夢枕獏「ダライ・ラマの密使」序章 #005
「このシャンバラについては、幾つかの記述が残されているのですが、その中でも一番有名なのが、第三世パンチェン・ラマであるロプサン・ペルデン・イェシェが書いた『シャンバライ・ラム・イック』——つまり、『シャンバラへゆくための道案内書』です」
「————」
「それを、三世パンチェン・ラマが書く時に参考にしたのが、チベット大蔵経論疏部の『カラーパル・ジュクパ』です。『カラーパルへの案内書』といった意味で、このカラーパルというのは、シャンバラの首都の名前ですから、これは、そのまま、“シャンバラへの道案内書”ということになりますね」
「え、ええ」
「その『カラーパル・ジュクパ』の中で、シャンバラを捜す旅人に対して協力してくれる魔女の名が、確か、マンデーハであったと記憶しているのですがね」
シーゲルソンは言った。
その『カラーパル・ジュクパ』は実在し、質問者エーカジャティー女尊の問いに対して、観自在菩薩にかわって、聖者アモーガーンクシャが、カラーパルまでゆく方法について語るという形式をとっている。
ちなみに、マンデーハについて記述されている部分は、以下の通りである。
探求者は北へ向かって二十一日の間、草、木、水の気配すら無い砂漠の中を歩き続けなければならない。この砂漠を越えると今度は大きな森に出る。毒蛇や虎、他にも危険な野獣が群棲する油断のならない森である。この森を抜けるには十二日間かかるであろう。やがてはるか行く手に巨大な山が浮かび上がってくる。山の王者ガンダーラである。この山には翼の生えた獅子が住み、形の変わる身体をした魔物を毎日大量に殺戮している。
探求者は、この獅子が殺した魔物の血でもって、黒い石板の上にマンデーハという名の魔女を描かねばならない。赤い体をしたこの魔女は牙を剥き出した怒りの表情をし、腰を人間の皮で覆っている。左手で剣を振りかざし、右手は血、肉、心臓の詰った牛の皮袋を掲げている。探求者は描き終えたマンデーハの絵の前に血と肉の供物を捧げ、自身を水牛に乗った死王の征服者ヤマーンタカとして観想せよ。この菩薩の真言を唱えると魔女が出てくる。彼女が現われたら探求者は肉を捧げよ。そして激怒する者ヤマーンタカの力によって、即座に彼女を屈服させるのだ。魔女は探求者に何を望んでいるのか、と尋ねる。探求者は次のように答えよ。
「おお、魔女よ。私は一切有情を利益し、幸福にするためカラーパルへ行こうとしている者です。どうか、この様な空漠たる土地にあっても、私に食物を施して下さい」
魔女はその願いを承諾すると消える。
このようにして、探求者は、荒野での食物を得、シャンバラにむかって進んでゆくことになるのだが、引用した部分について、ここで少し説明を加えておくことをお許しいただきたい。
“死王の征服者ヤマーンタカ”についてである。
かつて私が読んだ仏典資料の中にも、このヤマーンタカが菩薩でもあるという意味の記述(この菩薩の真言)があり、どうして尊神であるところのヤマーンタカが菩薩であるのかと疑問を持ってしまったので、ついつい文献をあさって調べてしまったことがある。
このヤマーンタカ、「手綱・馬勒」、つまり抑制とか拘束を意味するヤマと、「死」を意味するアンタカが合わさってできた言葉で、日本においては、大威徳明王の名で呼ばれている。ヒンドゥー教の夜摩天——すなわちヤマに通じ、ヤマはつまり日本でいう閻魔天、エンマのことだ。ヤマは、この世で最初の人間であり、つまり一番最初に死んで死後の世界に行った人物ということになる。ヤマはそこで、最初の死者として、後からやって来る死者を従えて、その世界の王となった。これが、地獄の王閻魔となってゆく。引用した記述にもあるように、“覚禅鈔”に、牛に乗った閻魔天の図が描かれていることから、ヤマーンタカ、大威徳明王、閻魔が同じ存在であるとは理解できるのだが、では、何故、閻魔であるヤマーンタカが菩薩なのか。
実は、この大威徳明王、文殊菩薩の化身であるとする考え方がかなり古くからあって、それで、ヤマーンタカのことを“菩薩”と呼んだりしているらしい。
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