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朝倉かすみ「よむよむかたる」#005

戦時下の暮らし、息子の事故死――読書会で語られる
老人たちの思い出が、安田のある記憶を呼び起こすのだった

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 五月の例会は第二金曜にひらかれた。ゴールデンウィークを考慮してのくりのべで、そのことは前回終了後に郵送された「読む会通信」にでかでかと書いてあった。二重なみ線を下に引き、「注意!」「注意!」のギザギザ吹き出しで囲まれていた。
「注意!」は「読み」の区切りと各自の割り当てページ発表欄でも多用された。今回から各章を二回に分けて読んでいくのだそうである。「読み」を豊かにするためと、二十周年記念事業にキッチリ時間を割き、煮詰めていくためらしい。
 新型コロナウイルスの感染者数はじわじわ増えていたが、緊急事態宣言発令クラスの制限は設けられそうになかった。あらゆる場所やシーンで対策を講じるのは当たり前のことだったし、ひとりひとりの予防意識もとっくに常識となっている。

 喫茶シトロンの客足も徐々に戻ってきていた。貸切の予約は順調に入っているし、ランチタイムもまずまずの賑わいだ。先日などはローカルテレビ局の夕方の帯番組で紹介された。活発そうな女性リポーターが来店し、幼なじみみたいな親しさで安田に店の特徴や看板メニューを訊ねた。答えを聞くたびカメラに向かって大きくリアクションを取り、これを繰り返すという趣向で、五月の例会は開始時間の一時を過ぎてもこの話題で持ちきりだった。
「やっくんはテレビ映りがいいネェ」
「キムタクかと思ったよ」
「『二代目店主はイケメンマスター』って触れ込みでした」
「この喫茶店は前から知られてたけど、これでやっくん込みで人気に火がつきますね」
「わたしたちも鼻高々ですので」
「まず、あたしたちのやっくんだからね!」
 ねっ! とシルバニアと調子を合わせたマンマがやすに目を向け、「どうする? やっくん目当てで若い女の子が読む会に押しかけたら」とクククと笑い、安田があごに手をあて「となると、それはもはやぼくのファンクラブでは」ともっともらしくうなずくと、シルバニアが「マァしょってる!」とプププと吹き出す振りをして、みんなでワッハッハ、と、そんなくだりをもう何遍もやっていた。笑いが収まると、みんなの視線が会長のいつもの席に注がれる。ゴブラン織りのひじの座面のしゆうをなぞるように見ながら、「会長、遅いね」、「珍しいね」、「なしたんだろうね」とささやきかわした。句読点みたいな沈黙のあと、なにかを吹き飛ばすように「やっくんのテレビ出演」の話に戻るのだった。
 会長が姿を見せたのは午後二時近かった。自宅を出ようと靴を履いたところでフラフラッとなり、下駄箱にすがって持ちこたえようとしたのだが間に合わずに意識が遠のき、土間にべったり倒れてしまったらしい。ちょうど居合わせた娘さん―隣家に住んでいて毎日会長のようすを見がてらお菜を差し入れたり掃除洗濯の用を足したりしてくれる―が物音に気づき駆けつけて、低血糖と判断し、ブドウ糖代わりのオロナミンCを飲ませてくれた。その甲斐あって回復した会長は当然すぐさま出かけようとしたのだが、ちょっとお父さん、今日は一日ゆっくりしていたらどうなの、と娘に引き止められ、バカモン、そういうわけにはいかないのだ、といつかつして振り切ろうとした結果、だいぶめたというのが遅刻の原因らしい。
「『さっきまで死にそうだったのにケロッとした途端にこうだ』と娘がまー憎さげな顔して親のあたくしを偉そうになじるですよ。『一回くらい休むのがなんだっていうの』とか『お父さんはさぁ、自分が行かないと読む会が始まらないって力み返ってるけど、お父さんがいなくてもちゃーんと始まるんだって。なんならいないほうがみんなノビノビできていいかもなんだって。ひとりやふたり休んだところで大勢に影響なんてないんだってばさってばサァ!』とコッチの心臓が止まりそうなことを口角泡を飛ばす勢いでまくし立てましてねぇ。実の娘とは思えんですよ」
 会長はため息をついた。皆も一斉に大きな息を吐く。

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