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二宮敦人 #006「サマーレスキュー ポリゴンを駆け抜けろ!」

小学4年生の春、千香とおじいちゃんが作り上げた
「ランドクラフト」のワールド「おひさま帝国」の建国記念日はもうすぐ。
みんなきっと楽しみにしてくれる、そう思っていたけれど……

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 あれは小学四年生の春だった。
「どうだい、学習塾は」
 安楽椅子で祖父が揺れている。
「うーん、テストが多いから嫌。宿題も多いし。どうしてこんなに勉強ばっかりさせられるんだろう」
 千香はフローリングに寝っ転がりながら、テレビを眺めていた。
「お母さんは、ちかちゃんの将来が心配なんだよ」
「ずるいよ。そう言われたら、子供は反論できないもん」
 祖父が困ったように微笑んでいたので、千香は付け加える。
「でも、帰りにこうしてくにちゃんの家に寄っていけるから、まあまあ楽しいよ」
「そうかい」
「くにちゃんは元気? こないだ、病院に行ったって聞いたけど」
 祖父はヘリコプターの形をした玩具を棚から取り、ねじを巻いた。
「なあに、ただの検査だよ。年を取ったからね、時々見てもらうんだ」
 ぱっと手を離す。プロペラが回り、ヘリコプターは吹き抜けを越えて二階まで飛び上がっていく。うわあっ、と祖母が大げさに驚く声が聞こえてきて、千香はくすくす笑う。
「それよりちかちゃん、今年もアニバーサリーはするの?」
「あ、そっか。もうそんな時期だね」
 千香は鞄を開く。塾のテキストが何冊か出てきた。これじゃない。その下から「おひさま王国、建国計画⑮」と書かれたノートを取り出して広げ、ボールペンを握る。
「今年の建国記念日は、派手にやりたいなあ。くにちゃん、何かいい案ある?」
「そうだね。メロディブロックで音楽を流したら、ダンスパーティみたいなことができるかも」
「それ、いいと思う。じゃあお城の庭にダンスフロアを作ろう」
「石ブロックの上にカーペットを引いたら、それっぽくなりそうだね」
「そうだ、花火も打ち上げたいな」
 アニバーサリーという概念を教えてくれたのも、毎回色んなアイデアを出してくれるのも、祖父だ。自分のワールドを作ってから、千香は毎年欠かさずお祝いのイベントを開いてきた。
「今年もお友達を招くのかな」
「うん。巧己と祥一でしょ、前のクラスの子たちに、新しいクラスのみんな。塾のお友達も少し……みんなが来たら、四十人くらいになるかも。ちょっと多すぎるかな」
 指折り数えていって、ふと千香は顔を上げた。祖父が優しい目でこちらを見つめている。
「どうしたの、くにちゃん」
「いいや。巧己君っていうのは、なに大臣だったっけ」
「探検大臣。祥一が道路大臣」
 そっか、と頷く祖父。
「最初のアニバーサリーは、ちかちゃんとおじいちゃんだけでやったのにね」
「まだまだ。おひさま王国はもっともっと、大きくなっていくよ」
「そうだね。おじいちゃん、安心だよ」
 にっこり笑った唇の端には、深い皺。頭髪も眉毛も真っ白で、とんがった鼻には染みが見える。熟れた果実のようなオーデコロンの匂い。ずっと同い年のお友達のような気分でいたけれど、千香は初めて相手の年齢を意識した。
 くにちゃん、ちょっとやせたみたい。

 アニバーサリーのプランが決まると、忙しくなった。
 ダンスフロアを作ったり花火を準備したり、ケーキなどの食料アイテムを用意したり、仕事は山ほどある。日中は祖父に材料を集めてもらい、学校が終わったら千香が作業をする、という役割分担だ。
「くにちゃん、エメラルドブロック、もっと欲しいんだけど」
「なかなか見つからなくてね。近くの鉱山は掘り尽くしちゃったし」
「頑張って! このままじゃ半分、張りぼてになっちゃう。お客さん、がっかりしちゃうよ」
「はいはい」
 千香は張り切っていた。クラス替え直後の、今が肝心なのである。
 去年のアニバーサリーでは、ランドクラフト博物館を作ってクラスメイトを招待した。レアなブロックやアイテムを展示し、内装にもこだわった。自分でも素晴らしいと思ったのは、モンスターエリアである。ゾンビやスケルトンといったモンスターをガラスの檻に閉じ込め、スリル満点のアトラクションに仕立て上げた。ナビゲーターの役目は巧己と祥一が引き受けてくれた。
 招かれたクラスメイトたちが歓声を上げるのを聞き、千香はほくそ笑んだ。
 次の月曜日には千香はクラスのランドクラフト博士になっていて、おひさま王国の国民名簿は、一挙に三十四人に膨れ上がったのである。
 今年もまた、三十人くらい国民が増えるかもしれない。
 そう考えるといてもたってもいられなくなった。帰りの会が終わってランドセルを背負う巧己に計画をそっと耳打ちしたけれど、返ってきた言葉は「へー、すげえじゃん!」だけ。
 去年のように「ねえねえ、俺は? 俺は何をしたらいい?」とか「なあ、千香のダイヤブロック一つくれよ! 代わりにドラゴン倒してきてやるから」とか、言ってはくれなかった。
「よし、そろそろ行こうぜ」
「おう」
 他の男子に引っ張られていく巧己を、千香は慌てて引き留める。
「巧己、今日はランドクラフトできる? アニバーサリーの準備、一緒にしようよ」
「あー、悪い。俺これから野球に行くんだよ。帰ってきたら眠くなっちゃうし、今日は無理だ」
「野球チームなんか入ってたっけ」
「入れて貰ったんだ。一人でフライキャッチしてたら、監督が声をかけてくれてさ。まだルールもうろ覚えなんだけど、面白いんだよ。千香もどう」
「私はいいかな」
「そっか。じゃ、また明日な!」
 相変わらずのやせっぽちだけど、少し背が伸びて日焼けした巧己は、そう言って元気よく教室を飛び出していく。
 仕方ない、なら祥一を誘おうと教室を見回したけれど、さっきまで後ろの席でぼうっとしていた色白の男子の姿はなかった。千香は慌てて廊下に出ると、たくさんの本を両手に抱えて図書室に入っていく背を捕まえた。
「祥一、どこ行くの」
「いや。アッピアが」
「アッピア?」
「古代ローマの道。アッピア街道」
 何かの聞き間違いかと思ったら、本当にアッピアだった。祥一はアッピア、アッピアとうわごとのように繰り返しながら、ずり落ちかけた眼鏡を肩で戻し、図書室に入っていく。仕方なく千香も後に続いた。
「これ、返却お願いします。それからアッピア街道の本、入りましたか」
 図書の先生がパソコンを操作して、無愛想に「まだみたい」と言う。
「どうして、こんなことに」
 祥一はしばらく魂が抜けたように立ち尽くしていたが、やがて千香の袖を引いて部屋の隅へと歩いていった。
「さあ千香、この紙に名前を書いて。それからアッピア街道について熱い想いをつづるんだ」
 差し出された白い紙には、「ほん・しりょうのリクエスト」とある。
「あそこに集計結果が貼り出されてるだろ。ひどいもんだよ。一位から十位まで小説とマンガばっかり。全部まくってアッピア街道の本を入れて貰うには、情熱で上回るしかない」
 祥一はすらすらと用紙に鉛筆を走らせ、ぎっしり字で埋め尽くすと、集計ボックスに放り込む。そのまま二枚目に取りかかった。
「そんなに読みたいの、その本」
「うん。親にねだってもいいんだけど、この前九千八百円の図鑑を買ってもらったばかりだから、ちょっとね。最初はただ古代ローマに興味があったんだけど。このアッピア街道が作られるまでの経緯が面白くて、調べているうちに春休みが終わってた」
「ちょっと話は変わるんだけど、ランドクラフトのさ」
「それでね、ふと思ったんだ。アッピア街道の敷石から、古代ローマを眺めたらどんな感じだったかって。石の視点から、一つの帝国の興亡をレポートにまとめられないかなと。わくわくしてこない? でも、資料がたくさんいるんだよ」
 何を言っているのかよくわからない。
「ほら千香、早く書いて。一枚じゃ足りないよ。五十枚くらい書いて」
 どうして、こんなことに。
 千香は適当に文章を綴りながら、もう一度切り出した。
「祥一。ランドクラフトでまた、アニバーサリーをやろうと思うんだけど」
「あ、そうなんだ。おひさま王国、だっけ。二年生の時、僕が作った道はまだ残ってる?」
「もちろんだよ、道路大臣。それでね、今回はダンスフロアを作って」
「あのゲームはよくできてるよね。道一つとっても、癖が出るんだ。巧己は通れればそれでいいって感じで雑に作るし、千香は坂やカーブをなだらかにしようとする。僕はやっぱり、整備が気になるから……どこから石材を運んでくるかとか、水はけとか、考えながら作るんだ。その点、アッピア街道はね」
 ああ、だめだ。千香は頭を抱えた。
 一度夢中になったら、祥一は全部それだけになってしまう。
「もうわかったよ、とにかく来週の土曜日、アニバーサリーパーティやるから、時間があったら来てね。それだけ」
 背を向ける千香に、声がかけられた。
「あ、千香。あと十枚でいいから、この紙書いてって」
 以前と反応が違ったのは、巧己と祥一だけではなかった。クラスメイトの反応は一様に鈍かった。
「ランドクラフト? もう飽きちゃった。千香はまだやってるんだ」
「俺、習い事始めてさ。そんな暇ないんだよ」
 そんなことを言われながらも、千香は頑張った。先生に許可を貰ってクラスの掲示板にお知らせを貼り、一人一人に手書きの招待状を配った。土曜日、ランドクラフトで「おひさま王国」ワールドに集合、もしくは千香の家までどうぞ。
 その日のうちにゴミ箱にいくつか招待状が入っているのを見たけれど、まだ千香は楽観視していた。
 きっと当日になれば、みんなは来てくれるだろう。
 三十人は無理でも、二十人は来るはずだ。何をするのか気になっている人が、それくらいは絶対いる。巧己や祥一も、きっと来てくれる。用意したダンスフロアを見て、ケーキを見て、花火を見て、驚いてくれる。
 だってこんなにランドクラフトは面白いんだから。ずっとやり続けてもまだ、私の心を捉えて離さないんだから——。

 昨日はポリゴン殺人鬼の悪夢で起きてしまった千香だが、今日はぐっすり眠れた。でも少しだけ枕が涙で濡れていた。
 千香はまぶたを拭いながら起き上がった。
 外から小鳥の声がする。
 久しぶりに朝早く目が覚めた。昨日、巧己と別れて帰ってきてから部屋に閉じこもり、三人分のサンドイッチをやけ食いして、そのままふて寝したせいだろう。体調は悪くない。
 よし、と顔をはたく。
 今日こそちゃんとやるぞ。
 そう自分に言い聞かせて机の上を見る。英語の参考書たちは、ごつい面構えでにらみ返してきた。ひるむことなく椅子に座ると、千香は真新しいノートを開き、ペンを手に取った。
 しばらく無心で問題に取り組んでいく。
 いい感じ、と思っていたその時だった。
 けたたましくスマートフォンが鳴った。見ると、クラスメイトの一人から電話である。
 集中している日に限ってこれだ。仕方なくタッチパネルに触れ、スマートフォンを耳に当てた。
「もしもし?」
「あ、千香か。なあ、巧己どこに行ったか知らないか? いないんだよ」
「え、いない?」
「そう。今日、元三小のやつらで野球するって言ってたのに」
「あー。今ちょっと、立て込んでるのかもよ」
「でもさ、何の連絡もなしっておかしくないか。あいつその辺、意外としっかりしてるでしょ」
「巧己には電話してみたの」
「出ない。家にかけたら巧己の親が出たんだけど、昨日から帰ってないらしい」
「昨日から? それ、本当なの」
「祥一と一緒に勉強合宿だそうだ。でもその祥一も電話に出ないんだよな。千香なら知ってるかと思ったんだけど」
 嫌な予感がして、足が震えた。
「私も調べてみるね。ありがとう」
 電話を切る。胸騒ぎが激しくなった。
「お母さん。私、ちょっと祥一の家に行ってくる」
 階段を駆け下りながら叫ぶと、台所から母が顔を出した。
「え? 何なの急に。ご飯はどうするの。またサンドイッチ作ろうか」
「今日は大丈夫だから!」
 千香は財布とスマートフォンだけ握りしめ、そのまま家を飛び出した。うだるような蒸し暑い空気の中、黒く分厚い雲が空を覆っていた。

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