劔樹人│関わるものを皆狂わせる、ロックバンドという魔物——高橋弘希、圧巻の音楽小説
気がつくとすっかり中年になっていることに、時々静かなショックを受けている。10代の頃ロックバンドの楽しさにすっかり魅了され、世間的には「売れてないバンドマン」として20年以上過ごしてしまった。最近は、ロックバンドなんてもはや中高年の嗜みなのかとすら感じる時もある。それでも好きであり続けているのだから、自分にとってそれには何やら得体の知れない魅力があるのだろう。
そんな私には、郷愁を感じさせる作品だった『音楽が鳴りやんだら』。
物語の時期は明記されてはいないが、ゼロ年代後半〜2010年くらいなのだろうか。華やかな音楽ビジネスの規模が今より、まだ、もうちょっと大きかった時代を描いている。
主人公・福田葵のバンド「Thursday Night Music Club」が所属するレコード会社・Eレコーズが持っているような豪華な自社スタジオは、多くのメジャーレーベルはすでに売却してしまったし、100万枚CDを売ることなんて、大規模な握手会を行うアイドルでもない限り、今では夢にも思わない。でも、ほんの少し前は、こういう感じが当たり前だったことをはっきり思い出した。
物語の随所に、個人的にこの20年の音楽活動で経験した場面に酷似したものがたくさんあった。私が所属していたバンドが東芝EMIからメジャーデビューの可能性があった時期に、溜池山王にあったEMIの本社ビルを訪れて、上階にあった豪華なスタジオを見学させてもらったこと。「90年代に小沢(健二)くんがここにずっと籠ってて……」なんて思い出話をディレクターから聞いたりして。
自分は2010年頃に裏方に転じ、神聖かまってちゃんというバンドのマネージャーとして、バンドが駆け上がる時期を並走したので、Eレコーズのディレクターである中田の姿にも既視感を覚える。名古屋200人、大阪400人、東京1000人という東名阪ツアーも、池下のCLUB UPSET、梅田のShangri-La、恵比寿のLIQUIDROOMで実際に仕切ったことがあったんじゃないだろうか。武道館公演や、フィンランドでの海外レコーディングまでとなると未体験なのだが……。あと、メンバーをクビにするのは私はしたことはない。しかし身近で、バンドが売れるために、足を引っ張っている(と、思われる)メンバーが替えられる瞬間は実際に幾度か見てきた。珍しいことではないのだ。
それでもバンドというのは不思議な魔法がかかっているもので、演奏も下手で側からみると一見誰でもよさそうなメンバーでも、いなくなることで突然バランスが崩れ、バンド全体の魅力が無くなってしまうことがある。これは、どんなに演奏が上手く、華のある容姿のメンバーで埋め合わせても取り戻せなかったりするから不思議だ。
逆に、なんでもないようなメンバーチェンジで急に歯車が回り出すこともある。バンドにとってメンバーチェンジはピンチにもなり、大きなチャンスにもなる。バンドのメンバーチェンジがこの小説にも何度か登場するが、バンドという生き物にとっての重要なダイナミズムとなるその瞬間を成功させるべく、残されたメンバーとスタッフが奮闘する様子にぜひ注目していただきたい。
それから、彼の才能に集まってくる登場人物たちを、群像劇のように細かく描写しているのがとても素晴らしいと思った。バンドのフロントマンで、作詞作曲を担当する葵は圧倒的に主人公に見えるが、他のメンバーも、辞めたメンバーもスタッフも、仕事で、プライベートで彼に出会う幾多の人たちも、それぞれが自分の人生の主人公として生きていることを感じさせる。
この物語の骨子となるのは、葵がロックスターとなり、変化してゆく姿だ。ただ音楽が好きな若者が、夢を掴む代償として手放してゆくものも数多い。売れたという事実、人気者になっている状況を思えば判断は正しかったように見えるが、本当にそれでよかったのか。自分の経験上、そこに正解はないと思っている。この物語は、その正解のなさをラストまで一貫して描いている。
葵の自己破滅的なキャラクターに惹きつけられる人は多いだろう。魅力あるフロントマンが危うさを孕んでいるのは、現実にもありふれていたと思う。きっと、通ぶったロックファンたちがゴシップ的に想像しているよりももっと多いのではなかろうか。
しかし、危うい人が成功するかどうかのバランスは、今のSNS社会において、少し前とはだいぶ変わってきている気がしている。例えばメジャーデビュー後のロックスター然とした葵の不遜な態度ひとつとっても、今の時代はやや受け入れ難くなっているんじゃないかとも思う。アーティストにも品行方正を求める社会を、面白くないと思うかどうかは人それぞれだろう。だが、スターの成功の陰で人生を変えられ、人知れず傷付けられている人たちの存在があるのも確かなことだ。そして葵自身、誰より傷付きながら日々を生きる。彼がこの先、人生を振り返って最も美しく思い出すのは、大観衆からの歓声を浴びるステージなのか、それとも莉央と過ごした静かな小笠原の風景なのか。自分が出会ってきた数多くの魅力的なバンドマンたちを思い浮かべながら、そんなことを考えた。
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