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ピアニスト・藤田真央エッセイ #45〈23000人の観客を前にして――チャイコフスキー第1番〉

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 8月19日のコンサート当日、私は午前中のうちに会場であるブロッサム・ミュージック・センターに向かった。ここは野外舞台で収容人数は23000人と桁外れの規模だ。関係者によるとチェロ界の英雄、ヨーヨー・マはバッハ《無伴奏チェロ組曲》公演にて、一人で5万人もの観客を会場に呼び寄せたという。しかし駆け出しのピアニスト・藤田真央は23000人収容の会場なぞ埋められないだろうと思っていたら、なんと予想に反しほぼ満員とのこと。
 嬉しい気持ちそのままに、ピアノの試弾を始めた。ポロポロと弾いてみると、さすがオープン・エア・ステージに選ばれたピアノ、遠くまで音を届けられる華やかな音色だ。しかしもう幾分ニュアンスの変化が欲しいところだが、それは私が引き出せばよかろう。このピアノと対峙しながら約1時間、ようやく特徴がつかめて来たところでふと目に入ったのが大型ビジョンだ。これでステージから遠くの席に座っていたとしても目は高画質の映像を、耳は生のサウンドを青空の下で楽しんでもらえそうだ。

 その後楽屋へ戻ったものの、アメリカでは毎度のことながら冷房が効きすぎて寒いため、外に出て散歩しようと思い立った。会場の周りにはたくさんの露店が立ち並んでいる。アメリカならではのホットドッグやハンバーガーのお店から漂うジャンキーな匂いに釣られ、人々が行列を成していた。ステージから一番遠い芝生のゾーンは無料視聴エリアになっており、開演まで3時間もあるにもかかわらず、大勢の人々がレジャーシートを敷いて場所取りに勤しんでいた。持ち込んだアウトドアチェアに腰掛け日光浴を楽しんでいる人や、すでに一杯引っ掛けている人、優雅に井戸端会議をするマダムなど、みな思い思いに楽しんでいるようだ。

 私も一人えいっと、芝生の上に大の字に寝転がり、陽光を浴びてみた。すると今まで胸のどこかに潜んでいた不安や恐れ、ストレスがスッと消えていくことを感じた。恍惚とはこういうものか……。目を開け体を起こすと、ビール片手に半裸のカウボーイのような男性がニヤニヤ「どうだ、日光浴は。悪くないだろう」と言いたげな表情をしていたので、私も「最高の気分でした!」の思いで微笑みを返した。

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