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円居挽|『煉獄の時』は笠井潔がその才を注ぎ込んだ芸術作品にして大傑作である

 本格ミステリーの第一人者、笠井潔かさいきよしさんがデビュー時から書き続けるライフワーク〈矢吹駆やぶきかけるシリーズ〉。前作から11年の月日を経て、待望の最新作『煉獄れんごくの時』がついに刊行されました。
 探偵役の矢吹駆と著名な知識人をモデルとした人物が繰り広げる哲学論戦と、本格ミステリーの融合――。独特の世界観を持つこのシリーズですが、今回は雑誌掲載時から大幅な加筆と改稿を施し、800ページを超える大作となりました。この作品の魅力を、円居挽まどいばんさんが読み解きます。

 最初に断っておくと私は笠井潔氏の、ひいては矢吹駆シリーズの決して良い読者ではない。それはミステリーに対する個人的嗜好の問題もあるが、何より氏のデビューから併走している同世代のファンや氏を信奉する熱心な読者に比べて情熱で劣っているからだ。だから矢吹駆シリーズといえば氏の鮮烈なデビュー作である『バイバイ、エンジェル』とキャリアハイの超長編『哲学者の密室』の二作の記憶しか残っていなかった。
 しかしそんな私から見ても『煉獄の時』が本格ミステリーの大傑作であることは疑いようがない。
 簡単に本書のあらすじを紹介しよう。ナディア・モガールと矢吹駆は著名な作家であるシスモンディから手紙が消失した謎を解き明かしてほしいと依頼される。手紙の差出人であるクレールはシスモンディのパートナーであり戦後フランス思想家の頂点とも言える存在で、その私信を悪用しようとする者はいくらでもいる。事件の早期解決を望む一方で肝心の手紙の内容には口をつぐむシスモンディだったが、消えた手紙をネタにした謎の呼び出しに応じてしまう。そしてそんなシスモンディに同行したナディアは奇妙な屍体に出会う。その全裸の女性の屍体は謎の装飾をされた上、首を切り落とされていたのだ。
 消えた手紙の行方とその中身、そして奇妙な首なし屍体……謎は次々と積み上げられていくが、ナディアの恩師であるリヴィエール教授から捜査の突破口となる昔話が語られる……と、過去編に入るまでで約150ページ、最近の文庫本ならこれだけで一冊分だ。
 それにしても実に硬く、高密度な本だ。普通のミステリーならある程度はパラグラフ単位で事前に予測ができるし、内容もそれなりに頭に流れ込んでくるものだが、この『煉獄の時』ときたら頭をフルに働かせないと読み進められない。しかし素敵な味わいだ。咀嚼そしやくももどかしく呑み込んでいくような読書はいつぶりだろうか。
 さて、本格ミステリーにおける謎には純度を上げすぎると現実世界で扱いにくくなってしまうという問題がある。だから作者は必要とあれば時にゼロから作品世界を創造する。しかしここで『チェーホフの銃』と呼ばれる作劇ルールが問題になる。「舞台に出された銃は、使われなければならない」というお約束のことだ。これを「物語に不要な要素を盛り込むべきではない」とするのは『チェーホフの銃』の一面的な解釈かもしれないが、「作品的に意味のないもの・必要のないものは存在しない」世界というのはどうしてもどこか書き割りめいてしまうし、場合によっては登場人物まで人形めいてしまう。まるで塵一つない世界で、体臭もない登場人物たちが筋書き通りに動かされているようなものだ。勿論、作品世界の書き割り性をどこまで許容できるかについては個人の好みも多分に入るが、ミステリー「小説」である以上は作中人物が織りなすドラマが弱くていいことはないだろう。
 しかし『煉獄の時』は極めて異質な謎を扱った本格ミステリーでありながら、伝奇の技法を使って水と油のような諸要素を乳化させることに成功している。例えば戦前のフランスに秘密結社『無頭人アセファル』が存在したことは史実であるが、史実であるから重みがあるし、謎を描くのに必要な背景が書き割りにはならない。そして関係者たちも事件のために生み出された者ばかりではないから、事件とは無関係に己の人生を生きていく……『チェーホフの銃』を徹底すると、書き割りと人形だらけになってしまうジレンマの解決策として極めてスマートだ。実際、読みながらパリの街に舞い散る砂埃や革命で流れた血の匂いまでイメージできたぐらいだ(まあ、言うは易く行うはかたしというか、あれだけ意志の強い登場人物ばかりでは物語を収束させるのに並々ならぬ苦労があったはずだ)。
 読み終えてから振り返るとこんなに綺麗にピースが噛み合うものかと感心してしまうのだが、勿論それは作者が現実から膨大なピースを拾い集め、根気よく組み合わせていった結果だというのは承知している。だからあの終章すら史実由来だと知った時は仰天した。
 本書は現代編と現代編の間に長い過去編が挟まるという構成で、同じ構成を持つ『哲学者の密室』とはある意味で双児であると言えよう。更にこの過去編は『バイバイ、エンジェル』の前日譚プリクエルという側面も持つ。そして過去編の主人公は『バイバイ、エンジェル』でのキーマン、イヴォン・デュ・ラブナンその人……ここで語られる彼の青春の物語こそ『煉獄の時』の本番なのだ。
 理想に燃えて戦場に飛び込み、厳しい現実に打ちのめされてパリに戻ってきたイヴォン青年はメランコリアの最中にあった。そんなイヴォンに訪れる様々な出会いと別れ……しかしイヴォンが生きているのはよくあるフィクションのようにのっぺりとした善悪がある世界ではない。理想と現実の間にある埋めがたい矛盾に苦しむイヴォンは時代や国の違いこそあれ、まぎれもなく我々と同じ人間だと感じられる(例えば理想に裏切られた青年に「現実」を説く年長者の図……有史以来繰り返された光景だが本書のそれはなんとも胸に染みる)。この過去編で描かれる、すれ違い続ける運命の儚い恋や決して同志にはなれない年長活動家との奇妙な友情が『煉獄の時』を傑作に押し上げているのは既読者なら異論はないだろう。
 この過去編、シリーズでもおなじみの偉人モデルの登場人物が沢山登場しているのもあるが、その乱れ打ち感が凄く、いつにもまして豪華である。しかしそんな偉人たちに囲まれているにもかかわらず、イヴォンの存在感はいささかもかげっていない。元々、83年生まれの私は革命を心から信じて活動していた先達のことを理解できる環境になかったし、矢吹駆シリーズへの思い入れがさほどなかった原因もそういうところにあると思うのだが、そんな私でもイヴォンが語る革命への理想と苦悩には胸を打たれた。
 それにしても『バイバイ、エンジェル』では幽霊ルヴナン同然の扱いだったイヴォンが本作で熱き血潮の流れる人間として甦っている絶妙さが本書の味を一層引き立てているのは間違いない。この過去編から尋常でない熱量を感じるのは、笠井潔氏が矢吹駆を創造するにあたって敢えて吹き込まなかった若き革命家としての魂をイヴォンに託したからだろうか。
 ……このままだと過去編の話ばかりしてしまいそうになるが、『煉獄の時』は本格ミステリーとしてもよくできているという話もしなければならない。本作で扱われている〝趣向〟は割とオーソドックスなもので、扱う手つきも古典ミステリーのそれで個人的にはとても嬉しかった。何より『バイバイ、エンジェル』で既に扱った首なし屍体というテーマを敢えてまた持ってくるなんて、まるでデビュー時の自分自身と対峙するかのような覚悟と気合いが見えるようではないか。
 だが恐ろしいことに『煉獄の時』は連載版から大幅に加筆され、結果的に犯人まで変わったという。読む前には「犯人が変わるほどの大改稿をしたら、それはもうゼロからの書き直しと同じレベルでは?」と思ったものだが、仮に連載版の真相が書籍版の例の推理へスライドされたというのなら一応理解はできる。が、やはりそれは狂気の沙汰としか言いようがない。(もしやデビュー時の自分自身と対峙するのに飽き足らず、連載時の自分自身と格闘を始めたのだろうか?)
 基本的に本格ミステリーは大オチから逆算して作っていくものだ。そのために世界を作り、ストーリーを練り、登場人物を配置していく……書き上げてしまった物語の大オチを変えては世界は瓦解がかいしかねない。まして一度連載をした作品であるし、連載当時の真相でも本格ミステリーとしては綺麗で収まりもいい筈なのに、それを捨て去るなんて、まさに首を切り落とすような暴挙だ。
 実は本書には岡本太郎を思わせる人物が出てきて重要な役割を果たす。その岡本太郎の言葉に「うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」というものがあるが、本書の大改稿はまさにそれを地で行っているような気がする。一度綺麗に終わったものを敢えて放棄し、約10年の大改稿の末に、より相応ふさわしい真相を接いでしまう……その接ぎ目と新たに接がれたものをまじまじと直視すると「何もそこまでしなくても」と「よくぞここまで」という矛盾した思いが生じてしまう。
『煉獄の時』を実際に読むまでは手紙の消失はホップ、首なし屍体をステップとして、大ジャンプで駆とサルトル(のような老思想家)が熾烈しれつな論戦を繰り広げるミステリーだと思っていた……何よりそういうものを期待して読むのが矢吹駆シリーズだろう。ところがその想像は大きく裏切られた。この長大なミステリーに象嵌ぞうがんされたイヴォンの青春は現実と非現実を馴染ませる役目を果たしているのだが、同時に本作を大きく浸食していた。勿論、内容は間違いなく矢吹駆シリーズではあるし、手紙の消失や首なし屍体の謎も綺麗に解明されるし、サルトルが客演している意味もしっかりとあるのだが、それでいてイヴォン・デュ・ラブナンの物語になってしまっているのだ。しかしシリーズ作品としては捻れとも呼ぶべき部分が本書を傑作たらしめている。
『煉獄の時』はどんな大天才だろうが最初から書こうと思って書けるものではなく(何故ならこんなプロットはいきなり作れないからだ)、笠井潔がその才を注ぎ込んで苦闘の末に作り上げた芸術作品……そういう認識だ。
『煉獄の時』が笠井潔ファンや矢吹駆シリーズ読者へのご褒美のような一冊であるのは間違いないが、私のような不真面目な読者でも楽しめたのだから、本書から入門するのも決して悪くないと思う。むしろシリーズ未読者にこそ本書の後に『バイバイ、エンジェル』を読んでほしい。

『煉獄の時』(笠井潔・著/文藝春秋刊)
著者のライフワーク〈矢吹駆シリーズ〉11年ぶりの最新作、800ページの超大作!
1978年6月。ナディアは著名な作家のシスモンディに、友人・矢吹駆を紹介する。シスモンディのパートナーであり、戦後フランス思想家の頂点に立つクレールが彼女にあてた手紙が消失した謎を駆に解き明かしてほしいというのだ。しかし手紙をネタに誘い出されたシスモンディとナディアは、セーヌ川に係留中の船で全裸の女性の首なし屍体を発見する。事件の調査のためリヴィエール教授を訪ねると、彼は若き日の友人、イヴォン・デュ・ラブナンのことを語り始める。39年前、イヴォンも首なし屍体事件に遭遇したというのだ――。
時空を超え広がる謎の迷宮に、矢吹駆が挑む!

◆プロフィール
円居挽(まどい・ばん)
1983年、奈良県生まれ。京都大学卒業。京都大学推理小説研究会出身。2009年『丸太町ルヴォワール』で単行本デビュー。著書に「ルヴォワール」シリーズ、「シャーロック・ノート」シリーズ、「キングレオ」シリーズ、「京都なぞとき四季報」シリーズなど多数。共著に『円居挽のミステリ塾』がある。


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