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古代エジプトの密室トリックにミイラが挑む!|『このミス』大賞受賞作・白川尚史『ファラオの密室』インタビュー

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「経営者としての日々を送るなかで、心のどこかにいつも〝作家への憧れ〟がありました」
 スーツに身を包んだしらかわなおふみさんは、そう穏やかに語り始めた。東京・赤坂の高層ビル25階に位置した、近未来を思わせるガラス張りの会議室。「GALAXY」と名付けられたこの空間は、証券ビジネスを展開するマネックスグループの本社オフィスだ。白川さんは東京大学工学部を卒業後、AIベンチャー「AppReSearch(現在は「PKSHA Technology」)」を東大の先輩と共に創業し、代表取締役に就任。上場後、2016年に代表を退き、技術担当役員を経て20年に退職。翌年、ここマネックスグループの取締役に就任した。
 そんな白川さんが、古代エジプトを舞台にした『ファラオの密室』で第22回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した。
「本格的に作家をキャリアとして意識し始めたのは、16年頃です。創業期の慌ただしさも落ち着いてきて、少し時間に余裕ができたので、小説に挑戦してみようと思い立ちました。実は、大学時代の先輩で、卒業後も長く一緒に働いていた方が作家志望だったんです。彼は私にとって〝文化的な師匠〟で、いつも色々なことを教えてもらっていたのですが、そんな彼と『ミステリーの新人賞を目指して一緒に頑張ろう』と誓い合いまして。まずは『東西ミステリーベスト100』(文春文庫)を渡されました」
 もともと読書好きの家庭に育ち、父は時代小説を、姉はしまそうありがわありの作品を愛読していた。白川さんの好みはもっぱら海外SFやハードボイルドで、ミステリーマニアというわけではなかったが、〝師匠〟の導きによって、ミステリーの世界にどっぷりと浸かった。
「ベスト100掲載の約200冊は2年で読破し、師匠おすすめの映画も浴びるように観てインプットを重ねました。いざ執筆に取り掛かったのは2020年の末。第一作は、現代日本を舞台にしたハードボイルドでした。それから4作ほど書いては『このミス』大賞をはじめ様々な新人賞に応募したんですが、箸にも棒にもかからず……。これでは埒が明かないと、自分に足りないもののなかで『すぐに伸ばせる』ところを分析しました」
 見えた勝ち筋は〝舞台設定〟だった。引きの強さに賭けてみよう——そうして生まれたのが、前回の『このミス』大賞に応募した作品だった。
「自分が技術系の職であるのを活かして、『VR少年院』で繰り広げられる本格ミステリーに挑戦しました。クローズドサークルもので、トリックには今でもすごく自信があるんですよ(笑)。ところが一次選考すら通らなかった。技術について詳細に描くばかりでドラマが薄く、エンタメとして昇華できていなかったのだと思います。次は舞台そのものにロマンがあるところを探そうと決意しました」
 書いては分析し、課題を克服して上を目指す。さらに、まだ手付かずの領域を狙う「ブルー・オーシャン戦略」を掛け合わせる——「起業」にも相通じるスタイルを貫いてたどり着いた舞台が、古代エジプトだった。
「最初は古代メソポタミアに目を付けました。地域の名前は多くの人が知っているけれど、政治や文化を深く知っているわけではないという点にロマンを感じたんです。でも周囲のことを調べるにつれ、『エジプトって解明されていないことがまだこんなにあるのか、面白いな!』と思い始めて。例えば、古代ギリシャは文献も碑も多く残っていて、言語もほぼ完全に解読されているため、当時の様子が詳細にわかるんです。一方エジプトは、ヨーロッパで起きたミイラブームなどもあって盗掘が横行し、史跡が荒らされていて、資料があまり残っていない。ただ、ツタンカーメンはかつて排斥された王であったために、お墓が盗掘を免れて、資料が残っているという皮肉な背景があります。さらに、ヒエログリフが解読されてからまだ200年しか経っていないということもあって、例えば古代エジプトの政治や警察がどんなものだったかはまだわからないことも多い。ミイラやピラミッドといったキーワードは一般に広く知られているのに、研究の最前線はいままさに切り拓かれている最中だなんて、非常に興味深い題材だと感じました」
 なかでも惹きつけられたのが、古代エジプト人の〝死への執着〟だった。彼らにとっては、死後の世界こそが〝永遠で豊かな生〟を意味する。だからこそ、死者を生前とほぼ変わらぬ状態でミイラ化し、備蓄や副葬品と共に冥界へと送り出したのだ。
『ファラオの密室』は、まさに死出の旅から始まる。主人公の神官書記・セティは王墓の崩落事故で命を落とし、親友にして凄腕のミイラ職人・タレクによって冥界へ送り出される。だが「死者の審判」の時、女神マアトに、一回体内から取り出されたのちにミイラの胸に戻されたはずの心臓が「欠けている」と指摘され、失われた欠片を取り返さなければ、魂が永劫にさまよい続けることになると宣告される。セティは3日間の猶予を与えられ、心臓の欠片を求めて現世へと舞い戻る。
「当初、主人公は2章の視点人物であるカリだったんです。カリは、異国から無理やり連れてこられた奴隷の少女で、エジプトのことは何もわからない、読者に近い視点のキャラクターです。彼女が一連の謎を解明しながら、自分を虐めていた人々を見返して高官へと成り上がる、いわゆる『ざまぁ系』の物語で、8割がた書き終えていました。でも読み直してみると、どうも引きが弱い。
 一言で人を惹きつけられるログラインを考え直した結果、一度死んだ人が〝死に直す〟ために、自分が死んだ謎を解くのはどうかと閃いたんです。『ミイラ姿の探偵役』もエジプトの死生観ならではじゃないかと。そこで初めて主人公のセティが生まれました。でも、その時点で『このミス』大賞の締め切りが一カ月後に迫っていて……」
 当時の白川さんは仕事と1歳の我が子の育児に追われ、執筆時間は子どもが眠っている早朝5時半から7時と、22時から24時。一から書き直すのでは、とても間に合わない。
「正直、心が折れそうになりました。違う賞に出そうかと検討もしたのですが、ここで目の前の『このミス』大賞から逃げたら、今後もずるずると逃げる癖がついてしまうと覚悟を決めたんです。苦肉の策で、1章に置いていたカリの物語を2章へ移し、セティを主役にした冒頭を新たに書き下ろしました。私は書きながら展開を考えるタイプなので、リライトの回数がクオリティに直結するんです。今回はかなり危ない橋を渡りましたが、書き直して本当に良かった。リライト後は我ながら『意外に悪くない』と思いました(笑)」
 セティは、心臓と共に記憶の一部も失っていて、二重三重の謎に覆われている。読者にすら胸の内を明かさない〝アンフェア〟なキャラクターだ。
「セティは崩落した玄室で胸にナイフが刺さって死んでおり、下半身は丸ごと義肢と義体に差し替えられている。主人公の存在そのものがミステリーな分、物語全体のリーダビリティはかなり意識しました。ビジネスの基本は『相手の頭の中を想像する』。小説でも読者がどう読むのかできる限り考えました。ただ、小説は商談と違って、読者が不特定多数です。引っかかることなく読んでもらえるか不安でしたし、情報の出し方がものすごく難しかった。選考委員の方々から『思いのほか読みやすいしわかりやすかった』と言っていただけて本当にホッとしました」

 ページをめくる手が止まらないのは、整理された読みやすい文章に加えて、謎が謎を呼ぶとうの展開が待ち受けているからだ。セティの欠けた心臓を追っているうちに、読者は「先王のミイラがピラミッドから消失」という大いなるミステリーに直面していく。
「これは映画から学んだ手法ですが、物語の前半と後半で『解くべき課題』を意図的に変化させました。今の時代、エンタメはどんどんインスタント化していますよね。SNSにしろ『つまらない』『わかりにくい』と感じた瞬間にスワイプされてしまう。それらと比べて読書や映画は、ときにストレスを感じさせながらも、じっくりと時間をかけて、最後に大きな波をもたらせるという特権がある。これまでに私が一番感動した本は、ローレンス・ブロックの『八百万の死にざま』というハードボイルドで、非常に強いカタルシスを味わえる作品でした。『ファラオの密室』では、読者を飽きさせない小さな波を起こしながら、最後に特大の波で圧倒する〝ハイブリッド型〟を目指しました」
 本作は入念に練られたミステリー小説であると同時に、〝親子の物語〟でもある。セティは父とのわだかまりを抱え、カリは「親に捨てられたのではないか」と思い悩む。2人が最後に摑む真実には、我が子を愛おしむ白川さん自身の想いも込められている。
「おそらく当時のエジプトは王様が絶対で、啓蒙主義も個人主義もない時代。ひとりひとりの幸せなんて概念自体が存在しなかったし、人の命はもっと軽かったと思います。そんな世界に現代の価値観を持ち込んでいいのかと非常に葛藤しましたが、それでもあの〝真実〟は絶対に書きたかった。『そうならなきゃ噓だ』と思いました」
 いつかは「我が子に読ませられないような凄まじい小説」を書く日が来るかもしれません、と笑顔を見せる白川さん。書くことが楽しくて仕方がなく、受賞を機に創作意欲はますます高まっているという。
「『ファラオの密室』が多くの読者に届けば、古代の海外を舞台にしたミステリーをいくつか発表したいと思っています。学生時代から愛読している『魔術士オーフェン』のような、ライトノベルや一般文芸といった枠を超えて愛されるキャラクターも生み出したいですね」
 もうひとつ、作家として忘れてはならない問いが、「AIの時代に人間が創出すべきものとは何か」。人工知能研究の権威、まつゆたか教授に師事した身ならではの危惧と展望があるという。
「AIを使えば、ウェブ小説で次の展開案を複数パターン自動生成したうえで、実際に訪れた人が読み続けるか、読むのをやめるかを計測し、『もっとも面白いと思われる展開』はどれかとテストすることもできます。理論上、これを無限に繰り返すことで〝もっとも支持される小説〟を生み出せてしまう。そうした作品が世の中に溢れかえれば、もはや創作は物語を楽しむことからかけ離れ、AIが機械学習に利用するための『教師データ』をひたすら作る行為と化してしまいます」
 誰しもが無限に小説を作り出せる粗製乱造時代の到来は、読者をも混乱に陥れてしまう。
「かつてテレビゲーム業界では『アタリ・ショック』と呼ばれる、あまりに質の低い作品が出回ったばかりに、良いゲームすらユーザーに見向きもされない〝市場総崩れ〟が起こったといわれています。AI小説が無尽蔵に紡がれれば、読者は小説の嵐に放り込まれ、物理的に作品を選ぶことができなくなる。優れた小説が確実に届くような対策が必要となるでしょう」
 あらゆる「小説の型」がAIに模倣される時代に、人間が為すべきことは〝起業における3つの問い〟に通ずるという。
「『Why us?』『Why now?』、そして『Why change?』。創作に置き換えれば『なぜ自分が書くのか』『なぜ今書くのか』を突き詰めるということ。最後のチェンジについては、AIに模倣できない〝小説の新しいパラダイム〟を提示し、確立することだと捉えています。ミステリーにおいても、多重解決などの新しい形の作品が生まれ続けていて、とても面白いですよね。そうした試みこそ、人間にしかできない創作行為だと思います。
『守破離』で表すと、これからしばらくは『守』として執筆を続けていきたいです。作家としての歩みを止めず、やがてはパラダイムの創出に挑戦する『破』や『離』に達したい。そのためにも、まずは『ファラオの密室』が多くの方に届いてくれるよう願っています」

構成:岩嶋悠里
写真:末永裕樹


◆プロフィール
白川尚史(しらかわ・なおふみ)

1989年生まれ、神奈川県横浜市出身。東京大学工学部卒業。在学中は人工知能研究で知られる松尾豊教授の研究室に所属し、機械学習を学ぶ。2012年に株式会社AppReSearch(現 株式会社 PKSHA Technology)を設立し、代表取締役に就任。上場後、取締役CTOを経て20年に退職し、現マネックスグループ取締役兼執行役。23年、「ミイラの仮面と欠けのある心臓」で、第22回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞。24年1月9日に『ファラオの密室』(受賞作を改題)が刊行予定。

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