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#食いしん坊のルーペ

【㊗発売即重版!】ピアニスト・藤田真央さん初著作『指先から旅をする』

 ピアニスト・藤田真央さんによるエッセイ&語り下ろし連載「指先から旅をする」がこのたび本になりました。 弱冠24歳にして「世界のMAO」に 2019年、20歳で世界3大ピアノコンクールのひとつ、チャイコフスキー国際コンクールで第2位入賞。以降、世界のマエストロからラブコールを受け、数々の名門オーケストラとの共演を実現させてきた藤田さん。 現在はベルリンに拠点を移し、ヴェルビエ音楽祭、ルツェルン音楽祭といった欧州最高峰の舞台で観客を熱狂させています。 エッセイ&語り下ろし

イナダシュンスケ|哀愁のサニーレタス

第23回 哀愁のサニーレタス  サニーレタスはよく、何かの下に敷かれて登場します。コロッケ、から揚げ、春巻きなどの揚げ物が多いですが、お弁当だとハンバーグの下に敷かれたりもします。  サニーレタスのもしゃもしゃとした立体的な形状や赤褐色から緑のグラデーションは、確かに茶一色の料理をもググッと引き立ててくれます。そして主役に覆い隠されて見えない部分は、実は配膳の際に、料理の滑り止めとしても機能しています。まさに名脇役。特に居酒屋のテーブルでは、見目も麗しく、実に頼もしいバイ

イナダシュンスケ|羊肉期の終り

第22回 羊肉期の終り 「羊肉はお好きですか?」  この質問にイエスと答える人の中には、まず、多くの北海道民が含まれているのではないかと思います。北海道は日本で最も日常的に羊肉が食べられている地域。人々は子供の頃から当たり前のようにジンギスカンで羊肉に触れ、自然とそれに慣れ親しみ、そして一生それを愛し続けます。言うなれば、幼馴染と自然に恋に落ち、そのまま一生を仲睦まじく添い遂げるようなもの。しかし道民以外の多くの人々にとって、羊肉との出会いとはそういうものではありません。

イナダシュンスケ|とんこつ遺伝子

第21回 とんこつ遺伝子 僕が高校生時代までを過ごした鹿児島は、昔から知る人ぞ知るラーメン王国です。ただし鹿児島ラーメンには、博多ラーメンのようなある程度統一的なスタイルはありません。言うなれば各店がてんでバラバラに、勝手に独特なラーメンを作っている、という感じでしょうか。  もっとも、てんでバラバラではありつつ、そこにはどこかうっすらとした共通点も感じます。おそらくですが、それは主に豚骨や豚肉によってもたらされるフレーバーだと思います。ただ僕の料理人としての経験も踏まえて

イナダシュンスケ|牛丼官兵衛

第20回 牛丼官兵衛 僕が初めて𠮷野家の牛丼に出会ったのは、大学生になり一人暮らしを始めてからでした。そしてその後の全生涯を通じて、大学生時代が最も頻繁に𠮷野家のお世話になった時期でもあります。お金は無いけどいつもやたらと腹が減っている、そんな貧乏学生にとって、牛丼はまさに福音。  その当時の僕の牛丼の食べ方は、今思えばずいぶん若々しいものでした。下品だったと言ってもいいかもしれません。往々にして、若々しさは未熟をも意味します。  目の前に牛丼が置かれると、僕はまず肉を奥

イナダシュンスケ|トラウマバーベキュー

第19回 トラウマバーベキュー 昔の話です。僕は大学を卒業して、とある会社に就職しました。食品関係としては大手の部類に入るその会社は大阪市内に本社があり、会社まで電車一本で行ける隣の市に寮がありました。本社配属の新入社員は半ば強制的にその寮に入ることになっており、僕もその中の1人でした。  寮に入る前の2週間ほど、新入社員は研修センターに集められて、泊まりがけの研修が行われました。そこには、僕の知らないタイプの人たちがたくさんいました。  その会社は、なんだかキラキラした会社

イナダシュンスケ|千切りキャベツの成長譚

第18回 千切りキャベツの成長譚 僕が小学生の頃「放送教育」というものがありました。これはNHK教育テレビでやっていた小学生向けの学科の番組を授業中にみんなで観るというもの。例えば週に一回の「道徳」の時間には、15分ほどの道徳の番組を観る、という感じです。もちろんすごく面白いというわけではないのですが、一応ドラマ仕立てで、普段の退屈な授業よりは幾分マシでした。そして僕はこの「道徳」のドラマに、なぜかじわじわとハマっていったのです。  自分たちと同じ小学生を主人公とするそれは、

イナダシュンスケ|続・牧歌的うどん店 かき氷・おばあちゃん・パンクス

第17回 続・牧歌的うどん店 かき氷・おばあちゃん・パンクス 時給1000円に釣られて、とある神社の境内にあるうどん屋さんで働き始めた僕でしたが、そこは仕事も楽で、まかないはおいしく、店の人たちも優しく、天国のようなバイト先でした。  その店は、店の外に緋毛氈の敷かれた縁台もあり、茶店も兼ねていました。そこでは、冬はお汁粉、夏はかき氷が供されました。そしてその仕込みだけは、一貫しておばあちゃんの担当でした。  かき氷は、イチゴやメロン、抹茶など一通りのメニューを揃えていました

イナダシュンスケ|牧歌的うどん店

第16回 牧歌的うどん店「牧歌的」という言葉があります。自然の中で牧人が歌う歌のような、飾り気がなくのんびりした様子を言います。  飲食店というのはおおむね、この「牧歌的」の対極にあります。常にせわしなく、そして時に世知辛い。一見優雅に見える店もありますが、それは水鳥と同じです。水面下ではいつでも必死に足搔いている。しかし僕は過去に一度だけ、本当に牧歌的な店に出会ったことがあります。学生時代の話ですから、もう30年以上も前のことです。  その店はうどん屋さんで、京都の、観光客

イナダシュンスケ|ハンバーグ人生劇場③ 〜望郷編〜

第15回 ハンバーグ人生劇場③ 〜望郷編〜 現代の日本において、ハンバーグにはいくつかの系統が存在します。 まずメインストリームにあるのが、ふわふわしてジューシーなハンバーグ。ファミレスを中心に生存しており、それ以外でも、単にハンバーグといえば基本的にはこのタイプです。バリエーションとして、中心部にチーズが埋め込まれた「チーズインハンバーグ」も人気です。冷静に考えると意味的に少しおかしいような気がしますが、その語感の良さにはそれを押し切る勢いがあります。突っ込んだら負けです。

イナダシュンスケ|ハンバーグ人生劇場② 〜風雲編〜

第15回 ハンバーグ人生劇場② 〜風雲編〜 学生時代に発明した「ひき肉をフライパンに押し付けて焼いただけの、ハンバーグともステーキともつかない名も無き料理」は、「よそで言うたらアカン料理」として、その後の長きにわたり、ひっそりと世を忍ぶが如く作られ続けました。それが登場するのは主に、深夜近くにまで及ぶ仕事を終えて帰宅した後。それは晩酌のツマミないしは夜食として、家族の目からも逃れるが如く、こっそり作られていたのです。  これをハンバーグと呼ぶのは恥ずかしい。ステーキと呼ぶのは

【全文無料公開】イナダシュンスケ|ハンバーグ人生劇場① 〜立志編〜

第15回 ハンバーグ人生劇場① 〜立志編〜 子どもの頃、ハンバーグは大好物でした。晩ごはんはハンバーグよ、と母親から告げられると、心の中でガッツポーズです。そして僕は、お手伝いのために腕まくりもします。我が家のハンバーグは、ハイカラ志向だった母親のこだわりか、塊のナツメグを摺りおろして入れるのがお約束でした。そのナツメグを摺りおろす係が僕だったのです。  ナツメグは、グラタンやコロッケ、ミートオムレツなどにも使われており、僕にとってまさしく「ご馳走の香り」でした。硬いナツメグ

イナダシュンスケ|お伽の国の特級酒、あるいは毛糸玉の中のローマ

第14回  お伽の国の特級酒、 あるいは毛糸玉の中のローマ  その日は、早朝から始まるなかなかの大仕事でした。夜遅くまでかかることも想定内だったのですが、幸いスムーズに事が運び、夜の8時過ぎには撤収が完了しました。  朝から12時間以上ほぼ飲まず食わずだった僕は、こんな日はちょっとくらい良いものを食べて帰ろうと、帰宅途中の駅前にあるイタリア料理店に寄ることにしました。以前に一度だけ行ったことのある、40年以上続く老舗です。この時間からでも予約なしで立ち寄れそうな店として、ふと

イナダシュンスケ|好き好き懐石

第13回 好き好き懐石 懐石料理が大好きです。  僕は今回その愛を存分に語りたいと思っているのですが、その前にちょっとやらなければいけないことがあります。若干面倒臭い、言葉の定義と蘊蓄(生きていくのには別段役に立たない知識)です。  懐石料理は会席料理とも書かれますが、この両者は厳密には異なります。懐石は本来、表千家、裏千家といった茶事の席の料理。会席料理という言葉自体は、実は懐石という言葉が生まれる以前から存在はしていたのですが、懐石のスタイルが成立した後、それを茶室ではな