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作家・南木義隆が一冊の本を上梓するまで──ロングエッセイ「百合とリヴァイアサン」

WEB別冊文藝春秋

 初長編小説、そして初単行本となる『蝶と帝国』をこの度上梓される南木義隆さんの長編デビュー記念エッセイをお届けします。南木さんがデビューにあたって大事にされたのはあくまで「百合」を書くことでした。
 百合小説であるだけで売れないとされる中で、それでも自分の信念を貫いた南木さんを支えたものとは――。

 二〇一五年、二十三歳の僕はある小説講座を受講していて、淡く日が差す五月の午後に、ちょっとした浮遊感を覚えつつ日本近代文学館へ向かっていた。小説家志望の青年にとって、理想の一つである作家を前にすることは、些かの緊張と、高揚とが入り混じっていた。その頃に僕が書いた小説は短編が十数本に、長編が一本。ほとんどが同人誌に寄せて書いたものだが、幾つかは新人賞にも送った。創元SF短編賞に三度送っていずれも一次選考落ち。ハヤカワSFコンテストに当時唯一書き上げられた長編を送って二次選考落ちが最高成績。
 講師の津原泰水先生は短編「五色の舟」がその前年、雑誌『SFマガジン』の創刊700号記念をもって行われた作家や評論家、そして読者の投票によって決する「オールタイム・ベストSF」国内短編部門にて星新一や小松左京を抑えて一位を飾り、長編部門でも『バレエ・メカニック』が二十四位に入っていた。身構えるな、というのが無理な話だ。

 日本近代文学館は、駒場東大前駅から徒歩数分のところにある目黒区駒場公園内に併設されている。改札をくぐると広がる東京大学のキャンパスを擁する街は真新しいデザインハウスもあれど、歩いてみれば古風な邸宅にまず目がいく。歩道から家を隠す塀の上からはよく手入れされた花や木がところどころ突き出していて、なかでも紫色をした藤の花が多い。垂れ下がる藤の下を通るたびに少し甘い匂いがして、蜜を吸う蜂を刺激しないようにゆっくりとした足取りを心がけた。
 閑静な住宅街、という定型句がこれほど似合う場所も初めてだと感心するくらい、しんとして、人気ひとけはなく、子どもたちの声も遠くからしか聞こえなかった。あるいは十六歳で高校を中退し、七年間にわたる実家での無職暮らしを終え、生まれて初めての一人暮らしを始めてほんの二月ほどの僕にとっては、ありふれた街の光景が実際以上に劇的に見えていたのかもしれない。
 いずれにせよ僕は歩きながらなるべくその景色や匂い、音、空の模様を記憶し、文章にするならどう描写するか考えを巡らせていた。
 その小説講座は出版エージェントが主催したもので、三月に始まり、月に一度、一回二時間が計六回。その日は三回目だった。初回は文学館に併設されたカフェで行われ、サービスで珈琲が振る舞われた。津原先生は自身の作品を紐解きながら永井荷風ながいかふうの『断腸亭日乗だんちょうていにちじょう』を引き、丁寧に都市の記憶を描写した文章は、後世でその時代を書こうとする者にとって史料価値を持つと同時になによりもイマジネーションが働く参照元になり得る、と語っていた。
「たとえばみなさんなら駅からここへの道のりをどう書くでしょう? 日本近代文学館にいらしたのは初めてか、あるいは過去に訪れたことがあるか。建物の印象は、威厳があるか、古めかしく感じるか。駅員の感じはいかがでしたか? 今提供されている珈琲のお味は? 僕は悪くないように感じます。かように、体験した物事を意識して自分自身の記憶に留めおくだけでも価値があります。それも目に見えるものだけに捉われないよう。匂いや音、触覚、味覚。すなわち五感を意識してください。すぐに使えずとも、物を書き続けていたならば、いつかなにかの役に立ちます。現実を書こうとも、現実ならざるものを書こうとも」

 差し当たり二〇一五年の東京を舞台とした小説を書く予定も構想もなかったけれど、ギター少年が覚え立てのテクニックを繰り返すように、僕は頭のなかでその五月の午後を何度も書いては消していた。空は薄く雲がかかっている。白い花を咲かせる木はちょっと考えてから柚子だと思い出した。夏になって実ができると、盗む子どもがいるのかもしれない。
 一つ覚えのように目についた花の前で足を止めていた僕を、「あぁ、南木くんじゃないですか。こんにちは」と津原先生が呼び止めた。片手に袋を下げていて、後ろを軽く振り返る。
「ここのパン屋、結構評判らしく。南木くんも今度行ってみたらどうでしょう」
「あ、はい。こんにちは」と僕はやはり少し緊張しながら答えた。
「ちょうどいいですね、このまま行きましょうか」と、津原先生はのんびりとした足取りで僕に並んだ。
 せっかく二人で自然に話せるタイミングなのだから、と、僕は日本近代文学館までのほんの数分で、彼の小説がいかにハイティーンから今日に至るまでの自分に影響を与えたのか伝えようとした。アメリカのギター少年がトム・モレロ、あるいはジャック・ホワイトと並んで楽器屋へ向かう機会を得られたところを想像して頂きたい。僕は彼の小説を原稿用紙に手書きで写経コピーしたことだってあるのだ。
 津原先生は僕が話すどんな話題にも飄々ひょうひょうとした風情で、「はいはい」とうなずいていた。
水牛群すいぎゅうぐん」という短編の話に至り、僕はかつて自分の抱えていた精神の病について話をした。「水牛群」の主人公は精神を病み、絶えぬ焦燥とアルコール禍の下に様々な怪異幻想と対峙する。僕はそれを読んだ当時、Amazonの倉庫でカフェイン錠剤と精神安定剤を同時に飲み下しながら、AIの指示に従って荷物を上げ下げする仕事で、日銭を稼いでいた。
 山積みになった、若い女性の全裸がジャケットとなったアダルトDVDを日に何枚もカートに入れていく作業(何しろ一番の売れ筋商品だった)を続けていくうちに、女性の肉体が奇妙に歪んで見えるようになった自分を、小説の主人公に重ねていた。
 僕の早口を聞き終えた津原先生は、「そうですか、Amazonの倉庫とはなかなかユニークだ」と、少し笑った。それから「あの作品は、僕自身の過去の経験が幾らかなりとも反映されています。もしかしたら、それが当時の南木くんのなにかと通じるところがあったのかもしれません。物語にはしばしばそのような作用があります。もちろん、そのまま書くのではなく、小説、文章にいかに落とし込むかが肝心要かんじんかなめなのですが……まぁ、それは追々。そのことについても、上手くお教えできればいいのですが。とまれ、ご経験は大事になさって下さい。つまり、南木くんにとっての『水牛群』のような作品がいつか書き得るのかもしれないのですから」と、それまでの雑談と同じような、なんでもないような口調で言った。
 僕は自分から話を振ったくせに照れくさくなって、「三回生まれ変わってもあんな作品は書けません」と言った。
「それ、どこかで聞いたことあるような」と津原先生は言った。
宮部みやべみゆきさんが、『虐殺器官』について言ったことの真似です」と僕は答えた。同作の文庫版の帯文になっている言葉で、『虐殺器官』は先述の『SFマガジン』による「オールタイム・ベストSF」の国内長編部門五位となった作品だ。
「ああ、伊藤いとうさんは紛れもない天才ですね……」と津原先生は頷いた。彼と生前の伊藤計劃けいかくに親交があったことを僕は知っていた。そしてすぐに相変わらずの微笑を浮かべて、「しかし、宮部さんに三度も生まれ変わられては、僕ら日本の小説家はみんな商売あがったりになってしまうな」と続けた。そんな話をしている間に、僕らは日本近代文学館へとたどり着いた。
 この二人は講座のなかでもっとも重要な一編である「五色の舟」に関わる人物としても登場した。前者は同作の初出が河出書房新社のSFアンソロジー『NOVA 2』に書き下ろされたときの手強い共演者という話で。後者は前述の『SFマガジン』「オールタイム・ベストSF」の国内長編部門の首位が伊藤計劃の『ハーモニー』で、短編と長編の首位という形で並べたことを誇りに思うという話で。
 宮部みゆきの『模倣犯』も小学生の僕に読書の楽しさを教えてくれた特別な小説の一つだけれど、今回は伊藤計劃が生前に遺した二作のオリジナル長編小説のうち、遺作となった『ハーモニー』について語りたい。

 僕が伊藤計劃を読んだとき、彼は既に鬼籍きせきに入っていた。二〇〇九年のことだ。『ハーモニー』を駅前の図書館で読み終え、矢も盾もたまらなくなった十八歳の僕はすぐ図書館を出て外をうろうろと歩き始め、冗談ではなく隣の駅まで行ってしまった。
 それは当時まだ小説を書き始めたばかりの自分が、頭のなかにおぼろげに夢想していた……あたかも砂上さじょう楼閣ろうかくのようなものが、現実に、小説の、単行本という形でこの世に存在していたという驚きからだ。
 小説に対して素晴らしいと思ったことは数多くあるし、そのなかで限られた幾つかに関しては、あり触れた表現を許してもらえるなら、「まるで自分のために書かれたかのよう」と思ったものもある(「水牛群」なんかはその典型だ)。
 けれど、それらの物語に関する感動とはまた別種の、「自分がこんなものを書けたらいいなと思っていたようなもの」を読んだのは『ハーモニー』が最初で、おそらく最後だ。
 どうして『ハーモニー』がこれほど例外的だったかと説明するには、まずは「百合」と「社会」について書かないといけない。

 十代の後半の僕は、おおむね二つの世界を行き来していた。「社会」という我々が近代国家を生きるために必要不可欠であると同時に、それゆえに「社会構成員」であることを求められる、激しく憎らしく、恐ろしいリヴァイアサンに苦しめられる現実の世界。
 そこでは僕は別になにも望みはしないのに、リヴァイアサンは僕に「社会構成員の男性」であることを強いてくる。思春期よりもっと昔、本当の少年時代にはファンタジーの、剣と魔法の世界(『指輪物語』を何度読み返しただろう)が逃げ場になったが、迫り来る成熟の気配と、否応なしに見え隠れする社会、リヴァイアサンから逃げようとする僕にとっては剣と魔法は、心許ない武器と化していた。

 そんな僕のなかでリヴァイアサンを唯一退け得るのは、マリア様が御座し何者にも目を逸さぬ世界、すなわちリリアン女学園のような、少女の曲がったタイを少し年上の少女(お姉さま)が直す、「百合」の世界だけだった。
 百合は概ね女性同士の恋愛、あるいは友愛についての物語を表す用語だ。単なるジャンルではなく、それは一つの価値観ですらある(と少なくとも僕は考えている)。それは一見、閉じられた箱庭であるように見えて、『マリア様がみてる』にて卒業生がリリアン女学園を巣立っていくことが象徴的な主題であるように、酷薄こくはくで、封建ほうけん的で、家父長かふちょう的で、暴力的な一般社会に対する、一つのオルタナティブな価値観として機能しているのだ。心のどこかにリリアン女学園が存在しているのと、していないのとでは、少なくとも僕にとっては現実との関わり方に大きな違いが生まれる。

「百合」に出会う前の思春期の初頭、つまり十三歳くらいまでの僕は自分が一九六〇年代にいなかったことを呪っていた。そこにはまだ古びる前の、青春時代を生きるロックンロールがあったし、ジャック・ケルアックが『路上』で書いたようなビート・ジェネレーションの旅がまだ存在し、フリージャズの時代でもあり、日本でも『限りなく透明に近いブルー』のようなドラッグと乱交にまみれた世界が存在していたはず……そう、十代前半の僕は考えていた。
 今の自分はさすがにこれほど社会を単純化していないし、ドラッグには一切興味がない。けれども、学ランの袖を通し、歩いて数分の中学校に行こうとするだけで、道端で激しく嘔吐おうとしてしまっていたような、絶えず呼吸困難の僕にとって、『ホテル・カリフォルニア』以前の時代(イーグルスは「スピリッツは一九六九年より切らしております」と歌う)は、自分の生きている今現在とは違った息継ぎの方法があったように思えてならなかったのだ。
 先に知ったはずの、(そしてもしかしたら同じ効能が得られたかもしれない)「BL」が僕にとって興味深いジャンルでありつつ決定的な救いにならなかった理由は、もしかしたら僕がBLを知るより先に同性(つまり男性)とセックス(の真似事のようなもの)をした経験があったからなのかもしれない。どれほど良質なファンタジーであっても、物語から男性的なるものの肌触りを感じると、それは時として記憶を伴って生々しく自分に転移した。
「百合」には最初から自分の存在可能性が閉ざされていることが重要かつ、革新的だった。僕は社会的存在でありたくなかったし、社会的に成熟した男性になることがこわかった。ここに父親不在の家庭で育ったという僕の現実的来歴がどれほど機能しているかについてだけは説明したくない。それはカウンセリング・ルームのなかですでに完結したことだからだ。
 二〇〇〇年代初頭の「百合」は今ほど多様ではなく、ずっとイノセント・ワールドとしての色合いが濃かったのも、大きく作用しているのかもしれない。けれども、僕は昔から今に至るまで、僕以外の何者かに生まれ変わりたくないし、僕自身がここと異なる世界に行きたいとは思わない。それは僕にとって逃避でもなんでもないのだ。
 僕は自身の存在可能性が予め否定された絶対的に完結した世界を心のうちにこしらえ、澄んだ湖の底にある世界をボートから見下ろし、その調和された光景こそを「本当の世界」と信じることで、一時いっとき、リヴァイアサンから逃れることができた。

 十代半ばの僕は「百合」という別個の確立した世界を介して、あらゆる「社会」と向き合った。それは時としてインターネットの世界であり、同好の士との関わりだった。
 僕はほとんど「百合」について語り合うためだけに最初は掲示板、次にmixi、最終的にはTwitterに行き着いた。なにしろ高校を中退していたので、時間は際限なくあった。
 Twitterはその短文連投機能性によって、風変わりな人々に「君は小説を書けるのではないか」と持ちかけさせた。『文学フリマ』という文芸中心の同人誌即売会がちょっとした隆盛期を迎えていたのも要因の一つだろう。
 最初、僕は「社会への呪詛じゅそと、百合っぽい妄想くらいしか思いつきません」と消極的な返事をした。
「それについて書けば文学になりますよ」と、僕に人生で初めてオリジナルの小説を書かせ、活字として同人誌に載せた人間は言った。それが真意なのか、こいつにちょっと小説を書かせてみようという思いつきから出た言葉なのかは未だ謎だ。
 いずれにせよ、彼に肩を叩かれなければ僕は自分で創作をしようとは思いもしなかっただろう。
 最初の小説は原稿用紙数枚分の情景のスケッチのようなもので、自ら読んで不満を覚えた。他の同人の書いた小説の方がよっぽど良い。自作は小説になってすらいないと思った。苦い記憶だ。
 二度目は物語らしいものを勢いに任せて原稿用紙百枚分ほど書いた。今度は一定の手応えがあり、飾りをつけたくてTwitterで挿絵を募ったら美大生が一枚画を添えてくれた。初めて肯定的な感想を頂戴し、素直にうれしかった。今度は他の同人の小説を読むのも楽しめた。
 その同人誌の最終号に寄せた人生で三本目の短編に至り、僕は物を書くことに他にはない喜びを感じられるようになった。
 また、僕は自分で「百合」を書くことで、どうにか呪ってやまないこの社会への武器として「百合」を機能させようとした。一般社会へのオルタナティブ性を「百合」に付与しようとした。思春期の自分を救った世界が、いかにこの現実社会に対して有用な価値観か証明したいという気持ちが段々と増していった。不思議と、最初から物語の無限の快楽に淫するのではなく、「社会」へのウェポンとして稼働させようとしていた。どうしてだろう? フロイト的分析なら可能かもしれない。

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