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ピアニスト・藤田真央#10「ブラームス、ドビュッシー…ベルリンで再発見した作曲家たち」

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#11  9月25日(日)正午
#12  10月5日(水)正午

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 モーツァルトのピアノ・ソナタ全曲演奏を成したあと、わたしのなかで存在感を増したのはブラームスでした。
 ブラームスは音楽史的な位置付けでは、後期ロマン派に属する作曲家となります。けれど彼は時流からちょっと外れて、ベートーヴェンをはじめとする、自分よりすこし前の時代の作曲家に執心して研究に励みました。

 ブラームスが残した曲は、自分の感情を投影していくロマン派の流れとは明らかに異質なものだったので、生前は「時代遅れ」などと揶揄されることもありました。その分、いまのわたしたちからすると、独自の境地を築いていて、実におもしろいのです。

 たとえば《交響曲第4番 ホ短調 Op.98》第一楽章の冒頭は、主旋律が3度の移動を保って進行していきます。シンプルなモチーフを用いた展開なのに、そこに何かがうごめいているような気配が漂っていて心が揺さぶられます。作曲家としての巧さと凄みを感じさせますね。
 オーケストレーションもたいへん秀逸です。ここでこんな楽器を持ってくるのかと驚かされます。複雑なハーモニーの響きのなかに、温かみと重厚さが両立しているのも魅力でしょう。
 そんなふうに、ブラームスの音楽は随所に興味深い要素が盛り込まれておりますから、その分ピアニストとして対峙するのは手強く、なかなかに厄介です。
 わたしは今度の9月2日、ジョージアでのツィナンダリ音楽祭で、《ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 Op.15》を演奏する予定。なんとか自分のものにできるよう、鋭意練習に励んでいるところです。

 最近では今まで取り組んだことのなかったタイプの作曲家への関心も出てきています。モーツァルトにじっくり取り組んだことで、固定観念に囚われずに楽曲を解釈することの大切さに気付かされたのです。それまで自分が勝手に抱いていた「作曲家観」みたいなものから離れて、まっさらな気持ちで楽譜と格闘すると、思いがけない発見がある。このところ、再来年の自分の演奏活動の柱となるものを考えておりまして、候補として浮上してきたのは、ドビュッシーや初期のスクリャービンといったいわゆる「フランスの響きのあるもの」でした。

 これまでわたしはドイツやウィーンの作曲家を取り上げることが多く、ましてやドビュッシーに取り組もうと思ったことなどまったくありませんでした。なぜかというと、まず彼の生き方に賛成できない面があったから。《喜びの島》のように、愛人をもうけて不貞を繰り返すなかでつくられたとされる曲も多く、そういう出自の曲をわたしはどう受け止めて演奏すればいいのかという疑問が拭えなかったのです。

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