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文・浅倉秋成「私が”千葉ロッテマリーンズ”です」――愛を叫ぶ #01

WEB別冊文藝春秋

 夜の10時半、幕張の街を歩きながら「何か、すみませんでした」と口にした私に、先輩社員は「何が?」と返した。言われてみればその通りであった。どうして千葉ロッテマリーンズが延長12回の末に勝ちきれなかったことについて、私が謝らなければならないのか。それでも私は再度詫びた。「せっかくマリーンズの試合を観に来てくれたのに、こんな感じの試合で、何かすみません」。忘れもしない2013年7月9日のオリックス戦。クレイグ・ブラゼル選手が初めてマリーンズで一軍出場を果たした試合であった。

 いつからかWikipediaにも書かれてしまったのだが、私は千葉ロッテマリーンズのファンである。熱狂的とは言えないと思うが、それなりに熱心なファンではあると思う。テレビ中継が主ではあるものの、外出の予定がなければ基本的にはプレイボールからゲームセットまで、すべての試合を観る。機会があれば積極的に二軍の試合も観るし、必然的に二軍選手の成績も漠然とではあるが常に把握できている。キャンプ中継も観る。新入団選手発表会も観る。上には上がいるし、マリーンズのために命を捧げられるかと問われれば答えに窮するので、やっぱり「熱狂的」は名乗れない。それでもファンを名乗る資格は十分にあると自負している。

 あまりプロ野球に詳しくない方のために千葉ロッテマリーンズというチームについて簡単に説明をしておくと、悲しいかなあまり人気はないし、そんなに強くもない。ここ数年は健闘を見せているが、押しも押されもせぬ人気球団、あるいは圧倒的な強豪と評すにはいささか風格も実績も足りていない。

 本当に悲しいとしか言いようがないのだが、2017年に球団から発表された「MARINES IS YOU!」というファンに向けたキャッチコピーは、当年の歴史的な負けっぷりも相まって一種の悪口として定着してしまった。ネット上でどのように活用されていたのかはあまり語りたくないのでここでは触れないが、いずれにしても「マリーンズはお前」という語りかけが(少なくとも当時は)あまり誉れ高いものでないとされていたことは認めざるを得ない。

 そんな人気も強さももう一つな球団のファンになってしまった経緯は実に単純で、地元が幕張だったからに他ならない。実家の最寄り駅からマリンスタジアム行きのバスが出ており、乗り込めば15分程度でスタジアムに足を運ぶことができた。バスには全面にマリーンズ仕様のラッピングがあしらわれており、次の停留所を告げる車内放送は現役のマリーンズ選手が伝えてくれる。学校でマリーンズに関連するグッズが配布されることもあった。地元のショッピングモールにはマリーンズのポスターが山ほど貼られている。

 プロ野球に興味を持った時点で、ほとんど応援する球団に選択肢はない状況と言っても過言ではなかった。両親の出身地や宗派の関係で巨人や阪神、広島を応援している友人もいたが、大体の同級生は温度差こそあれど、自然とマリーンズを応援するようになっていった。

 そんなわけで、運命的な出会いや奇跡的な因果の果てにファンになったのではなく、ほとんど町内会に入るような形で、強制的にマリーンズのファンになっていた。どこのチームを応援しようかなと逡巡する暇もなければ、よしこれからはマリーンズを応援しようと決意した日も存在していない。90年代の後半からいつの間にか私はマリーンズのファンになり、ずるずると今日に至る。

 マリーンズが勝ったときの喜びはちょうど現金で3千円をプレゼントされたときと同じくらいのもので、負けたときの悲しみは実の弟が傷だらけで学校から帰ってきたときと同じくらいである。3千円が手に入っても「今日はご馳走だ!」と財布の紐がでれんとゆるむことはないが、心にいくらかの豊かさが生まれ、しばし意味もなく寛容でほがらかな人間になれる。一方で弟が傷だらけで帰ってきたときの悲しみは切実である。大丈夫か、酷い目に遭ったな。鼻をすする弟を優しく抱きしめながらしかし同時に、「お前も少しはやり返したらどうだ。悔しくはないのか」と煽るようなことも口にしたくなる。いずれにしても、チームの勝敗は私の心に重くのしかかる。さすがに負けたせいで怒りっぽくなって無関係の知人に当たり散らすような情けない真似は控えているが、それでもマリーンズ周辺で発生した出来事はいつだって私の心にダイレクトに響く。

 しかしそんな「千葉ロッテマリーンズ」という存在の実体は、冷静に考えると曖昧模糊としていて捉えどころがない―などという話をすると何を言っているんだ、頭がどうかしてしまったのかと心配されそうなのだが、ぜひ私と一緒に一度面倒な人間になって考えてみて欲しい。

 話が少々の飛躍を見せてしまい恐縮だが、私は『14歳からの哲学』(池田晶子・著)という本を、やはり14歳のときに読んだ。精緻にすべての内容を記憶しているとは言えないものの、「社会」の章の一節は20年近い時を経た今でも私の胸にしっかりと刻み込まれている。

 小さな社会としての「学校」というものを、正確な形で思い浮かべてみてごらん。これが学校ですと、明確に示してみてごらん。

 君はまず、学校の校舎を思うかもしれない。でも、それは学校の校舎なのであって、それが学校なのではないね。次に君は、学校にいる人々、いく人かの先生とたくさんの生徒を思うかもしれない。でも、それは学校にいる人々なのであって、それが学校なのでもない。(中略)じゃあ、これが学校だと言える何かを、目に見える形として示すことはできるだろうか。

 できないね、すごくおかしなことだけど、「学校」なんてものを、目で見たことのある人はいないんだ。

 話は更に進み、「学校」のみならず「社会」でさえも、実は実体のない「観念」でしかないということが本書の中では明かされる。言われてみればごもっともなのだが、14歳の私にとっては実に衝撃的な結論であった。「学校」も「社会」も「国」も、実は「観念」でしかない。どこにも実体は存在していないのだ。というわけで議論を本題に戻す。

 薄々お察しいただけていると思うが、とりもなおさず「千葉ロッテマリーンズ」というものも、実は「観念」でしかない。ZOZOマリンスタジアムは千葉ロッテマリーンズの「本拠地」でしかなく、マリーンズの選手たちはあくまで千葉ロッテマリーンズの「選手」でしかない。社長も千葉ロッテマリーンズの「社長」、監督も千葉ロッテマリーンズの「監督」―どこまでこの議論を重ねてみても、我々は実体としての千葉ロッテマリーンズ「そのもの」には永遠にたどり着けない。

「たとえば巨人の選手がいて、阪神の選手がいて、来年選手を総入れ替えしたら巨人ファンはどっち応援すんの?」というのは、松本人志まつもとひとしさんがとあるバラエティ番組で問うた冗談なのだが、密かにプロ野球ファンにとっては深刻な問題を問いかけている。おそらくこの問いに対する巨人ファンの回答は「移籍してしまった選手に愛着はあるし、部分的には応援してしまうかもしれないが、やはり『巨人』を名乗っているチームを応援し続ける」というものが多数になるのではなかろうか。いずれにしても「チーム」という観念は実はとんでもなく危うい。果たしてどこに「チーム」のイデアが存在しているのか、どこに手を加えると「チーム」が同一性を保てなくなって崩壊してしまうのかという問題は非常に興味深いのだが、真剣に語り出すとこれだけで論文が書けてしまいそうなのでここではこれ以上掘り下げない。

 プロ野球ファンの中には、自身が応援している贔屓ひいきチームのことを「うち」と呼ぶ方々が多数いらっしゃる。「マリーンズは若手が期待できそうでいいよね、『うち』はもう一つパッとしなくてさ」。そんな台詞が、選手やコーチ、あるいは球団職員ですらない一介のファンから平然と飛び出す。ドラフトで指名が入った選手のTwitterアカウントには、多くのファンが「ようこそ〇〇(チーム名)へ!」というリプライを送る。何ら珍しい光景ではない。以前、バイト先の上司(西武ファン)がバックヤードで頭を抱えていたのでどうしたのですかと尋ねてみたところ、「クライマックスシリーズで投げられる先発投手が明らかに足りない、ヤバい」と青い顔で答えた。いや、ピッチングコーチじゃないんだからあなたが悩んでも―と笑うことはできなかった。誰もが応援している球団に対しては紛れもない「当事者」なのだ。

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