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イナダシュンスケ|ラーメン不満足化待望論

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第26回
ラーメン不満足化待望論

 いきなり大きな話から始めますが、人はいったい何を求めて小説やエッセイを読むのでしょう? そんなの十人いたら十通りの答えが返ってきそうですが、そこにおいて「共感」は、誰にとっても大事な要素であるということは言えるはずです。読者は著者や登場人物、なかんずく主人公に共感しつつ、物語を擬似体験する。それが読書の醍醐味であることは間違いありません。

 食エッセイという分野においても、この「共感」は、極めて重要なのではないかと思います。大抵の場合、著者はおいしいものについて語り、読者はそれを擬似体験してお腹を鳴らします。また時には、この食べ物はこうあって欲しい、みたいな持論を語り、読者はそうだその通りだと快哉を叫びます。

 しかし僕は、共感ばかりが全てではないと思っています。いやむしろ共感できない部分にこそ食エッセイの価値があるのではないかとすら思うこともあるのです。この著者はいったい何を言ってるのだ? なぜそんなまずそうなものを嬉しそうに食べているのか? ……そんな違和感もまた、読書体験を豊かにしてくれるのではないでしょうか。

 小説であれば、ピカレスクロマンという分野があります。主人公は社会的に善しとされる価値観とはおおよそ異なる行動原理で、多くの場合は悲劇的な結末に向かって突き進みます。平凡な善人である我々は、なぜこの主人公はあえて修羅の道を進み、わけのわからない価値観で自分にも周りにも不幸を招き寄せるのか、と違和感を持ち続けます。しかしその一方で、世の中にはそういう世界もあるのだな、と普通に生きていれば一生縁がなさそうな架空の人生を擬似体験することにもなります。

 そういった深みのある読書体験は、スケールこそぐっと小さくなりますが、食エッセイの世界にも起こりえます。ある著者は、「まんじゅうやあんこ玉で酒を飲むのが堪らない」と述べていました。僕はその感覚が全く理解できず、「うへえ」と辟易しながらも「そういうのもあるのか」と、世界の複雑さを知りました。そしてある時、それを自分でも試してみました。やっぱり概ね「うへえ」と思ったのは確かなのですが、同時に、新しい世界をちょっぴり理解できたような気もしました。


 さて、前置きがずいぶん長くなってしまいました。今回僕は、極めて共感を呼びにくそうな話をしようと思っています。ラーメンの話です。僕はラーメンに満足したくありません。決してラーメンが嫌いというわけではありません。むしろ好きです。家系も二郎系も淡麗系もつけ麺も、一通り全部好きです。かつて自分は人並みにラーメンが好きだと思っていましたが、なぜかこの数年で、人並み以上に好きであるという確信が生まれました。そして好きになればなるほど、「ラーメンよ、俺を満足させてくれるな」という思いが日毎に強くなっていっています。おそらく共感してくれる人はごく稀でしょう。

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