寺地はるな「リボンちゃん」#003
第三話
左手の爪すべてを玉虫色に塗り終えた時、スマートフォンが鳴り出した。わたしは一年三百六十五日、爪のケアを欠かしたことがない。爪という身体のパーツが愛しくてたまらない。いろんな色を塗りたくれるし、いざという時には武器にもなる。
小さな刷毛をつかって色を乗せる作業も好きだ。神経が研ぎ澄まされ、刷毛を持つ指は震える。息を殺し、目を凝らす。ムラなく塗り終えた時の、なんとも言えぬ高揚感と解放感。
木曜日の午前十時に電話をかけてきて、「いっしょに昼飯でもどうだ」と誘う父は、いちおう娘の勤務先の定休日を把握しているらしい。定休日の他に、もう一日休みがあるが、そちらは不定だ。木曜にくっつけて連休にすることもあるし、友人と出かけるような時は土曜に休みをもらう時もある。休みの日でもバイトの子の急病や急用に対応するため出勤することもある。
父は六十五歳の時、長年勤めていた印刷会社を退職し、それから現在に至るまで嘱託で週三日ほど働いている。
「え、今日?」
爪に息をふきかけながら、スピーカーをオンにしたスマートフォンに向かって言った。
「なんだ、忙しいのか?」
忙しいわけがない、とはなから決めてかかるような口調だった。
「そういう話しかたをするようになったんだね」
深い意味のない率直な感想だったのだが、なにか思うところがあったらしく、父は咳払いののちに口調をあらためた。
「お忙しいでしょうが、いかがですか? ねえ、百花さん」
今度は若干小馬鹿にされているような感じがしないでもないが、あまりにしつこく訂正を求めるのもよくない気がする。
「夕方から人と会う約束があるんだよね。その前に爪も塗らなきゃいけないし」
このあともう一度玉虫色を塗り重ねて、そのうえにトップコートを塗るという作業も残っている。右手も然り。左手をひらひらさせて、うまく塗れているかどうか確かめる。
「じゃあ、爪が乾いてからでいいから」
「やけに粘り強いね、今日は」
どうしても食いたいものがあるんだ、と父が情けない声で白状した。夕方の約束の時間の一時間前までに解散できるならね、と念を押し、誘いを受けた。
父は、約束の時間ぴったりに家まで迎えに来た。「上がっていく?」と一応問うと「いや、いい」とそっけない。自分が買って何十年も住んでいた家なのになあと思うが、わたしとてべつにそこまで父を家に上げたいわけではない。「あ、そう。じゃあ行こう」とそそくさと家を出て、鍵を閉めた。
父が再婚相手と暮らしているマンションは、わたしや加代子さんが暮らす町からすこし離れた場所にある。住所で言うと隣の市なのだが、私鉄一本で行き来できる。父は車を持っているが、今日は電車で来たらしい。車だとビールが飲めなくなるから、とのことだった。
「どうしても食べたいものってなに?」
揚げもの、と父が即答した。
「えっ、揚げもの?」
勝手に「中華」とか「和食」とか、そういう回答だと思いこんでいたので、すこし面食らった。
「そうだよ。家では食べさせてもらえないからね」
ここからすこし歩いた国道沿いに和食レストランのチェーン店があるから、そこまで行こうと父は言う。国道に出るには徒歩で二十分ほどかかる。家の周辺にだって飲食店はいくつかある。商店街に行ったらもっとある。わざわざ目指して行くような店ではないと思ったが、父はどうしてもその店がいいらしい。
「揚げものか。高齢者になっても、そういうの食べたくなるものなんだね」
「高齢者だからこそ、食べたくなるんだ」
国道へ向かう途中の民家で紫陽花がしおれていた。今朝の天気予報で、今日の夕方からしばらく雨が続くと言っていたから、じきに元気を取り戻すだろう。
「もしかして、徒歩で往復することで揚げもののカロリーが相殺されるとか思ってる?」
「ふん」と笑った父は道すがら、日頃の自分がいかにカロリー、脂質、その他諸々をきびしく制限されているかを切々と訴えてきた。
父の再婚相手は管理栄養士で、病院に勤めている。父と同じく、配偶者との死別を経験した人だ。そうした人びとがあつまって語らうサークルがあり、そこで知り合ったと聞いている。
父からはじめてその女性を紹介された時、「母に似ていないから、この人を好きになったのかな」と思った。丸顔で、背が低く、おかしいことがあるとクリームパンみたいな手を口もとに当てて、ころころきゃっきゃとよく笑う。なにもかも母とは正反対だった。健康診断で一度も引っかかったことがないのが自慢らしく、百歳ぐらいまで生きそうだった。
彼女が父に食事制限をさせるのは、長生きしてほしいからだろう。
「お父さんって、こんどは自分より先に死ななそうな人と結婚しよう、とか思ってたんじゃないの? でもね、先に死んでほしくないのは向こうも同じなんだと思う」
「博子さん」という名前がとっさに出てこなくて、そんな言いかたになってしまった。あんのじょう父は「向こう、なんて冷たい呼びかたをするな」とせつなげに眉をひそめる。
「ああ、うん。ごめん」
父はもしかしたらなにか勘違いをしているのかもしれないが、わたしは博子さんにたいして悪感情を持っていない。ついでに言えば、父のことも嫌いなわけではない。とくに興味がないだけだ。
「お前の気持ちも、わからなくもないけれども」
「いや、わかってないよ」
この返答もまた誤解を生みそうだったので「わからなくていいんだよ」となるべくやさしく言い添えた。わたしと父のように思考パターンの違いすぎる人間同士は「わかりあおう」などと思わないほうがかえってうまくいく。
父が行きたがった和食レストランは一階が駐車場、二階が店舗になっていた。コンクリートの煤けた階段をのぼっている最中に、古い記憶がよみがえった。
「ここ、昔、来てたよね?」
「そうそう。なんだ、覚えてたのか」
父が弾んだ声を上げた。もう三十年近く前の話だ。父と母とわたしで、ここで食事をした。レジの横におもちゃやお菓子が並んでいた。ものすごくほしいというわけではないが、いちおうねだってみる、そうすると五回に一回は買ってもらえた。
「あの頃の百花は、うどんと白米ぐらいしか食べなかったからね。こういうお店は、ほんとうにありがたかった」
「四歳ぐらいの頃でしょ。豆腐も食べてたよ」
なぜその三種類だったのだろう。色がついているとだめだったのだろうか。幼児の頃の記憶はすでに対岸にある。対岸を眺めることはできるが橋がないので渡っていって詳細をたしかめることはできない。
「好きなものを頼みなさい」
父が鷹揚に言って、メニューを広げた。鰹や桜エビなどの初夏の食材をつかった期間限定のセットがあったので、それにした。ヒレカツ御膳と生ビール(中)を注文した父はテーブルの上にそろえられたわたしの玉虫色の爪を見て、一瞬ぎょっとした顔をした。
「どうなることかと思ったが、好き嫌いなく育ってよかったよ」
「そうだね。なんでも食べられるのは、便利だよね」
「いや、便利という問題ではなく」
そこで父は言い淀んだ。視線はふたたびわたしの爪に向いている。
「ではなく、なに?」
父は「ううん、うんうん」などと唸ったのち、「いいんだ、いいんだ」と自己完結した。
「このあと、誰と会うんだ?」
「知らないほうがいいこともあると思うよ、お父さん」
父はちょっとびっくりしたような顔で「そうか」と言い、一度閉じたメニューをまた開いて熟読しはじめた。生ビール(中)を運んできた店員に「ありがとう」とほっとしたような笑顔を向け、生ビール(中)をひとくち飲み、また「そうか」と呟いた。
「そうだよ」
父は年齢よりも若く見える。身だしなみに気を遣っているため清潔感があり、物腰も柔和で、そのおかげか、誰からも好かれやすい。父もまた人が、とりわけ女の人が好きだ。「おんなのひと(なぜか父が発音する「女の人」はひらがなで聞こえる)がいると、華やぐね」とか「おんなのひとが何時間もかけてショッピングをしたり、ケーキが食べたいけど太りたくない! なんて悩んでいたりするのは、かわいらしいなあと思うね」とか、よく言う。
父の認識では、「おんなのひと」は常にかわいいものやおいしいもののことで頭がいっぱいで、よく感情的になるけれども、基本的に細やかな気遣いができる素敵な生きもの、ということになっている。だからそこからはみ出されると、とたんに手に負えなくなってしまうようだ。「おんなのひと」が政治や国際情勢について冷静かつ理論的に私見を述べたり、自分と同い年の妻の姉が男みたいな服装と髪形をしていたり、娘が母親の下着を切り刻んだり爪を玉虫色に塗ったりするのを見ると驚きのあまりフリーズし、思考停止状態におちいる。生まれてこのかたびっくりされ続けてきたわたしだが、「びっくりさせないようにしなきゃ」という配慮は、ずいぶん前に放棄した。だってそれは、わたしではなく父の課題だからだ。
「百花、最近どうだ?」
「うん、楽しいよ」
加代子さんの手伝いをしている、という話はしない。あいまいな質問にはあいまいな返答がふさわしい。
料理が運ばれてきた。箸を手にした父は、ヒレカツの黄金色の衣に陶然と見入っている。窓の外に広がる空はいつのまにか、色鉛筆でぐちゃぐちゃに塗りつぶしたような雲に覆われていた。
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