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岩井圭也「われは熊楠」:第四章〈烈日〉——熊楠、父に

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第四章 れつじつ

 一九〇九(明治四十二)年の真夏。
 田辺たなべわんにあるおうぎはまには、はげしい日差しが降り注いでいた。炎天から射られる陽光は、砂浜に色濃い木陰を生み出してもいる。光が熱を帯びるほどに、明暗の対比は際立っていく。
 浜辺から歩いて十分ばかりの距離に、なかしきまちなかちようの借家はあった。潮まじりの風がそよぐ縁側で、一人の男が顕微鏡を覗いている。広袖のしろじゆばんを着て、下半身には腰巻をまとっている。
 紙巻き煙草の「あさ」を吸いながら、熱心に顕微鏡を覗いているのは、よわい四十二のみなかたくまぐすである。アメリカで業者に作らせた単式顕微鏡は、肌身離さず持ち歩いている愛用の品であった。煙草をくわえたまま、口の端で器用につぶやく。
「踊っちゃあるわ」
 熊楠の目に映っているのは、午前中、田辺湾のしまで採取したばかりのねんきんであった。レンズの下では、白褐色のアメーバ状の生き物が、肉眼では捉えきれぬ速さでゆっくりとうごめいていた。へんけいたいと呼ばれる状態である。
 粘菌は、独特のせいかつかんを持つことで知られる。
 顕微鏡下に見える変形体の時期には、粘菌は自ら動き回ってバクテリア等のエサを捕食する。しかしひとたび周囲に食物がなくなると、小型のきのこのような形状に変化する。じつたいと呼ばれる状態だ。子実体となった粘菌は胞子を撒き散らし、そしてまた変形体となる。
 粘菌には、複数に分かれても各々が生き延びられる、という特徴がある。時おり、障害物にぶつかったり、落下物で断裂したりして、変形体が二つに分かれることがあるが、息絶えることなく二つのまま生存する。さらには、分かれた二つの個体が再び融合することもある。粘菌を見ていると、自己の輪郭が溶けていくようだった。
 田辺町に住みはじめてからというもの、熊楠には粘菌のことが気にかかって仕方ない。きっかけは、数年前に山中でだいにちによらいを見たことであった。しんごんみつきようほんぞんたる大日如来の正体こそが、粘菌であった。
 当時は採取すべき生物が如来として見えていた。その力はとうに失われていたが、あの、朽木の裏で一際輝いていた大日如来の面影は、熊楠の脳裏に深く刻まれていた。
 ——いっぺん、ちゃあんと見たろか。
 そう決めて無心に観察したところ、瞬く間に、粘菌の生き様に引き込まれた。最も興味深いのは、その生死の在り方であった。
 一見、変形体の時期にある粘菌は、不定形の痰のごときものであり、その姿はいかにもぶつを連想させる。一方、子実体へと変わればあたかもすっくと「生えた」かのようであり、こちらこそがかつぶつであると言いたくなる。粘菌の種属の判別も、主に子実体によって行われる。
 しかし粘菌自身にしてみれば、変形体こそが活発に動き回りエサを捕食する活物としての時期であり、子実体は消耗を防ぐ死物としての時期である。死物こそが活物であり、活物こそが死物である。このように生死が裏返った生命は、熊楠が知る限りは粘菌のみであった。
 粘菌を見ていると、地獄のしゆじようを連想する。人の世で罪人が死にかかると、地獄では新たに衆生が一人誕生する。生と死の意味が逆転している。死ぬことは生きることであり、逆もまた然りであった。
 塀の向こうから、子どもの歌声が聞こえてきた。ふと耳をすますと、ひと月前に行われた田辺祭りで耳にした囃子はやしであった。他の地域で聞いた覚えがないため、田辺独特の地歌かもしれない。熊楠は祭りの類とは無縁であったが、七月の田辺祭りの喧騒はいやでも耳に入ってくる。
 熊楠は陶の灰皿に吸殻を捨て、しばし耳を傾けた。那智を下山して、この秋で五年になる。田辺の空気にもすっかり馴染んでいた。
「しかし、暑いのう」
 県南は、和歌山市などの県北に比べて雨が多い。そのせいか、夏の蒸し暑さも格別に感じられた。
 囃子が聞こえなくなって間もなく、今度は幼児のぐずる声が耳に届いた。熊楠はのそりと身を起こし、襖で隔てられた隣室へ顔を出した。のなかに二人の影があった。妻のまつの膝に、男児が顔を突っ伏している。二歳の息子——くまは、何が気に食わぬのか、猛烈な勢いで泣いていた。
 松枝は振り返って苦笑した。
「昼寝から醒めたら、機嫌わるなってもて」
 傍らを見れば、亀の焼き物のおもちゃが転がっている。熊弥が眠っている時にいつも握りしめているものだ。熊楠は亀のおもちゃを拾い上げ、熊弥に「どないした」と声をかけた。振り返った熊弥の顔は真っ赤だった。
 ——かんしやく持ちは、わえに似たか。
 熊楠がおもちゃを差し出すと、熊弥はちゆうちよするように受け取った。
ととぅ、父ぅ」
「なんじゃ、ヒキ六め」
 ヒキ六、というのは熊楠が息子につけたあだ名だった。生まれて間もない頃、仰向けに寝転がる姿がヒキガエルに似ていたためそう名付けた。熊弥は膝立ちで、父に向かって両手を伸ばした。
「抱っこ、抱っこ」
 言われるがまま、熊楠は両腕で熊弥を抱き上げた。幼児の汗の匂いが鼻先をかすめる。安心しきった熊弥は体重を預けていた。熊楠の着ている白襦袢の左肩辺りが、涙とはなで濡れた。泣きやんだ熊弥は亀のおもちゃを握りしめ、洟をすすっている。
「えらいおもなった」
 つぶやいた熊楠は、那智を離れてからの五年間に思いを馳せていた。

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