ピアニスト・藤田真央#16「亡き恩師・野島稔先生のレパートリーを――モーツァルト《ピアノ協奏曲 第27番》」
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◆モーツァルト最後のコンツェルト
11月30日の東京・サントリーホールでのコンサートを終えた翌日から、わたしは一時ベルリンに戻って来ています。12月下旬にはまた日本に帰ってきて、コンサートで全国を廻る予定です。そのまま日本で年越しをしまして、来年1月からは再びモーツァルト漬けの日々が始まります。
まずは、1月14日、15日、16日。それぞれ松本、宇都宮、東京で、オーケストラ・アンサンブル金沢との共演です。アレッサンドロ・ボナートの指揮のもと、モーツァルトの《ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K. 467》と《ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K. 595》を演奏します。
《第21番》は1785年、モーツァルトが29歳のときにウィーンで書いた曲です。前作《ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K. 466》のほの暗さから一転、華やかで賑やかな「モーツァルトらしい」作品と言えるでしょう。〈第2楽章 Andante〉はシンプルなスケールが美しく展開しますし、軽やかなロンド形式の〈第3楽章 Allegro vivace assai〉も素晴らしい。モーツァルトのお茶目でチャーミングな魅力が溢れていると思います。
《第27番》は1791年、モーツァルトが亡くなる約1年前に完成した、彼が最後に手掛けたコンツェルトです。この曲はモーツァルトの作品のなかでも群を抜いて技巧的なつくりになっていることが特徴です。
特に〈第1楽章 Allegro〉は、転調を多用した複雑な展開が面白い。主題部が意外な調で登場したかと思えば、その後絶妙なタイミングですっと変ロ長調に戻るのです。また、提示部の終結部では、2度ずつ主旋律が下りていく、半音階的な音の動きがみられます。これは後に《ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 Op.53》などでベートーヴェンも用いた技法なのですが、実はモーツァルトがそれより10年も前に取り入れていたというのは驚くべきことでしょう。
それまでのモーツァルトの作品には、”天才”が仕掛けたサプライズとでもいうような、即興によって生まれたのであろうギミックが多かった。弾いていると、なんだかいたずらっ子のように舌を出しながら曲づくりをしているモーツァルトの姿が思い浮かびます。
しかし《第27番》は違う。チャーミングに出されたその舌を引っ込めて、徹底してテクニカルな構成で攻めている。考え抜くというプロセスなしに、この曲が生まれるわけがない。実際、曲のラフスケッチから完成までに2年の月日を要したという説もありますね。
けれどまさか、この曲が人生最後のコンツェルトになるなんて、モーツァルト自身は夢にも思っていなかったでしょうね。
◆恩師・野島先生のレパートリー
この《第27番》を、特別な曲として挙げるピアニストは数限りなくいます。クララ・ハスキルやロベール・カサドシュ、そしてヴェルヘルム・バックハウスといったレジェンドたちの演奏はいまでも伝説として語り継がれていますし、名盤とされるレコードもいくつも残されています。
今年5月に旅立たれたわたしの恩師・野島稔先生にとってもまた、この曲は大切なレパートリーの一つでした。そしてわたしが初めて聴いた先生のコンツェルトの演奏も、この《第27番》だったのです。
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