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祝・本屋大賞! 宮島未奈最新作「婚活マエストロ」第三話

40歳の三文ライター・猪名川健人は、“婚活マエストロ”こと鏡原奈緒子に呼び出され、婚活バスツアーに参加することに。向かうは琵琶湖、隣にはMOMOと名乗る風変わりな女性が座り……

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第三話

 かがみはらさんからのLINE通話で叩き起こされた俺は、とりあえず顔を洗ってひげを剃った。用件は何も言われていないが、婚活イベント関連だろう。二週間前にシニア婚活パーティーに行ったときは、取材のつもりだったのにスタッフをやることになってしまった。いずれにせよ、四十男がパーカーにジーパンは好ましくない。
 クローゼットを開いてみれば、十年ものの衣装ばかりが入っている。ずっと家で仕事していたから、服装にはとんちやくだった。こうやって外に出るようになると、もう少しまともな服を買ってこようかなという気になる。遅すぎる社会人デビューだ。
 それにしても何を着て良いものだか見当がつかない。この前、社長がスーツを着ていたことを思い出し、俺もスーツでいいかと取り出す。十年近く前、くわばらの結婚式に行くために買った安いやつだ。転職活動で使うこともあるだろうと、濃いグレーにしてみた。そのあと、妹の結婚式でも着た気がするけれど、全然元が取れてない。
 あぁ、でもこの格好だとどんなカバンを持ったら良いんだ。スマホと財布だけならポケットにも入りそうだけど、手ぶらで行くのも変だろう。とりあえずビジネスマンが持ってるような黒くて平たいカバンならある。俺はそのカバンに財布とスマホと充電器と筆記用具といった必要そうなものを詰め込み、外に出た。
 自転車を飛ばしてきた駅北口に着いたのは八時四十五分。集合時間の九時には無事間に合った。そのへんのコンビニに停めちゃおうかと思ったが、いい年をした大人なのでちゃんと百円払って市営の駐輪場に停める。ロータリーに行ってみると、小さめの観光バスの前で鏡原さんがクリップボードを持って立っていた。
「わぁ、がわさん! 急に呼び出してすみませんでした」
 過去二回会ったときの鏡原さんはかっちりしたパンツスーツ姿だったが、今日は黒いワンピースに白いジャケットを着ていていくぶん華やかだ。
「バスツアー……ですか?」
「おはようございます! お名前頂戴できますか」
 俺の疑問は宙に浮いたまま、鏡原さんは次にやってきた男を迎えている。男は俺とそう変わらないであろう年代だ。
「猪名川さん、今日は申し訳ありません」
 背後から社長がぬーっと現れ、俺を少し離れたところに誘導した。通路にはスーツにビジネスバッグの男たちが佐北駅を目指してぞろぞろ歩いている。
「単刀直入に申しますと、本日の婚活バスツアーに参加していただきたいのです」
「えぇっ」
 一番に思い浮かんだのは懐事情だった。ドリーム・ハピネス・プランニングは本気の出会いを取り扱う会社だけあって、サクラはごはつだ。このバスツアーだって、俺だけ無料というわけにはいかないだろう。麦茶しか出ないパーティーでも五〇〇〇円を徴収していた会社が、これほど大掛かりなバスツアーの参加費をいくらに設定しているのか、不安でたまらない。
 社長は俺の脳内を見透かしたかのように、「こういうものがあります」と胸ポケットから紙切れを取り出した。前にも見た、「ドリーム・ハピネス・プランニング主催婚活パーティー初回無料クーポン」である。社長は近くの柱を机代わりにすると、ボールペンで「パーティー初回」を二重線で消して「バスツアー」と書き換え、有効期限の「二〇二二年」も「二〇二三年」に直して訂正印を押した。
「いいんですか?」
「社長がいいと言っているのですから、いいんです」
 社長は「いいんです」を若干ドヤ顔気味で決め、クーポンを俺に手渡した。
「今朝、体調不良で来られなくなった参加者さんが複数いらっしゃいまして、最少催行人数を下回ってしまいました。しかし、今さら中止というのも申し訳ないので、猪名川さんに声をかけてみた次第です。取材にもなりますし、よろしいかと」
 最少催行人数は主催者の損益分岐点ではないのか。俺が入ったところで収入にならない気がするが、来てしまった以上帰るわけにもいかない。
「まぁ、構いませんけど……」
「ありがとうございます」
 社長が頭を下げる。やっぱり頭頂部の薄さが気になる。
「バスツアーって、どこに行くんですか」
です。の観光船に乗ったあと、アウトレットでお買い物して帰ります。猪名川さんは滋賀に行ったことはありますか?」
 俺は白地に赤いラインが入ったバスに目をやった。滋賀といえば琵琶湖、ということぐらいしか知らない。
「はじめてです」
 俺が言うと、社長は「それはいいですね」と表情をほころばせた。
「観光のつもりで楽しんでいただけたらと思います。私や鏡原さんに親しく話しかけてくるリピーターさんもいらっしゃいますので、猪名川さんも必要以上に私によそよそしくする必要はありません。ですが、あくまで本気の出会いを求めて参加してください」
「わかりました」
 知っている人がいるわけじゃないし、今日一日つつがなく過ごせばいいだろう。参加したところで全員がカップルになるわけじゃないことは二回の婚活パーティーを経てわかっている。あくまで場の空気を乱さずに、参加者の一人としてバスツアーを成立させたら良いのだ。
 俺はひとつ深呼吸すると、ちょうど今やってきましたという顔で鏡原さんの前に立った。
「おはようございます。猪名川けんです」
「ようこそお越しくださいました。身分証明書の提示をお願いできますか?」
 そうだ、忘れていた。俺はあたふたしながら財布を取り出し、マイナンバーカードを見せる。鏡原さんも抜かりなく記載事項に目を走らせ、「ありがとうございました」と俺に返却した。
「そうしましたら、6―Bの席に座ってください。それと、こちらのプロフィールカードの記入をお願いします」
 プロフィールカードとペグシルを受け取ってバスに乗り込むと、すでに十人ぐらいの参加者が座っていた。6―Bは六列目の通路側の席で、窓際の6―Aの席にはすでに女性が赤いブランケットをひざにかけて座っている。通路を挟んで隣の6―Cは空席で、6―Dにもショートカットの女性がいる。十列あるが、七列目から後ろは誰も乗っていない。
「失礼します」
 声をかけて隣に着席すると、女性が「よろしくお願いします」と笑顔を見せた。とりあえず、感じは良さそうだ。前の席についているミニテーブルを引き下げ、プロフィールカードに記入をはじめる。
 まずは名前である。前に参加したパーティーでは猪名川健人とフルネームで書いてしまったが、ほかの参加者は「たかし」とか「アリサ」とか「まこ」などと、下の名前だけ書いていた。たぶんそれが流儀なのだろうが、いざ書くとなると迷う。ひらがなで「けんと」はなんだか気恥ずかしい。Webライターとして使っている筆名は「KEN」だが、あれはネット上だから許される文字列であって、手書きの「KEN」はちょっとイタい。親や昔からの友人、マンションのオーナーのなかひろしからは「ケンちゃん」と呼ばれているが、ここにケンちゃんと書くのはアホすぎる。一周回って「猪名川健人」もアリなんじゃないか? あぁ、こういうこともちゃんと調べておけばよかったな。
 しばらく悩んでいたが、はたから見れば自分の名前も書けないやつだということになるので、観念して「猪名川健人(いながわ けんと)」と漢字とふりがなを併記した。
 生年月日と血液型は考えなくていいから楽だ。趣味には何を書こうと考えはじめたところでバスが発車し、鏡原さんがマイクを握って前に立った。
「本日はお集まりくださりありがとうございます。バスツアーの司会進行を務めさせていただきます、ドリーム・ハピネス・プランニングの鏡原でございます。どうぞよろしくお願いします」
 鏡原さんが頭を下げると、車内に拍手が響いた。見回してみると、俺の座っている六列目より後ろは結局誰も座っていない。一列目が鏡原さんと社長の席になっていて、一列あけて三列目から参加者が座っている。数えてみると女性は八人、男性は俺を入れて七人だ。たしかに男性六人ではバランスが悪いだろう。
「皆さまの普段の行いがよろしいのでしょう、見事な秋晴れでございます。これから向かいます滋賀県おお市の予想最高気温は十五度。たにがわ市よりは少々涼しいようですが、きっと美しい琵琶湖が待っていることでしょう。今回は婚活バスツアーという形ではありますが、婚活だけでなくバスツアーのほうも全力で楽しんでいただければと思います。なにかお困りのことがありましたら、私か、こちらのたかにお声がけくださいね」
 社長が立ち上がり、参加者に向かって頭を下げた。
「それでは、本日のスケジュールを説明いたします。大津までは一時間半ほどかかりますので、まずはバス車内で一対一のトークを行います。私が合図をしたら、女性はそのままで、男性は一つずつ席をずれていってください」
 なるほど、それで男が通路側なのだと納得がいく。
「ちなみに普段のパーティーですと、一組五分と決めてお話ししていただくんですが、高速道路走行中はお席の移動ができません。その間は、一人のお相手とじっくりお話ししていただきます。そうした時間の不均衡も含めてお楽しみいただけると幸いです」
 どんな状況でもポジティブにとらえさせる話術はさすがである。
「それでは、まず最初のトークタイムをはじめていきます。プロフィールカードがまだの方は、書きながらお話しください。それでは、スタート!」
 心の準備ができていないのにはじまってしまった。
「あっ、すみません、まだ書けてなくて」
 俺が謝ると、隣の女性が「全然大丈夫ですよ~」と言いながら自分のプロフィールカードを差し出してきた。名前は「あきな」、年齢は三十六歳。前回のパーティーでも思ったのだが、その名前で長年生きていると名前と顔がしっくりきている。きっと秋生まれなのだろう。茶色いカーディガンがよく似合っているのも秋っぽいなと思ったら、生年月日のところに「5月」と書かれていて若干騙された気分になる。
「どこまで書けたんですか?」
 あきなが俺の手元に視線を向ける。
「趣味のところまで」
「趣味、たしかに迷いますよね」
 あきなのプロフィールカードの趣味の欄には「読書」と書かれていた。これに対するコメントは一種類しかないではないか。
「あきなさんは読書が好きなんですね。どんな本を読まれるんですか?」
「わたしは純文学が好きで。『ぶんげい』とか『ぐんぞう』とか、雑誌で読んでます」
 これはなかなかのガチ勢っぽい答えである。
「へぇ~。この前のあくたがわ賞も話題になりましたもんね」
 俺が言うと、あきなは驚いたように目を丸くした。
「えっ? 読書されるんですか?」
 なにかを期待させてしまったようだ。俺が答えあぐねていると、
「すみません。純文学って言って、ちゃんと芥川賞を出してくる人が珍しくて」
 と言う。これは単純に「今回の芥川賞・なお賞ノミネートまとめ! 作者のプロフィールは?」というこたつ記事を書くために調べただけで、本の中身は一行も読んでいない。
「あ、本はあんまり読まないんですけど、ニュースを見るのが好きなので」
 我ながら変な言い訳である。あきなは「そうですか」とがっかりした様子を見せて、こっちも申し訳なくなる。
 それより俺の趣味はなんなんだ。前に参加したパーティーでは埋めることを優先に「寝ること」と書いたが、あきなに見られている手前、もうちょっとまともな趣味を書きたい。
 先日、シニア婚活パーティーで趣味はないと突っぱねるまつしように「相撲すもう観戦」と書かせた。その後家庭菜園をしていることが判明し、立派な趣味じゃねえかと思った。俺にも潜在的な趣味があるかと考えてみたら、記憶は中学生の頃までさかのぼり、ギターを買って全然弾けなかった黒歴史が蘇ってきた。
「趣味って、必ずしも楽しいことばかりじゃないですよね」
 あきなが言う。
「わたしも一応読書って書いてますけど、本当に趣味なのかなって疑問だったりします。読みたい本を買ったり図書館で借りたりして枕元に積んでるんですけど、正直『これを読まなきゃならないのか』ってうんざりすることもあって」
「なんとなくわかります」
 そんなふうに言いつつ、趣味の欄にばかり時間を使うわけにはいかないので、前回を踏襲して「寝ること」と書いた。あきなはそれを見て「いいですね」と笑う。
「わたしも病院に勤めていた頃は夜勤があって、寝る時間がバラバラだったんです。たまに連休があると、たくさん寝すぎちゃったりして」
 病院で夜勤がある仕事? あわてて職業欄に目をやると、「看護師」と書かれている。そんな立派な資格を持った人がなぜこんなマイナー企業の婚活バスツアーに参加しているのだろう。いや、それはドリーム・ハピネス・プランニングをバカにしすぎだろうか。
 こういうのは勢いで記入したほうがいい。つづいて「これまでで一番うれしかったこと」には「宝くじで10万円当たったこと」、「理想の結婚相手の条件」には「健康な人」と、深く考えずに書き入れる。
「あと一分で席替えになりまーす」
 鏡原さんがアナウンスする。
「すみません、今さらですが」
 俺は書き終わったプロフィールカードをあきなに手渡した。あきなは「猪名川健人さん」と書かれたとおりに名前を読んだ。
「健康なこと、いいですね。一番大事です」
 あきなが俺のプロフィールカードを見てうなずいた。さながらカルテを見ながら診断する医師のようだ。
「猪名川さんも健康そうですね」
「おかげさまで」
 Webライターの収入だけで生活が成り立っているのは、健康だからにほかならない。たいした蓄えはないし、大病すれば一気に立ち行かなくなるだろう。
 健康についての話をしているうちに一分が経ち、席替えの時間になった。
「それでは、こちら側の列に座っている男性は一つ前の席にずれてください。一番前の方は、右側に。そして、こちら側の列の男性は一つ後ろに移動します。循環するようなイメージです。どうぞ」
 その調子でさらに二人の女性と話し、三回目の席替えになった。
「次の方とのお話し中に、高速道路に入ります。サービスエリア休憩までの一時間程度、その方と隣同士になります。もちろんずっとおしゃべりしている必要はありませんが、これもなにかの縁ということで、楽しんでくださいね」
 これまでの三人は特に話が弾むわけでもなく、かといって苦痛なわけでもなく、ちょうどいい温度だった。この調子なら長時間過ごす四人目も大丈夫だろうと思いながら、3―Bの席に座る。
「よろしくお願いします」
 可もなく不可もないであろう挨拶から入る。3―Aに座る女性は俺の顔をいちべつして「よろしく~」と語尾を伸ばした。赤いフレームのメガネをかけていて、前髪はかなり短い。上の前歯が二本、ちょっと出ている。
「婚活バスツアーはじめて?」
「はい」
 普通に答えたものの、初手からタメ口なんてくせものしゆうしかしない。差し出されたプロフィールカードの名前の欄には「MOMO」と書かれていた。手書きのアルファベットはやっぱりどことなくイタい。
「MOMOさんは何度か来られてるんですか?」
「うん、来てるよ」
 あ、これはヒカル的な口調だろうか。一瞬しっくりきたものの、やっぱり違うんじゃないかって引っかかりが消えない。
 MOMOの年齢は三十二歳。俺とは八歳離れている。俺もつい最近までそれぐらいだと思っていたのに、いつのまにか四十の大台に乗っていた。きっとあれよあれよという間に五十歳になってしまうのだろう。
「婚活バスツアーはコスパがいいからね。都合がついたら参加してる」
「コスパ」
 俺も記事ではよく「コスパ最強! リピ確!」と書いたりするが、声に出してみると変な感じだ。
「猪名川健人っていうんだ。ケンティーって呼ぶし、あたしのこともMOMOって呼び捨てでいいよ」
「ケンティー」
 おもしろワードが次々飛び出てきて、俺はそれをリピートすることしかできない。
「もしかしてMOMOって海外に住んでた?」
「えっ? わかる?」
 MOMOが目を見開いて、わざとらしく両手を口に当てる。
「ロサンゼルスに留学してたことがあるの」
 ロサンゼルスが思いっきりカタカナ発音だった気がするけれど、そこだけで噓だと判断するのは性急だ。車窓からは高速道路のインターチェンジを示す緑の看板が見えて、ここから一時間MOMOと親睦を深めることになるのだと身が引き締まる。

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