千葉ともこ×新川帆立│私たちはこうして作家になった――【前篇】デビューへの道
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◆小説を書き始めたのは
千葉 私が小説を書き始めたのは、大学を卒業して小説教室に入ってからです。学生時代はお芝居の脚本を書いていましたが、あくまで学生のサークル活動レベルでした。そして社会人になって、小説を書いてみたいな、と思って入ったのが山村正夫記念小説講座(以下、教室)です。そこを選んだのは、ガイドを見て。教室の出身者として宮部みゆきさんのお名前があって、大ファンでしたから、宮部さんみたいになれるかもと思ったんです(笑)。
新川 私は二十六歳の時、千葉さんと一緒で教室に入って初めて小説を書きました。大学を出てからは弁護士として働いていたんですが、忙しくて体調を崩してしまって……それを機に生活を見つめ直すうちにやっぱり小説を書きたいという想いが募って、教室に入りました。
もともと高校生、十六歳くらいの時から小説を書きたいと思っていたんですけど、どこから始めていいか分からない。そのうち作家になれたらいいなと思って社会に出て、働いてみたけど、やっぱり小説家を目指したい、みたいな。そこで私も小説教室を調べてみて、同じように宮部さんのお名前を見つけて山村教室にたどり着きました。
私が教室に入った時はちょうど千葉さんが「オール讀物新人賞」(*現在はジャンルを特化し「オール讀物歴史時代小説新人賞」にリニューアル)の候補になっていて、すごい、デビュー一歩手前の人がいるんだ、と思っていました。千葉さんは憧れの存在で、教室のテキストに載っていた作品も楽しみに読んでいましたね。
千葉 それを言うなら、新川さんこそすごい子が入ってきたと噂になっていました。作品は面白いし、アイディアとか作中のエピソードも鮮烈で。
新川 ただ教室では、作品についてお互いにアドバイスするのは禁止だったんですよね。
千葉 そう、お互いの作品を講評するのは禁止。どうしても的外れな意見でミスリードする危険性があったり、狭い教室内での人気投票になってしまうから。経験のある編集者の目で講評するのとは違うということですね。
新川 その代わり私は、在籍していた時は全受講生の作品を読んでいました。三ヶ月1クールで、三十~八十枚の作品が五十本。それを必ず読んで、講評を聞いていました。
◆小説教室の利点
新川 教室に通ってよかったのは、自分の書くべき方向性をアドバイスいただけたこと。もともとファンタジーとかSFを書きたいと思っていたんですが、最初はその筆力がなくて、講師や編集者の方からまずは自分の身近なところを深く書けるようになりなさい、それから書く範囲を少しずつ広げていきなさい、とアドバイスされました。それをせずにいろんなものをちょこちょこ書いていると、小器用に浅く書く作家になってしまって、作家の底力がつかないと。それはその通りだと思って、まずは自分にとって身近な設定――同じ年齢で、女性、弁護士の主人公を書いたらデビューにつながった、というのがあります。
それと、私はいつも明るい話になってしまうんです。しっとりした話とか、あるいは怖い話、えぐい話やイヤミスが書きたくても書けない。でもそれも講師の先生から、暗い話を書く作家はたくさんいるから、明るい話が書けるならそれを書きなさいと言われました。
今年、『元彼の遺言状』『競争の番人』と自分の作品が二作続けてテレビドラマ化されたので、プロデューサーになぜ私の作品を選んだのか訊いたら、その時間枠のドラマには明るい話がよかったと言われたんです。自分はそれしか書けないとネガティブに思っていたのだけど、アドバイスどおりに書いて良かったです。
千葉 私もミステリーとかおしゃれな恋愛小説にも憧れて書いていたんですけど、賞に応募して選考に残るのは中国の時代小説ばかり。でも教室にゲストでいらっしゃる編集者の方に、中国ものはパイが小さいしジャンルとして商業的にも難しいと、善意でアドバイスをされたこともあって。迷っていたら、講師の方に「好きなんでしょ、中国もの。それなら思い切り中国時代小説に淫しなさい」と言われたんです。それで、分かりました、と。中国ものが好きだという思いを大事にする決意ができました。
大学で中国史を専攻したわけではないし、専門的な知識には太刀打ちできないです。でもオタク的な、好きで好きで仕方ないのめりこみ方はまた別のものだと思うので、そこで勝負したいと思いました。講師の言葉は背中を押してくれましたね。
新川 講師は継続的に見てくださっているから、この人にはこちらと、資質が見えているのかもしれませんね。
千葉 大人になると、仕事以外であんまり怒られることなんてないじゃないですか。それなのに教室では手を抜いたりするとすごく怒られて、怖かった。技術的なこととか、自分でもこれではダメだと分かっているところは講師にもバレていて、「ここは怠けたね」なんてよく指摘されていました。
新川 私はそういうことは言われなかったですね。でも、前半ノリノリで書いているのに後半、飽きているでしょう、と言われた。あなたは性格を直しなさいって(笑)。人によってアドバイスが違ったんですね。
講師以外にも、教室では千葉さんみたいな創作仲間ができたのはすごくよかった。
千葉 そうそう、大きいんですよ。まず自分のデビュー前に、すでにデビューしている作家のそばにいられるというのは全然違う。人間って、実際に目で見ているものに引っ張られるでしょう。デビューする――つまりたくさんの応募者の中からたった一人選ばれる、超難関を突破する事態が自分に起こるとはなかなか想像できないけど、でも実際にそれを成し遂げた人がすぐ横にいるんです。
新川 確かに。作家って遠い存在なんだけど、そばに〝実物〟がいると、もしかしたら自分もなれるかもと、夢を追い続ける気持ちになれました。
千葉 自分もできるかも、と思えることが重要なんです。
新川 私は二年前、『このミステリーがすごい!』大賞の〆切に向けて書いていたんですけど、「とんでもない駄作を書いてしまったー!」と自分で思い込んで、今年は応募しないで来年に向けてゆっくり改稿しようかなと、自宅近くの公園で反省会をしていたんです。そこへ千葉さんが松本清張賞を受賞したという一報が届いて、「新人賞ってとれるんだ、じゃあ私も出してみよう」と思って応募したんです。そうしたら受賞した。翌年に回したところでデビューできたか分からないし、そういう意味で千葉さんに背中を押してもらったなと思います。
千葉 私自身も、清張賞の応募作が実は規定枚数をすごくオーバーしていることに、〆切直前に気づいて。推敲も満足にできなかったし、今年は諦めて来年にしようかとちょっと思ったのだけど、いま応募しないとダメな気がして、そこから頑張って原稿を削って、規定枚数に収めたんです。やっぱりタイミングってあるんだなと思いますね。
新川 そうやって自分より先にデビューする人が同じ教室にいても、嫉妬することはなかったですね。自分では、そういう嫉妬心がないことが作家としてのgood pointではないかと思ってるんですが(笑)。羨ましいなとは思うけれど、負の感情には転化しないタイプです。
千葉 私は仕事も子育てもしていたから、とにかく時間がない。嫉妬に囚われていると、それこそ書く時間がなくなるんです。子供がいると、余計なことを考える時間がなくなるのがいいですね。それに身近な人がデビューすると、いろいろ具体的なことを聞けます。
西尾潤さん(大藪春彦新人賞受賞)がデビューした時も、神様がくれたギフトみたいに思いました。最終選考に残ってからの改稿をどうするとか、編集者とのやりとりの仕方とか、当事者しか分からないことを聞けたので、得した気分になりました。
新川 プラスになると思います。周りで頑張ってる人がいると自分も頑張ろうと思うし、結果を出している人がいれば、ちゃんと結果は出るんだと思える。運は連動しているというか、運を分けてもらう感覚です。
千葉 とはいえ、教室に入ったばっかりの頃は結構しんどかったのも事実です。仕事はしていたけれどまだ独身で、あとから教室に入った七尾与史さんとか土橋章宏さんがすぐデビューされたので、持っている人と持っていない人はいるんだな、という思いはありました。だから、持っていないなら持っていないなりに、やり方はあるはずと気持ちを切り替えて。
◆いざ、デビュー!
新川 私は教室に入って丸二年でデビューできました。でも私の場合はデビューするまで一度も一次選考に残ったこともなくて、初めて一次に残ったと思ったらそのまま大賞を受賞したんです。投稿者界隈って、「オレ何次まで行った」とマウント取る人いるんですよ(笑)。だから私も、一次にも行ったことないヤツっていう扱いを受けたことはあって、それは嫌でした。ただ自分の実感として、教室に通って筆力が上がっていたので、そのうちデビューできるとは思っていたんですけど。
千葉 私はデビューまで十八年間、教室に通いました。入った時は二~三年やって芽が出なかったら別の道に行ったほうがいいと、当時の講師に言われていたのだけど、そのたびにゲストで北方謙三さんとか赤川次郎さんがいらっしゃるんですよ。あの方たちを間近で見て、自分の作品を講評してもらって、懇親会でお話しすると、もう足洗えないです(笑)。小説を書かない生活には戻れない。そんな機会があったのも、教室のよかったところです。
新川 いまはお互い作家同士で、愚痴を聞いてもらえるのがいちばん助けられますね。
千葉 私が最初に目指したのは、「オール讀物新人賞」でした。そもそもは第一回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した酒見賢一さんの『後宮小説』を読んでこの世界に憧れたんですけど、ファンタジーノベルはしばらく休止していたんですよね。それに、私の場合はファンタジーだけでなく歴史を扱ったものもやりたいし、じつは長編を書いたことがなかった。そうすると、枚数や過去の受賞作から考えて、オール新人賞がいちばん相性がいいな、と。「エンタメ観」といえばいいのか、これが面白いと感じる感性が各賞で微妙に違うと思うのだけど、自分と同じエンタメ観を持っていて、作家を育てようとしてくれる編集者に食らいついていきたいという気持ちがありました。それが、私にとっては文藝春秋だったかな。
新川 同門でオール新人賞を受賞した坂井希久子さんの影響もあるのでは?
千葉 それは大いにあります。あと何より、オール新人賞は私が好きな小説を書いている作家さん、坂井さんや、木下昌輝さんなどが受賞していて、ここの編集者なら間違いないという思いがありました。
エンタメ観とか、何に対して問題意識を持っているのか、たとえば私が社会問題に対して持っている意識とかも、文藝春秋の編集者は否定しないでくれると感じたんです。会社によっては何よりも売れることを優先する場合もあると思うんです。商業である以上、それは最重要の使命ですし。でも私が小説を書きたいのはその価値観だけではない、だから売れることを優先する会社にアタックするのはやめました。そして、文春の賞に狙いを絞り、短編のオール新人賞と長編の松本清張賞の両方を受賞するのを目標にしました。両賞受賞は過去にいなかったので。
新川 私もオール新人賞に二度出しましたよ! 新人賞に応募していた期間は二年間ですけど、その他にも大藪新人賞とか「女による女のためのR―18文学賞」とか、手当たり次第に出していました。短編は〆切に間に合わせやすくて応募の機会も多いし。どの賞に応募するか目標を定めてはいなかったんですけど、最初はどこに向いているか分からないからとにかく出してみて、一次に通るところがあれば相性がいいのだろうからそこに集中して出そう、という気持ちでいました。で、ずっと一次にも通らずにいたので、その作戦は実行されなかったんですけど(笑)。賞によって好みというか、どの要素に力点を置くかという違いはあって、応募者との相性はきっとあるんだろうなといまでも思います。
千葉 私は選考委員の一覧表を作って、応募する前にはひと通り作品を読んでいました。何を面白いと思うか、何に問題意識を持っているのか知りたくて。だからと言って自分の作品を変えるわけではないけれど、最終選考に残ったら、こういう作品を書く人に読まれるんだな、と参考にするような気持ちで。
新川 私は投稿初心者過ぎて、選考委員にまで気を配るレベルじゃなかった(笑)。でも「傾向と対策」はガチガチにしました。それって、読者のことを考えることと同義だと思うんです。みんなが何を読みたいのかを頭の隅に置いて書くのは大事。賞の場合は、その先に読者がいて、出版社もそこを見据えているのだから、傾向と対策を考えるのは必須かなと。
ただ、ネットで安易に傾向を探る、そういうのは違うと思うんです。「特殊設定ものが続けて受賞しているから、その路線だ」みたいな短絡的な発想は危険。私の場合は、このミス大賞は過去の選評が全て読めるし、作品も出版されているから、それを読んでどこが評価されているのか確認してから書きました。
その賞が求めているものに合わせるというのは、自分が書きたいものを捨てるということとは違います。それは両立できると思うんです。自分を曲げるのではなくて、思いやりを持って書いているということじゃないでしょうか。
千葉 「両立できる」に激しく同意です。対策としては、過去の受賞作を参考にするのがまずひとつ。あと私は、自分とエンタメ観が近い作家、自分はこういう作家になりたいと思う作家が輩出されている賞に応募しよう、と考えました。
書いている時は、教室に来る各社の編集者の顔を思い出しながら、こう書いたら喜んでもらえるだろうか、とか考えながらでしたね。書くのに苦労はするけれど、エンタメなので読み手には楽しんでもらいたいですから。
作家になっていま思うことは――
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プロフィール
千葉ともこ(ちば・ともこ)
1979年、茨城県生まれ。筑波大学日本語・日本文化学類卒業。2020年、中国・唐の時代を舞台に苛烈な運命に抗う兄妹を描いた『震雷の人』で第27回松本清張賞を受賞し、デビュー。22年5月に第二作となる『戴天』を刊行。同作で第11回日本歴史時代作家協会賞新人賞を受賞。
新川帆立(しんかわ・ほたて)
1991年、米国テキサス州ダラス生まれ、宮崎県宮崎市育ち。東京大学法学部卒業、同法科大学院修了後、弁護士として勤務。2020年、『元彼の遺言状』で第19回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞。同作は22年4月に、さらに新刊『競争の番人』も7月にフジテレビ「月9」枠でテレビドラマ化された。最新作は『先祖探偵』。
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