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直木賞ノミネート! 『光のとこにいてね』はこうして生まれた―― 一穂ミチロングインタビュー

 一穂ミチさんの最新長篇『光のとこにいてね』。のんという二人の少女が出逢い、かけがえのない関係を築いていく――このたびこの物語が、第168回直木賞にノミネートされました。
 本作はいかに着想され、育まれたのか?
 ご本人にとっても確かな手応えがあったという執筆のもようを、じっくり伺いました。

作家の書き出し Vol.22
〈インタビュー・構成:瀧井朝世〉

◆運命に抗う少女たち

——『別冊文藝春秋』で連載されていた『光のとこにいてね』がついに単行本となりました。ある団地で偶然出会った二人の七歳の少女が交流を深めたものの、突如会えなくなり、やがて意外な再会を果たし……。連載開始の際のエッセイ「はじまりのことば」で、依頼がきた時はノープランだったけど、お友達と温泉に行って……というお話を書かれていましたね。

一穂 そうなんです。たまたま友達と温泉施設に行って。そこでのんびり過ごしているうちに、こういうところに同性の恋人同士で来たら楽しいだろうなと思って。異性同士だと大浴場に浸かる時間が共有できないから、同性同士がいいなと思ったんです。そこから少しずつ考えていきました。

 最初は、年に一回スーパー銭湯みたいなところで一緒にお風呂に入って別れるだけの二人の話を考えたんですが、でもそれだと長篇になるイメージが湧かなくて。その後、女性同士のメロドラマというか、格差のある二人の姿が浮かんできました。大げさに言うと「貧富の差」、みたいな。たとえば住宅街のなかにもエリアがあって、上流階級の家族が集う場所と、そうじゃない場所には透明な壁がありますよね。そういう、本来、交わらないはずの二人が、予期せぬ場所で出会うお話はどうかなと。

——裕福な家庭に育ったは七歳の時に母親に連れられ、郊外にある寂れた団地を訪れる。そこでしばらく一人で待たされるうちに、少女と出会います。それが、団地で母親と二人で暮らす、同い年ののんでした。家庭環境のまったく異なる二人は週に一回、団地の公園で会って交流を深めていく。二人が幼いうちに出会うイメージは最初からあったのですか。

一穂 小さい頃の家庭環境の違いは大きくなっても付きまとう、みたいなところを書きたかったんだと思います。今の時代、ある程度お金のある家に生まれないと満足に勉強もできないというシビアさをひしひしと感じるんです。なにも与えられない環境に生まれた子が、頑張った末に違う世界の子の隣に堂々と立つ、なんてことはかなり難しい気がします。自分は子どもの頃、そうした家庭の経済的な違いをよく分かっていませんでした。違いを意識しないのが子どもの良いところでもあり、残酷なところなのかもしれません。

——たしかに二人は、格差など意識せずに親しくなりますよね。それぞれの家庭環境については、どのように考えていましたか。

一穂 果遠に関しては、貧しい家庭だということで、必然的にメインの働き手となりうる男の人がいない家庭になりました。で、お母さんは、また違った部分で面倒くさい人だという……。

——果遠の母親は、添加物やせんの服などを嫌い、娘にシャンプーも使わせないような人ですよね。生活にこだわりがあって、さらに、それだけではない一面も見えてきます。

一穂 傍から見たらめちゃくちゃですけれど、たぶん本人の中では整合性があるんですよね。内省をせず、「誰も私のことを分かってくれない」と本気で思っていそうなタイプです。

——結珠の家庭は父方が医者一家で、兄も結珠も将来医者になるのが当然とされている。ただ、兄は両親に可愛がられていますが、結珠に関しては父も母も無関心ですよね。こと母親は、妙に結珠に冷たくて、それが不気味といいますか。

一穂 実際に殴ったり怒鳴ったりはしない母親の怖さを書こうと思いました。周囲に相談しても、「それくらい大したことない」と言われるだけで、分かってもらえなそうですよね。

 結珠の悩みって、なかなか他人に伝わらないと思うんです。お金に困っているわけでも、家から追い出されるわけでもなく、衣食住の面倒も見てもらっているから問題ないじゃないか、と言われそうな気がします。そうであっても、家族にどうでもいい存在として扱われ続けて毎日を過ごしていると、子どもの心はこれだけすり減ってしまうんだ、というところが伝わるように書こうと考えるうちに、ああいう環境になりました。

——母親は、あえて結珠が嫌がるようなことをしますよね。

一穂 母親にしてみれば、娘の自我みたいなものが煩わしいんだと思います。

 じつは最初、お母さんはもっと分かりやすく怖い女性だったんですが、あからさまな虐待とか加害行為ではないからこその辛さを描きたいと思い、いまの母親像に行き着きました。

◆高校生になり、もう一度出会った二人

——そんな母親がなぜ団地に通っていたかも、後々分かってきます。ただ、結珠と果遠はある日を境に突然会えなくなり、時が過ぎ、高校で再会する。結珠が通う女子校に果遠が入ってくるんですよね。この女子校の日常の様子も面白かったです。

一穂 私が通っていた高校は共学だったので、ミッション系のお嬢様女子校に通っていた知り合いに話を聞きました。作中で書いた、クリスマスのミサにココアを作るというのも、その子から聞いたお話です。お金持ちの子たちが通う女子校ってマウントの取り合いがあるのかと思ったら、まったくそんなことはなく、むしろみんなおっとりしたいい子たちばっかりだったそうです。実際、彼女もおだやかなお嬢さんでした。そういう意味で、良い子ばかりの女子校の様子が書けて良かったなと思っています。特に果遠の中では、楽しい思い出がたくさんできた時期だと思うので。

——二人は再会しても表立って仲良くするわけではないですよね。初等部から通っている結珠はもう校内で人間関係ができあがっているし、高校から入学してきた果遠は孤高の存在で、美しい容姿も相まって、周囲から一目置かれている。

一穂 二人とも少し大人になっているんですよね。果遠には、いまの自分が結珠に近寄ったら迷惑かもしれないという理性が働いているし、結珠は結珠で、そういうふうに振る舞う果遠に自分から歩み寄っていくタイプではない。それに結珠の場合、自分が果遠と親しくしたら、周囲の子たちが「自分も仲良くなれるかも」と思って果遠に近づくだろうから、それが嫌だという、独占欲のようなものもあったかもしれません。

——だから結珠は、周囲の目がない時に限って果遠に話しかけるわけですね。二人がよく顔をあわせる学校の図書室に飾られているギュスターヴ・ル・グレイの写真が印象的でした。空と海を別々に撮って、ふたつのネガを一枚の印画紙に焼き付けた作品。ネットで実際の写真を観ましたが、明暗がはっきり出ていて印象的でした。

一穂 以前、写真評論家のたけうちさんの『沈黙とイメージ——写真をめぐるエッセイ』という本を読んで知った作品でした。竹内さんのエッセイ自体もとても良いものですが、紹介されている作品の中で特に、ル・グレイの写真が印象に残ったんです。それで、いつかどこかで出したいなと思っていました。自分がいいなと思った作品を書いて残しておくことができるのは、小説を書いていてよかったなと思うことのひとつですね。

——その空と海と光のイメージが、第3章の舞台となる半島の本州最南端にある海辺の街の、空と海と光のイメージに繫がっていきます。この街には、馴染みがあったのですか。

一穂 ずいぶん前に訪ねたことがあって、今回、後半の舞台をそこにしようと思ってからまた実際に行ってみました。第3章を書く前に一度、それから終盤を書く際に、結珠たちと同じ道を通ってみたいと思って、もう一度。

 そもそも、大阪に住んでいると、和歌山ってもっとも身近な「秘境」なんです。しらはままでなら2時間半で行けるんですが、しんぐうあたりまで行こうと思うと特急でも5時間近くかかる。和歌山の南のほう、紀伊山地はどこから行くにしてもやっぱりちょっと遠いんです。東京の方だと、北海道や沖縄のほうが飛行機で行ける分近いでしょう。二人にとってはそういう場所であることが、大事だったのかなと思います。

——そんな遠い場所で二人が再会するなんて偶然がすぎる……と思ったら、納得できる理由もありますね。大人になった二人がその土地で再会した時、それぞれ傍らには男性のパートナーがいる。この男性二人がまた異なるタイプで……。

一穂 結珠の相手に関しては、彼の愛情はきっと、結珠を慕う果遠という存在に出会ったことでますます確かなものになったのだろうと思っています。果たして、果遠の存在を抜きにして、あんなにも結珠を好きになっただろうかと。分かりやすく言うと、単推しから箱推しになったというか、二人の関係性自体にも惹かれていたのかなと思います。ニコイチで推したい気持ちと、自分の独占欲や愛情が常に拮抗している感じとでもいいましょうか。やっぱり推しが一番輝いているのは、自分ではなくこの子といる時だなと思うと、悔しさはあるけれど、というのもあって……。

——分かりやすい説明(笑)。

一穂 果遠の相手は、一言でいうと、いい人ですよね。真っ直ぐで、地元を愛していて、だからこそ、果遠を思う気持ちと、果遠をうとんじる自分の実家との間で心を痛めている。

 彼らについては、DVをするとか分かりやすい欠点をもった男性にはすまいと決めていて、それだと、男対女の物語に逸れてしまうと思ったんです。「だったら男を捨てればいいじゃん」という、簡単な話にもなってしまいますし。

◆結珠と果遠、二人を結びつけているものは

——複雑な人間模様の中で、果遠と結珠の間で唯一無二の関係性が育っていきますよね。それにあえて言葉を与えるとするなら、友情なのか、恋愛なのか、連帯なのか……。著者の中ではどういうイメージでしたか。

一穂 自分でも書きながら、そこを作者が無理にコントロールするのはやめようと思っていました。しいていえば、二人が手にしていたのは、愛情の原液みたいなものなのかもしれません。小さい頃って仲良しの子とは毎日会っても足りなくて、たまに晩御飯を一緒に食べたりお泊りしたりできると夢のようで。同じ時間を過ごすことがすごく大事だという、そうした愛情の原液みたいなものがこの二人にもあったと思うんです。私は小さい頃、自分の母親を見ていて、友達とたまにしか会わないのが不思議だったんですよ。毎日会いたくならないのかな、たまにしか会わないなんてそんなの友達じゃないだろう、って。愛情の原液を原液のまま抱えて大人になったら、この二人のようなことも起こるんじゃないかなと想像しています。果遠は終盤、「明日も明後日も会いたい」と言いますが、二人にとっての望みといえば、結局もう、それしかないのかなと。

 でもたぶん、一緒に生活するとなったら毎日喧嘩している気がします(笑)。結珠が口うるさく「なんで使ったものを元に戻さないの」とか言って、果遠が「いいじゃんそれくらい」みたいに返して、という。

——小さい頃に愛情の原液を共有したにしても、なぜ二人にとって互いがここまで大切な存在になったのだと思いますか。

一穂 心の柔らかいうちに出会って、ある程度自分をさらけ出していた相手に対しては、もう隠してもしょうがない、格好つけてもしょうがない、みたいな気持ちが生まれるのかなと。ある程度成長して、自分を守るということを憶えてから出会った人には、なかなかそこまでオープンになれなかったりする。歳の近い従姉妹が、ちょっとそんな感じかもしれないですね。私にはいないんですけれど、姉妹もそうかもしれません。

 二人の間には、お互いが傷ついて生きてきたことを、お互いだけが知っているという、労わり合いのようなものがあると思います。果遠は、結珠が一見すごくしっかりして落ち着いているけれど、実はすごく傷つきやすいと知っているし、結珠は、果遠が一見図太いようでいて、実は非常に苦労人で、自分が当たり前に与えられてきたものをひとつも持っていなくて、でもそういう環境に腐らず生きてきたと知っている。それに対する尊敬みたいなものもきっとあるでしょうね。


——この二人がどうなるのか、物語のラストについては最初からイメージはありましたか。

一穂 いや、なかったですね。どうなるのかなと思いながら書いていました。たとえば、歳をとっておばあちゃんになってから一緒に暮らしましょうみたいな人生も、それはそれですごく素敵だなとは思ったんですけれども……。

——全体を通して、「光のとこにいてね」という言葉や思いがリフレインしますね。

一穂 連載前の、まだお話を考えている頃に緊急事態宣言が出て、ステイホームしながらちょくちょく散歩して桜を見に行っていたんです。地面に桜の花びらが積もって、そこに木漏れ日があたっている様子が綺麗で、ぼーっと眺めたりして。こんな時でも桜は綺麗だな、なんて思いながら歩いていたのと、別のある時、習い事に行くらしき女の子を見かけたんですよ。小学校低学年くらいで、バレエスクールに行くのか髪の毛をきっちりとお団子にして。ちょっと離れたところにお母さんが立っていて、女の子が何度も振り返っては「そこにいてよ」「見ててよ」って言うんです。おそらく、一人で通う練習をちょっとずつしているところだったんでしょうね。その光景がすごく微笑ましいというか、愛おしかったんです。そこからもろもろのことを自分のなかで発酵させた結果のタイトルです。

——純粋に「そこにいてね」という意味にもとれるし、「自分が見てすぐ分かるように明るいところにいてね」という意味にもとれるし、「大切な人には明るくて安全な場所にいてほしい」という意味にもとれるし……。読み終えた後にしみじみいいタイトルだと思いました。

 一穂さんは事前にプロットを固めてその通りに書くタイプではないですよね。この作品では、どんな感じでしたか。

一穂 連載なのでその都度、ある程度引きがあるよう意識していました。今回はここまで書いたから、後のことは「来月の自分、頼んだぞ」というのを繰り返して。だから、次の締め切りが近づいてくると、過去の自分に「お前……」と憤りを覚えたり(笑)。前半で意識せずにばらまいたものの数々を、後半で拾っていくことも。

 私の場合、いつも走りながら次の道を探している感じなんです。頭の中でプロットを考えているだけの時は、なかなか次が出てこない。無理矢理プロットを作っても、書き始めたら必ずどこかで行き詰まるので、細かくは決められない。とりあえず書いてみないことには先が見えないタイプなんです。自分でも「この先一体なにが起きるんだろう……」みたいな気持ちで、心細いんですけれど。

——ではきっと、最初に漠然と考えていたプロットから大幅に変わった部分などもありますよね。

一穂 そうですね。今回ではたとえば、最初、結珠はそのまま医者の妻になって、上流階級の生活に飛び込む予定だったんです。でも第2章で彼女が突然、「小学校の先生になりたい」って言い出したんですよね。こちらとしては、「あ、そうなのね」って感じでした。結珠が親に与えられたものとはまた違う夢を抱くという展開は、団地で果遠と出会ったことにも意味が出てくるので、「じゃあ頑張れ」と思って書き進めました。

 他にも、書いているうちに「この人そんなこと言うのか」と意外に思うことはよくありました。筆者としてはもちろん、そうやって人が育っていってくれるのは嬉しいし、書いていても楽しいんですよね。

——登場人物を自由にさせつつ、物語をこんなふうにまとめあげるのだからすごいな、と。

一穂 連載中、他の仕事をしている時も、つねに心のどこかにこの連載のことがあって。終わらせる自信がなかったんです。連載が終わった時は自分で「マジか、信じられない」って思いました(笑)。

——一穂さん、どんなに人気作家になっても、相変わらず自信なさそうですね(笑)。

一穂 ないです、ないです。

◆小説は、作者の手から離れて面白くなる

——一穂さんは大学時代にサイトで二次創作を書き始め、社会人になって同人誌に参加していたところ、編集者から「オリジナルを書いてみませんか」と声をかけられたそうですね。現在、二次創作は書かれていますか。

一穂 書いていないです。やっぱり脳のリソースには限界があるんですよね。オリジナルの創作のほうに完全に意識が向いていて、振り分けられない感じです。本来の仕事をしつつ、ちょこちょこ同人誌を出されている作家さんもいらっしゃるんですが、すごいなと思っています。

——オリジナルの創作の際、ゼロから舞台も人物も自分で作る面白さって、やっぱり感じますか。

一穂 毎回、面白い経験をさせてもらっていると感じます。登場人物に関しても、依頼をいただかなければ、こうした人たちのことを考えなかったなと思うんです。逆にいうと、自分は自発的に「これが書きたい」というタイプではないので、依頼をいただいて考えた時に、自分の中から全然知らない人格の人だったり、ストーリーだったりが出てくるのが不思議で面白いなと思っています。

——BLと非BLでは、執筆の際になにか違いはありますか。

一穂 BLのほうが、オーダーをいただいても「はい書きます」とはなかなかなれないんですよ。自分のテンションが上がらないと書けない。一応スケジュールを決めていただくんですけれども、こういう属性の男性とこういう属性の男性っていうところで私自身が本当にウキウキしてないと書けないんですよね。それこそ理屈だけで書くと、読者にもすぐ噓だとばれちゃう。

 なので、BLは自分ファーストじゃないと書けない。結果、読者がそれに萌えるか萌えないかっていうのはもう、好みの問題だと割り切っています。

——締め切りが決まっているのに属性が浮かばない、となると大変ですね。

一穂 そこはもう頑張るしかないですね。日頃からなんとなく萌えた瞬間みたいなものを溜めておいて。「あの時のあれ良かったな」みたいな感じの燃料をストックしておくんです。どんなに燃料があっても、火種がないとなかなか難しいんですけれど。

——非BL作品に関しては、火種や燃料のストックはどうされているのですか。

一穂 日々新聞とかを読んで、ちょっと心に引っかかったものをメモしておくとか。あとは編集さんにオーダーをいただく際に、「こういう感じの小説が読みたいです、なぜなら一穂さんの魅力はこういうところなので」みたいに言われ、まんまといい気になって書くことが多いですね。

 こちらの場合は、オーダーしてくださった編集さんに、まず一番に面白く読んでほしいなという気持ちになります。といってもそんなに器用ではないので、ご希望いただいたものと自分の興味や関心をすり合わせてなんとか書く、という感じです。

——一穂さんの作品は登場人物がみんな魅力的ですが、血肉のある人間って、どうしたら書けると思いますか。

一穂 自分でコントロールしない、それにつきると思います。メタ的な話をすれば、ある程度起承転結を決めておかないと物語は破綻するんですけれども、かといってガチガチに作って、そこにはめ込んで人物を計画通り動かすと、読者にとっては、あらすじのために言わされた台詞とか、あらすじのために用意された行動、という印象になりがちな気がします。

 私は漫才が好きなんですが、舞台を踏みすぎるとネタが仕上がっちゃう、と芸人さんが言っていたことがあって。たしかに漫才って構造的に矛盾をはらんでいて、稽古しないと憶えられないけれど、稽古しすぎるほどに面白くなくなっていくところもある。

 もちろんその都度アドリブを加えたりお客さんをいじったりするんですが、突然なにか馬鹿なことを言い出す感じが面白いのに、それが最初から用意された台本に見えた瞬間、滑稽さが別の方向にいってしまう。それが、今お話ししたコントロールの話に似ているなと思います。

——今後のご予定を教えてください。

一穂 2023年に講談社さんから、いままでアンソロジーとかに書いてきた短篇をまとめたものを出しましょうと話しています。あとは雑誌の短篇もいくつか決まっていて、まずはそれをひとつずつ頑張っていきたいなと思っています。


プロフィール

一穂ミチ(いちほ・みち)
2007年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。劇場版アニメ化もされ話題となった『イエスかノーか半分か』などボーイズラブ小説を中心に作品を発表して読者の絶大な支持を集める。21年に刊行した初の単行本一般文芸作品『スモールワールズ』が本屋大賞第3位、吉川英治文学新人賞を受賞したほか、直木賞、山田風太郎賞の候補になるなど大きな話題に。主な著書に『ふったらどしゃぶりWhen it rains, it pours』、「新聞社」シリーズ、『パラソルでパラシュート』、『砂嵐に星屑』(山本周五郎賞候補)など。22年11月、最新刊『光のとこにいてね』刊行。

『光のとこにいてね』一穂ミチ・著/文藝春秋

団地の片隅で、彼女と出会った。彼女と私は、なにもかもが違った。着るものも食べるものも住む世界も。でもなぜか、彼女が笑うと私も笑顔になれた。彼女が泣くと、私も悲しくなった。
ずっと一緒にはいられないと分かっていながら、一瞬の幸せが永遠となることを祈り続けた二人の、四半世紀の物語。


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