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2023年9月の記事一覧

『テート美術館展 光 ―ターナー、印象派から現代へ』――光を描く、光で描く|透明ランナー

 国立新美術館で2023年7月12日(水)から絶賛開催中の「テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ」。英国・テート美術館[1]の所蔵品から、“光”をテーマとした作品約120点が出品されています。  開幕から2ヶ月経った9月15日(金)には入場者数が20万人を突破しました。この大人気を受け、最終週の9月25日(月)から10月1日(日)まで、開館時間が20時(通常18時)まで延長されることとなりました。夜は空いているのでおすすめです。東京・国立新美術館の会期は10月

矢月秀作「桜虎の道」#003

第2章1  桜田は翌朝、何事もなかったように出勤した。通常通りみんなより少し早めに出勤したにもかかわらず、事務所には小夜と有坂がいた。 「おはようございます。すみません、遅くなりました」  へこへこと頭を下げ、自席へ着く。  と、小夜が席を立って、桜田に近づいてきた。有坂も立ち上がる。 「桜田さん、ノートパソコンを持って、応接ブースに来てください」  小夜は言い、自分のノートパソコンを持って、応接ブースへ向かった。有坂も同様に向かう。  何かわからないまま、桜田もノートパソ

豊田市美術館のイマジナティヴなキュレーション――「枠と波」「吹けば風」展|透明ランナー

 日本には素晴らしい美術館が全国各地に多数ありますが、その中でも企画展のたびに必ず遠征して観に行く、圧倒的信頼を置いている美術館がいくつかあります。そのひとつが愛知県・豊田市にある豊田市美術館です。美術館の建物は建築家・谷口吉生(1937-)の設計によるものです。  豊田市美術館は国内でも有数の規模の作品を所蔵しています。海外作品ではクリムトやシーレなどのウィーン分離派、シュルレアリスム、アルテ・ポーヴェラ、アーツ・アンド・クラフツ運動などなど。日本美術も日本画から現代アー

渡辺優さん「死に至らぬ病」〈後編〉をお届けします!

死に至らぬ病 〈後編〉  歩くにはちょうどいい気候だった。  昨日降った雨はすっかり上がり、そこここに咲く紫色の花が雨粒をきらめかせている。木々のざわめきが波のように押し寄せ木漏れ日を揺らす。大小の鳥の軽やかな歌声を耳が拾う。しかし予想していた通り、すぐに疲れが出始めた。  スマホで時間を見ると、センターを出てからまだ一時間ほどしか経過していなかった。それでも、一時間だ。今の私には十分に長すぎる距離を、雨のぬかるみの残る中を歩いた。汗をかき、息切れもしている。しかし未だ、ス

渡辺優さん、最新ミステリーが登場! 「死に至らぬ病」〈前編〉

死に至らぬ病 〈前編〉  星野さんのめまいがすべての始まりだった。  もちろん、そのときは誰もそんなことに気づいてはいなかった。ただ、そこに集まった全員の頭に一瞬は過ったのではないかと思う。あの噂について。 「なんでもないよ」  星野さんは言った。 「ちょっとくらっと来ただけ。なんだろ、疲れたのかな。ほら……うん、もう平気。そんな心配しないで」  たっぷり五分は床にしゃがみこんでいた星野さんがようやく立ち上がり、集まっていた皆に笑顔を向けた。 「もしかしたら、ウワサのウイル

『アレックス・ダ・コルテ 新鮮な地獄』展――映像の“厚さ”とポップな地獄|透明ランナー

 来たぞ金沢!  今回のお目当ては金沢21世紀美術館で開催されている『アレックス・ダ・コルテ 新鮮な地獄』展(2023年9月18日(月・祝)まで)。ダ・コルテは1980年生まれ、フィラデルフィアを拠点とするアーティストです。2019年のヴェネツィア・ビエンナーレで脚光を浴び[1]、2021年にはコロナ禍のメトロポリタン美術館の屋上に巨大な作品を出現させて話題になりました。本展がアジアで初めての個展となります。  ダ・コルテは絵画や立体、インスタレーションも手掛けますが、本

今井真実|願掛けは、辛くて痺れる明太子スパゲッティ

第3回 願掛けは、辛くて痺れる明太子スパゲッティ  窓から陽が差し込んでいる。強い光のせいで、ほこりが薄く舞っているのが見えてしまった。  ソファに寝そべり、部屋をぼんやり眺める。いいかげん掃除機をかけて、洗い終わっている洗濯ものを干さなくては。でも、もう少しだけ。あと10分、このままぼんやりと静けさを味わいたい。  ああ、やっと家にひとりきり。この日が来るまで本当に長かった。  今朝、久しぶりに子どもたちがふたり揃って元気に登校していった。  いつもぴょんぴょんと跳ねて

【最終回】大前粟生「チワワ・シンドローム」#006

笑うキズさんの正体を知った琴美の心に、ある疑念が兆していく。 そしてついに新太との再会の時が……! 〈チワワテロ〉からはじまった事件と新太失踪の真相がついに明かされる。 そのとき、琴美とリリは—— 32 次の一斗くんの月命日である十一月七日は、金曜日だった。  琴美は陽が出る前に起床し、始発で横須賀線のとある駅へと向かった。  事件現場は、駅から歩いて数分の十字路だった。まだ花は供えられていなかった。  駅併設の喫茶店に入り、窓際席に陣取った。開店したばかりで、店内に客は

大前粟生「チワワ・シンドローム」#005

MAIZUと笑うキズさんの突然の和解から数日後、 リリ部屋へ向かった琴美はリリと観月さんの口論を耳にする。 そしてその日MAIZUが公開した動画に映っていたのは—— 29 琴美は急いでYouTubeアプリを開き、MAIZUのチャンネルを表示した。数分前にアップロードされた最新の動画のサムネイルには、MAIZUとリリと、琴美が映っていた。「MAIZU新章第一弾!」というタイトルが付けられ、概要欄には「弱さに寄り添う配信で若者世代に大人気のリリさんとコラボ! お友達も来てくれま

イナダシュンスケ|牧歌的うどん店

第16回 牧歌的うどん店「牧歌的」という言葉があります。自然の中で牧人が歌う歌のような、飾り気がなくのんびりした様子を言います。  飲食店というのはおおむね、この「牧歌的」の対極にあります。常にせわしなく、そして時に世知辛い。一見優雅に見える店もありますが、それは水鳥と同じです。水面下ではいつでも必死に足搔いている。しかし僕は過去に一度だけ、本当に牧歌的な店に出会ったことがあります。学生時代の話ですから、もう30年以上も前のことです。  その店はうどん屋さんで、京都の、観光客

登録者数72万人のYouTuber・コウイチの〈ショートノベル〉。第1回「マサルの冷たい部屋」をお届けします!

マサルの冷たい部屋  冷房が強く効いた部屋で、マサルは空のペットボトルにまみれた机に突っ伏していた。エアコンはオンオフを頻繁にするよりも、点けっぱなしにしていた方が電気代がかからないらしい。そんなことをマサルはどこかで聞いた覚えがあった。  床には脱ぎっぱなしの服が散らばり、台所には使用済みのカップ、フローリングはホコリまみれで、都内の高級タワーマンションにはふさわしくない光景だった。 「もう俺は終わりなんだ」  一人でそう呟くマサルの声に相槌を打つ者はいなかった。点けっぱ