著者最高傑作・誕生! 木下昌輝『孤剣の涯て』第一章を全文公開
木下昌輝さんの最新作『孤剣の涯て』が、5/10(火)にいよいよ刊行されます!
『宇喜多の捨て嫁』で鮮烈なデビューを飾って以降、歴史作家のフロントランナーとして活躍中の木下さん。『孤剣の涯て』は、そんな木下さんが新たな代表作を生み出すべくして書き上げた、入魂の一作です。
本作の主人公は、宮本武蔵。直木賞候補にもなった『敵の名は、武蔵』など、これまでも木下作品に武蔵は何度も登場して来ましたが、今回の武蔵は、いわゆる「剣豪」像とはどこか違うようです。戦国の世が終わり、”時代に取り残された者”となってしまった武蔵。そんな武蔵の視点から、時の為政者・徳川家康を照らし出すと、ある「呪い」の存在が浮き彫りになっていきます。
太平の世をつくるため、家康が日本全土にかけたという「呪い」とは、いったい何なのでしょうか?
この「呪い」の正体を探りながら読み進めていくうちに、私たち自身もなにか大きな「呪い」にかかっているのではないのか――ということにはっと気が付かされるのです。
既に「著者最高傑作」との呼び声も高い本作。今回、みなさんと一緒にこの作品の魅力をはやく分かち合えたらと思い、序章と一章を全文公開することにいたしました。
ご感想はぜひ #孤剣の涯て をつけて教えていただければ嬉しいです。木下さんと一緒に拝読させていただきます!
『孤剣の涯て』
序章 久遠の剣
〈い〉
これが、武蔵にとって最後の剣になるだろう。
思いがけず訪れた感傷に、武蔵は驚いた。だからだろうか、脳裏に歌が浮かぶ。
——戦気、寒流、月帯びて澄めること鏡のごとし
木刀を構えた弟子がいる。名を、佐野久遠という。額にしめた茜の鉢巻が目に鮮やかだ。歳は、宮本武蔵より六つ下の数えで二十五。大小二本の木刀を両手で持つ姿には、余計な力や気負いが一切感じられない。頭に浮かんだ歌は、この弟子の剣気から聞こえてくるものだ。
よくぞここまで、という想いが武蔵の胸を満たす。この立ち合いが終われば、もはや何の未練もない。心おきなく剣を置ける。
「久遠、寸止め無用でいいのか」
「武蔵先生、くどいですぞ」
佐野久遠に躊躇はない。
武蔵は、両手で太い木刀を握っていた。六十有余の決闘の全てを制し、五年前に巌流小次郎と舟島で戦って以降、真剣勝負からは遠ざかっていた。かといって鈍ったわけではない。舟島の時の己と立ち合えば、十のうち九は勝つ。
稽古は、常に真剣勝負さながらだ。命懸けの稽古のおかげで、弟子は目の前で立ち合う佐野久遠のみ。今までに百人以上の男が、武蔵の創始した円明流に入門を乞うたが、みな音を上げ去ってしまった。
武蔵は脇構えをとる。左肩を前に両手を右後方へ。これで、相手は木刀の長さを測れない。
ふと思った。武蔵は久遠の構えから歌を聞いた。久遠は、武蔵の剣から何かを感じただろうか。
先に動いたのは、久遠だ。ふたつの木刀が襲いかかる様は、双頭の蛇を思わせた。武蔵は、脇構えを解かない。時に頭を下げ、左右に体をふってよける。幾度か切っ先がかすり、剣風が肌をなでた。
あと数歩で道場の壁を背負うという時、武蔵は反撃の一刀を繰り出す。予期していたのか、久遠は後ろへと飛ぶ。しかし、武蔵の木刀の切っ先が驚くほどに伸びる。身をよじりよけた久遠の着衣を、武蔵の切っ先が焦がした。
表情を硬くした久遠だが、すぐに破顔した。
「常より長い木刀ですか」
実は、武蔵が持つ木刀は常よりも半寸長い。脇構えをとったのは、それを悟らせないためだ。
「武蔵先生の剣の工夫は本当に面白い。ひとりしかいない弟子を殺す気ですか」
短い木刀を上段に、長いそれを中段に構え、久遠が問いかける。
「稽古は殺すつもりでやれ、と常にいっている」
「参ったな、先ほどの一撃、武蔵先生の頭蓋を砕くつもりだったのに」
裂帛の気合は両者同時だった。武蔵の木刀が大上段から襲う。久遠は、二本の木刀を交差して受け止めた。武蔵は全身の重みをかけ、久遠が腕の力だけで抗う。弾けるようにして間合いをとった。久遠は短い木刀を捨てていた。両手持ちに変えた撃剣が、武蔵の左肩を狙う。右へさけようとしたら、太刀筋が変化した。
縦一文字からわずかに外側にそれて、反動をつかい一気に内側へ。
いつのまにか左手一本に持ち替え、武蔵の左胴を水平に薙ぐ。
久遠得意の型だが、この間合いから放つとは思っていなかった。
突風をうけたように服が引っ張られたのは、今度は武蔵がかすらせるようにしてしかよけられなかったからだ。
体勢を崩した武蔵の眉間に、久遠の追撃が迫る。武蔵もまた、同様の一閃を繰り出した。
二人の力量は全く同じだった。結果、互いの木刀がまっぷたつに破壊される。
「久遠、それまでだ」
「先生、戦場では組み打ちがあります」
久遠が飛びかかってきた。
襟をとり投げようとする久遠の足を逆にかる。倒れぎわに、久遠は手首の関節を極めんとするが、武蔵が回転しつつ逆に久遠の足をとった。
「ま、参った」
久遠が床を叩いた。武蔵は極めていた久遠の足首を解放する。
久遠が大の字になり荒い息を吐く。
「ああ、くそ、旅立つ前に一本とりたかった」
言葉とは裏腹に、顔には笑みが浮かんでいた。
武蔵は己の体をあらためる。木刀がかすった肌に痣ができていた。そのことに満足した。久遠の剣は、もう己を必要としていない。雨をえた樹木のように、天へと一筋にのびていくはずだ。
「仕度はできているのか」
足をあげた反動で、久遠が立ち上がる。
「あとは武蔵先生の紹介状だけです」
「どうしても退蔵院でないといけないのか」
久遠は旅にでる。最初の一年は武者修行で、次の一年は京にある妙心寺の塔頭退蔵院で禅の修行をする。若きころ、武蔵も寄寓して座禅を組み、時に筆をとり書院で絵を描いた。
「禅の修行ならば、他の寺も紹介できるぞ」
退蔵院の住持は癖が強く、『瓢鮎図』などの禅を画題にした絵と向き合わせ、難解な問答を投げかけることがよくあった。納得のいく答えを導くまで絵の前を離れることを禁じられ、さすがの武蔵も音を上げそうになった。それでなくとも、禅は暮らしの全てが修行だ。若者には酷な一年となるだろう。
「お心遣いはありがたく思います。実は妙心寺には、亡き父ゆかりのお堂があります。そこに手を合わせるのも目的です」
久遠の父は河内国の出で、佐野綱正という大名の一族だった。佐野綱正は三好康長、豊臣秀次をへて、徳川家康の旗下に入った。関ヶ原の前哨戦では、鳥居元忠らと伏見城にこもり西軍の大軍を引き受け全滅した。この戦いで、久遠は父を喪っている。
「先生、お願いがあります。修行が終わったら、今一度立ち合ってください」
「容易いことだ」
「本当ですか」
「なぜだ。己は噓はつかぬ」
「ならば、この道場に戻ってきます。剣を捨てずに、待っていてください」
久遠の言葉は、思いの外強く武蔵の胸にひびいた。
「やはり、だ。私が旅立てば、道場を畳むつもりだったのでしょう」
「仕方あるまい」武蔵は何とか言葉を絞りだす。
「道場がこの様だ。それに、己には病んだ父がいる」
父の宮本無二は病に臥せっている。〝美作の狂犬〟と恐れられた男の面影はもはやない。黒猫を武蔵と思って語りかける有様だ。今は隣町の知人に世話を頼んでいるが、病状は思わしくない。治療には明国の高価な薬が必要で、武蔵はそれを借財で購っている。
「武蔵先生、円明流を今一度盛り立ててみませんか」
真剣な目差しで、久遠がいう。
脳裏によぎったのは、逐電した弟子たちの声だ。
『厳しいだけの稽古では人はついてきませぬ』
『印可状をもっと容易く取れるようにすべきです』
汗を拭うふりをして、武蔵は表情を隠した。
近郷の道場は、多くの弟子をもつ。高禄の武士たちも少なくない。半端な技量にもかかわらず、印可を受けている弟子がほとんどだ。彼らは、例外なく身分の高い武士だった。稽古風景を覗けば、剣を振ることよりも人脈を育むことに熱心な門弟の姿が目についた。いや、道場にいるだけましだ。数度稽古をつけただけで印可をもらった大名や家老もいるときく。道場は大名や高名な武士がどれだけ弟子にいるかで箔がつき、大名はもらった免許によって優れた武士だと喧伝できる。
欺瞞に満ちたやりとりで流派は弟子を増やし、大名は武名をえている。武蔵に同じ真似などできようはずもない。
「無理だ。己の剣は……時代にそぐわない」
強い言葉でいってしまった。
なぜ、己より劣った技が敬われるのか。
なぜ、正しい剣を極める己が困窮せねばならぬのか。
「果たしてそうでしょうか」
そういえば、なぜ久遠は武蔵の剣を学んでいるのか。彼ほどの技量があれば、もっと高名な剣術の免許皆伝をえられる。道場の中で人脈を培えば、仕官し家名を復活させることも容易いはずだ。
「武蔵先生の剣には身分の別がありませぬ。百姓であろうと将軍であろうと変わりませぬ。私はそのことに救われました」
驚いて、久遠を見た。
「私の父が仕えた佐野家は八万石の知行をもちながら、関ヶ原の後には数千石にまで減らされました。同じく伏見城で討ち死にした鳥居家は、逆に四万石から十万石の加増です」
理由は、鳥居家が徳川譜代だからだ。一方の久遠の父が仕えた佐野家は外様だ。
「同じ伏見城で討ち死にした大名にも身分の別があります。ですが、武蔵先生の剣の前には、譜代も外様もない。将軍や大名、足軽であってもなんら変わらない。武士や百姓や町人の別もない。剣の前では、すべてが等しい。そのことを先生は教えてくれました」
それのどこが長所なのか。そのせいで、武蔵の剣は路傍の石のような扱いを受けている。
「覚えていますか。武蔵先生は、敵の身分ではなく力量で戦い方を選べ、と私にいいました」
雑兵にも達人はいるし、大将にも未熟な者はいる。雑兵だからといって、力半分で戦えば負ける。大将だからといって、捨身で戦えば余力を失う。肝心なのは、敵の力量を正しく見極めることだ。そのために、人を見る力を養え、と武蔵はいった。平時から出自や身分、外見に惑わされず、等しく敬意を払え、と。
「正直、綺麗事だと思っていました。ですが、道場破りたちに対する武蔵先生の態度を見てわかりました。どんな者であっても等しく相手をされます。それだけでなく、光る技があれば辞を低くして教えを乞われた。剣だけではありませんな。町で見事な職人の手技を見つけたら、童のように見入っていらした」
久遠が目をやったのは、道場の奥にある刀架だ。刀が二振りあり、ひとつにはなまこ透かしの鍔がはめられている。なまこのような形の切り込みが入ったごく単純な形だ。それゆえに造形のわずかな崩れで、目も当てられない出来になる。鍔作りは絵画につぐ武蔵の手慰みだが、思うようになまこ透かしができない時、優れた職人に出会い技を教えてもらい、とうとう同等のものを造れるまでになった。
「人を正しく評価することは、時代が変わっても普遍でなければなりません。武蔵先生の剣の教えは、次の世にも残さねばならないのです」
武蔵は、ただ愚直に剣の技を磨いただけだ。目の前の敵を倒し、生き残るためである。人を正しく評価するのも、そのための手段にすぎない。
しかし、それが人の世では普遍であるべきだというのか。
「円明流を私に託してくれませんか。千年たっても色褪せぬ、永遠普遍の強さを持つ剣に私が育ててみせます」
先ほどの立ち合いを思い出す。
教えていない技や体の遣い方が随所にあった。久遠ならば、武蔵の剣を違う色に塗り替えてくれるかもしれない。
久しく感じていなかった高揚が、ほのかに武蔵の内奥から湧きあがる。
一章 五霊鬼
〈ろ〉
大名たちの旗指物が、京の町に翻っていた。工夫をこらした意匠が目を楽しませる。旗指物の市が開かれているかのようだ。
水野〝日向守〟勝成は、久方ぶりの戦陣の風を味わっていた。長さ一尺(約三十センチメートル)の鉄でできた喧嘩煙管を燻らせると、勝成の背後にいた小姓たちがざわついた。
「殿、人前で喫うのはいかがなものかと」
苦言をていしたのは、小姓頭をつとめる中川三木之助だ。涼やかな目鼻立ちと黒柳を思わせる前髪が、生来の利発さを引き立てる。
「ここは京です。煙草に禁制がでたのは知っていましょう。大御所様の親族である殿がそのような振る舞いをされては、下々に示しがつきませぬ」
水野勝成——徳川家康の母方の従弟にして三河国刈谷三万石の大名である。従兄弟とはいっても二人の歳は親子ほど離れ、数え七十二歳の家康に対し、勝成は五十一歳だ。
「古女房であるまいし、小うるさいことをいうな。お前の親父とは昔よくやった仲だ。喫ってみるか」
喧嘩煙管を突き出しただけで、三木之助が咳きこんだ。小姓仲間たちが朗らかに笑う。大人の言葉づかいはしても、まだ子供だ。
若きころ、勝成は諸国を放浪する傾奇者だった。喧嘩を繰り返し、戦がある土地を求めた。そこで知遇をえたのが、三木之助の父親の中川志摩之助である。勝成が水野家を継いでから家老に抜擢した。
「大御所様は傾奇がお嫌いです。喧嘩煙管などもっての外」
三木之助の弁は一理ある。今から攻める大坂城の淀殿は煙管を嗜むことで知られている。
「日向守様ぁ」
最初は芝居の掛け声かと思った。陣の外から、京の町人たちが手を振っている。
「水野様ぁ、よくぞ京に来られました」
「また出来島隼人の傾奇芝居をやってくださいよ」
勝成は出来島隼人という女傾奇の芸人を呼び、駿河と京で大々的に傾奇興行を開いた。三味線を取り入れた舞台は大いに評判を呼んだが、それゆえに家康の逆鱗に触れた。傾奇芝居は風紀を乱すとして、六年前に両地で禁制が出た。
「傾奇興行で、大御所様に大目玉を喰らったのを忘れたのか」
勝成の声に群衆がわっと笑った。
「こっそりやればいいじゃないですか」
「そうだ、わしらは傾奇に飢えてるんだ」
群衆たちはどこまでも無責任だ。
「うるさい野次馬どもめ」
喧嘩煙管を掌に打ちつけ灰を落とした。指を使って、頭上で風車のように回す。
「すげえ」
「あんな重そうな喧嘩煙管を軽々と」
勝成にとっては懐かしい声だ。若きころ、傾くたび、今のような大歓声を浴びた。
「日向守様、それぐらいに」
三木之助が懇願する。いじめても可哀想なので、素直に従った。これでも刈谷三万石の大名だ。累が家臣たちに及ぶのは避けねばならない。
「つまらん世になったなあ」
勝成が喧嘩煙管を口にやり、白い煙を吐き出した。
そう、つまらない。もうすぐ戦の世が終わる。
駿府の家康が、豊臣秀頼の再建した方広寺大仏殿の鐘銘に難癖をつけたのは、二月ほど前のことだ。〝国家安康〟という文字が家康の諱を二つに割っているのは、豊臣家による呪詛だと詰問し、これに対し鐘銘を考えた文英清韓和尚は、隠し題の祝意としてあえて家康の諱をいれたと弁明した。
諱は、神聖なものだ。軽々しく口にしない。その諱を意図的に鐘銘に盛り込んだと返答した。たとえ祝意であったとしても、問題にならないわけがない。家康は、そこにつけこんだ。言いがかりだが、豊臣家の迂闊さも目を覆いたくなるものがある。
さらに豊臣家の失策はつづく。和解に奔走していた家臣の片桐且元を、家康に内通したと言いがかりをつけ、暗殺せんとしたのだ。且元は一命を取り止めたが、これに家康は激怒した。調停に尽力する且元を襲うのは、家康に刃を向けるも同然と断じた。
「太閤の心配事が真になったな」
勝成はつぶやく。秀吉は家康を恐れ、自分の死後、秀頼に矛を向けぬよう家康の孫娘の千姫を秀頼に娶らすなど様々な布石を打った。だが、それも全て無駄になった。
家康は大坂討ちの号令を発し、全国の大名が続々と京に集結している。
「お前の親父の方はどうなのだ。九州行きの支度はできているのか」
三木之助の父の志摩之助は、九州へ旅立つ。畿内では兵糧の値が高騰しており、九州で調達することになったのだ。
「九州で雇う人足の手配を、黒田家に頼み快諾していただいたと、いっておりました。兵糧を手配すれば、すぐにでも戻ってくると鼻息を荒くしております」
言葉の様子から、志摩之助も戦をしたくて仕方がないのだとわかる。
どよめきが立ち上がった。つづいて、馬蹄の響きがやってくる。勝成を囃していた群衆が割れ、馬に乗った武者たちが飛びこんできた。先頭には、老いた武者がいる。蛇を思わせる顔相、目には狼のごとき光が宿っている。
「あれは佐渡守様です」
本多〝佐渡守〟正信——家康の謀臣だ。歳は七十を超えているはずだが、痩せた体は激しい鞍の上でも見事に姿勢を保持している。
「なんだ、佐渡よ、煙草の禁制破りで俺を捕まえる気か」
目の前までやってきた本多正信に、勝成は軽口をぶつける。
「それどころではない。日向守殿よ、変事出来だ」
気色ばんだ声で正信がいう。常に冷静沈着な男がどうしたことか。
馬の上から正信が勝成に顔を近づけた。
「呪詛だ。街道に、大御所様を呪詛する首が見つかった」
「呪詛など戦場では珍しくあるまい」
「ただの呪詛ではない」
吹きかかった声には、狼狽の気が濃くにじんでいた。
「まさか」勝成の口から言葉が漏れた。
「そうだ。五霊鬼だ。五霊鬼の呪い首が出来した」
その首は、京の西北の郊外にあった。
小さな山に囲まれた、正伝寺の門前である。
本多正信らの先導で勝成たちがついた時、すでに日は落ちようとしていた。小さな獄門台——というよりも床几のような急造りの台に首が置かれている。
不思議な趣のある首だ。どこか作り物めいた違和感が漂っている。
勝成はさらに近づいた。刃によって眼球に傷が刻まれており、赤黒い文字になっている。右の眼球に〝徳川〟、左の眼球に〝家康〟。
呪いなど信じぬ勝成だが、さすがに背が冷たくなった。
「殿、これは五霊鬼の呪詛ではございませぬか」
家臣の言葉に、半数の者が青い顔でうなずく。残りの半分は首を傾げた。勝成の部下は二派から成る。水野家譜代の家臣、そして勝成が放浪中に出会い登用した中川志摩之助ら新参の家臣だ。うなずいたのは譜代の者たちである。
「五霊鬼とは、いかなる呪詛なのですか」
三木之助が尋ねた。
「説明は後だ。まことに五霊鬼の呪詛か否かを確かめる。骸の眼球をとれ」
近習のひとりが恐る恐る骸の目に棒を差し込むと、いとも容易く両の眼球が落ちた。
「やはり、な。目は最初からくり抜かれていた。眼球をよく見ろ。目は脳とつながっている。細い管のようなものでだ」
転がった眼球には、細い管を千切った跡が見えた。
「本来なら、管は目の外側で結ばれている。が、この眼球はちがう。内側にちぎれた管の跡がある」
みながざわつきだす。
「つまり、目をくり抜き左右を入れ替えたのだ」
「なぜ、そんなことを」
小姓のひとりが問う。
「そういう呪いの作法だからだ。諱を眼球に刻み、左右を入れ替える。そうすることで、彼岸と此岸のあわいにある呪い首となる」
それゆえに、呪い首には尋常の首にはないある風情がつきまとう。人は左右の目の形が完全に同一であることは珍しく、左右を入れ替えた違和が、鏡写しのように感じさせるのだ。
「呪い首に諱を刻まれた者はどうなるのでしょうか」
小姓のひとりが勝成にきく。
「二年の内に死にいたる」
「で、では大御所様は——」「やめなされ」
小姓の口を封じたのは、三木之助だった。
目差しを感じる。正信が勝成をじっと見ていた。
「日向守殿、心あたりはおありか」
「大御所様の従弟の俺を疑うのか」
ふんと鼻息だけ吐いて、正信はそれ以上の追及をしなかった。
「とはいえ、五霊鬼の呪詛が水野家と因縁があるのは確かだ」
だから、勝成をまず呼びつけたのだろう。この首が、本当に五霊鬼の呪い首か否かを確かめるために。
「佐渡よ、今から大御所様のもとへ行こう」
すでに、正信の手によって半里四方は封鎖している。手がかりの品も、今さら水野家が探しても見つかるまい。勝成は、三木之助を見た。
「お供します」
三木之助は命ぜられるより早く、馬に飛び乗った。
〈は〉
——振りかざす、太刀の下こそ地獄なれ
——一足すすめ、先は極楽
文にしたためられた歌を、武蔵は静かに詠んでいた。一月前に送られてきた、久遠の手紙だ。妙心寺での暮らしのなかで思いついた歌だという。まさしく、武蔵が六十有余の決闘を繰り返していた時の心境だ。武道には兵法歌なるものがあるが、久遠が受け継ぐ円明流の歌としてふさわしいように思えた。
喧騒が、武蔵の想像をさまたげた。牢人たちが大挙して行進している。
武蔵の道場は街外れにあるが、ここ一月ほどずっとこの有り様だ。
仕方あるまい、と腕を組む。
家康が、豊臣家討伐の陣触れを発した。軍に加わらんとする牢人だけでなく、商いや人足仕事を求める男たちがひっきりなしに街道を通る。
弟子の佐野久遠が旅立ってから二年がたっていた。弟子の数は——増えていない。何人か入門する者はいたが、すぐに逐電した。なんとか道場を畳まずにすんだのは、画作や鍔造りの余技で糊口をしのいだからだ。
とはいえ借財も増えている。太刀や鎧は質にやってしまい、蔵は空になった。久遠が戻るまでの辛抱と思い耐えるしかない。
大坂を目指す男たちから目を引き剝がし、神棚の前に座る。
久遠の文のつづきを読む。禅の修行に苦労していることが綴られていた。やはり、剣との両立は大変なようだが、それを楽しむ気配も伝わってくる。
一体、どんな剣士になって戻ってくるだろうか。道場で立ち合った時、久遠の剣は武蔵にどんな歌を聞かせてくれるだろうか。
武蔵は刀架にある己の刀を見た。なまこ透かしの鍔がある。旅立ちの日、武蔵は久遠になまこ透かしの鍔を贈った。そして、二人で金打し誓った。
久遠は武蔵よりも必ず強くなる、と。
そして、修行から戻ってきたら、二人は立ち合うと。
刀が打ちあわされる澄んだ音色は、今もありありと耳に残っている。
武蔵は、もてあそぶようにして刀を体の中心で一回転させ逆手に持ちかえた。何度も何度もそれを繰り返す。
ふと窓に目をやると、人の流れに逆行するように墨染めの衣を着た僧がやってくる。大きな背負い行李を担いでいた。逆手に持っていた刀を、慌てて順手に戻す。久遠と立ち合う時まで、誰にも見られたくなかった。
「失礼ですが、宮本武蔵殿でしょうか」
日に焼けた顔の僧が訊ねた。
「そうだが」
僧侶は懐に手をやって、何かをまさぐる。出てきたのは遺髪だ。巻きつけた茜色の鉢巻は、久遠のものではないか。
「こ、これは——」
「佐野久遠殿のものです。京の辻にて、息絶えているところを見つけました」
「息絶えている」と、無様にも復唱した。
この僧は、一体、何をいっているのだ。
「場所は、妙心寺のほど近くの大地蔵のある辻です」
僧侶は、背負っていた行李を下ろした。中から久遠の遺品を次々と出していく。血染めの小袖は旅立ちの際、武蔵が渡したものだ。印可状も出てきた。
「どうやら、決闘の末に果てたようでございます。刀疵がいくつもありました」
「か、刀疵だと」
しばし躊躇した後、僧侶はいう。
「首を断たれておりました」
僧侶は両手をあわせ、小さな声で念仏を唱える。
いつのまにか、武蔵は右膝から崩れ落ちていた。倒れようとする体を、手をついてなんとか支える。
「京には、大坂攻めの軍勢や牢人が多く集っております。畢竟、喧嘩の類も頻発しておりました」
他に、正伝寺にも生首がさらされる事件が起こったと僧侶はいうが、武蔵の耳を虚しく通りすぎていく。
「どうやら、久遠様は武士どもの決闘に巻き込まれたようです。ご遺体は、妙心寺で供養し埋葬いたしました。ちょうど拙僧が西国行脚に出るところでしたので、退蔵院の住持様より依頼をうけたのです」
ぶるぶると体が震えだす。指先が氷につけたように冷たい。
最後に、僧は小さな位牌を取り出した。
「旅の途中ゆえ、粗末なものしか整えられませなんだが。退蔵院の住持様が近いうちに本式の位牌を用意する、と」
武蔵は何も考えられない。なんとか手を伸ばし、遺髪を手にとった。手で撫でると、ふわりと久遠の残り香が武蔵の鼻をつく。それは一瞬のことだった。通りすぎる牢人たちの勇ましい声、つづく火縄の銃声、風にのってやってきた銃煙が久遠の残り香をかき消していく。
いつのまにか、僧侶はいなくなっていた。
日は暮れかかっており、街道を行き交っていた男たちの姿はもうない。
冷たい風は、夜が近いことを告げている。
『私の名が、なぜ久遠というかわかりますか』
久遠の言葉が脳裏に蘇った。いつだったか、名前の由来を教えてくれた。諱で、久遠と読ませるならわかる。しかし、仮名で久遠 は奇妙だと思った。普通ならば、久兵衛や弥助、三郎などとするものだ。
『久遠常住からつけたものです』
仏は永遠に存在するという意味だ。そこから転じ、久遠とは永遠や無窮を表す。
『父が、伏見城に籠る前につけてくれたものです。永遠に変わらぬものを極めろ、という思いが込められております』
どこかで同じようなことを聞いた。
——武蔵先生の剣の教えは、次の世にも残さねばならないのです。
すぐそばにいるかと思うほど、声がくっきりと耳を打つ。
だからこそ、不在が恐ろしいほどの実感として襲ってくる。
『円明流を私に託してくれませんか』
二年前に聞いた久遠の声が、虚しく武蔵の内側に木霊する。
〈に〉
武蔵の前には、いくつもの紙が並んでいた。
「では、よろしいですな。前にも申し上げましたが、念のためにもう一度いいます」
立派な髭をたくわえた武士が威に満ちた声でつづける。
「まず、我が殿が円明流に入門します。今は大坂方との合戦があるため、翌年あたりということになりましょうか。その上で、三年で免許皆伝を殿に与える。とはいっても、稽古などつける必要はありませぬ。武蔵殿は絵もお好きだとか。ならば、絵を描いて悠々自適に暮らせばよいでしょう。出仕なども不要です。少ないですが、五十石の扶持と屋敷はこちらで手配いたします。ああ、もちろんのことお父上の薬の件もご心配なく」
武士は満面の笑みでつづける。
「その上で、四年後に武蔵殿は隠居される。そして、わが殿に円明流の総師範の座を譲る。ここまでで異存はおありか」
武蔵は黙ってかぶりをふる。整えていない髪が揺れるのがわかった。
「ふむ、結構でございます。ああ、そうそう、小言のようで恐縮ですが、我が領内にお招きする際は身なりにも気をつかっていただきたい。出仕されぬとはいえ、今のような蓬髪頭では困ります。髭は結構ですが、短く整えていただく。わが木下家の身上は大きくないとはいえ、徳川譜代との付き合いも多くありますのでな」
久遠の死の報せを聞いたのは十日ほど前のことだった。以来、風呂はおろか行水もしていない。
「ご了承いただけましたならば、誓紙と血判状、さらに入門目録に署名を」
紙の束を突き出された。横には筆と硯が用意されている。武蔵は躊躇なく筆をとった。毛先を墨に浸す。まずは誓紙に己の名を記そうとした。
ぽたりと水滴が落ちる。頰が濡れていることに気づいた。
愕然とした。なぜ、泣くのだ。すでに覚悟は決めた。円明流は、久遠の死によって幕を閉じた。
不思議だった。心は悲しくないのに、体が泣いている。
ため息が聞こえた。武士が呆れ顔で武蔵を見つめている。
「やれやれ、これが六十有余の決闘を制した御仁とはな。仕方ありませぬな。では、署名はこちらで書き足します。爪印だけもらえれば結構」
まだ涙に濡れる武蔵の手をとり、無理矢理に親指の爪を墨に浸した。武蔵はされるがままで、己の腕が動かされるのを他人事のように感じていた。
「待ってもらおうか」
戦場で鍛えたと思しき太い声が響いた。振り向くと、灰髪の武士が立っている。顔には合戦で受けた傷が何条も入っていた。
「何者か。今は大切な談合をしているところぞ」
「何やら、のっぴきならぬ事態になっているようだと思ってな」
灰髪の武士は断りもせずに入ってくる。武蔵と武士の間にどかりと腰を落とした。
「武蔵殿、久しいな」
言葉は丁寧だが、かすかに侮蔑の色が浮かんでいた。己の頰が涙で濡れていることに気づき、あわてて腕で拭う。
「何者だ。われを木下家の家老としっての狼藉か」
木下家は、豊臣秀吉の妻の寧々の一族だけあり強気だ。
「木下家ならば身上は三万石か。わが殿の石高と同じくらいだな」
灰髪の武者が面倒臭そうにいう。
「名乗られよ。どこの家中だ。ことと次第によっては、大御所様や将軍様に裁いてもらわねばならん」
「こんな些事で大御所様や将軍様の名を出すな。恥をかくぞ」
「ほお、怖いのか」
「水野日向守様が家老、中川志摩之助殿だ」
いったのは、武蔵だった。暫時、沈黙が場を支配した。
「な、な……水野日向守だと」
武士は口をあけて驚いている。
「武蔵殿とは六年ぶりか」
灰髪の志摩之助がこちらを見た。六年前、武蔵は水野家で武術指南したことがある。
「そ、その水野家がこんなところに何用ですか」
先ほどとうってかわって、丁寧な口調で武士が訊く。
「ああ、ちと武蔵殿に用があってな。が、来てみれば思いの外、厄介な事態になっている。借財とはいかほどか。ああ、その程度ならば、水野家が立て替えよう」
図々しく紙をのぞきこんだ志摩之助は筆をとり、紙にすらすらとその旨を書きつける。最後に署名して、紙を武士に突き返した。
「これで文句はなかろう。さっさと出ていくがいい」
犬でも追い払うかのように武士を道場の外へと追い出し、武蔵へと顔を戻す。
「借財を立て替えたのは、善意ゆえではない。武蔵殿に頼みたい仕事がある」
早々に武蔵に諾といわせたいのか、志摩之助の膝が揺れていた。
「わしはこれから黒田家のもとへいかねばならん。大坂に戻って戦にも加わりたい。ゆえに単刀直入に話をさせてもらう」
一方の武蔵は、ことの成り行きに戸惑うだけだ。そもそも、水野家との縁は六年前の一度だけだ。武芸指南で足軽家老の区別なく厳しい稽古をつけ、何人も悶絶させた。戦場で生き残る術を等しく教えたつもりだったが、面目を潰された家老の怒りをかい、数日で追い出された。その水野家が何の用だというのだ。
「京の地で呪詛があった。恐れおおくも大御所様を呪わんとする不届き者がいる。五霊鬼という呪詛だ」
志摩之助が、外に待たせていた従者に声をかける。網代でできた長い箱が、武蔵の前に置かれた。刀でも入っているのか、ごとりと重い音がした。
「五霊鬼の呪いは生首を使う。丑の刻参りの藁人形に相当するものが、生首だ」
箱の蓋を開け、一枚の絵図を取り出した。右目と左目に、それぞれ〝徳川〟と〝家康〟と刻まれた生首が描かれている。
「まず五霊鬼だが、このように——」
さも当然という風情で語ろうとする志摩之助の弁を、武蔵はあわててさえぎった。
「この件、お受けすることはできぬ」
「なんだと」
怒りの色を隠すことなく志摩之助が睨んだ。
「では、借財の件、どうするつもりだ」
水野家に肩代わりさせるつもりはない。
先ほどの武士に頭を下げればいいだけだ。円明流を売れば、万事解決する。
「そなたも武士であろう。大御所様を呪詛する者を捕らえれば、名が上がるぞ」
「己は、世を捨てると決めた」
木下家から捨て扶持をもらい、父を介抱する。それで十分だ。
「正気か」
武蔵は黙ってうなずく。
「宮本武蔵の名が泣くぞ」
「円明流の宮本武蔵は、もう死んだと思っていただきたい」
武蔵は、無言で志摩之助の眼光を受け止めた。
どれくらいたったであろうか。志摩之助が大きく舌を打つ。
「とんだ見込みちがいだったわ。無駄な時間を喰った。おい、さっさとこれを運べ」
志摩之助の声に、従者が慌てて網代作りの箱に近づく。だが持ち上げようとした時、手を滑らせ、中に入っているものがばらまかれた。
「も、申し訳ありませぬ」
従者が書状や出てきた刀を、慌ててかき集めようとする。
「待て」
武蔵は、思わず従者の肩を摑んだ。
「おい、勝手にさわるな」
志摩之助の罵声は無視し、武蔵は刀に手をのばした。摑もうとしたが、指が震えてうまくいかない。
「それは呪い首の近くに落ちていた刀だ。呪詛者の佩刀やもしれんのだぞ」
刀を目の前にかざす。なまこ透かしの鍔が目に飛び込んでくる。
耳に蘇ったのは、金打の音だ。
声も聞こえてくる。
『武蔵先生よりも強くなると誓います』
忘れるはずがない。武蔵が造った鍔だ。これを、ある男に託した。旅に出る餞別として。
佐野久遠——円明流を継がせると決めた男の佩刀に、その鍔ははめられていた。
〈ほ〉
あらためて座りなおした武蔵と中川志摩之助の間には、網代作りの箱が置かれている。中のものが全て出されていた。
呪い首と、それをつくるための妖かし刀と呼ばれる刀の絵図。
そして、呪い首の近くに落ちていたという佐野久遠の刀。
聞けば、呪い首が置かれたのは久遠の骸が見つかったのと同日だ。呪い首が賀茂の正伝寺門前、久遠の骸は妙心寺のほど近く。
ふたつの寺は一里(約四キロメートル)ほどの距離だ。久遠は呪詛騒動に巻きこまれたのではないか。
武蔵は、身の内に不穏な気が満ちるのを自覚せざるをえない。
「まず、呪詛者探索の任を引き受けてくれたこと、礼をいう」
「この刀が呪い首の近くにあったのですか」
「そうだ。呪詛者の佩刀かもしれん」
武蔵は首を横にふった。久遠が呪詛に手を染めるはずがない。
「確かに、呪詛者がわざわざ手がかりを捨てていくはずもない。かといって、ちがうと言い切るのもまた早計であろう。まあ、刀のことは今はおいておこう。まず、お主に五霊鬼の呪詛について知っている限りを教えよう。生首を一級用意し、眼球を取り出し諱を刻み、左右を入れ替えてはめこむ。そうすることで〝呪い首〟となる」
「首占いに似ていますな」
合戦でとった首級は、血祭りなどの神事に用いられる。首を使った吉兆占いも盛んだ。瞳が右を向いていたら吉、左を向くと凶などだ。
徳川家康も首占いをした。三十三年前の天正九年(一五八一)の高天神城の合戦で、とった首に女首の疑いが持ち上がった。まぶたを開き瞳の位置を見て、男女いずれの首かを占った。
「諱を刻まれたとはいえ、呪いなど珍しくないはず。なぜ、水野家ほどの家が動くのですか」
合戦の前には必ず戦勝祈願が行われ、その延長で相手を呪詛する。そのたびに、遠方にいる誰かに呪詛者探索を依頼するなどありえない。
「どうしても放ってはおけぬ理由がある。五霊鬼の呪いは、大御所様の家系を祟りつづけた。過去に大御所様の祖父の清康公が呪殺されている。それだけではない、大御所様の嫡男の信康公の死にもかかわっている」
松平清康——徳川家康の祖父で、若くして三河国を平定した英傑だ。
家康の祖父の松平清康から呪詛の因縁は始まる。清康は十三歳で家督を継ぐや戦に連戦連勝し、三河国刈谷城の水野家も屈服させた。今からおよそ八十年前のことで、無論のこと家康も勝成も生まれていない。
松平清康には、ひとつ悪癖があった。女色だ。
あろうことか、清康は水野家当主の美貌の正室於満を求めた。
「が、於満様も武家の女。清康公の室にされることに抗った。何より、当時の水野家の当主忠政公との間にすでに娘をもうけていた」
含みのある志摩之助の口調だったが、武蔵はあえて遮らない。
「於満様がとった方法が、五霊鬼の呪いだ。地水火風空の鬼の力が宿る五つの天狗石(隕石)を集め、伊勢の刀工、村正に妖かし刀を鍛造させた。そして骸の首を斬り、眼球を外し、清康公の諱を刻み、入れ替えた」
その企みは露見した。於満は、妖かし刀と共に清康の前に引き立てられた。しかし、清康は於満を罰しなかった。呪いなど信じていなかったのだ。あるいは、放置することで於満を支配しようとしたのかもしれない。妖かし刀を阿部という家臣に預からせるだけで、全てを不問にした。
変事が起きたのは、清康が尾張を攻めた時だ。ある晩、陣内で馬が暴れだし、それがきっかけとなり乱心した阿部が主君の清康を斬殺した。
世にいう森山崩れである。この時の刀が、妖かし刀であったという。
「それほどの妖刀であれば刀を粉々にするべきだが、そうすれば破壊した者の九族に祟るともいわれている。仕方なく、大樹寺に封印することにした」
その後、於満は水野家の当主と復縁した。後に生まれたのが、勝成の父の水野忠重だ。
「於満様が清康公に奪われる前に、水野家当主との間にできた娘というのは」
「於大様だ」
於大——徳川家康の生母である。
清康が横死したことで松平家は没落、子の松平広忠——つまり家康の父は今川《いまがわ》家を頼った。今川家の助力のもと、松平家は復興する。そこに近づいたのが、水野家だ。広忠に、於満の娘である於大を嫁がせた。乱世の習いとはいえ、かつて自分を奪った男の息子に娘を嫁がせた於満の心はいかばかりであったろうか。
「そして於大様と広忠公の間に生まれたのが、竹千代様——今の大御所様だ」
「清康公の件はわかった。信康公と五霊鬼の因縁というのは」
徳川信康は、家康の嫡男である。
「信康公が、大御所様のご命令で腹を切ったのは知っておるな」
「無論のこと。その介錯の刀が村正だったのも」
これも有名な話だ。
「信康公には、武田家と内通しているという風聞があった。もともと、信康公の家臣と大御所様の近習はうまくいっていなかった。そんな時、五霊鬼の呪い首が見つかった。恐れ多くも大御所様の諱が眼球に刻まれていた」
妖かし刀を封印していた大樹寺を調べると、刀はどこかに持ち去られていた。探索の結果、妖かし刀が岡崎城の蔵から発見された。武田家内通の噂も相まって、家康は信康の処罰を求める家臣の声を抑えることができなかった。
「大御所様は、信康公に腹を召させた。その際、妖かし刀を介錯に使った」
「なぜ、わざわざ縁起の悪い刀で介錯を」
「五霊鬼の呪詛の言い伝えでは、妖かし刀で呪詛者の命を絶てば呪いを解くことができる、とある。大御所様は呪いなど信じておられぬが、清康公の前例がある。呪いを捨ておけば、家中に混乱を生むと判断された」
そのおかげかどうかは知らぬが、信康事件から三十五年たった今も家康は健在である。
「そして、こたび再び呪い首が出来した。大樹寺を調べると、やはり妖かし刀が盗まれていた」
つまり、家康自身が呪われるのは二度目ということになる。
「これが妖かし刀を写したものだ」
志摩之助が絵図を武蔵の前にやる。刃長は二尺(約六十センチメートル)とかなり長い。刃文は皆焼で、刀が火傷を負ったかのような凶々しい紋様をしている。切っ先に血飛沫がこびりついたような五つのまだらがあるのが、さらに剣相を不吉なものにしていた。
武蔵は久遠の佩刀を手に取り、刀身を検める。刃長は二尺を超え、刃文も皆焼ではない。互の目という山が連なったような紋様だ。何より剣から生じる位がちがう。銘を見ずとも、美濃国の関で造られた刀だとわかる。伊勢の刀工村正のものではない。
かたかたとなまこ透かしの鍔が鳴る。
握っていると、久遠の無念が掌から伝わってくるかのようだ。
「これを放っておけば、徳川家の沽券にかかわる」
妖かし刀が盗まれた大樹寺は徳川家の菩提寺で、家康の祖父や父を祀っている。土足で踏みにじられていい場所ではない。
「於満様との因縁もあり、わが水野家に呪詛者探索の任がおりた」
「なぜ、己に探索させようと思われた」
水野家が動けばいいだけの話だ。過去、剣術指南に訪れただけの武蔵に依頼する理由がわからない。
「それよ」志摩之助が渋い顔をする。「今まさに大坂との合戦がはじまろうとしている。当然、水野家も出陣する。動こうにも正直、手が足りぬ。人を雇おうにも、適材がいない」
腕のある忍びは、陣触れが出るや大大名によってほとんど雇われてしまったという。
「呪詛者は十中八九、豊臣方だ。探索は大坂城に赴かねばならない。水野家の家臣を送ろうにも、大坂方に顔が割れている。よしんば顔が知られていない者がいても、かなりの難事になる。大坂城に忍びこんでも、並の遣い手では落命してしまう。命じられた以上は、誰かが動かねばならぬ。この戦で大変な時に、だ」
最後の言葉には、ありありと不平の色が見てとれた。
ここまで堕ちたのか、と自嘲する。剣で名をなした宮本武蔵が、忍びの代役を宛てがわれる。
「その点、お主は大坂方に顔が割れていない。何より、六十有余の決闘を生き抜いた遣い手だ。よほどのことがなければ、命は落とすまい」
随分と乱暴な論に聞こえた。確かに武蔵の腕は人並み以上だが、探索働きなどしたことがない。
「安心しろ。人をつける。そ奴と一緒に動いてくれ。その上で、呪詛者を生かして我々の前に引き出してほしい。妖かし刀も一緒にだ。もとのように大樹寺に安置する」
「呪詛者を生かして……、殺してはならぬのですか」
もし呪詛者が久遠の仇だったら……己はそ奴を生かしておけるだろうか。
「そうだ。呪詛者を妖かし刀で成敗したい。そうすることで、呪いが解ける。ああ、勘違いするなよ、我が殿は五霊鬼の呪いなど微塵も信じていない」
だろうな、と思う。勝成の官位は日向守で、明智光秀と同じだ。不吉として皆が忌避していたものを、傾奇者の勝成が引き受けた。ゆえに鬼日向の異名をとる。
「無論のこと、大御所様もだ。しかし、下々はちがう。事実、陣内は呪詛の噂でもちきりだ。これを鎮めねばならん」
そのために、呪詛者を生かして連れてきて、衆人環視のもと妖かし刀で殺害するという。
「呪詛者探索の任は引き受けましょう。ただし、呪詛者の生死までは請負いかねる」
不思議そうな顔で、志摩之助が武蔵を見る。
何かに気づき、志摩之助が首をひねる。視線の先には刀架があり、かかっている武蔵の剣には、なまこ透かしの鍔が鈍い光を放っている。慌てて志摩之助が、久遠の佩刀に目を戻す。
「これは、我が弟子の久遠のもの」
あらぬ疑いをかけられぬよう、正直に告げる。五霊鬼の呪詛と同日、妙心寺の近くで久遠が絶命していたことも明かす。
「妙心寺で亡くなった弟子の佩刀が、正伝寺の呪い首の近くに捨てられていたのか」
「きっと久遠は呪詛者を止めようとして、殺された」
志摩之助の顔に困惑の色が浮かぶ。きっと、久遠が呪詛者ではないかと疑っているのだろう。
「お疑いならば、妙心寺の退蔵院に人をやって調べてください」
妙心寺退蔵院での久遠の暮らしぶりは聞いている。髪こそ落とさなかったが、禅僧と変わらぬ暮らしだった。さらに剣の鍛錬も続けていた。呪詛に手を染める暇などあろうはずがない。
「呪詛者が久遠の仇であるならば、己は斬ります。止めても無駄です」
声に過剰な憎しみがこもっていることに気づく。志摩之助がにじり下がるほどだった。
「わかった。そこまで言うならば、能うかぎり生かして連れてくるよう努めてくれ」
死んでもやむを得ない、と志摩之助は譲歩した。
「その上で、絶命させるならば妖かし刀でもってなしてくれ」
天下の徳川家がなぜそこまで呪詛を案じるのか。
「そんな顔をするな。呪いなど怖くはないが、そこから生まれる噂はこちらで御しきれぬ。妖かし刀でもって絶命させるのが無理ならば、口裏をあわせてくれればいい。それだけで悪い噂は流れなくなるはずだ」
つまり、呪詛者を妖かし刀で殺したと偽れという。
武蔵は思考を巡らす。
やるべきことは——
一、呪詛者を見つけ出す。
二、妖かし刀を取り返す。
三、その上で、もし呪詛者が死んだ時は妖かし刀で殺したことにする。
「では、すぐに大坂へ向かってくれるか。徳川方が大坂に到着すれば籠城戦になる。忍びこむのが難しくなる」
家康ら徳川勢はまだ京に駐屯しているという。が、今この時にも大坂に向けて兵を動かしていてもおかしくない。
「わしは九州で兵糧を集めねばならない。お主に同行できぬ。兵庫の港にわが三男の三木之助たちがいるから落ちあってくれ」
六年前に武術指南した際、志摩之助の息子たちに会ったというが顔は覚えていない。
〈へ〉
兵庫の港に、武蔵は立っていた。海から吹きつける風は硬く冷たい。髭を剃り髪を短くしたこともあり、冷気が一層肌にしみる。
港には、大坂を目指す牢人や商人、人足たちが大勢たむろしていた。
武蔵は、知らず知らずのうちに彼らを睨みつけていた。この中に、久遠を殺した呪詛者がいるかもしれない。そう考えると、誰もが怪しく見えてくる。
武蔵の眼光に、何人かの牢人が逃げ出るようにして道を開けた。
「宮本武蔵様でしょうか」
ひとりの小姓が声をかけてきた。上品な顔立ちに、知性を感じさせる瞳が輝いている。体つきは少年のものだが、所作は大人びていた。顔つきは幼く、そこだけ少年になりきれていないように見えた。
「三木之助殿か」
「はい、六年前に遠目にお姿を拝見したことがあります。覚えておいでか」
「いや、申し訳ない」
「恐縮は無用です」
三木之助は微笑を深める。
「色々とご説明せねばならぬことがありますが、いつ大御所様が京を発つやもわかりませぬ。まずは大坂へ向かいましょう。道中にてお話しさせてもらいます」
ということは、まだ徳川方は大坂城を囲っていないのだ。武蔵が安堵を覚える間もなく、三木之助は歩きだす。厩へと誘い、芦毛の馬を武蔵にあてがった。三木之助は鹿毛の馬に素早く乗る。
「では、行きましょう。寸暇といえど惜しいですからね」
三木之助の乗った馬が走りだす。武蔵も馬に鞭をあてて追いかけた。
「三木之助殿、志摩之助殿から文をあずかった」
武蔵が託された手紙を渡す。走る馬の上だが、三木之助はたやすく受け取った。細身の体だが、父親譲りの体術の持ち主のようだ。馬足を緩め、鞍の上で封を解き、手紙を読む。
「呪い首が置かれた日、お弟子様が絶命されたのですか」
文から目を外し、武蔵を見た。黙ってうなずく。
「父の文には、従者のひとりを妙心寺にやったと書いてあります」
久遠が呪詛者か否かを調べるためだろう。それは予想のうちなので驚かない。
「読みますか」
文を受け取った。武蔵が呪詛者探索の任を引き受けた顚末が、ごく簡潔に書かれている。
「父は無理難題を押しつける人で困っています」
文の後半には、武蔵が呪詛者を殺す恐れがあるゆえ、制止して生かして連れて帰るようにと書かれている。
「生け捕りにするつもりだが約束はできない。志摩之助殿もそれは承知の上のはず」
「そういわねば武蔵様に断られると思ったのでしょう。しかし、厄介ですな。私と武蔵様は呪詛者と妖かし刀の行方を追うという目的は同じですが、最後に折り合いがつかない恐れがでてきました」
なぜか嬉しげに三木之助がいう。
武蔵は無言だ。生死は問わぬという志摩之助の言質はとれている。呪詛者を見つければ、あとは内なる衝動に従うだけだ。
徳川方の証となるものは持っていけない。
志摩之助の文を破り捨てて、道中を急ぐ。
二騎は、足を速めて街道を並走した。
「さて、今後のことです。まずは、牢人を装って大坂の城へと忍びこみます。大坂方は牢人を呼集しておりますので、入りこむのは難しくないかと。一応、変名を使いますが、武蔵様はなんと名乗ります」
馬を走らせつつ、三木之助が訊いた。
「平田武蔵守とでもしておこうか」
武蔵守の受領名は珍しくないので、二刀流を封印すれば正体はわからないだろう。
ちなみに平田姓は、父方の親戚のものだ。武蔵にとっては慣れ親しんだものである。
一方の三木之助は、平凡な変名に不満気な様子だ。
「そういうことならば、私の姓は大蔵とでもしておきましょうか。私は水野家以外には知られておりませぬゆえ、名は三木之助のままで。平田武蔵守様の従者ということにします」
「まて、三木之助殿も大坂の城へ忍びこむつもりか」
三木之助から必要な情報や道具を得た後、別の家臣と落ちあうと思っていた。
「そう父から仰せつかっております。ああ、武蔵様、従者にその言葉遣いはおかしくありますぞ」
若年のくせに、叱る言葉は様になっていた。
「失礼し……」
じろりと三木之助に睨みつけられる。
「いや、すまぬ。慣れぬのでな」
なんとか舌を回すと、三木之助が笑んだ。先ほどとちがい苦味のない表情は、きっと多くの人に慕われているのだろう。
「もうひとつ、小言を。そのお姿で城に入るおつもりですか」
武蔵の姿は、小袖と南蛮袴のカルサンという出立ちである。額には鉢巻をきつく締めているが、鎧や小具足の類は一切身につけていない。
「素肌武者は珍しくありませぬが、そのお姿はさすがに」
鎧兜をつけぬ者を素肌武者というが、それでも脛籠手などの小具足は身に帯びる。
「ふさわしい鎧を調達しましょうか」
武蔵とちがい、美しい陣羽織と鎧を着た三木之助がいう。
「お気遣いは……いや、気遣いは無用だ。動きにくい」
「動きやすさの問題ではありませぬ。目立つのは、得策ではありませぬ。それに」
「それに、なんだ」
「少々、その姿は華を欠きます。私が見るに耐えぬのです」
さも迷惑そうな口調から、こちらが本心のように思えた。
「それより、どうするのだ」
「どうするとは」
「どうやって呪詛者を探しだす」
「呆れた、武蔵様は何も考えていなかったのですか」
三木之助が肩をすくめる。馬が蹴った小石が、ふたりの間で爆ぜた。
「考えていなかったわけではない。呪詛者は妖かし刀で呪い首をつくるのだろう。ならば、妖かし刀——村正を持つ者を探せばいい」
志摩之助から渡された妖かし刀の絵図を思い出す。
刃長は二尺
皆焼の刃文
切っ先に血飛沫を思わせる五つのまだら
ここまで特徴のある刀は、二振りとないはずだ。
「ますます呆れましたね。呪詛者が容易く妖かし刀をひけらかすはずもありますまい」
「だが、村正なのだろう。ならば、村正を佩刀する者をひとりひとり当たればいい」
「十万もの牢人がいるのですぞ。いかにして探しだすのですか」
武蔵は答えられない。
「武蔵様は、面白い御仁だ」
三木之助が顔を空に向けて笑った。前髪が柔らかく揺れる。
「そういうお主は策があるのか」
「策というほどのものではありませぬが」
幼い声にそぐわぬ、自信に満ちた表情だった。
やがて、日が落ちはじめる。馬の足を緩める気配はない。どうやら、不眠不休で大坂を目指すようだ。
完全に日が暮れてから、馬の足を緩めた。が、止まりはしない。雲はなく、月明かりが出ている。大坂へ急ぐ牢人の集団がぽつぽつとあり、彼らの灯す松明が道案内となった。
「呪詛者を探す方策を考える前に、今一度五霊鬼の呪いについてご説明します」
一、諱を刻まれた者は、二年の内に呪い殺される。
二、呪いを解くには、妖かし刀で呪詛者を殺さねばならない。
三、妖かし刀を破壊すると、破壊した者と呪詛者の九族が死に絶える。
「二年の内に死ぬ、か。悠長な呪いだな」
「そうでしょうか。丑の刻参りや陰陽道などを調べましたが、何年の内に呪殺せしめるかを定めた呪いはありません。三十年後に死んでも呪詛のおかげといいはれます。が、五霊鬼はそうではありませぬ。たった二年の内に殺すのですから、悠長とはいえぬかと」
三木之助と武蔵の乗る馬が、松明を持って進む牢人の一団を追い越した。古兵とわかる男たちだ。大坂方に馳せ参じて、一花咲かせようというのだろう。その目は、死に場所を得た喜びで輝いていた。
「確かめたいことがあります。武蔵様は、呪いを信じますか」
「神仏は敬うが、頼らない。鬼門などは信じぬが、風水を疎かにすることはない。呪いも同じだ。信じないが、だからといって軽々に呪いに近づこうとは思わない」
「では、呪いで人は殺せない、と」
「そう考えている。三木之助はどうなのだ」
「そうですね」
形のいい唇に三木之助は指をやる。
「呪いにすがる人々の業を、私は愛おしく思います」
答えになっていないと思ったが、無言で先を促した。
「呪いもまた人の業が織りなすもの。なれば、呪詛者の業の深さこそが肝要でしょう。深き業で呪詛すれば、それは間違いなく実体を持ち、呪われし者を滅ぼすはずです」
かつて、清康公が殺されたように、と三木之助はつけ足した。
〈と〉
舞い上がる砂が、大坂の空を濁らせている。南北に走る上町台地の上辺は、幅は七町(約七百メートル)ほどだろうか。大坂城はその北端にあり、傘が開くように平野郷につながっている。
台地を歩く武蔵たちのはるか先に、天守閣が見えていた。黄色い霧の中にあるかのようだ。
総構えといって、大坂城は城郭が町を囲う造りになっている。とはいえ、巨大な商都を外堀で完全に内包できるわけではなく、四天王寺のある南方まで上町台地に街並みが続いている。
異様なのは、城の外側の町に人の気配が乏しいことだ。その一方で城郭の中は、遠目にわかるほど活況を呈していた。食事時でもないのに、炊煙が多く立ち込めている。
道を歩いていると、家財を荷車にのせた民たちが城を目指す姿を何度も見た。合戦に備え、総構えの外の民たちが城内へ避難しているのだ。
「太閤さまの建てた城だ。絶対に負けやしねえよ」
「徳川なんて豊臣の敵じゃないさ」
民たちはどこまでも楽観している。何人かは物見遊山へ行くかのように談笑していた。
「みろ、こんなすごい堀があるんだぞ」
民のひとりが誇らしげな声をあげた。さすがの武蔵も足を止めて見入る。
大坂城の南側の外堀が、上町台地を切るように横断していた。水こそはたたえていないが、幅は一町ほどはあろうか。半円型の出丸が張り出し、狭間からは銃口がいくつも突き出ている。
「大坂の民は吞気なものですね」
三木之助が、城内へ避難する民を見ていった。
「だが、この堀を攻略するのは骨が折れそうだ」
聞けば、北と東西には水をたたえた堀や川があり、最も手薄だという南側の空堀だけでも相当な要害だとわかる。
「さて、百戦錬磨の大御所様が単純な力攻めに出るでしょうか」
武蔵は三木之助の言葉には返答しなかった。
黙って、空堀を渡っていく。
大坂城内ではあちこちに人足がいて、堀を掘ったり、石垣を積み上げたり、櫓を建てたりと働いている。
「もたもたするな、いつ徳川が攻めてくるかわからぬのだぞ」
奉行の権高な声が聞こえてくるが、人足たちは吞気なものだ。
「関東のへぼ侍が、大坂城の堀を越えられるかよ」
「それより、堀の外のわしの家が荒らされねえか心配だよ」
「大丈夫だって。どうせすぐ徳川は退くさ」
人足たちは、城内に避難してきた民たちが多いようだ。
わっと歓声があがった。百人ほどの牢人の一団が城門をくぐろうとしている。
「また、牢人大将が入城したぞ」
「先日の真田左衛門佐様に劣らぬ武者ぶりだ。御名はなんというのだろうな」
人足たちが一時、手を止めて牢人たちの行列を見物する。甲冑姿の勇ましい行列が、武蔵と三木之助の前を通っていく。小袖とカルサン姿の武蔵を見て、侮蔑の笑いを露骨に投げかける者もいる。
大坂城内にいるのは、大坂の民や兵たちだけではない。家康によって迫害された人々も多くいた。禁教令が出されたキリシタンは特に目立つ。南蛮人の姿もあった。クルスの紋を染めた幟の下で、輪になって祈りや歌を捧げている。美しい音色は、風琴(パイプオルガン)や南蛮琴(ハープ)であろうか。
長羽織や喧嘩煙管を身につけた傾奇者も多い。彼らもまた、徳川家に弾圧された者たちだ。五年前、京で荊組、皮袴組という傾奇者の一団が捕まり、首領たちが処刑された。二年前の江戸では、大鳥逸平ら数百人の傾奇者が処刑されている。そんな傾奇者たちが輪になって喝采を送っている。目をこらせば、男装した傾奇女たちが舞っていた。徳川の禁制で舞台を失ったせいか、女傾奇の一座も城内に集まっているようだ。
「さて、三木之助の策を聞こうか」
「おや、村正を持つ者を尋ねることは諦めましたか」
集った牢人の数を見て、そんな考えは吹きとんだ。
「では、しばしお待ちを」
色鮮やかな長羽織を着た傾奇者たち十数人が固まり、煙管をくゆらせている。三木之助が傾奇者たちへと近づくと最初こそは睨まれたが、すぐに打ちとけて談笑をはじめる。喧嘩煙管を、ひとりが突き出した。三木之助は何度か断っていたが、渋々と受け取る。大人びた所作で吸いこむが、たちまち咳きこみ、牢人たちがわっと笑う。
「お待たせしました」
顔をかすかに上気させた三木之助が戻ってきた。煙草の香りも薄く薫っている。
「数日もすれば、武蔵様のもとに村正を持つ男たちがやってくるはずです」
「なぜだ」
「傾奇者たちに教えてやりました。平田武蔵守様が村正の刀を欲している、と」
「己が村正を欲する理由はどうでっちあげた」
「村正が清康公と信康公に仇をなしたのは周知の事実なれば、大御所様打倒のために平田武蔵守様が村正の刀を万金で購う、と」
「そんな金はないぞ」
「購う必要はありませぬ。村正の刀身を検めて、五霊鬼の妖かし刀か否かを調べるだけでよいのです。あとは刀に難癖をつけ追い返す」
最善の策とは思えぬが、武蔵には他に案がない。
翌日、さっそく何人もの牢人が武蔵のもとを訪ねてきた。すべてを検めるまでもなかった。一目見れば、妖かし刀の長さではないことがわかる。ちょうど良い寸法の刀も、鞘を払えば刃文のちがいで一目瞭然だった。
「噂の中に、刃文や刃長などを細かく定めるのはどうだ」
「それでは、所持者があまりにも少なく話題にならぬでしょう。これは刀を検めるのはもちろんですが、誰がどんな村正を持っているかの噂を集めるためでもあります」
なるほど、もし呪詛者ならば武蔵のもとに妖かし刀をわざわざ持ってくるはずがない。とはいえ、万が一ということもあるので、ちょうどよい長さの刀がくれば一々検めねばならない。
徳川勢の包囲がはじまれば、否応なく戦いに巻きこまれ、呪詛者を探すのも難しくなる。武蔵の中で焦りが大きくなる。
「少々、乱暴な手を使ってもいい。もっといい策はないか」
「乱暴な手でもよいのですか」
武蔵はうなずいた。
数日後、武蔵の前に現れたのは屈強な牢人衆だった。十人ほどはいようか。先頭の男の手には縄で結わえられた数振りの刀が束ねられている。
「そこもとが村正を集めている平田武蔵守か」
「己が……村正を集めている」
確かに武蔵は村正を求めているが、必要なのは一振りだけだ。集めてはいない。
「左様でございます」
武蔵に代わって答えたのは、三木之助だ。
「お手合わせ願おう。勝った方が、村正を全て己のものにできる。それで相違ないな」
「もちろんです。さあ、先生」
三木之助が武蔵の佩刀や木刀をすかさず用意する。
「どういうことだ、これは」
牢人に誘われ決闘の場へ行く途中、武蔵は三木之助に耳打ちした。
「また噂を流しました。豊臣右大臣様が勇者を探している。その証として、村正を持つ武芸者と試闘をして佩刀を集めてこい、と。最も多く集めた者を、千の武者を率いる侍大将に取り立てる、と」
「よくも、そんな出鱈目を」
「流した私自身もそう思います」三木之助が誇るように笑む。「ですが、五条大橋の武蔵坊弁慶を思わせる話ゆえでしょうか、食いつきは大層よくあります」
「ふん」と、武蔵は鼻息をついた。確かに一振りずつ確かめるよりも楽だ。が、数本では立ち合いの労力に見合わない。
「どうした、早くこい。怯んだのか」
牢人の声に急かされ、武蔵は歩みを再開した。まもなく、石垣に囲まれた小さな広場につく。急造りの石垣や塀があちこちにあるおかげで、人目につかない死角を探すのに苦労はない。仲間がすでに何人かおり、牢人が槍を受け取った。木製の穂先ではあるが、よく使いこまれている。用意がいいことだ、と感心した。一方の武蔵は、三木之助が持ってきた木刀を握る。
「槍をとってくるならば待ってやるぞ。ただし、村正は置いていけ」
牢人は頭上で槍を旋回させる。無視して木刀をなでた。稽古で常に使う木刀だ。これで久遠の攻めを、何度も受け止めた。傷のひとつひとつを確かめ、指でなぞる。
「おい、武蔵守、聞いて——」
ただ、睨みつけた。それだけで牢人が黙る。木刀を持つ手に、力がみなぎる。みしりと、木刀がきしんだ。
武蔵は初めて自覚した。身の内に宿る不穏な気の正体は、憎しみだ。それをつい先刻まで、か細い箍で抑え込んでいた。しかし、立ち合いの空気を吸った今、憎しみが肥えるのを止めることは不可能だった。
「殺さぬようにするつもりだが、命の保証まではできぬ」
武蔵の闘気をあび、牢人の顔から血の気がひいた。
懐かしい——と武蔵は感じる。そうだ、かつてこんな気性で敵と戦った。巌流小次郎や吉岡憲法らとだ。
あの時の己に戻るのか。
「ぐ、愚弄するな」
牢人が槍を繰り出す。武蔵は勢いよく踏み込んだ。穂先が顔をかすり、肌が焦げる音がした。咆哮とともに、木刀を振り上げた。
武蔵の木刀が、鳥居の形で構えた槍を粉砕する。それでもなお勢いを失わず、牢人の額を叩き割った。どうと倒れて、辺りに血飛沫が散る。
「だ、大丈夫か」
「しっかりしろ」
悶絶する牢人の周りに仲間が群がる。何人かが鋭い目で武蔵を睨みつけるが、すぐに下を向いた。それほどまでに、己は苛烈な気を発しているのだと気づく。
「だ、大丈夫でしょうか。槍の柄で守っていなければ死んでいましたよ」
三木之助も悶絶する牢人を心配している。
「みくびるな」
武蔵は言い捨てた。相手の対応が遅れていれば、太刀筋を変えて肩を打っていた。無論、肩の骨は粉々になっていただろうが。
三木之助が牢人たちのもとへいき、束ねられた村正を検める。皆焼の刃文はなかったが抱えて戻ってきた。
「これだけあれば、村正を集める者たちの餌になりましょう。しかし、武蔵様もお疲れでしょうから、三日に一度、立ち合いをいれるぐらいが——」
「いや、すぐにでも立ち合いたい。ひとりでも多く、村正を持つ者とやる」
「し、しかし、いかに一合で決したとはいえ、先ほどのような激しい戦いでは……」
武蔵は木刀を三木之助の細い首に突きつけた。血のついた切っ先を見て、三木之助の表情が強張る。
「いいから、連れてこい。呪詛者を見つけるためだ」
武蔵の足元には、牢人たちが大勢、倒れていた。骨が折れているのか、苦悶しのたうち回る者も少なくない。一方の武蔵は呼気こそ荒いが、汗は一滴たりともかいていない。
「化け物め」と、誰かがうめいた。一対一の約定を破っておきながら、ひどいいい様だ。
「村正を検めさせてもらうぞ」
石垣に立てかけられた刀のもとへ歩む。六振りの村正があるが、長さがあうのは三振りだけだ。手にとり、鞘を払う。目に飛びこんだのは皆焼の刃文だ。
胸の高鳴りは、すぐに失望に変わる。切っ先に血飛沫を思わせる刃文がない。
「くそ」
武蔵は刀を放り投げた。残りの村正は、皆焼でさえなかった。
「武蔵守様、拾う方の身にもなってください」
三木之助が散らばった刀をかき集める。妖かし刀ではなかったが、奪った刀をそのままにはしておけない。誰かが拾い、それを餌に武蔵に挑まないとも限らない。
「すこし意見をさせてもらってもよいでしょうか。痛めつけすぎです。武蔵守様の立ち合いの様子が噂になりつつあります。奉行に目をつけられれば探索が難しくなります」
「次から気をつける」
そう言ったものの、まとわりついた殺気は簡単には拭えない。
「本当にわかっているのですか。あまり恐れられると、村正を持つ者も挑んでこなくなるのですぞ」
「わかったといったろう」
大きな声はださなかったが、三木之助の体がびくりと震えた。
「心配しているのは、相手のことだけではありません」
三木之助は、勇を鼓舞するようにして言葉をつぐ。
「相手の木刀が何度も鬢をかすったでしょう。半足踏み込みを違えれば、武蔵守様の頭蓋が砕けていました。なぜ、あのような危険な立ち合いをされるのですか」
「それが己の性分だ」
「いえ、ちがいます。水野家での指南も、確かに苛烈でした。しかし、ご自身を御しておられました」
無視して、武蔵は足を早めた。三木之助では追いつけない歩幅で進む。
「とうとう来たぞ」
「やっと戦か」
勇ましい声をあげつつ、武者たちが武蔵の横を通りすぎていく。
目をすがめ、彼らの向かう先を見た。
大坂城の石垣ごしに、摂津国の平野がある。大小の河川がうねる様子は、縄をばらまいたかのようだ。あちこちに散らばる葦原の向こうから土煙が上がり、鳥たちが何百羽も飛び立っていた。人馬の行列が、ゆっくりとこちらへと近づいている。
とうとう徳川の軍勢が大坂についたのだ。
〈ち〉
大坂の地に、戦の風が吹きあれていた。斬りつけるような冷気とは裏腹に、武蔵は火傷しそうな熱を肌の下に感じていた。
「急げぇ」
豊臣方の侍大将が叫ぶ。
「寸刻でも惜しい。鴫野、今福の味方を救うのだ」
砂塵を巻き上げ、軍勢が大坂の城を出ていく。鉢巻を締めた武蔵も、その中にいた。
大坂に着陣した徳川勢、二十万。七日前には、徳川方が大坂城南西の砦を陥落せしめていた。さらに今日の夜明け前、大坂城の北東にある鴫野と今福の両砦に攻勢を仕掛けたと一報がきた。攻め手の将は、鴫野砦が上杉景勝、今福砦が佐竹義宣、大小名たちが与力として大勢つけられている。
大坂方もただちに動き、鴫野に大野治長、今福に木村重成らの将を派遣した。武蔵が属するのは、木村重成と後藤基次が率いる一軍である。
「武蔵守様ぁ」
背後から声がした。三木之助が息を切らし駆けてきた。
「城で待てといったろう」
「いえ、お供します」
誇らしげに短刀を見せつける。
「そんな短い刀で戦う気か」
「まさか。足手まといは承知の上なれば、危うい時に自決するためのもの。私のことはお気になさらず。それよりも武蔵守様、戦ですぞ。まさか、徳川勢と戦うのですか」
間諜である武蔵は、本来なら徳川勢と戦うのは憚られる。が、それでは敵に内通していると公言するようなものだ。
「今は豊臣方だ。そのように振る舞うしかあるまい」
「いたぞぉ、佐竹勢だぁ」
大坂方の侍大将の叫び声が聞こえた。目の前には、扇の図柄を染め抜いた佐竹家の旗指物が翻っている。地におり伏すのは、豊臣方の武者だ。すでに砦は敵の手に落ちていた。
「おのれ、弔い合戦だ」
「砦を取り返せ」
侍大将が槍を天に突きつけた。一発二発と、敵陣から銃弾が飛んでくる。武蔵の足元の土が弾けた。
耳鳴りというには大きすぎる音が、武蔵の頭の内で響く。周りにいた味方の足軽が、武蔵の闘気を受けてざわついた。
今、武蔵は感じている。己の体内に得体のしれぬ獣がいることを。己の心を喰んで、どんどんと肥えていく。にもかかわらず、獣は飢えを募らせている。ぶるりと武蔵の全身が震えた。身の内の獣の飢えを癒す方法は、ひとつしかない。
武蔵は、腰にさした木刀を抜く。
「刀はどうしたのです」
三木之助が驚きの声をあげた。
「三人斬れば、刀は役にたたぬ」
人を斬れば脂で刃の切れ味が悪くなる。ならば、はなから木刀を使うほうがいい。
「掛かれぇ」
侍大将の下知に誰よりも疾く反応したのは、武蔵だ。大地を蹴り、敵陣へと飛び込む。
佐竹勢の槍が次々と体をかする。いくつかは肉を削ったが、足は緩めない。驚愕する武者の顔面に、刀の柄をめりこませた。歯の破片が飛び散り、曲がった鼻から盛大に血が噴きこぼれる。悶絶する敵を蹴り、道をつくった。
振り落とされる薙刀は受けるまでもない。肘に木刀を叩きこむと、折れた骨が肉を破り、鮮血が武蔵の腹のあたりを赤く染めた。
馬上からの槍は、首の皮をかすらせてから摑む。手元で槍をこねると、それだけで騎馬武者が放りだされた。迫る敵兵を十分に引きつけてから、槍を振り回す。穂先は武蔵の方を向いたままだ。危ういなどとは思わない。三人までをなぎ倒し、四人目で柄が折れた。飛んで、五人目の武者を鎧の上から撃って、肋骨を粉砕した。
身の内の獣の愉悦の声が、聞こえたような気がした。
「押せぇ、総がかりじゃぁ」
「敵はもろいぞ。殺せ。一兵残らず、倒せ」
武蔵の周囲では、豊臣勢が圧倒していた。徳川勢が次々と槍の餌食になっていく。
「武蔵守様、自重してください」
三木之助の声は悲鳴をきくかのようだ。
武蔵の首がひねられる。どす黒い気が近づいてくる。
何かが、武蔵へと迫らんとしていた。武蔵の耳が拾ったのは声だ。
——槍先に、まなこのつかばひるむべし
これは、兵法歌か。厚い砂塵の奥から聞こえてくる。
下の句に耳をすました。
「むかふて敵の、手元見るべし」
なぜか、武蔵も下の句を歌っていた。
歌声の主へ向き直ったとき、耳をつんざく悲鳴がひびいた。
血が武蔵の顔に降りかかる。遅れて、首が飛んできた。武蔵の足元で跳ねる。豊臣方の武者だ。
もう、兵法歌は聞こえてこない。
けたたましい悲鳴とともに、豊臣勢の首が次々と胴体から離れる。いずれも武蔵の足元に血と一緒に飛んできた。偶然ではない。そうなるように跳ね飛ばしたのだ。
風が吹いて、土煙が動く。一騎の武者が姿を現した。
濃い髭が口と頰と顎を覆っている。人形のように無表情な顔だ。鍔の広い南蛮帽をかぶり、黒ずくめの南蛮の甲冑がたくましい体を縛めるかのようだ。手には、大身槍を握っている。これを直刀のように操り、断頭したのか。背後には、舟帆を模した馬印がなびいていた。
武蔵は極限まで腰を沈めた。
尋常の遣い手ではない。絶命の太刀と断頭の太刀を同時になしたことが、その証左だ。それだけでなく、武蔵の足元に飛ぶように頭を刎ねた。武蔵を手練れと見抜いての行為だ。
感情の読み取れぬ目が、武蔵に向けられた。
大身槍の間合いにとらえてから口を開く。
「何者だ」
髭の奥から発せられた声は、傀儡がしゃべるかのようだ。
「そちらから名乗れ」
かすかに髭が動いた。苦笑したのか。
「ならば、鬼左京とでも名乗るか」
見えぬ糸が極限まで伸びたかのように、緊張が満ちる。
「鬼左京……坂崎出羽守か」
坂崎直盛——かつての名を宇喜多〝左京亮|〟詮家という。宇喜多一族の重鎮だったが、関ヶ原では従弟の宇喜多秀家につかず家康に与し、寡兵ながらも活躍。山姥という剛槍をあやつり、古巣の宇喜多家の兵を何人も血祭りにあげた。
家康をして鬼左京といわしめたことから、いまだに旧名の左京で呼ばれる豪傑だ。
直盛が、大身槍を武蔵に突きつけた。きっと山姥の剛槍だ。穂先から血が滴っている。
「体捌きに、美作の武術の匂いがある。あるいは、以前は同じ家中だったか。名乗れ、流派を申してみよ」
武蔵の父の宮本無二は美作の生まれで、宇喜多家に仕えた新免家の家臣だ。一方の鬼左京こと坂崎直盛も、美作に伝わる竹内流の達人で宇喜多家の重鎮だった。平田武蔵守の変名でさえ、この男に明かすのは危うい。
「知りたければ、倒してみろ」
結果、心ならずも挑発するような言葉をいってしまう。
髭を割るようにして、左京の口が開いた。
迸った叫びは、気合の声ではない。
悲鳴だ。
武蔵の全身に粟が生じる。血を飛ばしつつ、大身槍が迫ってきた。
まるで短刀を扱うかのように疾い。
一合、二合と木刀で受け止める。常なら片手で受け止めるが、できなかった。両手でさばいてなお、骨を砕くかのような衝撃が爆ぜる。
踵が大地にめりこみ、後ずさる。守勢だけでは、重心が保てない。
大身槍の縦の斬撃を避ける。その反動を利して、木刀で左京の槍をはね上げた。一気に間合いを殺し、馬上の左京の胴を打つ。
左京の体勢が大きく崩れ、鞍から落下した。
武蔵は駆ける。大地に倒れ伏すと同時に、奴を制さねばならない。この男相手に、勝機は多くはない。
武蔵の目が見開かれた。
甲冑を身につけた巨軀にもかかわらず、左京の体が地につかなかったからだ。体を折り曲げ、獣を思わせる体捌きで回転する。音もなく、大地に両足をつけた時、左京はすでに槍を捨て腰の刀を握っていた。
左京の喉から、またしても悲鳴が迸る。
赤子を失った母の絶叫を思わせる声。
剣風が頭をかすった。毛髪が宙を舞う。すんでのところで、よけることができた。
両者、弾けるようにして間合いをとる。
左京が、不思議そうに己の手にある刀を見た。腰には、もう一本の刀がぶら下がっている。明らかに使いこまれている。本来なら、こちらを抜きたかったのだと悟る。
「なぜ、抜いたのだ」
左京が己の手に問いかける。
息を吞む。
左京の刀の鋭気を、武蔵が見間違うはずがない。左京が手に持つのは、村正だ。刃文は、刀身全てに焼きをいれた皆焼。刃先には、飛沫のような五つのまだらが浮いている。
今、目の前に、武蔵が追う妖かし刀がある。
「その刀、どこで手に入れた」
驚いたように、左京が武蔵を見た。
「なぜ、それを知りたい。まさか——」
左京が一歩、間合いをつめる。吹きつける風よりも強い殺気が、武蔵に浴びせられた。
「上杉勢だぁ」
「退けぇ」
「大坂城に戻れ」
あちこちから声が湧き上がる。
「鴫野の陣の味方が敗れたようです。上杉が加勢に来ます」
背後から三木之助が教えてくれた。退き太鼓も鳴り響いている。
左京は皆焼の刃文を隠すように納刀した。その背後からは、数と勢いを倍にする徳川勢が駆けつけていた。
「退きましょう」
必死の声が背を打つ。徳川勢の気配が急速に満ちる。いかな武蔵とて、この数は相手にできない。
〈り〉
大坂の城を、雲霞のごとき徳川の大軍が囲っていた。外曲輪にいる武蔵たちの目には、何重もの柵をつくる敵陣の様子がよく見てとれた。旗指物が隙間なく覆い、林が蠢くかのようだ。風には、濃い死臭が含まれている。眼下では、折り伏す骸が堀を半ば埋めていた。武蔵の左斜め前には、半月状に張り出した曲輪がある。真田信繁が守る真田丸だ。先日、その出丸に前田家の軍勢が攻めかかったが、大敗北を喫した。
「鉄砲で死んだ者たちがほとんどですね」
三木之助の声に、武蔵の顔が強張る。前田家の采配が悪かったわけではない。それ以上に、鉄砲を駆使する真田信繁が凄まじかった。大小様々な鉄砲、あるいは筒を三つ五つ束ねた三連筒や五連筒を巧みに使い、前田勢を鉛玉の餌食にした。
「刀や槍で死んだ者はほとんどおりません。皮肉なものです」
含みのある三木之助の声だった。言いたいことはわかる。鉄砲や大筒は、その威力を年々増している。剣や槍、弓矢を過去の遺物に変える勢いだ。
苦いものが口の中に満ちた。
武蔵には、その流れに抗う術はない。
「ああ、また、です」
三木之助が曲輪の外を指さした。
数十人ほどの男たちが、こちらへとやってくる。皆、足がふらついていた。上半身は裸で、褌さえつけていない者もいる。大坂城から脱走する者は多い。城内に避難した民たちは当初こそ楽観していたが、徳川の大軍を見てその考えを改めた。夜陰にまぎれて、次々と脱走しはじめた。彼らに対して、徳川は非情だった。容赦なく矢玉を浴びせた。
こちらに向かう男たちは運良く生き残ったが、徳川勢に捕まってしまったのだ。
投降を許さぬのに、なぜ脱走した者を捕まえたのか。
男たちの顔相がわかるようになった。額には〝秀頼〟という文字が刻みつけられていた。焼印である。ご丁寧に、何人かの額には〝秀賴〟とある。「賴」は「頼」の異体字である。右に刀と貝、つまり〝負〟とあるので、秀頼は縁起をかつぎ決して賴の字で自分の名を記さないのは武蔵も聞いたことがある。それをあえて投降者の額に刻んだ。
さらに目をこらす。彼らの掌には、指がない。十指全てを切断されている。
投降は一切許さぬという、徳川勢の意思表示だ。
豊臣方の陣から怖気が湧き上がる。
「あれでは、私たちが徳川の陣にいっても問答無用で射殺されます」
さすがの三木之助も声が硬い。
「日向様の陣の場所はわかったのか」
「探ってはいますが、どうも北西の後陣のようです」
妖かし刀の持ち主が誰かはわかった。鬼左京こと坂崎直盛だ。それを水野勝成に伝えたいが、方法がない。
「水野家から密使はこないのか」
「監視が厳しいのは、豊臣方も同じです。城外から忍びこもうとすれば、犬であれ雨霰のように鉛玉を浴びせます」
「ならば、徳川の陣に近づいて矢文を打ちこむか」
「それは危険だと思います」
「どうしてだ」
問い返す己の声は、苛立ちに満ちていた。
愚図愚図している暇はない。左京が、佐野久遠の仇かもしれないのだ。
「実は徳川勢は一枚岩ではありません。矢文を打ちこんでも、日向守様と敵対する派閥の手に渡れば揉み消されるかもしれません」
にわかには信じがたかった。武蔵から見れば、徳川の陣容は磐石だ。派閥があったとしても、呪詛者探索の任を帯びる武蔵の矢文を揉み消すなどありえない。
「大久保長安の一派だった者たちに見つかれば最悪です」
大久保長安——元武田家の家臣で、能役者から武士になった異色の経歴を持つ男だ。武田家滅亡後、三河武士団最重鎮の大久保忠隣の与力となり大久保姓をもらい、金銀山の採掘量を飛躍的に増やし、天下の総代官とまで呼ばれた。
が、昨年死去すると不正蓄財が露見し、七人の遺児が処刑された。さらに、石川、服部、成瀬、富田、高橋などの長安派の大名が十以上も改易された。大久保忠隣さえも改易の憂き目にあったほどだ。これが今年の二月のことである。
「長安は縁戚を蜘蛛の糸のように張り巡らせていました。その全てが改易されたわけではありません。長安の一族は死に絶えましたが、まだ派閥はしぶとく生き残っています。さらに、わが殿は本多佐渡守様と親しくありますれば、彼らからよく思われていません」
本多〝佐渡守〟正信は、長安と敵対した一派の長だ。
「矢文を射ても長安派に見つかれば、水野家には知らせないでしょう。自身の手柄とするためです。我らが動けない間に左京様を捕らえ、成敗してしまうやもしれません」
目で、それでもよろしいか、と三木之助がきく。武蔵はかぶりを振った。呪詛者を斬るのは己だ。他の誰にも久遠の無念は晴らせない。
ふと、武蔵の頭にある考えがよぎった。
「ならば……五霊鬼の呪詛者は、長安一派ではないのか」
「長安一派は呪詛者ではありませぬ」
三木之助が大人びた声で否定する。
「長安一派には、大御所様の六男の越後少将様もおられるからです」
長安は、越後少将こと松平忠輝の付家老でもあった。さらに松平忠輝と伊達政宗の娘との縁談をまとめ、伊達家も長安一派に引きこんだ。
「長安一派にとっての最後の砦が、越後少将様です。大御所様に取り入りたいと思いこそすれ、呪詛して殺すなどありえませぬ。もし呪詛が露見すれば、越後少将様が改易されます。悪くすれば、切腹です。百歩譲って呪詛に手を染めるとすれば、大御所様ではなく政敵の本多佐渡守様の諱を呪い首に刻みつけるはず」
三木之助の弁は理に適っている。武蔵が長安一派だったとしても、五霊鬼の呪詛など行わない。密かに暗殺の手筈を整える方が賢い。あまりにも愚策がすぎる。
武蔵の思考を遮ったのは、豊臣兵のざわめきだった。しきりに徳川陣を指さしている。目をこらすと、巨大な銅製の筒が並べられていた。
「あれは、大筒か」
大音響とともに、大筒が打ち込まれる。
「伏せろぉ」牢人大将が叫んだ。
武蔵と三木之助の頭上を、何百もの鉛の塊が一斉に通過する。
凄まじい衝音が響き、大地が揺れた。本丸から砂煙が立ち上がりだす。
「まただ」
「大筒がくるぞ」
次々と、徳川の陣から砲弾が飛んでくる。鈍色の橋をかけるかのようだ。いくつかが石垣にあたり、岩の破片が飛び散る。着弾のたびに地面が揺れ、凄まじい音が耳を聾する。
しばらくすると、牢人たちの悲鳴は止んだ。
砲弾のことごとくが、頭上を通過するだけだと気付いたからである。
外曲輪にいる武蔵らを無視して、本丸の天守閣を狙っていた。遠く離れた本丸を撃つ理由がわからない。なぜ、外曲輪や真田丸を狙わぬのか。あれだけの数の大筒があったならば、半日とかからずに崩壊させられる。一方、本丸を狙った弾丸は、天守閣にかすりさえしていない。
「大御所様の狙いは、豊臣に勝つことではありませぬ。豊臣に勝つのは自明の理です」
あまりにも冷静な三木之助の声だった。
「では何が狙いなのだ」
「戦が終わった後のことを見越して、いかに勝つかが重要なのです。戦は手段にすぎませぬ。徳川の軍勢はきっと当たらぬ砲弾を見て、役にたたぬ武器だと思うでしょう」
「大筒を侮らせるために、わざと当てにくい天守閣を狙っているのか」
「その通りです。もし、外曲輪や真田丸を狙って壊滅してしまえば、大筒が恐るべき武器だと大名たちは認めます。幕府が禁制を布いても、南蛮から強力な大筒を密かに入手し、打倒徳川の切り札として秘蔵するでしょう。つまり大御所様は、大筒は使えぬ武器だという考えを、必死になって大名どもに植えつけているのです」
数百の砲弾が空を切り裂く音が、武蔵の耳朶を搔きむしる。にわかには理解できなかった。
「大御所様の狙いは、徳川百年の太平の流れをつくることです」
「流れとは、時流のようなものか」
三木之助がうなずいた。またしても砲弾が頭上を通りすぎる。石垣にめり込み、岩が堀へと落ちていく。水柱が上がり、雨が降ったかのように飛沫が辺りを濡らす。
「本丸にいる女房衆は砲弾にさらされています。とても持ちますまい。いずれ和議をもちかけるはず。一旦、受け入れて、豊臣家の手足をもぎ取ってから、再び軍を発する」
「人質をとるということか」
淀殿を人質にとられれば、もはや大坂方に抗う術はない。
「それもあるでしょう。あるいは、国替えで大坂から退去させる手もあるかと。籠城できぬように、城の大切な何かを破却させるやもしれません」
そして、次の決戦では豊臣方に野戦を強いる。大筒ではなく、刀槍の力で豊臣を滅ぼす。家康のつくった流れは、大河のように盤石になる。
武蔵は拳を握りしめた。これでは、大坂城に籠る人々は徳川の世のための生贄ではないか。
「おい、そこの雑兵ども」
話しこむ武蔵と三木之助に、侍大将が声をかけた。
「本丸から人をよこせといってきた。瓦礫をどけるのだ。十人ほどいってこい」
「己が行こう。三木之助は徳川勢の様子を見ていてくれ」
雑兵たちとともに、武蔵は本丸を目指す。三層の石垣が織りなす道を上がっていった。
徳川勢の砲撃は規則的だったので、砲弾が止んだ隙に、武蔵らは粉々になった小屋や石垣、土砂を運ぶ。が、片付けてもまたすぐに砲撃が降ってくる。やがて侍大将は諦めたのか、解散を命じた。夜になって外曲輪にある長屋に戻ってくると、武者たちが大勢寝込んでいる。寝息をたてる者は少ない。音が耳ざわりで眠れないのだ。寝返りをしきりにうつ様子が苦しげであった。
いつもの茣蓙に、三木之助はいなかった。かわりに書き置きがあった。三木之助は、単身、水野家の陣を目指すという。必ず戻るので、待っていてくれと書いてあった。
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