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【祝・本屋大賞! 宮島未奈最新作・全文無料公開中】「婚活マエストロ」第一話

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第一話

 二〇二三年十月十日、俺は四十歳になった。
 目を覚ましてスマホを見ればすでに十時を過ぎていて、そろそろ起きようと伸びをする。子どもの頃は体育の日で必ず休みだったから、半分以上の確率で平日になるのがいまだに慣れない。俺はカレンダーの休日と関係なく仕事をしているが、クライアントは基本平日しか返信をよこさないから多少影響はある。
 メールアプリを開くと、きのうの夜中に納品した占い記事のクライアントから「締切に余裕を持った納品、ありがとうございます! これから確認させていただきます」との連絡があった。このクライアントはリピーターで、こうした連絡をこまめにくれるから信頼している。フリーペーパーに載せる星座占いとしてそれっぽいことを書くだけで月に一万円の定期収入になっているから、俺としても手放したくない。いつもの流れなら、夕方には「問題ありませんでしたので完了します」という連絡が来るだろう。
 LINEには母と妹から誕生日を祝うメッセージが届いていた。こんなおっさんの誕生日、何もめでたくないだろうと思うのだが、それでも祝わずにはいられないらしい。俺は「ありがとう」の文字が入ったスタンプで応じた。
 食料を調達するため、ズボンだけ穿き替えて外に出る。半袖だとちょっと寒くて、誕生日の頃になると毎年同じことを思っているなと気付く。
「よう、ケンちゃん! 誕生日おめでとう!」
 エントランスを出たところで、マンションの最上階で暮らすオーナー、なかひろしたけぼうき片手に話しかけてきた。八十歳を過ぎてもピンピンしていて、オーナー自ら掃除をするのが日課だ。
「よく覚えてますね」
「昔っから誕生日覚えるのは得意なのよ。はやしピーだな」
「今の若い子たちは林家ペーなんて知りませんよ」
 田中宏は銀歯を見せて高らかに笑う。
「それにホラ、みんな四年やそこらで出てっちゃうけど、ケンちゃんはずっといるから覚えてんだよ」
 十八歳の春に出会ったときからジジイだった気がするが、当時はおそらく六十そこそこだったはずだ。五年前に妻を亡くしてしぼんでいたが、今では元気を取り戻している。
 大学入学から二十一年と六ヶ月、ずっと同じマンションに住んでいる俺も俺である。実家で暮らしていた期間より、田中宏のマンションに住んでいる期間のほうが長くなってしまった。まさに親の顔より見た顔である。
 レジデンス田中というこの単身用マンションは、大学の北門から三百メートルの好立地にあり、隣がローソンという利便性も手伝って、学生からは人気がある。しかし最寄りのきた駅は三キロという距離で、しかも普通電車しか停まらない。東京まで新幹線で一時間半の地方都市で働き口も少なく、ほとんどの学生は卒業とともに巣立ってしまう。すでに築三十年を超しているうえ、少子化と不景気で下宿生がぐんぐん減っていることもあり、空室リスクを恐れる田中宏にとって俺は上客なのだ。
「ときにケンちゃん、仕事頼めるかい?」
 田中宏とは長い付き合いになるが、そんな依頼はされたことがない。
「仕事って?」
「文章書く仕事だよ。ケンちゃん、ライターさんなんだろ?」
 俺は在宅のWebライターとして生計を立てている。ホームページに載せる三文記事を大量生産することで月二十万円の収入を得て、男一人暮らすにはなんとかなっている。将来にまったく不安がないわけではないが、朝好きな時間に起きて、人にも会わずぶらぶらしていられるのだからこんなにいい職業はない。
 しかし田中宏が思い浮かべる「ライターさん」とはもっと高尚なものではなかろうか。返答を迷っているうちに、田中宏が続ける。
「俺の知り合いの社長がさ、ライターさんに会社の紹介記事を書いてほしいっつうのよ。だったらうちのマンションのケンちゃんに聞いてみるよーって持ち帰ってきたわけ。ケンちゃんこれからヒマ?」
「空いてはいますけど……」
「誕生日だし、ちょうどいいじゃん。お昼おごるし、社長んとこ行こう」
 田中宏は年に数回、こうして気まぐれにメシをおごってくれる。家賃収入で悠々自適のジジイだし、罪悪感なくおしようばんにあずかる。そもそも、俺が二十年以上にわたって払い続けている家賃が田中宏の資産になっているのは間違いない。
 田中宏はポケットからスマホを取り出し、電話をかける。
「もしもし? 田中です~。ライターの件、うちのケンちゃんがやってくれるって! 今から行っていい?」
 なぜかすでに引き受けることになっている。まぁジジイの口約束なんて適当なものだから、そんなに気にしちゃいない。通話を終えた田中宏は箒とちりとりを片付けて「よし行こう」と歩き出した。
「その会社って、何の会社ですか?」
「こんかつの会社だよ」
 俺の頭に揚げたてジューシーなトンカツが思い浮かんで、腹がぐぅっと鳴る。
「とんかつ?」
「いや、こんかつ」
 そこでようやく婚活という漢字が見えた。田中宏と婚活は遠すぎて、思い浮かばなかったのだ。
「結婚したい人の『婚活』で合ってます?」
「そうだよ。ケンちゃんがそんなこと言うからトンカツの口になっちゃったじゃん」
「俺もちょうど食べたいと思ってました」
 婚活なんて自分とは縁のないものだが、縁のないものでもそれらしく書く仕事をしているから動揺はない。しかし婚活を事業として掲げている会社がどんな会社なのか、どういう経緯で田中宏と知り合ったのか、多少気になるところである。
 田中宏に案内されたのは大学を挟んで向こう側にある雑居ビルだった。がたつくエレベーターで三階に上がると、目の前のドアに「ドリーム・ハピネス・プランニング」と書かれた白いプレートが掲げてある。田中宏はちゆうちよなくドアノブをひねり、「どうも~」と入っていった。
「あぁ、田中さん。すいませんねぇ」
 田中宏よりは幾分若そうな、といっても六十は過ぎていそうなスーツ姿の男が事務机から立ち上がって頭を下げた。その隣にも事務机があるが、誰も座っていない。机の前には四人がけの応接セットがあって、いまどきガラス製のごつい灰皿が載っている。
「ドリーム・ハピネス・プランニングのたかです」
 渡された名刺には「代表取締役社長 高野ゆたか」と書かれている。
「ちょうだいします」
 一応両手で受け取るぐらいのマナーは知っているが、ここ十年クライアントの顔が見えない仕事をしてきたから、生身の人間の応対に慣れていない。俺に仕事を依頼している人間も、こんな校長室ぐらいの広さしかないオフィスで働いているのかもしれない。
「どうぞ、おかけください」
 俺と田中宏は応接セットに並んで座り、その向かい側に社長が座った。
「ご足労いただいてすみません」
 社長が頭頂部の薄さを見せつけるかのように頭を下げた。
「ほら、ケンちゃん、自己紹介しないと」
 田中宏に促されて、あわてて口を開く。
「あっ、自分は、がわけんっていいます。田中さんのマンションに長く暮らしていて、ケンちゃんって呼ばれています」
 こういう説明を省くために名刺があるのだと身にしみる。
「そうですか」
 社長は目を細めてうなずいた。いや、よく考えたらあだ名を紹介している場合じゃない。
「主に在宅で、ライターの仕事をしています。田中さんから、弊……じゃない、御社が、記事を書いていただき……いや、書いてほしいとおっしゃっているとお聞きしまして」
 敬語で話す機会も全然なかったから、たどたどしくなってしまう。「主に在宅」と見栄を張ってしまったが、俺の書く記事は一〇〇パーセント在宅のこたつ記事だ。
「どんなお仕事をされてきたんですか?」
「フリーペーパーの記事とか、医療機関のホームページに載せる文章とか、幅広く書かせていただいています」
「それは心強いです」
 社長は俺をちゃんとしたライターだと思っているのだろうか。それはそれで荷が重い。
「田中さんから聞いているかもしれませんが、うちの会社は婚活事業を行っています。主に婚活パーティーの運営です」
 派手な男女がホテルの宴会場でワイワイやっている様子が浮かんできたが、そんな派手な男女は婚活パーティーに行かずとも相手が見つかるだろうし、もっと地味な男女に違いない。でも地味すぎてもパーティーに足が向かないだろうし、いったいどんな層が婚活パーティーに行くのだろう。
 しかもなぜこんな大学のすぐそばにオフィスを構えているのか、パーティーにはどんなふうに集客しているのか、疑問が次々と湧く中、社長はノートパソコンを持ってきた。
「まずは、ホームページにちゃんとした紹介記事ですとか、婚活お役立ち記事を掲載したいんですね」
 社長が画面をこちらに向けた瞬間、疑問の泉がストップした。ワードアートで作ったような「ドリーム・ハピネス・プランニング Since 1990」の文字に、一組の男女が婚礼衣装で並んだガサガサの写真が添えられている。
「なるほどですね……」
 冷静を装って、ビジネスマンに擬態する。
「このホームページ、いつ作ったの?」
 俺が訊けなかったことを田中宏があっさり質問してくれた。
「たぶん二十年ぐらい前かと」
 社長は表情を変えないで言う。
「だってこれ、ひろしのアレじゃん」
 田中宏がそこまでインターネット事情に通じているとは意外で、思わず噴き出してしまった。ドリーム・ハピネス・プランニングのホームページはどう見積もっても二〇〇〇年代初期に作られたHTMLサイトで、昔ながらのホームページとして名高い「阿部寛のホームページ」に近い趣があった。
「これ、ホームページビルダーで作られてます?」
 ホームページビルダーは実家ではじめて買ったパソコンに入っていたホームページ作成ソフトで、四十歳の俺でもかなり遠い記憶だ。もしこれを編集しろと言われても、できない自信がある。文字が左右に動くのって何のタグだろう。
「すみません、私にはよくわかりません。更新はスタッフにやってもらっています」
 社長の隣の事務机はただ置いてあるだけかと思っていたが、一応従業員はいるらしい。だけど若者がこんな会社に勤めているとは思えないし、昭和感満載の腕カバーをつけたおばちゃんかもしれない。
「あれっ、今夜もパーティーあるの?」
 田中宏に言われて画面を見ると、二〇二三年一〇月一〇日(火)一九時~のパーティーが告知されていて、思わず「マジか」と声が出た。このホームページ、生きている。
「ちなみに、猪名川さんは独身ですか?」
 もしかしてカモにされるのではないかと身構えたが、社長はさっきから一貫して丁寧だ。
「もちろん。うちのボロいマンションに住んでるのはみんな独り者だよ」
 田中宏のデリカシーのなさがもはや心地よく感じられる。
「よろしければ、参加されますか? 我が社の業務を理解していただく絶好の機会ですので」
 画面を見ると、男性の参加費は五千円。一文字二円の案件なら二五〇〇文字分というところである。しかも会場が佐北駅から三駅離れたはんがいということもあり、往復のバス代と電車代もそれに上乗せされる。
「あぁ、お代は結構ですよ。初回無料クーポンがございます」
 そう言って社長はジャケットの胸ポケットから「ドリーム・ハピネス・プランニング主催婚活パーティー初回無料クーポン」を取り出した。二〇二二年一二月三一日と書かれた有効期限を、社長は二重線で二〇二三年に訂正し、印鑑を押して俺に手渡す。
 年齢が三十九歳までとか、年収が五百万円以上とか、参加できない理由を探そうとしたが、今夜のパーティーは「二十五歳から四十五歳までならだれでもOK! 新しい出会いを求めるアナタへ」というオールカマーな内容らしかった。
「ケンちゃん、ちょうどよかったじゃん! あぁ、でも、ケンちゃんが結婚したら空室になっちゃって寂しいなぁ」
 田中宏のテンプレ的なうざい反応を笑って受け流す。
「参加されるのであれば、こちらの書類にご記入ください」
 もう参加することが決まっているようだ。面倒くさいから断りたいが、タダでメシが食えるなら悪い話じゃない。婚活パーティーといっても、全員が全員やる気に満ち溢れているわけでもないだろうし、端の方で佇んでいてもなんとかなるんじゃないか。だいたい俺みたいな低収入が婚活市場で人気なはずがない。
 社長が差し出した書類は宣誓書で、既婚者だったら罰金三十万円、迷惑行為が発覚したら罰金十万円といった物々しい事項が並んでいる。といっても普通に参加する分には関係ないはずだ。俺は「同意します」のチェックボックスにチェックを入れ、住所と氏名を書いた。
「身分証明書が必要になりますが、今お持ちですか?」
「マイナンバーカードでいいですか?」
「もちろんです」
 マイナポイント目当てで作ったマイナンバーカードを社長に見せる。運転免許証を持っていないから、保険証以外の身分証明書が手に入ったのは意外に便利だった。
「あれ? 今日お誕生日ですね。おめでとうございます」
 社長がはじめて笑顔を浮かべたことに気付き、ちょっとうれしくなってしまった。
「ありがとうございます」
「四十歳になられたんですね。うちのスタッフのかがみはらも同い年です」
 腕カバーをつけたおばちゃんのイメージが、同年代の女子に更新される。といっても同年代の女子と接する機会がないから、どんな感じかわからない。
「その人はお休み?」
「パーティーがある日は午後から出勤してくるんです」
 正社員を雇えるほど繁盛しているとは思えないが、パート社員なのだろうか。いろいろ疑問が生まれてくるものの、どこまで首を突っ込んでいいのかわからない。社長は「確認させていただきました」と俺にマイナンバーカードを返した。
「社長と田中さんはどうして知り合われたんですか?」
「俺も婚活パーティーに行ったのよ」
 なぜか田中宏は照れくさそうに頭をかいた。意外な事実だが、たしかに田中宏は独身だし、そういうこともあるのかもしれない。
「三ヶ月ほど前、佐北コミュニティセンターでシニア世代を対象にした婚活パーティーをさせていただきました。そのときはご挨拶をしただけでしたが、後日そば屋のカウンターで隣同士になり、田中さんから話しかけてくれたんです」
「うん。後から知ったんだけど、社長さんからは婚活パーティーに出てた人に話しかけちゃだめなんだって」
「婚活中であることを隠したい方もいらっしゃいますから、お客様のプライバシーはきちんと守らせていただいています」
 いずれにせよ田中宏は誰彼構わずペラペラ話しかけるタイプだから、社長から話しかける状況にはならなかっただろう。
「ライターさんをお願いする話も、鏡原からはネットで探したらいいと言われたんですけど、私はなにぶん古い考えの者ですから、顔が見える相手にお願いしたいなと」
 鏡原さんとやらの言うことはもっともで、ネットで探せば俺みたいな三文ライターはいくらでも見つかる。俺だってこんなふうにコネで頼まれるのは初めてだ。
「わかりました。まずは今夜のパーティーに出て、そこから記事作成の話を進めるということでよろしいでしょうか」
「はい、そうしていただけるとありがたいです」
 社長はまたうやうやしく頭を下げた。
「田中さんも、ありがとうございました」
「うん、よかったよかった」


 俺と田中宏はドリーム・ハピネス・プランニングを後にした。朝から何も食べていないから腹が減っている。
「今夜、ケンちゃんの運命の相手が見つかったりして」
「どうでしょうね」
「俺が生きてるうちに結婚式やってよ」
 田中宏はいつもの調子で笑ったけれど、そういえば俺より早く死ぬんだよなってちょっとセンチメンタルな気持ちになってしまった。俺だってもう四十歳で、人生の半分ぐらいには来ているだろう。
 俺たちは近くのトンカツ屋に入った。田中宏は「年を取るとヒレカツしか食べられない」とぼやきながらヒレカツ定食を注文し、俺はロースカツ定食を注文した。運ばれてきた小さなすり鉢でごまをすりながら、田中宏は先日参加した婚活パーティーの話をする。
「来てるのは全員ジジイかババアだからね。たいてい死別するか離婚してるかで、結婚経験があるわけよ。だからそんなに夢見てないっていうか、そばにいて苦にならない相手を探しに来てる感じだよね。俺もいいなって思う人がいたんだけど、やっぱりそういう人は人気でね。俺とはカップル成立しなかったよ」
 ジジイとババアがカップル成立で沸き立っている様子を想像すると笑ってしまうが、最近のジジババは元気だから、婚活をエンタメとして楽しんでいてもおかしくない。たぶん一生結婚しないだろうと諦めている俺より、よっぽどアクティブで楽しそうだ。
「うちの嫁さんも、ガンが見つかって一年ぐらいであっという間に死んじゃったからさ、俺なりにいろいろと後悔はあるわけよ。嫁さんの代わりってわけじゃないけど、一緒に過ごしてくれる人がいるといいなっていうのはどうしても思っちゃうよね。うちの子どもたちも、俺が婚活してるって言ったら『いい人見つかるといいね』って応援してくれたよ」
 俺の実家は在来線で一時間半の距離にあるが、両親がまだまだ元気で、妹が近くに住んでいるから特に心配していない。でも親が年老いて一人で暮らしていたら、再婚相手でも見つけてくれないかなと思ってしまうかもしれない。
「ケンちゃんも今は独身だけどさ、いつか結婚したくなって結婚するかもしれないじゃない。そのときは軽い気持ちでもしてみたらいいと思うんだよね。最近じゃ離婚するのも珍しくないからさ」
「まぁ、俺と結婚してくれるような相手が見つかったらですよね」
「いやいや、ほんとにわかんないよ。だって世の中、なんであの人結婚できたんだろうみたいな人いっぱいいるでしょ? そういう奇跡が起こらないとも限らないってこと」
 そういうふうに結婚をプッシュされるとうつとうしい。タイミングよくトンカツが運ばれてきたので、「そっすね」と適当に流してすり鉢に辛口ソースを注ぐ。ロースカツを一切れソースに浸して頰張ると、サクサクの衣が歯に心地よく当たった。
「うまいっすね」
 肉を嚙み締めながら麦ごはんをかきこむ。若い頃にはちやわん五杯はいけただろうが、四十路を迎えた胃袋はそこまでいけそうにない。体型は若い頃とそう変わっていないが、それはただ単に質素な暮らしをしているせいだ。すり鉢が出てくるトンカツ屋なんて、田中宏か親としか行かない。
「ケンちゃんが喜んでくれてよかった。お誕生日おめでとう!」
 ありがとう田中宏。腹が満たされていくうちに、田中宏に言われた結婚のあれこれもどうでもよくなっていく。今夜の婚活パーティーも適当に済ませたらいい。麦ごはんを一杯だけお代わりし、満足して店を出た。

 マンションに帰り、エレベーターで田中宏と別れて部屋に入った瞬間、急激に不安になってきた。本日四十歳になった俺こと猪名川健人、これまでに経験したことのない婚活パーティーに潜入するという。俺なんてだれからも見向きもされないだろうと自らに言い聞かせる一方で、ワンチャンあるんじゃないかという気持ちは捨てきれない。
 だいたい、どんな格好で行けばいいんだろう。社長みたいにスーツを着ていったほうがいいのかと思ったけれど、大学時代に持っていたリクルートスーツはとっくに捨てて、スーツとは縁のない人生を送っている。
 改めてドリーム・ハピネス・プランニングのホームページを確認してみると、「ギャラリー」のページにいつのものだかわからないパーティーの写真が載っていた。男女とも普通の私服のようだが、そもそもこれは実在したパーティーなのかどうかも怪しい。
 ホームページに載せる記事だったら、文章だけじゃなく画像も用意したほうがいいだろう。パーティーの写真を撮って使う場合は参加者の許可が必要だろうが、そんな簡単に許可してくれるとは思えない。AIで生成する手もあるが、どうしても不自然になる。
 パソコンを開いてメールを見ると、占い記事のクライアントから「問題ありませんでしたので納品完了とします。今月もありがとうございました!」と連絡が来ていた。納品した星座占いのてんびん座のらんを見てみると、「これまでにない良い運気が流れ込んでくる時期。新しいことにチャレンジしてみては?」と書いてある。我ながら適当すぎてどうしようもないが、担当者には「KENさんの星座占い、結構好評なんですよ」と言われている。こんな文章もじきにAIに取って代わられることだろう。
 どう甘く見積もってもこの先好転する未来が見えない。自分ひとりで生きていくならなんとかなるだろうと考えてやってきた結果がこれだ。田中宏のネットワークを利用し、ドリーム・ハピネス・プランニングのような潜在顧客を見つけて事業拡大する道もなくはないが、とにかく面倒くさい。
 四十にして惑わず、といったのは誰だったか。俺はすべてを投げ出して昼寝した。

 昼寝から目覚めた俺は、受注していた「ふるさと納税サイトの比較サイトの比較サイト」の記事作成を進めた。気付けば十八時になっていて、少しはマシな襟付きシャツに着替える。伸びていたひげもちゃんと剃った。出かけるのがおつくうになると思っていたのに、意外にワクワクしている自分がいて、俺にもそんな一面があったのかと新鮮だった。
 バスと電車を乗り継いで会場に向かう。スマホのナビに案内されて行き着いたのはスポーツバーだった。パーティー会場としても貸出しているようで、「本日貸切」の貼り紙がある。記事に使えるかもしれないので、入店する前にスマホで写真を撮っておいた。
 ドアを開けるとさっそく「受付」と書かれた紙の貼られた長机があり、パンツスーツのすらっとした女性が営業スマイルを浮かべて立っている。その背後にはパーテーションがあり、パーティー会場の様子は見えない。
「いらっしゃいませ」
 これがドリーム・ハピネス・プランニングで働いているという鏡原さんだろうか。ストレートの髪をひとつ結びにして、しっかりメイクを施している。企業の受付にいてもおかしくないような容貌で、あの雑然としたオフィスに勤めているとは思えない。でも同い年と言われればそんなふうにも見える。
「あの、今日のパーティーに参加する猪名川といいます。先ほど、社長にクーポンをもらいました」
 俺が初回無料クーポンを見せると、女性の顔から笑みが消えた。
「高野から聞きました。あなたが弊社の紹介記事を書いてくださるとか」
「はい」
「こちらのパーティー、無料だからといって冷やかしで参加されると困るんです」
 どうも様子がおかしい。参加をすすめてきたのは社長だし、もう少し歓迎されてもいいんじゃないか。
「我が社は真剣な出会いの場を提供しています。高野はあなたが独身だからということで誘ったのかもしれませんが、私は本気で結婚を考えている人以外は来てほしくありません」
 なぜこんなふうに説教されないといけないのか。だんだんムカついてきた。
「四十歳になり、真剣に結婚を考えています」
 俺が大きめの声で宣言すると、女性はウソみたいに笑顔になった。
「それでは、身分証明書の提示をお願いします」
 さっき社長にも見せたのに、二度手間だ。渋々マイナンバーカードを差し出すと、女性は俺が書いた宣誓書とマイナンバーカードを照合する。
「確認できました。ありがとうございます」
 プロフィールカードと「8」と書かれた名札を手渡してきた。
「そうしましたら、名札を首にかけてこちらからご入室ください。空いている席ならどちらに座っていただいても結構です。開始時間までにプロフィールカードにご記入ください」
 女性が流暢に説明を終えたところで、背後のドアが開いて次の客が入ってきた。会社帰りらしいスーツの男二人組だ。
「いらっしゃいませ」
 すでに俺のターンは終わったようだ。やっぱりスーツで来るような人が多いのだろうか。不安を覚えながら会場に入ると、そこには正方形のテーブルが四つ、椅子が四脚ずつ並んでいて、すでに半分以上の席が埋まっている。参加者同士話しているところもあれば、黙ってスマホをいじっている者、プロフィールカードに記入している者などさまざまだ。服装もバラバラで、大学の教室みたいである。
 自由席といっても自然と男女に分かれているようだったので、俺は男が二人座っているテーブルに着席した。
 机に置いてあったペンを握り、プロフィールカードに目を落とすと、名前に生年月日、身長に血液型といったパーソナルデータが求められていた。そこまでならまだよくて、職業と年収を書かなきゃならないのはキツい。というかほかの参加者はこんな個人情報をさらけ出して平気なのか? 本気の出会いと引き換えにするにはあまりにリスクがでかすぎるのではないか。
 ほかにも好きな食べ物や趣味、自分の長所やこれまでで一番うれしかったエピソードなど、なんとか絞り出して書き終えた。
 隣でスマホをいじっている男は三十代前半ぐらいだろうか。スーツではないがジャケットを着ていて、幾分ちゃんとしている。あのホームページを見てここに来たのか、別の媒体でここを知ったのか、めちゃくちゃ気になる。
 前の席の男はプロフィールカードを書いていた。パーカーにスニーカーで、俺と同レベルのやつもいるのだと安心する。名前欄には「たかし」と書いていて、俺はまた自分の失敗に気づく。プロフィールカードの名前欄にばっちり「猪名川健人」と書いてしまった。初心者丸出しである。
 しかし今さら消すこともできないしとうじうじ悩んでいるところへ、受付にいた女性がマイクを握って前に立った。
「お待たせしました。定刻となりましたので、ドリーム・ハピネス・プランニング主催、十月のウェルカムパーティーをはじめさせていただきます」
 球場のウグイス嬢を思わせる、美麗な発声だった。やっぱりちゃんとしたところから雇っている司会者なのかと思った次の瞬間、
「私は本日司会を務めます、ドリーム・ハピネス・プランニングの鏡原です。どうぞよろしくお願いいたします」
 と、その正体が判明した。参加者たちが一斉に拍手をしたので、俺も合わせて拍手する。改めて室内を見渡すと、男が八人、女が六人。もっと全然人がいないパターンも考えていたが、そんなものかと思える程度には人数がそろっていた。
「この夏の暑さもどこへやら、過ごしやすい日々が続いていますね。朝晩はちょっと寒いぐらいではないでしょうか。皆さまお風邪など引かれていませんか?」
 まさかの時候の挨拶である。
「本日は、まず一対一で五分ずつお話をしていただく時間を設けます。女性は固定で、男性が一席ずつずれていく形でお願いします。プロフィールカードを交換していただき、共通の趣味があればそれについてお話しいただいてもいいですし、勤務地が近かったらそのあたりのおいしいお店の話とか、なんでも構いません。もしもなにかお困りのことがありましたら左手を挙げてくだされば、私がすぐに参ります。それではすみませんが、女性の方から椅子を持ってこちらにご移動ください」
 鏡原さんは部屋の後方の空きスペースに移動し、女性を誘導した。みんな冷静に椅子を運んでいるが、ここまで客がするものなのかと思ってしまう。
「今日は男性の方が二人多いので、恐れ入りますが7番さんと8番さんは残っていただいて、1番さんから6番さんが先に移動していただけますか」
 俺はおそらく最後に申し込んだから8番さんなのだろう。1番さんはいつ申し込んでいるのかとか、疑問が膨らむ。
「このあと私がスタートの合図を出しますので、五分間自由にお話しください。終わったら番号順にずれていただいて、8番さんが1番さんのところに来て、6番さんはテーブルに戻ります」
 鏡原さんが説明するのを聞きつつ、六人並んだ女性をなんとはなしに眺める。見た目から察するに、みんな三十代だろうか。俺から見れば六人ともちゃんとおしゃれで、真っ当な生活を送っていそうだ。
「ではいきますよ。トークタイム、スタートです!」
 六組の男女がそれぞれ「こんばんは」と頭を下げ、プロフィールカードを交換して話し出す。俺の座っている場所からは女性の表情しか見えないが、みんなにこやかだ。あの六人全員と今から話をすると思ったら、にわかに緊張してきた。よく考えたら、家族や店員以外の女性と話すなんていつぶりだ?
 それぞれ話しているのは聞こえるが、内容まではわからない。改めて自分のプロフィールカードを見てみるけれど、職業「Webライター」から話は膨らむだろうか。もんもんと思い悩んでいるうちに五分が過ぎ、歯医者に行くときのような重い足取りで女性の1番さんの前に移動した。どんな顔をしていいかわからず、少しうつむいて時間を待つ。
「トークタイム、スタートです!」
 顔を見合わせ、「こんばんは」と頭を下げる。年の頃は三十代半ばぐらいだろうか。プロフィールカードを出してきたので、あわてて俺も自分のカードを差し出す。名前はアリサ、年齢は三十三歳。職業欄にはライターと書かれている。
「えっ、猪名川さんもライターなんですか?」
 俺より早くアリサが反応した。
「はい、偶然ですね」
 思ったよりすんなり言葉が出てきてほっとする。
「猪名川さんはこのパーティーをどうやって知ったんですか?」
 俺もほかの参加者に対して同じことを思っていたし、こういうところが気になるのはライターのさがだろうか。
「あ、えっと、知り合いにすすめられて。アリサさんは?」
 田中宏と社長の話をまとめるとそういうことになるだろう。
「わたしは最初、友達と一緒に来ました。この会社のパーティーが友達の職場で評判になってたらしいんです」
 あのホームページが思い浮かんで、思わず「えぇっ」と声が出た。令和の世の中で評判になるような会社とは思えない。知る人ぞ知る穴場みたいな感じだろうか。
「なんでも、あの鏡原さんが婚活マエストロとして有名で、たくさんのカップルを成立させてきたみたいですよ」
 婚活マエストロ。俺は心のなかで復唱し、鏡原さんの姿を探す。鏡原さんは壁際で気配を消し、ギリ微笑んでいるように見えなくもない表情で、トークしている俺たちを監視しているようだった。あれ、でも、マエストロって男のことじゃなかったか? 性別を超越する巨匠ってことだろうか。
「友達はさっそく相手が見つかって卒業しちゃったんですけど、わたしはその後も何度か来てます」
 俺はもう「そうですか」と返すので精一杯だった。本当に相手が見つかることなんてあるんだ。ドリーム・ハピネス・プランニング、恐るべしである。
「リピーターさんが多いんでしょうか」
「何度か見た顔はいますね」
 アリサはふふっと笑った。
「ふんふん、猪名川さんの最寄り駅は佐北駅なんですね」
「といってもバスで二十分ぐらいかかるんですけど。大学時代からずっと同じマンションに住んでて」
「えっ、二十年以上同じ部屋に住んでるってことですか? 面白いですね」
 まあまあ珍しい自覚はあったが、面白いと表現されるとは思わなかった。
「隣がローソンだから便利ですよ。築三十年を超えていて、大家さんが最上階に住んでるんです」
「へぇ、珍しい」
 もしもアリサと俺が付き合ったりしたら、田中宏がキューピッドってことになるのだろうか。
「大学を出てからずっとフリーなんですか?」
 なんでこんな根掘り葉掘り聞かれないといけないのかと思ってしまったが、真剣な出会いの場とはそういうものだろうと気を取り直す。たとえ全部を話したとして、アリサとはこの場限りの付き合いになる可能性が高い。大きなくくりの「仕事」とごまかすこともできるが、話してみるのも悪くないだろう。
「レンタルビデオ屋に勤めてたんです」
 大学の頃にバイトしていたレンタルビデオ屋で、なぜか俺は働きぶりが認められて正社員になったのだった。名の通った全国チェーンではなかったが、それでも県内で複数店舗を展開するような会社ではあった。
 しかしレンタルビデオ業界が辿った運命は皆の知る通りだ。会社はレンタルビデオ業界からの撤退を余儀なくされ、俺は職を失うことになる。残されたのはレンタルビデオ屋で働くスキルしかない三十路の独身男で、就職活動にも力が入らない。
 しばらく無職生活を送っていたころ、当時流行りはじめていたクラウドソーシングサイトを知った。登録して文章を書いてみたら、意外にハマって今に至る。
「へぇ~、そうなんですね」
 アリサは興味深そうにうなずいてくれた。
「アリサさんは?」
「わたしは小さい出版社に勤めていたんですけど、いろいろあって独立して、フリーでやってます」
 俺のような三文ライターとは違う、ちゃんとしたライターらしい。
「田舎に住んでる親が、そろそろ結婚しろってうるさくて。でも実際わたしも誰かと住みたいなって気持ちがあります。体調が悪いときとか、一人じゃつらいじゃないですか」
「そうですね、それはわかります」
「猪名川さんの親は結婚しろとか言いませんか?」
「あぁ、なんか諦められてるみたいで」
 妹が近くに住んで子育てしているため、孫の顔を見たいという念願は叶っている。俺はもう道を外さず生きていてくれたらいいと思われているらしかった。
「はい、五分経ちました。移動をお願いします」
 俺とアリサは「ありがとうございました」と頭を下げた。思ったより平気だったと晴れ晴れした気持ちで隣の椅子に移る。あとの五人とも過去の話や今の話を織り交ぜながら、トークタイムを終えた。
「皆さん、お疲れ様でした。気になるお相手は見つかりましたでしょうか。もし、この方と特にお話ししたいという方がいらっしゃったら、テーブルの上に用意しました『印象カード』にご記入ください。次のフリータイムでお話しできる確率がより高まります。もちろん、まだ決めかねる方は書かなくても構いません。続くフリータイムで、ぜひ積極的に話しかけてみてくださいね」
 なるほど、初参加者にもわかりやすい説明である。印象カードには気になる相手の番号と、メッセージを書く欄があった。1番のアリサとの会話が一番盛り上がった気がするが、指名するのはなんだか気恥ずかしい。
 男たちが印象カードを書きはじめるので、俺もペンを持って悩んでいるふりをする。その間、鏡原さんは参加者たちにグラスに入ったお茶を配る。
 そういえば俺はタダめしを期待してここに来たのだった。もしかして、食べ物は出ないのだろうか。食べ物が出ないのに五千円とは強気すぎないか。出されたお茶を口に含むと、実家の麦茶みたいな味がした。
 結局俺は印象カードを書けないまま、後半戦に突入した。
「それでは印象カードの結果を発表します。男性1番さんは、女性4番さんをご指名です」
 こんなふうにさらされるとは思ってなくて、書かなくてよかったとあんする。読み上げられた番号同士は目を見合わせて軽く会釈をしている。ほかの人は素知らぬ顔で鏡原さんに視線を向けているが、内心ドキドキしているに違いない。
 俺を気に入るような女性はいないと諦めていたから、男性8番さんと二回呼ばれたのには驚いた。一枚は1番のアリサ、もう一枚は3番のまこである。鏡原さんに案内されて、まずはまこと話すことになった。
「マイケルについてもうちょっと話したくて」
 まこは海外ドラマの『ミラクル・ヒューストン』にドはまりしているのだが、身近に見ている人がいないとのことだった。俺はつい最近海外ドラマランキングの記事を書くことになり、そのときに動画配信サイトで上位の海外ドラマをチェックしていた。ほぼ倍速で流し見しただけだが、『ミラクル・ヒューストン』のことはなんとなく覚えていて、登場人物のマイケルが印象的だったと話したら、まこの目が輝くのがわかった。
「本当に、第八話のマイケルの演技がたまらなくて……」
 さっきのトークタイムの続きとばかりにまこが語りだす。ドラマの内容は正直うろ覚えだったので適当に話を合わせていたが、まこの熱いマイケル語りを聞いているうちに記憶が蘇ってきた。
「リサが帰るときに、ほんの一瞬だけ目の色が変わるんですよね」
「そう! そこです! わたしもあのときのマイケルの切ない表情が忘れられなくて」
 まこは他にもマイケルのマニアックな萌えポイントを列挙し、俺は適当に相槌を打って会話を終えた。
「こんなにマイケルのこと語れたのはじめてです~。ありがとうございます」
 まこの表情は晴れやかで、俺ももう一度『ミラクル・ヒューストン』を見返してみたくなった。
 周囲に視線をやると、女性一人と男性二人が話しているのが目に入った。男のほうが人数が多かったし、こういう状況にもなるのだろう。
「8番さーん、今度は1番さんとお話しなさってはどうですか?」
 鏡原さんがアリサを連れてやってきた。
「あっ、はい」
 俺が承諾すると、鏡原さんは自然な様子でまこを次の相手のもとへと連れていく。
「慣れてきました?」
 アリサが先輩風を吹かせてきた。
「はい、まぁ」
「フリーだと、なかなか他人と話す機会がなかったりしますよね。わたしも普段はメールばっかりで、声を出すことが少なくて」
 俺たちはフリーランスあるあるや、最近手掛けた記事の話で盛り上がった。
「きのうは星座占いの記事を書いてました」
「ええっ、占いできるんですか?」
「まぁ、それらしいことは」
「それってインチキじゃないですか」
 アリサは楽しそうに声を上げて笑う。あんな三文記事、アリサが目にすることはないだろう。ほぼ一方的にマイケルの話を聞かされた後だと、アリサへの共感を強く感じる。印象カードで名指ししてくれたという事実も手伝い、ちょっといいかななんて思いはじめている。田中宏の言っていた「そばにいて苦にならないタイプ」ってこんな感じだろうか。
「それでは、みなさんお席に戻ってカップリングカードの記入をお願いします。第三希望まで書けますので、ぜひこの人ともっとお話ししたいという方の番号をお書きくださいね」
 いざ書くとなるとペンが止まる。もしかしたら近い将来、結婚するかもしれないのだ。こんな成り行きで出席した婚活パーティーで人生を決めてしまっていいのか? 相手に対しても失礼ではないか? 考えはじめたら逃げ出したくなってくる。
「お悩みですか?」
 鏡原さんが親切そうな笑みを浮かべて話しかけてきた。
「すいません。荷が重く感じてしまって」
「8番さん、私どもがここで提供しているのは『出会い』です。出会いはあくまで入り口に過ぎません。出会った二人がどこにたどり着くか、誰にもわからないんです。でも、ここにいらっしゃる皆さんは本気の出会いを求めて来られた方たちです。せっかくなら、すてきな出会いを持ち帰ってほしいというのが弊社の願いです」
 その言葉に、肩の力が抜けた気がした。たしかにみんながみんな結婚するわけじゃないし、もう少しアリサと話してみたいという気持ちだけで十分ではないか。俺はカードに「1」と書いて提出した。

 かくして、男性の8番さんこと俺と、女性の1番さんことアリサはカップル成立し、拍手で送り出されて近くのサイゼリヤに入った。
「婚活パーティーって食事が出ると思ってました」
「あぁ、出るところもあるんじゃないですかね。ここのパーティーは麦茶だけですけど」
 そう言ってアリサはメニューに目を落とす。サイゼリヤでもいいかと聞いた俺に、「わたしもサイゼリヤ好き」と笑顔を向けてくれた。
 俺は高級レストランなんか行けないし、こういうところで価値観が合うのは重要だ。たとえ恋愛に発展しなくても、楽しく食事ができたらいいなと思えた。
 俺がミラノ風ドリア、アリサはペペロンチーノを注文して、仕事の話になった。
「猪名川さんってペンネームあるんですか?」
「ペンネームってほどじゃないけど……アルファベットでKEN」
「そんな、たくさんいすぎて検索に引っかからないじゃないですか」
 アリサがスマホを見ながら笑う。
「はじめて気の合う人とマッチングできました」
 もしかしてアリサも運命を感じているのかと思ったら、急にドキドキしてきた。軽い気持ちで参加した婚活パーティーで運命の相手を見つけました、そんなウソみたいなイベントが俺の人生に起こるのだろうか。
「今度、ライターの勉強会があるんですけど、よかったら一緒に行きません?」
 なるほど、こうして人脈も増えるのかとうれしくなる。
「どんな勉強会ですか?」
「オンラインサロンで月商二千万円を稼いでいる人で、わたしたちにライターのノウハウを教えてくれるんです」
 ん? どうも雲行きが怪しくなってきた。いやしかし、アリサは同業者として親切で教えてくれているに違いない。
「あれ、アリサじゃん」
「わぁ~、ひらかわさん! 偶然ですね」
 スーツ姿の謎の男がアリサに馴れ馴れしく話しかけてきた。
「この方、猪名川さんっていうんですけど、ライターやってるんですって。今度の勉強会にお誘いしようと思って」
「えっ? そうなの?」
 俺はようやく事態を飲み込んだ。目の前で繰り広げられる仕組まれた茶番。アリサが俺をライター勉強会に誘い、偶然その関係者に会ったという。
「猪名川さんにとっても悪い話じゃないですよ。四十歳になって、ますます収入を増やしていきたくないですか?」
「勉強会は無料なんで、気軽に参加していただいて構いませんよ」
 平川という男が俺に語りかける。その様子はあくまで自然で、怪しさなど感じさせない。
「そうだ、平川さんもご一緒にどうですか? 猪名川さん、平川さんはフリーの編集者なんですよ」
 おいおい、俺たちは婚活パーティーでマッチングしていい感じになっていたんじゃなかったか。もうちょっとうまくやってくれよと言いたくなる。まさかドリーム・ハピネス・プランニングもグルだったのではあるまいか。
「すみません、俺、用事を思い出したので……」
「お待たせしました、ペペロンチーノとミラノ風ドリアになります」
 そこへタイミング悪く料理が運ばれてくる。
「いやいや、せっかくですし食べていってくださいよ。ねぇ、平川さん」
「うん、まずは話だけでも聞いてもらって」
 たしかに俺も腹は減っているのだ。しかしこいつらと関わり合いになりたくない気持ちのほうが大きい。
「あっ、さっき言ってた星座占いってこれですね。KENって書いてある」
 アリサがこっちに向けたスマホの画面には、まごうことなき俺のインチキ星座占いが載っている。しっぽをつかまれてしまって、逃げ出そうにも逃げ出せない。
「その先輩ももともと猪名川さんみたいな在宅ライターだったんです。それが、大きく稼ぐ方法を見つけて、今はみんなにシェアする段階に入っているんです」
 俺は沈む気持ちで適当な返事をしながらミラノ風ドリアを口に運ぶ。こんな状況でもサイゼリヤは安定してうまい。
「だから猪名川さんにも絶対悪い話じゃないですよ」
「そうそう。合わなかったら一回でやめてもらっていいし」
 一度引き込まれたら最後、カモにされるに決まっている。さて、俺はどうやってこの窮地を切り抜けたらいいのか。トイレになんて行かせてもらえないだろうし、スマホで助けを呼べたとしても来てくれそうな友達なんていない。
「すみません、興味ないので」
「最初は皆さんそうおっしゃるんですけど、興味がない人でも来てよかったって言ってくれるんですよ」
「猪名川さん、さっき、新しい分野を開拓したいって言ってたじゃないですか。わたしもこの勉強会で、世界が広がりました」
 アリサも平川も真剣そのものだ。もしかして本気で洗脳されているのかもしれない。行くふりをして当日ドタキャンとかできるだろうか。
「猪名川さんって、大学の近くにあるローソンの隣のマンションに住んでるって言ってましたよね。もしかして、ここですか?」
 アリサが今度はレジデンス田中を特定してきた。婚活パーティーなんて個人情報の宝庫じゃないか。これはもう終わったと思ったところへ、後ろのボックス席から人が立ち上がる気配があった。
かわむらさん、参加者への迷惑行為として十万円お支払いいただきます」
 振り向くと、鏡原さんが鋭い目つきでこっちを見ていた。
「そういうことをされると弊社としても困るんですよ」
 鏡原さんの向かいからつかつかと近寄ってきたのは社長だった。昼間の腰の低い態度とは似ても似つかぬ夜の雰囲気をまとっている。
「ドリーム・ハピネス・プランニングは安全安心の環境で本気の出会いを提供しておりますので」
「すみません、僕はたまたま通りかかっただけです」
 逃げ出そうとする平川の腕を社長が素早く捕まえる。
「お店に迷惑がかかるといけないし、外に出ましょうか」
 鏡原さんが言うと、アリサは引きつった笑みを浮かべた。
「やだなぁ、鏡原さん、わたしはただ猪名川さんを勉強会に誘っただけで……」
「先ほどの会話、全部録音しています。逃げられるとお思いですか?」
 鏡原さんが印籠のようにiPhoneを見せつける。
「お騒がせしてすみません」
 気付けばまわりの客がこちらを見ている。鏡原さんは落ち着いたトーンで謝罪し、アリサを連れて店を出ていった。社長も平川を連れて後に続き、俺はタイミングを逸して取り残される。だいたい、ここの支払いは誰がするんだ。食い逃げじゃないですよという顔で居座り、ミラノ風ドリアを食べ続けた。
 しばらくして、社長と鏡原さんが戻ってきて俺の前の席に並んで座った。
「猪名川さんにはご心配をおかけしてすみませんでした」
 社長はまた薄い頭頂部を見せるように頭を下げた。平川を連行したときの社長と比べたら、ふた回りぐらい小さくなった気がする。
「十万円払わせたんですか?」
「はい、あの男と割り勘で払わせました」
 鏡原さんが現金十万円を見せる。千円札と五千円札も交じっていて、リアルだ。
「てっきり御社もグルなのかと」
 俺が言うと、鏡原さんはわかりやすく顔をしかめた。
「そういう誤解を生むから、あのような問題客はらしめないといけないんです」
 アリサは前回のパーティーでも別の男にこうした勧誘を行い、苦情が来ていたそうだ。
「このような事態に巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。記事作成の仕事も、差し支えがあれば辞退していただいて構いません」
 さっきのせいの良さが幻のように、社長がぼそぼそ謝罪する。
「いえ、やらせてもらいます」
 俺は正直なところ、興奮していた。これを手放したら、また単調な日々に戻ってしまう。今日一日外に出ただけで、急激に気が大きくなっていた。
「結果、こういうことになってしまいましたが、婚活パーティーの流れはよくわかりました。もっと、御社のことを知りたいです」
 社長と鏡原さんが顔を見合わせる。
「次のイベントにも参加されますか?」
「いや、今度は参加者じゃなくて、ライターの取材として行かせてもらいます」
 俺が言うと、鏡原さんは口元を緩めた。
「それでは十一月二日十五時から、佐北コミュニティセンターで」
 こうして俺は四十代のスタートとともに、婚活業界に足を踏み入れたのだった。

▼宮島未奈「はじまりのことば」

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