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河野裕「愛されてんだと自覚しな」#001

WEB別冊文藝春秋

千年前の恋人と再び出会うために、輪廻転生を繰り返す杏。しかし、すっかり恋人探しに興味を失い、いまでは平穏な日常を満喫中。
現状肯定型ヒロインの恋の行方はいかに⁉

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Prologue

 まずは、もりはししょうの紹介をしよう。
 彼女は私のルームメイトで、アルバイト先の先輩でもある。
 二四歳、神戸市在住。背はすらりと高く、顔立ちは中性的で美しく、艶やかな黒髪のショートボブはポップアートのような趣がある。装飾の類は好まず服装もシンプルなものが多く、普段はコンタクトだが就寝前には赤いフレームの眼鏡をかけている。読書は少年誌に連載されるコミックを読む程度で、テレビ番組はナイター中継を好み、しばしばシャワーを浴びながら何世代か前のヴィジュアル系バンドの楽曲を熱唱している。趣味は食事とパズルとB級ホラー映画の鑑賞、特技は数多で本人曰く「興味を持てればたいていなんでも」、一方で苦手なものは蛇と冷房と地図を読むこと―最後のひとつは、ろくに確認しないまま自身の感覚を頼りに歩き出す癖があるのが原因だ。
 そして彼女はカレーを愛する。とくに私たちが働く「こっちょうカレー」の看板メニュー、スペシャルチキンカレーを絶賛している。そのあまりの褒めっぷりに、私も同じ店で働くことを決めたほどだ。
 けれど祥子が愛するのはあくまでカレーを食べることであり、作る方―骨頂カレーでのアルバイトにのめり込むつもりはないらしい。彼女にとって、そのアルバイトは副業でしかないのだ。本業は別にある。
 そして彼女の本業で、私たちが依頼人と請負人の関係になったのは、中秋の名月が間近に迫った九月のことだった。

 その夜、私たちはルームシェアしている小さなマンションのリビングで、ローテーブルを挟んで座り込み、チリ産の安い白ワインでばんしゃくを楽しんでいた。
 私がおおざっな調味で用意したさかなは、だし巻き卵や煮たひじき、炙ってしょうじょうをかけた油揚げという日本酒が合いそうなラインナップだが、白ワインとの取り合わせもなかなか良い。というか自信を持って良い悪いを仕分けられる舌がないから、あれもこれもみんな良いことにすると決めている。
 祥子と共に白ワインと醬油のマリアージュに舌鼓を打ちながら、一本七二〇円のワインを褒め称えているうちに、話題がだんだんと高級ワインを槍玉に挙げる流れに移り変わった。私たちは「酔っ払いのざれごと」を言い訳に、遠く遠くのセレブリティな世界にのみ存在するという法外に高価なワインについて、無根拠な雑言を並べた。
 ヒートアップした祥子が高々と宣言する。
「だいたいね、どれだけ高いワインだって、ホットココアより美味しいわけがないじゃない!」
 それは激安なのに美味しい手元のワインにも申し訳ない言い草ではあったけれど、ワインの方には傷つく心もないだろう。私は「その通り!」と乱暴に同意した。
「初めてココアを飲んだときには、私もずいぶん感動したものです」
 そう頷いてみせると、祥子はワインを傾けながら言った。
「いいねぇ。そういうの、ちゃんと覚えてて」
「そうですか?」
「やっぱさ、たいてい最初がいちばん感動するわけじゃん。感動って、覚えてた方が得でしょ」
「かもしれませんね」
「私は思い出せないな。幼稚園のころかな。―ミロってココア?」
「さあ。喫茶店でココアを頼んで、ミロが出てきても許せますか?」
「ん。ギリセーフ」
「おや寛容」
「だって美味しいもん。で、いつ飲んだの?」
「ミロ?」
「ミロでもココアでも」
「ココアなら、九〇年くらい前ですね」
「そっか」
 昭和の初期ねと祥子は言った。
 さて私は今年、二三歳になった。祥子のひとつ年下だ。けれどそれは今世の両親からおかという姓を受け継ぎ、あんという名を与えられたこの肉体の歳でしかない。精神的には千年ほど生きている。
 これには壮大な——というほどではないけれど、令和を生きる人々には信じ難い、こうとうけいな理由がある。

 千年前の平安の世で、ひと組の男女が恋に落ち、ふたり仲良く手を繫いで死んだ。
 死因は溺死だが、これは事故でもなければ心中でもない。強いていうなら神罰である。
 ちょっとした水神にそうされた女は、しかし男と添い遂げるために、その神さまを振ったのだ。それに怒った水神は川をはんらんさせた。男は巨大な龍のようにうねりながら暴れ狂う川に呑み込まれ、振り回され、そして助けに入った女と共に命を落とした。
 手を握ったまま命を落とすふたりをみていた水神は、こんな風に思ったそうだ。
 ——なんだ、つまらんことで死にやがって。愛なんてものはまやかしだ。みんな夢と幻だ。我はずいぶん長々と人の世をみてきたが、まことの愛なんてもの、ついぞみかけた試しがない。
 水神にしてみれば、振られた挙句に男をとっちめようとしたら女まで一緒に死んでしまったものだから、嫉妬と後悔でろうばいしていたのだろう。そこで水神は、ふたりの魂に呪いをかけた。あるいは救いを与えた。
 ——我が己等を試してやろう。水の流れはりんに通ずる。千年も万年も、揃って生を繰り返し、幾度も袖を擦り合わせるが良い。だが己等が結ばれることは決してないのだ。そのかりそめの愛が消えるまで、とめどなく続く生の檻に、我が己等を封じてやろう。
 輪廻転生の始まりである。
 水神の言葉の通りに、男と女の魂は幾度も幾度も生まれ変わった。生きては死に死んでは生き、出会っては別れ別れては出会い、それを繰り返しながら決して結ばれることがない。永久に未完の愛の輪廻に囚われた。
 ふたりの生にはルールがあった。
 男は生まれ変わるたびに輪廻を忘れ、しかし女の生まれ変わりを愛したとたんにそれを思い出す。女は逆さで、輪廻を覚えたまま生まれ変わり、しかし男の生まれ変わりを愛したとたんにそれを忘れる。
 そしてふたりは、あらゆる時代を生きては死んだ。
 農民になり商人になり画家になり音楽家になり罪人になり、獣になり鳥になり魚になり虫になり草花になり、出会いと別れを繰り返した。
 彼方かなた此方こなたを覚えたまま生まれ、此方は彼方を忘れたまま生きる。やがて此方は彼方を思い出し、そのころ彼方は此方を忘れる。
 それがせん状にくるくる繫がり、ずいぶん長い時間が経った。

 故に、平成に生まれ令和に生きる私——岡田杏は、千年ぶんの記憶を持つ。
 これは皆、事実だが、祥子も信じているわけではないだろう。ただ彼女は受け入れるのだ。たいていの荒唐無稽な話は、「世界はときめきで満ちてるね」と笑って。
 ワインから派生したココアトークを続けるうちに、「じゃあ酔い覚ましにこれから一杯」と祥子が言いだして、月見を兼ねてコンビニまで歩くことになった。
 祥子が千鳥というほどではないものの、多少ふらつく足取りで玄関のドアを開け、一歩踏み出した直後に「ぎゃ!」と叫び声を上げる。そのまま玄関まで飛び跳ねて後退し、潤んだ瞳をこちらに向けた。
「杏、杏。やばい! 閉じ込められた!」
 けれどドアを開いておいて、閉じ込められたもないだろう。
 私が先に目を向けると、ドアの向こうの通路に白い紐が落ちている。その紐は人の指ほどの太さで、長さはだいたい二〇センチといったところだ。
 近づいてみるとそれは白蛇で、中ほどがへこんでいる。おそらく祥子が踏みつけたのだろう。
「大丈夫ですか?」
 声をかけると、白蛇はにゅるりと頭を持ち上げた。
「ご心配には及びません。私にとっては身体など、あってなきが如くですから」
 私の背後に隠れた祥子が、「喋った!」と叫び声をあげる。
 彼女の方に目を向けて、私はざっくり紹介した。
「この方は神さまです。名前はあれこれありますが——」
「カコとお呼びいただければ」
 そう白蛇が言ったから、私は頷いて言い直す。
「では、白蛇のカコさんです。穏やかな方ですから、怖がることはありません。そのへんのアオダイショウより安全です」
 カコさんがぺこりと頭を下げる。蛇嫌いの祥子の方も、私の背をつかんだまま会釈した。相手はいちおう神なのだから敬っておいて損はない。
「さて、カコさんがどうしてここに?」
 私が尋ねると、その白蛇の神さまはくるりと器用にとぐろを巻く。
「どうということもありませんが、この化身を取り戻したものですから、一度ご挨拶をしておこうかと」
「ご丁寧に、ありがとうございます。よくうちがわかりましたね」
わのおおかみからお聞きしました」
「なるほど。立ち話もなんですから——」
 上がりますかと誘いたいところだが、さすがに祥子が嫌がるだろう。
 その気配を察したのだろう、カコさんが慌てて首を振る。
「いえいえ、ちょうどお出かけのようですし、もうこれで。ともかく私が顕現したということですから、きっと間もなくもう一方も」
「はい。承知しております」
「重々お気をつけください。私はしばらくわかひるめのみことの下に逗留しますから、なにかありましたらご連絡を」
「これは、お気遣いありがとうございます」
 私は深々と頭を下げる。その際に閉じていた目をひらくと、もうそこにカコさんはいなかった。
 後ろで、祥子が言った。
「今の、なに? ホントに神さま?」
「もちろんですよ。喋る蛇なんて、神でなければなんなのです」
「そっか。私、神に会ったのか。世界はときめきで満ちてるね」
 彼女はあっけらかんとそう言って、すべてを呑み込んだようだった。苦手な蛇が目の前からいなくなったから、とりあえず満足したのだろう。
 私は彼女に向き直る。
「さて、ココアを買いにいきましょう」
「ああ。そんな話だったね」
「ところでひとつ、祥子にお願いができました」
 まだまだもっと先で良いと思っていたのだけど、カコさんが姿をみせたなら、少し急いだ方が良い。放っておくと面倒なことになりそうだ。
「いいけど、なに?」
「子細は、ココアを飲みながらお話ししますが——」
 手に入れて欲しい本があるのです、と私は言った。

 こうして人と神とが駆け回り、時を超えた愛と欲とが入り乱れる、けれどその背景のスケールに比べればずいぶんこぢんまりとした物語が始まる。
 いや。この物語は始まるどころか、すでに終わっているのかもしれない。
 これは千年前に生まれ、長い時を経て結末を迎えた、ある恋心の後日談なのだろう。シンデレラが王子様と結ばれたあとのお城での生活を綴るような、かぐや姫が去ったあとの月見の一幕を書き留めるような。誰かの目には波瀾万丈にみえ、また別の誰かの目には物足りなく映るとしても、私たちにとっては平穏で満ち足りた、ただ日常のお話だ。
 この、一冊の本を巡るささやかな物語が次の展開をみせるのは、およそ三月後——クリスマスの鈴の音が鳴り始めた師走の日のことだった。

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