EXILEと‟情念”――それを書くのが仕事だよ 北方謙三×橘ケンチ対談 #2
◆自分が自分でなくなることを恐れるな
北方 小説って、どんな陳腐なストーリーであったとしても、人間にリアリティさえあればそれが「本当のこと」になる。要は小説って、人が立ち上がればいいんです。だから暗いものを表現したければ、一生懸命噓をついて、暗い情念にとらわれた人間を書けばいいんです。だいたい実際の人生なんて、陳腐なことばっかりなんだから。
橘 「自分が思っている自分」ではない人生を想像で書けばいいということでしょうか。
北方 人間って、自分がこうだと思っている以外の自分っていうものを必ず肉体に宿しているんですよ。お化けみたいなものを。だから、自分が自分でなくなることを恐れないで書くことですね。違う自分だって絶対いる、と思ってさ。
橘 北方さんも、「自分ではない自分」を認識されているんですか?
北方 この年齢になると、もう真実があるのは小説の中だけなので、小説の世界が広がりさえすれば「自分」なんてどうでもいい。だからいまは認識していないです。いまの俺にとって、生きることは書くことで、書くことが生きることなので、いまここで橘さんとお話ししている自分も、全部噓ですよ。噓。
橘 たとえるのもおこがましいですが、僕はたまに、「ステージ上で踊っているときの自分にしか真実がない」と思うときがあるんです。そういう感覚なのでしょうか。
北方 そうかもしれない。「踊る」ということだけにとらわれていたら、踊ることでしかその真実を表現できない。でももし、そこでつかんだものを言葉で表現できるようになったら、橘さんはダンスじゃないことでも人間が描写できるようになりますよ。そういう意味では、橘さんが次に書く小説はテーマがダンスじゃなくてもいいかもしれないね。
橘 僕もそれは少し考えました。
◆情念が書けるかどうか
北方 それにね、僕はもう一つ橘さんに注文があるの。『パーマネント・ブルー』は、「EXILE」の小説版みたいなところがあるでしょ? 矢印が全部「光」に向かっているの。それだと眩しすぎちゃうから、もっと闇や暗さを見つめて、「光に向かっていく情念」みたいなものをとらえたらいいんじゃないかな。そうしたら、暗さが持つ輝きも描けるようになって、さらに面白くなると思う。
橘 EXILEの東京ドーム公演を観に来てくださった時も、「もっとEXILEの陰の部分が観たい」っておっしゃってくださいましたよね。あのお言葉、いまでも覚えています。
北方 EXILEの公演って、最初から最後までプラスに向かって走っててね、わーって頂点極めて終わるでしょ。さすがにEXILEで踊っているときは闇なんか見つめていられないだろうけど、でも、光が輝くのはあくまでも闇があるから。だから、橘さんは絶対に次は陰を書いたほうがいい。……って、あの公演で興奮して金網つかんで叫んでた俺が言うのもなんだけど(笑)。
橘 でも陰を書くのって、リアルを書くより難しいし、テクニックも必要ですよね。
北方 陰なんてものは、生み出しちゃえばいいんですよ。橘さんはダンスで生きてきたわけだから、ダンスを通して「生きる」ということに目を向けたことが何度もあると思う。そうやってよくよく目を凝らしてきたものの周辺では噓もつきやすい。陰を書くことだってできると思いますよ。
橘 今回は主人公の相馬賢太に僕自身を投影させ過ぎてしまったので、それも「陰」を書きにくかった要因かなと、いまお話を伺っていて思いました。
北方 次は自分じゃなくて、かつて憧れた人間なんかを投影すればいい。俺は子どもの頃、西鉄ライオンズの中西太さんに憧れていたんだけど、歴史ものを書くときにもね、自分がどんなふうに中西選手に憧れていたかを思い出しながら、中西の存在のニオイみたいなのを投影した人物を登場させたりするんですよ。そうやって思いに真実を与えていくと何かしら「いい噓」が書けると思います。とはいえ、俺だって「いい噓」がつけているかどうかはわからないけどな。
橘 僕なんて「いい噓」以前に、自分が「いい小説」を書けているかどうかも自信がないです……。
北方 大丈夫。あなたはね、小説がうまいと思う。あとね、小説には真面目さも愚直さも必要なんですよ。自分の気質を大事にしながら、あとは飛ぶ練習をすればいい。
それから通俗も大事。人間みんな通俗なんだから、通俗をバカにしちゃいけない。通俗をずっと続けていくと、通俗じゃないものが出てきます。つまり、最初から肩を怒らせて「よし、傑作を書こう」なんて思わないで、通俗的でもいいから書いて書いて、書き続けていくと、あるとき無数の駄作のなかから傑作が書けてしまうんですよ。だから駄作を書くことを恐れず、これからも橘さんには書き続けていただきたいです。
橘 ありがとうございます。僕も、もうちょっと続けたらもっと感覚がつかめるかもしれないという予感があります。このタイミングで北方さんにお目にかかれて本当に良かったです。一作書き終えた達成感と、でもまだ足りない、もっと書けるようになりたいっていう気持ちと、いろんな気持ちが入り乱れていたので。
北方 だいたいね、あれだけの枚数(※単行本で330ページ)を書き切る粘り腰、それ自体才能ですよ。あとは噓をつく快感をどこかでクッとつかんでしまえば、ガラッと世界が変わると思うな。
最初の一冊はいちばん大事だし、いちばん苦しい。だけど、橘さんに書き続ける力があることは、『パーマネント・ブルー』が証明しています。もう一回完走しちゃったんだから、フルマラソンぐらい普通に走れるようになりますよ。
橘 ありがとうございます。そうなりたいです。北方さんは、最近ますます小説にのめり込んでいらっしゃるそうですね。先日は、直木賞選考委員の退任も発表されて。僕が北方さんにお目にかかるきっかけになった『チンギス紀』、あの歴史巨篇もついに完結と聞きました。
北方 そう、もう最終回は書き上げて渡してあるよ。だいぶ身軽になって、やっと最後の長篇に取り掛かれる状況になってきた。どうしても書きたい長篇なんだ。
橘 すごい、ぞくぞくしますね。何をお書きになるんでしょう。
北方 内緒だよ! こういうのは、書く前に口にしちゃうとよくないからね。
橘 失礼しました。じゃあ、小説の描写についてなんですが……。
北方 まだ何か訊きたいことがあるの?(笑)
橘 山ほどありますよ。
北方 真面目だねえ、本当に(笑)。じゃあ、続きは飯食いながら、オフレコで、な!
構成:相澤洋美
撮影:佐藤亘
■プロフィール
「#別冊文藝春秋」まで、作品の感想・ご質問をお待ちしております!