手放される覚悟、そして手放す覚悟を――「あいの里」の60歳・みな姉が綴る人生哲学
え、ちょっと待って……。そこには娘のような年齢の魅力的な女性たちの姿があった。聞けば30代ひとりと40代ふたり。わたしは60代だ。これ、どうしたらいいの。そもそも40代のふたりは到底40代に見えない若々しくかわいらしい人たちだし、30代の女性なんて20代に見える学生みたいな人。勝ち目、ないじゃん……。
「あいの里」の初日。
オーディションを通過し、収録が開始されるまで「きっと熟年紳士たちに愛されるわたしでいてみせるわ」と息巻いていた。しかし、そんな甘い幻想は、無残にも打ち砕かれたのだった。
振り返ってみれば、女としていちばんちやほやされる20代とバブル期がぶつかり、若いときは良い思いしかしていない。わがままを言うのが女性であり、それを受け入れるのが世の中だと思っていた。「この世はわたしのためにあるのかしら?」とあの頃は本気で思っていた。自分がおばさんになるとか、ましてやおばあさんになるなんて、想像できなかった。恋をするとかされるとか、気にしていなくてもそんなchanceはあっちこっちに転がっていたのだ。
しかし、そうこうしているうちに、バブルがはじけた。堅実な蟻さん女子は、サッと相手をつかんで瞬く間にゴールインする一方、取り残されたキリギリスさん女子はわらにもすがる思いで結婚相談所に走る。わたしはキリギリスさん女子代表だった。
30歳になって、理想を落としてつかんだのが最初の夫だった。「この人ならこの先もわたしのわがままを笑顔で聞いてくれるだろう」、そう思った。しかし、結婚し子どもが生まれた数年後、夫の派手な不倫で離婚した。
気を取り直して、次は本当に好きな人と付き合おうと、19歳年下の男性と結婚。しかし、またしても、若い夫の派手な不倫で離婚。
もう、男性を信じるのはやめよう。恋もぜんぶきっとあとから噓になるのだから、恋ほど時間の無駄でバカバカしいものはないわと、わたしの心に刻まれた。
シングルマザーになったわたしは、息子を育てることに全力を注いだ。「うちも母子家庭と変わらないわよぉー。だって主人は海外に単身赴任ですもの。おほほほ」などの静かなママ友マウントを受け、知り合ったばかりの仕事関連の男性からは「お父さんいないんだ? 息子グレてるんじゃない? 母親だけじゃまともに育たないよね」と、見下すような言葉を投げつけられた。何も知らないくせに。ただ、この世の中のシングルマザーと子に対するしうちを、プラスに変換しない手はない。
見てろよ? いつかあなたがわたしに発した言葉、はずかしかったと思わせてあげる。
そこからは本当に、色々なことがあった。息子とふたりで戦った20年間だった。
気づけば、息子は立派な社会人になっていた。ああ、子育てが終わったんだな。仕事に励む息子の背中を見ながら、実感した。もう息子にわたしは「必要ない」のだと。でも——わたしは誰かに必要とされたかった。そして何より、孤独になりたくなかった。
「あ、そうだ、結婚相談所? あ、いや、いまどきは婚活パーティ? 行ってみようかな」
結婚相談所の主催するパーティは、すでに30代で経験していた。「イケメンで資産家」を期待していた当時のわたしには物足りなかったけれど、今はもう、顔なんてどうでもいい。資産家でなくても、ちゃんと働いて、お金を家に入れてくれて、不倫しないで帰って来てくれればいい。じっくり将来を考えている堅実な男性はきっといるはずだ。
しかし、なかなか上手くはいかなかった。うっかり年齢しばり無しのパーティに参加してしまったときは、20代女性ばかりで背中を丸めて退散。男性3人に対して女性が20人群がるような雰囲気に疲れてしまったこともあった。
何度かのパーティを経たわたしに残ったのは、恋というより、社会勉強だった。熟年婚活とは! と語れるくらいの経験値はもらったな、なんてひとり苦笑いをしていたとき、気にかかる「募集」を見た。
〈「人生最後の恋」を探す番組企画の参加者募集〉
そう、「あいの里」と出会ったのだ。いきなり共同生活をするということ以外、その時点では詳しい内容は書かれていなかった(と記憶している)。でも、「人生最後」とあるだけあって、少なくとも若者対象ではなかった。年齢も上限なし。だいたいこういう番組は30歳までとか、そのあたりで切られているものだが、この募集は35歳以上とある。好感を持った。
書類選考を通過して、オーディションを受けた。そしてあれよあれよという間に「あいの里」出演が決まった。60歳にして初めての経験を前に不安もあったけれど、目をつむると、ここまで頑張って生きてきたわたしを、笑顔で迎え入れてくれる熟年紳士たちの姿がぼんやりと見えた気がした。
しかし——初日に受けた衝撃は、冒頭に書いた通り。わたしがどんなに若作りをしたとしても、最年長感はぬぐえない。「どうか、神様、年配の紳士を!」そう祈る……時間もないままに、男性4名が登場した。どこからどう見てもかなり年下の男性3名と、同年代くらいの男性1名。年下の〝男の子〟たちは、もはや息子にしか見えない。この瞬間に、わたしは母役に徹することになるのだろうと覚悟を決めた。ただ、1名はわたしと年齢が近かったので、可能性はなくはないかもしれない——でもここで嫌な記憶がよみがえった。
50代になってから婚活パーティに頻繁に参加して、学んだことがある。
パーティ会場にいる50代以上の男性の多くは「なるべく若い女性がいい」と、とにかく1歳でも若い女性のほうに群がるのだ。
70代男性が「できれば30代後半くらいがいい」と言うのを何度か耳にした。え? そんなに年齢が離れているより、近いほうが価値観も合いやすいし、ふたりの人生の終焉も近いから良いんじゃない? と思うけれど、彼らはそこを考えておらず、「子ども欲しいんだよね」「女は若いほうが良いに決まっている」「若い人なら言うことを聞いてくれそう」とのたまう。そしてそういう男性たちは、失礼ながら決して社会的地位が高かったり裕福だったりはしない人が多かった。夢を追っているのだ。若い女性との幸せな結婚に。知人たちからうらやましがられる姿をイメージしているのかもしれない。
まだ引く手あまたの若い女性の心を動かすなにがあなたにあるの? と言いたかったが、その気持ちは飲み込んだ。
では、婚活パーティに参加している50代以上の女性はどうか? 売れ残った魅力のない女性ばかりか? そうではない。二度見するほどの美女がわんさといる。初回参加のときなどは、自信満々で参加したわたしが恥ずかしくなるくらいに、華やかで美しい大人の女性たちばかりで面食らったものだ。話を聞くと「女医」「銀座のクラブのママ」「実業家」など、要するにその辺の男性よりも財力も知力もあって、なんなら容姿も優れている人たちこそが集まっていた。そして参加の理由は「今より一段上の生活をしたい」ということ。
おわかりになるでしょうか?
50代以上の婚活男性とまったく嚙み合わないのです。
そんなわけで、「あいの里」スタート時、唯一の同年代男性の視線が、わたし以外の女性を追っていることに気が付いたときは、「あ、やっぱりね」と、傷つくというよりは薄笑いを浮かべてしまった。彼は婚活パーティで出会った男性たちとは違いハイスペ男性なので、余計に「そうでしょうね」という気持ちになった。
その後はただただ時間が過ぎて行った。恋愛をそもそも信じていないうえに、わたしにアプローチどころか興味を持ってくれる男性がいないのだから、もう、恋愛番組に参加しているという気分ではなくなっていた。なにか役に立つことをやろう、恋愛以外でも。他の人の恋愛を応援したり、料理を率先して作ったり、そのくらいしかできないけど、もうそのくらいで勘弁してくれ、そんな気持ちだった。
世代が違えば、自分から恋をつかみに行くような発想もあったかもしれないが、なにせ昭和女である。しかも、バブル世代。自分から脈のない相手に突撃するなんて考えは脳内にはない。あくまでも女は求愛されてそれに応える生き物なのだ。それなのに誰も求愛してこないという事実。年を取ったのだ。
わかってはいた。でも、どこか受け入れないでいたかった。誰だって、自分はまだまだ若いと思いたい。魅力的だと思いたい。現実がそうでなくなっていたとしても、どうかそれに気づかせないで! そうやってびくびく隠れて生きていたのに、番組では裸にされたような気持ちだった。もう、噓でもいいから、「君は魅力的だよ」と言ってよ! そう叫びたくなる毎日だった。
当時のわたしの日記には、こんな言葉が記されている。
「地に落ちた。ミス日本もゴミだ」
そんなわたしをよそに、番組内ではどんどんカップルができて人が入れ替わった。みんなのことは大好きだった。一緒に暮らした時間はかけがえのない時間だったし、みんな本当に素敵な人たちだった。しかし、カップルになると門を出て帰ってしまう。見送るときは、まるで、息子が結婚したときみたいだった。おめでたいしうれしいのに、寂しいのだ。泣き笑いみたいな気持ち。告白をして受け入れてもらえなかった人はひとりで帰るのだが、その時は追いかけて行きたいような気持ちになった。息子が自立したからここに来たのに、ここでまた同じような気持ちに何度もさせられるとは思わなかった。
日常と違う時間を過ごすなかで、自分が空の上から自分を眺めているような感覚に陥ることが度々あった。見えていなかったことも、見たくなかったことも、見えるようになった。そしてふと、問うてみた。
「あなたはなぜひとりではダメだと思ったの?」
「孤独死が怖いから」だと思っていたのだけど、よく考えれば、円満夫婦だって同時に天に召されることはない。どちらかはひとりになるのだ。だったら同じじゃない? それ、ほんとうの理由だった? 生活は贅沢をしなければ不安はない。経済的な理由でもない。2度の離婚で、もう恋愛はこりごり、男性はこりごり……のはずなのだけど、愛すべき息子が自立したあと、誰かを愛したくて、誰かに愛されたかった。だけど、形の変わりやすい人の心を基準に生きることは怖い。若い時の勢いのある燃える気持ちでさえ簡単に消えてしまったのだから、この年齢から持続力をもった恋愛なんて無理に違いない。でも……。
人生の終盤に向けて、このモヤモヤとした気持ちにどう片を付けるか。わたしに必要だったのはそういうことだったのだと思う。これこそが「あいの里」への出演を決めた本当の理由だったのだな、と自分を見つめなおすことができた。
そうこうするうちに、「あいの里」の住民は入れ替わり、新しい風が吹いた。その風は、傍観者だったわたしにもそよいできた。2方向からの風だった。まったく違う風だった。この先の人生をどうしたいのか、男性ふたりを前に、真剣に考える機会が訪れた。
もしわたしが30代だったら、今が楽しければいいやと思っただろう。ワクワクしたり、きゅんきゅんしたり、恋する楽しさを追求したはずだ。しかし、それは確実にいつか消える。消えたときに落ち込む自分を見たくなかった。楽しければ楽しいほど失ったときに、悲しいことも知っている。それならば、先の見える流れを選ぶべきなのか。
「べき?」
愛するべきとか、好きになるべきとか、恋愛に「べき」を持ち込むのって違うんじゃないの? でも、過去の過ちは繰り返したくないし……。混乱した。
その後、わたしがどのような選択をしたかは、番組の通りだ。
リアルな生活に戻ったあとに、里のいっぽうの風、大きくて優しかった風に会う機会があった。「僕には想いはあったけど、覚悟がなかった。彼の想いは見えづらいけれど、覚悟があったね」と伝えられた。とても切なかった。10代の乙女のように陰で泣いた。
熟年恋愛には「覚悟」が必要だったんだね。たしかに、そう、1日も無駄にしたくないから、目に見える形で未来をイメージしたい。今日の「愛している」より、未来の「安定」が欲しい。
覚悟とは、「時間」をさすのかもしれない。けっして、どれだけ今、「大好き」かではない。この先死ぬまで、愛を保ち続けようという意志の強さが必要なのだ。「お金」の話も絶対に避けて通れない。60代にもなれば遺産相続のことはいつも頭にある。子どもがいれば、そのあたりの話も詰めないといけない。健康の問題もある。ずっと元気でいられるとは限らないのだから、看護とか介護とかのことも話し合いが必要だ。親の介護についても考えなくてはならない。
あれこれ含めての、「覚悟」なのだ。
だからわたしは、今のパートナーに対しては「恋でなくて覚悟」と伝えている。
恋のように甘くはないからだ。キュンキュンはしないけれど、さぁ行くぞ! と肩を組んで歩く感じだ。
「覚悟」の他に、彼には何があったのだろうか。
見た目とか財力とか、はたまた学歴とかどうもそのあたりではなさそうだ。もちろん彼は60代には見えないし、イケオジの部類だとは思う。不動産賃貸業なので財力も申し分ない。学歴も国立大卒だ。しかしそこじゃない。
運命に背中を押された。これがいちばんしっくりくる答えかもしれない。気が付いたら、彼がそこにいたのだ。喧嘩もするし、決して価値観が合うわけではない。でも、彼はいつだってそこにいる。これまでわたしがしてきた恋愛、「彼のここが好きなの」とズバッと言えるおつきあいは、いとも簡単に壊れていった。その好きなところが壊れたら終わりだからだ。今はどうか。彼は、ただ、わたしが不機嫌でも、大バトルをした翌日でも、笑顔でそこにいてくれる。正直に「どこが好きかわからないのよ」と言っても、「これから好きになるところが見えてくればいいよ」と穏やかな笑顔でそこにいる。それこそが好きなところなのかもしれない。
ただ、ここにも「永遠」があるとは、思っていない。しっかり先のことも考えてはいるけれど、わたしは、これまでの人生で学んだのだ。
孤独は突然やってくることを。
だからわたしは、「いつでも、手放される覚悟」を持っている。そして「いつでも、手放す覚悟」も必要だ。
結局のところ、人と人との絆に「絶対」はない。悪意があってもなくても、形は変化する。少し前に書いたことと矛盾するようだけれど、「安定」が欲しくても「確実な安定」なんてないんだよね。
だから、手放される覚悟と手放す覚悟を心の裏に抱きしめて今日を歩こう。
「ひとりになっても大丈夫よ」
そう言いながら、気が付いたら人生最後までふたりだったとしたらそれが最高のエンディングなのだと思う。
どんなエンディングが待っているか、さぁ、歩いて行きましょう。
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