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ブックレビュー:権威主義とポピュリズム~後篇・各国情勢~|白石直人

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アメリカ

 2016年のアメリカ大統領選では、大方の予想を覆してトランプが当選した。暴言や差別的発言を繰り返すトランプがなぜ熱狂的に支持されたのか。トランプ支持者を考察した本は少なくないが、その中で金成隆一・著『ルポ トランプ王国──もう一つのアメリカを行く』(岩波新書)は、著者自身の見解は最小限にして、トランプ支持者の考えの記述に徹しており、立場を問わず有益なルポルタージュに仕上がっている[1]。

 ラストベルト地帯を中心としたトランプ支持者から口々に上がるのは、雇用や社会保障の問題である。こうした人々は、昔からの肉体労働を誇りに思っており、努力しても報われずに失業や廃業に陥る現状、そしてそうした状況に耳を傾けないエスタブリッシュメントに強い恨みを抱いている。エリートの偽善的、二重基準的な振る舞いも、怒りを増やす原因である[2]。もっとも、単純な党派性で割り切れない部分も多く、ヒラリー・クリントンは蛇蝎のごとく嫌うが、夫のビル・クリントンは評価するトランプ支持者も意外と存在するのはなかなか興味深い。

 トランプは、実効性はともかく「自分たちのことを見てくれている」と思わせる振る舞い(少なくともそういうパフォーマンス)をする。長らく見捨てられていたと感じる人々は、自分たちのことを見てくれるトランプを熱心に支持している。この点は、彼らからしたら外国人記者に過ぎない著者の取材に対し、きわめて熱心に応対するトランプ支持者の多さにも表れていると思う。著者もまた「自分たちのことを見捨てず、話を聞こうとしてくれる人」であるがゆえに、親切に応対し一生懸命自分の話をしているのだろうと感じられる。

 トランプ現象から100年弱前の1930年代にも、アメリカでポピュリズムの嵐が吹き荒れた。三宅昭良・著『アメリカン・ファシズム──ロングとローズヴェルト』(講談社選書メチエ)は、ポピュリストの手法で絶大な支持を獲得し、ルイジアナ州に独裁体制を築き、かのフランクリン・ローズヴェルトをも恐れさせたという、ヒューイ・ロングを描いた本である。本書の警告は、ポピュリズムの吹き荒れる現在にこそよく響くものであろう。

 ルイジアナでは、大企業と政治家の癒着が問題となっていた。ロングはこれを突き、一方では過激なまでの富の再分配を訴えて、これまで見捨てられていた貧しい人々の味方だというパフォーマンスにより、もう一方では恫喝や不正、収賄などのありとあらゆる手段を利用して、ルイジアナ州知事、そして連邦上院議員に登りつめた。人事権や公共サービスの権限を一手に握ることにより、自分を支持しないものには容赦なく攻撃を加えた。大企業や既成政治勢力を「結託した敵」として陰謀論めいた非難をする手法は、ポピュリズムそのものである。ロングの支持者は、彼の強権的な手法にも「彼のおかげで恩恵が来ているのだからいいじゃないか」と目をつぶった。

 当初ロングはローズヴェルトの支持者のように振る舞っていた。だが、ローズヴェルトの応援にかこつけて自らの宣伝を繰り返したり、果てには自分の政策を勝手にローズヴェルトの約束だとして吹聴して回ったりするに至り、ローズヴェルトはロングと決別し全面的に対立することとなった。ロングはローズヴェルトのニューディールは生ぬるい不徹底なものだと批判し、ニューディール政策にはさまざまな議事妨害を行いつつ、実現不可能な資産課税をぶち上げて貧困層からの喝采を浴びた。ロングに対抗しようとするローズヴェルトは、連邦人事を利用して反ロングの人間を固めたり、ルイジアナでのニューディールの執行を止めたりと、その手段はどんどんロングのそれに酷似していった。最終的には、ローズヴェルトはルイジアナへの軍事介入を主張し、司法省に憲法違反だと止められる始末であった。

 ロングを動かしていたのは、果てしない支配欲、そして自分に歯向かった敵を跪かせてやるという復讐心であり、イデオロギーには頓着しなかった。貧困層への福祉政策ももっぱら権力行使のための道具であり、必要とあらば(当時の黒人差別渦巻く南部にありながら)平然と黒人の参政権を認める打算も持ち合わせていた。その一方、メディアを検閲し、裁判所や警察も支配して何が犯罪かをすべてロングの匙加減で決められるようにし、選挙管理委員会もすべて知事の一任にして選挙不正を自在に行えるようにしようとした。こうしたロングの独裁体制は、彼が暗殺されることによってあっけない幕切れとなった。だが、稀代のポピュリストが暗殺者の凶弾によってしか止まらなかったという歴史に、我々は暗澹とせざるを得ない。

ヨーロッパ

 庄司克宏・著『欧州ポピュリズム──EU分断は避けられるか』(ちくま新書)は、欧州のポピュリズムはむしろEUによって生み出された存在である、という立場から、EUが作られた意図及びそれとの欧州ポピュリズムの関係を論じた本である。

 著者は、EUは「代表性民主主義の制約を回避して政策決定を行う場」として作られていると論じる。元々の欧州統合は、市場統合などの超国家的な政策を推進するために、国内政治から切り離された形で、各国首脳の間でコンセンサスを形成できるように進められていた。要するにEUは「国や社会全体で見れば必要性があるが、有権者に不人気な政策」を実現するための手段、言い換えると民主主義の機能不全を補完するものとして構築されたということである。そのため、EUはテクノクラート的な制度設計となった。

 しかしEUは当初の目的を大幅に超え、様々なリベラルな価値の実現のための場へと変化した。そのためEUは、「エリートが各国に政策を強制する」側面が色濃くなっている。各国内の選挙によって政権交代をしてもEUから課された義務を変更できないことは、各国内の民主主義の空洞化ももたらしている。また、欧州議会の特殊性として、政府対野党という通常の対立関係が存在していない点が指摘されている。そのため、EUの政治に対して責任を問うシステムが欠けており、その野党の地位を欧州ポピュリズムが占める形となっている、というのが著者の主張である。

 EUは、EU加盟時には各国に厳しい条件を課すのに対し、一度加盟してしまえば、その約束を果たさなかったり、むしろその条件を後退させるような政策を行ったとしても、罰したり強制したりする手段をほとんど持たないという制度上の欠点を抱えている。実際、ハンガリーやポーランドは民主主義や法の支配を大幅に後退させる政策をとっているが、EUは有効な手を取れていない。その一方、これらの国はEU予算の純受取国であり、そのためこれらの国はEUの理念を無視しつつもEUから離脱しようとはしない。

 庄司『欧州ポピュリズム』が制度の観点からの分析だとすれば、中井遼・著『欧州の排外主義とナショナリズム──調査からみる世論の本質』(新泉社)は、欧州の人々の世論からポピュリズムの状況を明らかにしようとする本である。一般書と学術書の中間に位置付けられる水準の、なかなか高度な内容の本である。

 本書の一つの重要な主張は、欧州においては経済的な状況(貧困)と右翼政党支持・排外主義は結びついていない、というものである。世論調査によって明らかになるのは、右翼政党支持と結びつくのは「自国の文化が破壊される」という懸念やEU(欧州統合)に対する懐疑的な見方である。また、EUに懐疑的な人ほど、移民を文化的侵略者として見がちだという結果も得られている。

 より細かい調査には、通説とは異なる世論の側面を明らかにするものもある。例えば男性や地方農村部在住者ほど右翼政党を支持しやすいというイメージはあるが、著者の解析によると支持政党の有無で分けるとその効果が消えるという。つまり、実際には男性や地方農村部在住者は単に(右も左も)支持政党を持ちやすいだけであり、特に右翼政党を支持しやすいわけではないということである。またフランスで行われた、リスト実験という対象者の本音を引き出せるタイプの調査[3]の結果も興味深い。これによると、極右の国民戦線支持者は必ずしも反移民感情が有意でなく、逆に中道右派政党の共和国前進の支持者の反移民感情が有意に検出されたという。一見穏健な共和国前進の支持者は、単に普段は反移民感情を隠して立ち振る舞うだけの一方、見た目過激な国民戦線支持者は、逆に人前では自身の心情以上に過度の反移民パフォーマンスをしている可能性もある。

 ラトビアの選挙前後での排外意識の変化についての結果も非常に悩ましい。著者の調査によると、選挙前後で排外意識をもっとも強めるのは、政治的関心は高いが固定した支持政党はなく、選挙のたびごとに政治情報を集めて投票先を決める「意識の高い有権者」だという。これは、選挙時に右翼政党は排外主義的な宣伝を流し、きちんと政治情報の収集を行う層はその影響を最も受けやすい、ということだが、その帰結は極めて逆説的である。

東アジア

 大澤傑・著『「個人化」する権威主義体制──侵攻決断と体制変動の条件』(明石書店)は、東アジアで日本を取り巻く三つの権威主義国家である、ロシア、中国、北朝鮮を考察した本である。これらの国を単独で分析した本は多々あるが、本書はこれらの国を権威主義論の枠組に基づく俯瞰的な視点から分析している点に特徴がある。

 これら三つの国は、権威主義のうち、特に特定個人にすべての権限が集中する個人独裁の権威主義体制になっている、あるいは向かっている国である。ロシアは個人独裁の基準をすべて満たしており、北朝鮮もほぼすべて満たしている。これに対し、中国はもともと支配政党独裁であったが、習近平政権の下で個人独裁への移行が進みつつある。習近平は、人民解放軍の体制を大幅に改変して自身の統帥権を強化し、中央軍事委員会の人事では面接を課して軍の掌握を進めている一方、人民解放軍は「党のための軍」だという建前は崩されておらず、習近平個人のための親衛隊なども現状作られていないため、個人独裁への移行はまだ途上であると位置づけられている。

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