革命への道のりにあなたを誘う”嘘偽りのない”ファンタジー|多崎礼『レ―エンデ国物語』インタビュー
伝説の騎士団長を父に持つ、お人形のように美しいお嬢様。彼女を守り抜くのは、孤高の射手——設定だけ聞けば、甘やかな「おとぎ話」に映るだろうか。だが彼らが身を投じるのは、策謀と裏切りが渦巻き、熱い血がしたたる生々しい「戦いの歴史」だ。
『レーエンデ国物語』は全5巻にわたって〝国の興り〟を描く壮大なクロニクル。今年6月に1巻が、8月にはさっそく2巻『レーエンデ国物語 月と太陽』が発売された。
「こんなに長くて暗くて重たい話、誰も求めていないんじゃないかと心配で。初版部数を聞いて、思わず担当編集者さんに言ったんです。講談社、正気ですかって」
作者の多崎礼さん自身がそう戸惑うほど、『レーエンデ国物語』は大々的に送り出された。「コンパクト」が是とされる昨今の風潮を振り切った骨太の大長篇として。
「作家になって17年経ちますが、私はとにかく自分がいちばん読みたいもの、面白いと感じるものを描いてきました。トレンドに乗って受けそうなものをと無理をしてもうまくいかないし、そもそもハッピーエンドも書けないし……」
多崎さんは、思いを真っ直ぐ語る。その不器用なほど〝噓偽りのない〟姿勢は創作スタイルにも通じている。
「何度も何度も書き直すんです。結末は書き始める前から見えているんですよ。そこに向かうべく綿密にプロットを立てた上で書き進めていくんですけど、途中で『なんだか違うぞ』と手が止まってしまう。展開の都合で登場人物を無理やり動かしていると、『彼女はこんなことしないでしょ』と、自分で自分にNOを突きつけたい箇所が出てきてしまう。だから、行き詰った時は紙にフローチャートをガーッと書き出して、それぞれの行動原理を延々と洗い直しながら、登場人物たちの〝本当の姿〟を模索しました」
「1巻でいちばん難産だったキャラクターは?」と訊ねると、主人公であるユリア・シュライヴァの名前が返ってきた。領主一族の娘として政略結婚が決まっており、逃避のために父ヘクトルの旅に同行。そうして訪れた、全身が銀の鱗に覆われる謎の風土病が流行する〝呪われた地〟レーエンデで、元傭兵の青年トリスタン・ドゥ・エルウィンと運命の出逢いを果たす。
「ユリアはなかなかクリアに像が見えなくて、何度も改稿を重ねるうちにようやく摑めたキャラクターなんです。これだ! とわかったときには締め切りが2日後に迫っていて、我ながら『え、これまで書いてきたパートはどうなるの? あと2日で全部書き直すの?』と震えました(笑)」
そこからほとんど寝ずに書き上げ、ついに息吹を得た〝本来のユリア〟。多崎さん曰く、彼女の核は「空っぽ」だ。
「自分の価値は家名だけと思い込み、だからこそ政略結婚にも従おうと一度は覚悟したものの、いざとなると父親より年上の他州の首長に嫁ぐことを心が受け入れられない。そんな自分はダメな人間なんだとますます自罰的になって空回りして。まだ何も持っていないからこそ、自分のことを尊重しきれないんですね。
現代でも『自分の人生は周りに決められている』と感じている子は多いと思うんです。親や先生の期待に応えるのが〝いい子〟で、期待通りの姿を演じることがアイデンティティになってしまっている。そうじゃないんだ、とユリアが言えるようになるまでの軌跡を追いたかったんです」
ユリアに「欲するまま、自由に生きる」歓びを教え、唯一無二の同志として彼女に寄り添う青年トリスタンは、うってかわって「いちばん書きやすい人物造形」だったという。
「嫌みっぽかったり、すぐ軽口を叩いて本音を隠したり、素直じゃないんです。でも、ユリアの父であるヘクトルに心底憧れていて、彼への敬愛がすべての行動原理に貫かれている」
トリスタンは集団に染まらず「個」を生きる。その背景には、彼が〝民族〟から爪弾きにされてきた過去があった。
「子供の頃から『お前には違う血が入っているから仲間ではない』と疎外されて育ってきた人間で、だからこそひたすら外の世界を希求して生きてきた。そんな彼がユリアと出会って、自分が本当に求めているもの、守るべきものを知るんです」
ウル族、ティコ族、ノイエ族……本作にはさまざまな民族が登場する。巨木に住まうなど、それぞれの暮らしぶりはファンタジーならではの色彩で楽しめるとともに、民族間の価値観の違いやそれゆえの諍いを通じて、私たちが生きる現実の問題をも照らし出す。
「いま世界中で民族間の紛争や迫害が起きていますが、どちらが善でどちらが悪かは簡単には割り切れない問題ですよね。この物語は『国を興す』というキーワードから始まったのですが、根幹には、異なるバックボーンを抱えた人間たちが徐々に分かり合い、手を取り合っていく。その過程を丁寧に描きたいという思いがありました」
革命に至る道中には、侵略や戦争、支配や隷属が待ち受ける。そうした場面を執筆していた最中、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まった。
「現実がこれだけ辛く苦しいものになってしまったなかで、この小説を世に出していいのか、戦争をエンタメ化しているのではないだろうかと、物凄く葛藤しました。そんなとき、担当編集者が〝こんな時代だからこそ、この本を刊行することに意義がある〟と背中を押してくれたんです。現実をそのまま直視することは難しくても、物語にすることで見つめられること、ファンタジーだからこそ描けることがある。そう考えたら、自然と覚悟が決まりました。
今後、物語のなかで戦いは激しさを増していきます。2巻では1巻の120年後を描いているのですが、この巻はまさに戦記物といった趣で、首も飛ぶし、本当に血なまぐさくて、とても辛い話です。でも、最後には必ず希望を繫ぎたいと思っています」
ペンネームの「礼」は敬愛するアメリカ人作家のレイ・ブラッドベリに由来している。特に好きな作品は、事故で宇宙空間に放り出された宇宙飛行士たちを描いた短篇「万華鏡」だ。
「酸素が尽きたら死んでいくという極限状態のなかで、彼らは感情をあらわにして傷つけ合うのですが、ラストに凄まじい救いがあるんですよ。
安直なハッピーエンドは苦手なのですが、どんなに絶望に叩き潰されても、『なにくそ!』と立ち上がる人間の姿にはどうしようもなく惹かれます。だから私も、どんなに悲惨な状況下でも、最後に希望がにじむ物語を描きたいんです」
数えきれないほど書き直した第1巻でも〝未来に種を蒔く〟というコンセプトだけは変わらなかった。
「登場人物たちは失敗と挫折を繰り返していくけれど、それらすべてが無駄ではなかったと伝えたかった。1巻の結末も、当初からずっと揺るぎませんでした。彼女の選択は〝未来への種〟そのものですから」
禁じ手と知りながら「第5巻」の構想を訊ねると、思わぬ名作のタイトルが。
「大学生のときに、田中芳樹先生の『銀河英雄伝説』に大ハマりしまして。いつかこんな〝革命の物語〟を書くんだと決意したんです。当時からネタ帳に書き留めていたプロットを、レーエンデ・クロニクルの最終話にしました」
1巻の初版を飾る帯には「行こう、あなたと。」の文字が刻まれている。革命へと動き出したこの物語は、読者である〝あなた〟の手を、心を、すでに摑んでいる。
「この先も辛く険しい道が続きます。けれど、最後に自由を勝ち取るところまで一緒に走っていただければ、とてもとてもありがたいです」
構成:岩嶋悠里
写真:今井知佑
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