三宅香帆の「フェチ小説が読みたい!」| 第1回 綿矢りさの〝アパレル小説〟
第1回 綿矢りさの〝アパレル小説〟
恋愛小説、ミステリ小説、SF小説、ホラー小説、ファンタジー小説、青春小説。この世の小説はさまざまなジャンルに分類されている。
しかし小説を読んでいると、思うのだ。もっと作者のフェチを感じるジャンル分けがあってもいいのではないか!?
小説を読んでいるとき、作者のフェティシズムが漏れ出る文章が現れると、読者としてこのうえない快楽を覚える。映像と違って文章のみで構成される小説は、同じ風景を描くにしても、どのように描写するか、どれくらい書き込むか、作家によって異なっている。私は普段小説を読んで「どう考えてもそこまでする必要がないのに何かについて詳しく書き込んでいる描写」や「あるあるだと思うけど意外と小説で読んだことのなかったエピソード描写」を見つけるとたまらなく嬉しくなる。小説読みとして、その作家特有のフェティシズムが見える文章に出会えることを至上の悦びとしているのだ。
「こういうところに目をつけるんですね!!!」とほくそ笑むために小説を読んでいる……と言っても過言ではない。
本連載では、そんな小説家のフェチに迫ってみたい。小説の面白さは、恋愛やファンタジーのようなざっくりとしたジャンル分けでは語り得ない、もっともっと細かいところにある。個人的な偏愛、欲望、嗜好。作家個人のフェチが見えるジャンルを見出したい! そんな読者の欲望を叶えるのが本連載である。
服装とは自意識の問題
さて、初回に登場していただくのは、文芸界の第一線で走り続ける作家・綿矢りさ。
私は彼女の小説がかなり好きだ。小学生の頃から読み続けているのに、二十代になった今もなお、やっぱり綿矢りさは面白い。彼女の作品を読むたび、小説が文章でつくられていることのプリミティブな嬉しさを思い出す。
なかでも私がグッとくるのは、彼女の「服装」の描写である。
服装の描写ほど、小説でおろそかになりやすいものはない。……というと各方面から怒られそうだが、いやでもしかしそうではないか。ドラマや映画には服装だけに気を配る専門家、スタイリストがいるにもかかわらず、小説の登場人物の服装は、作家の匙加減で決まってしまう。たまに「どう考えてもそんな場所スカートで行かんやろ」という場面で女性キャラクターにスカートを穿かせている小説があるとつっこみたくてしょうがなくなる。ま、そこでつっこむのも読書の醍醐味ではあるのですが。
しかし綿矢りさの小説は違う。常に服装に気を配ってくれる。もちろん作品によって描写の細かさは異なる。服装に気を配らないキャラクターを描くときはそこまで細かく描かれない。だがそれでも綿矢りさの小説からは、つねに服装の問題を念頭に置いている気配を感じる。そして思う。「この作家は信頼できる……!」と。
たとえば最新作『パッキパキ北京』。未読の方がいたら私の文章なんて読んでないで今すぐ『パッキパキ北京』を買いに走るべきである。それくらい私のなかではど真ん中ドストライク・ヒット作だった。
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