくださいね」
 社長が今度はお茶の入った紙コップを配りはじめた。ペットボトルを配ればいいのに、予算の問題があるのだろうか。
 参加者たちはお茶を飲みつつ、カードに記入しはじめる。ここでもみんな小学生みたいに素直である。
「書けました!」
 一人の男性参加者が挙手してこっちを見ていた。自分が「近くのスタッフ」のひとりであることを思い出し、あわててカードを受け取る。カードには「ゆり」「ひろみ」「ようこ」とひらがなで書かれていて、なんだか微笑ましい。
 ほかの参加者のカードを回収しつつ松田昭二に目をやると、難しい顔をして腕を組んでいる。話しかけようかと逡巡しているうちに、鏡原さんがさっと近寄っていった。
「松田様、お困りでいらっしゃいますか?」
「なんて書けばいいかわかんねえよ」
「気になる方がいなかったら、書かなくても大丈夫ですよ」
 鏡原さんが柔らかい口調で言うと、松田昭二は組んでいた腕をほどいて立ち上がった。
「俺、もう帰るわ」
「お兄さん、すみませーん」
 一番気になるときに背後から俺を呼ぶ声がする。セーブできないダンジョンで「ケンちゃんごはんよー」と呼ばれるやつだ。松田昭二にだけ注目しているわけにもいかないので、俺は振り返って声の主であるおばあさんに向き合う。
「社長さんとお話ししたいんだけど、『ゆたか』って書いてもいいかしら」
 俺は心ここにあらずの状態で「大丈夫ですよ」と答えていた。こんな婚活パーティー、ルールなんてあってないようなものである。社長の名前を書いたところで罰せられることはないだろう。
 おばあさんは「あらよかった」といそいそカードに記入している。俺は再び松田昭二のほうを見ると、鏡原さんと軽く揉めているようだった。
「だいたい、こんなところで結婚できるわけがないんだ」
「それは否定させていただきます。前回の佐北コミュニティセンターで行われた婚活パーティーでは、すでに一組ご成婚されました」
 思わず「マジか」と声が出る。
「はい、書けたわよ」
 おばあさんから回収したカードにはしっかり「ゆたか」と書き込まれている。俺は「楽しくお話しできるといいですね」と笑顔を作ってその場を離れ、松田昭二と鏡原さんのやり取りに耳をそばだてる。
「残念ではありますが、松田様がお帰りになるのは自由です」
「松田さん、帰っちゃうんですか?」
 俺はアホなふりをして二人の間に入っていった。松田昭二は俺が来たことで気まずそうな顔をしている。
「だれか松田さんのお名前を書いたかもしれないのに、ここで帰るのはもったいないですよ」
「俺の名前なんて書くやついないだろう」
「僕も最初に婚活パーティーに出たとき、そう思いました! もう何年も彼女いないし、モテたこともありません。でも、書いてくれる人がいたんですよ。その結果を聞いてから帰るのはどうですか?」
 俺はなぜ松田昭二を引き止めているのだろう。一人帰ったところでなんの問題もないのに、どうも感情移入してしまっているようだ。
「兄ちゃんがそう言うなら、仕方ねえな」
 松田昭二が再び着席したので、ほっとする。鏡原さんは何事もなかったかのように笑みを浮かべ、「それでは、集計してまいりますので少々お待ちください」と去っていった。
「先ほどは女性たちとどんな話題で盛り上がったんですか?」
 俺が尋ねると、松田昭二は憮然ぶぜんとした表情のまま口をひらく。
貴景勝たかけいしようとか、大谷翔平おおたにしようへいの話だよ。あと、庭の話をしてたのもいたな」
 間違いない、エイコさんだ。
「俺は昔っからネギとかトマトを育ててるんだけどよ、その人は花を育ててるらしい。でも、花は食えねえじゃねえかとか言ったから、『もう話したくない人』に書かれてるだろうな」
 あぁ、それでいづらくなったんだと察する。
「松田さん、野菜育ててるんですか?」
「ボケ防止みたいなもんだけどな」
「立派な趣味じゃないですか」
 そんな話をしているうちに、鏡原さんが「おまたせしました」と前に立った。
「今回はたくさんのアンコールがありました。まずはお名前だけ発表しますので、その場に座ったままお聞きください。一組目は、ゆういちさんとひろみさん!」
 一組ごとに盛大な拍手が上がるので、俺もその場の雰囲気に合わせて手を叩く。
「次は、しょうじさんとえいこさん!」
 惰性で拍手していたら、それが松田昭二とエイコさんであることに気付いてはっとする。松田昭二も自分のことだと遅れて気付いたようで、組んでいた腕をほどいてきょろきょろしはじめた。エイコさんのほうはしっかり視界に松田昭二をとらえ、微笑みを送っている。
 頭をポリポリ搔く松田昭二を見て、引き止めた甲斐かいがあったとほっとした。

「松田様に話しかけた猪名川さん、素晴らしかったです。私も見習わなきゃって思いました」
 網の上にカルビを並べながら鏡原さんが言う。
「本当に見事な立ち回りでしたね。ほかのお客様への対応も完璧でした。こういうイベント関係のお仕事の経験があるんですか?」
 真剣な顔で社長が尋ねるので、俺は「ないです、ないです」と手を振る。
 あのあと、松田昭二とエイコさんは土や日当たりの話で盛り上がり、カップル成立に至った。仮に二人が深い仲にならなくても、ここで得た経験は松田昭二にとってプラスになるんじゃないか―なんて、都合よく考えすぎだろうか。
「こんなところですみません。少しですが、きょうの報酬です」
「頂戴します」
 社長から受け取った封筒をのぞいてみると、千円札が三枚入っていた。逆に一万円とかもらっても恐縮しただろうし、ちょうどいい塩梅である。これに焼肉食べ放題(三九八〇円)付きなんて、文句はない。
「あの、一対一のトークタイムのときって、何を考えて立っているんですか」
「私は、誰が誰を気になっているか確認しています」
 鏡原さんが事もなげに言う。
「わかるものなんですか」
「わかるようになってきました。オーラ的なものが引き合ってるんです」
 理解が追いつかず、首を傾げる。
「あっ、ごめんなさい、スピリチュアルな話になってしまって。仲の良い夫婦って顔が似るってよく言うじゃないですか。でも実は、もともと似てるんですよ」
 社長が「あぁ、それはそうだね」と相槌を打った。
「たとえば今日の松田さんとエイコさんも、わかったんですか?」
「ありそうだな、とは思いました。でも予想が外れることも往々にしてあるので、それも含めて楽しんでいます」
「へぇ~」
 三人とも無言になり、肉の焼ける音が聞こえてくる。
「しゅういちさんの言うとおり、若いうちにたくさん食べなきゃいけませんね」
 鏡原さんは「いただきます」と手を合わせ、カルビを一切れ口に入れた。
「そういえば、猪名川さんの連絡先を教えていただけますか」
 社長が話しかけてきた。
「えっ、前回のパーティーで申込用紙に書きましたけど」
「あれはパーティーの連絡以外に使ってはいけないんです」
 個人情報保護法の注意書きのことかと合点がいく。すべての会社がこんなに忠実に守っているとは思えないが。
「差し支えなければLINEを教えていただけますでしょうか」
 俺に異論はなく、社長のLINEのQRコードを読み込む。「高野豊」という登録名に、スーツ姿のアイコンが現れた。
「すみません、私のほうもお願いできますか」
 鏡原さんのアカウント名は「鏡原」だった。アイコンはとりたてて特徴のない風景写真だ。
「ホームページの記事作成について、これから本格的に相談させていただきますね」
 そうだ、俺はライターとして呼ばれていたのだった。今夜は帰ってから「格安スマホおすすめランキング(二〇二三年一一月最新版)」の記事を書かなくてはならない。
 でも今はすべて忘れて焼肉に集中しよう。俺はタレをひたひたにつけたハラミを白飯と一緒にかきこんだ。

 聞き慣れない着信音で目が覚めた。時計を見るとまだ朝の七時半だ。こんな早い時間に何事かとスマホを手に取ると、鏡原さんのアイコンが表示されている。めったに使っていないLINEの音声通話機能だ。
「もしもし」
「朝からすみません。猪名川さん、今日って暇ですか」
 鏡原さんの切迫した声に、俺は勢いで「はい」と答えていた。音声しか聞こえないのに、鏡原さんが表情を緩めた感覚が伝わってくる。今さら撤回できないが、急ぎの仕事はなかったはずだと寝起きの頭で考える。
「ありがとうございます! 九時に、佐北駅北口ロータリーでお待ちしています」
「えっ、あの、」
 通話はそこで切れた。

[次回:2024年4月頃公開予定]

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