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対等を求めてもがき、傷つけないようにと願う――いま共感を集める恋愛小説『きみだからさびしい』に込めた思い

作家の書き出し Vol.18
〈インタビュー・構成:瀧井朝世〉

大前粟生さんの初長篇『きみだからさびしい』は、ポリアモリーという、複数の相手と関係を持つ恋愛スタイルを持つ女性と恋に落ちた青年の、苦しくも煌めくような日々が描かれた恋愛小説。
発売直後から各メディアで紹介され、「王様のブランチ」でも特集されるなど、大きな話題となっています。
読者の方からも、「泣きたいほど好き」「こんな恋愛小説を待っていた!」との声が多数寄せられ、その魅力にとりつかれた方の熱量が、とにかく凄まじい。
これほどまでに共感を集める物語は、どのようにうみ落とされたのでしょうか。著者の大前さんにうかがいました。

いまの時代に「恋愛」を描く意味

——新作『きみだからさびしい』、非常に興味深く拝読しました。コロナ禍の京都を舞台に、さまざまな恋愛模様と、そこから生まれる葛藤が描かれます。物語の出発点はどこにあったのですか。

大前 コロナが蔓延し始めたころ、2020年の春に長篇で恋愛小説を書いてほしいという依頼をいただいて、編集者さんと二人で話し合いながら作品づくりを進めました。

恋愛のキラキラした面よりも、そこから派生して生まれるモヤモヤしたものを捉えたかったんです。恋愛関係の中で発生する支配・被支配の問題だったり、もっと強くいうと暴力性だったり。そういうセンシティブなことを踏まえた上で、対等な恋はできるのか、という問いが出発点でした。そのうえで、それでも他人を想う気持ちが生まれる瞬間に辿り着けたら、結果的に普遍的な「愛」の物語になるのではないかな、と。

一方で、いまの時代に、恋愛小説、特に異性愛を描いた作品をつくることの難しさも感じていました。

——ああ、やはり、いまは恋愛が描きづらいと感じますか。

大前 世の中で受容されている恋愛ものって、まだまだジェンダーの不均衡を内包している作品も多いなと感じていて。たとえば、いわゆる「壁ドン」みたいなもの、オラオラ系の男の子が強引に女の子を引っ張っていく構図だったり、男の子が女の子を守ることで恋が成就する、といった展開だったり。もちろん面白い作品もたくさんあるのですけれど、それって果たして恋愛なのかな、と思ってしまうものもある。場合によっては、「守る」が、限りなく支配することに近づいてしまうこともあるよね……とか。

いまの時代は、多くの人がそういうことを、漠然と感じている。作り手側も、今までの描き方だと駄目なのだろうとは分かりつつも、じゃあどうしたらよいのかなという葛藤があると思うんです。だからこそ、この時代に恋愛小説を敢えて突きつめてみたら、なにか面白いものが生まれるのではないかとは思っていました。

相手を傷つけるのがこわい、という感覚

——主人公の町枝圭吾まちえだけいごは24歳。京都市内の観光ホテルで働いています。彼が片想いしている相手は、二条城で偶然出会ってランニング仲間となったあやめという女性ですね。

大前 二人が出会うところから始めて、関係を築く過程を丁寧に描きたいなと思っていました。二人の行く末は決めずに、彼らと一緒に生活するように、毎日コツコツ書き進めていきました。

——圭吾はあやめに恋するものの、恋愛において自分の男性性が相手を傷つけることもあるのではないかと臆病になっていますね。

大前 友人たちと話していても感じるのですが、「相手を傷つけたくない、傷つけるのがこわい」という感覚は、自然なものになってきている気がします。SNSで様々な立場の方の生の声を聞けるので、「こういうことは相手を傷つけるから言ってはいけない」「こういう行動はハラスメントだ」とわかるようになりましたし、ハラスメントという文脈で言うと、世間一般でいう「男らしさ」が、加害性や暴力性に繫がりかねないということも、知られるようになってきています。

だから、圭吾が、いざこれから恋愛関係を結ぼうとすると、まず「男性である自分が、あやめを傷つけるのではないか」とこわばってしまうのは、僕自身、とても実感がもてるものでした。

——20年に刊行された中篇『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の主人公・七森ななもり君とも通じるものを感じました。七森君は大学生でしたが、今回は社会人ですね。

大前 10代の子を主人公にすると恋愛に没頭し過ぎちゃうのかなと思って、社会人にしてみました。社会人になりたての圭吾は、恋愛だけでなく、自分と社会の距離の取り方にも戸惑っている。そんな、ずっと悩み続ける人を主人公にしたかったんです。

もし恋人がポリアモリーだったら?

——ついに決心した圭吾が告白すると、あやめは「私さ、ポリアモリーなんだけど、それでもいい?」という。ポリアモリーとは双方合意の上で複数のパートナーと関係を持つライフスタイルのことですよね。あやめは圭吾の他にもう一人恋愛相手がいるらしく、それを知って圭吾は動揺します。あやめをこうした人物にしたのはどうしてですか。

大前 相手への感情が強ければ強いほど、その人の前で「こうありたい」自分と、素直な感情に齟齬が生まれて、引き裂かれてしまうことってありますよね。そんな話をしているときに、編集者さんが、「もしあやめがポリアモリーだったら?」と口にしたんです。圭吾は、あやめが大好きだからこそ、彼女を100%受け入れたいし、対等な恋愛をしたい。その一方で、好きだからこそ嫉妬の感情に振り回されてしまう。こういうことって、誰にでも起こりうることだと思うんです。

——ポリアモリーの人を書くのは難しくなかったですか。

大前 悩みましたね。当然ですが、「ポリアモリー」といっても、一人一人考え方が違うわけですし。だから、「ポリアモリーの人を書くぞ」というより、あやめを構成する一つの要素として、ポリアモリーがあるということを意識しました。ポリアモリーであることが彼女のアイデンティティになり過ぎないようにしたいな、と。

お話を運ぶうえでは、ポリアモリーだと、二人だけのクローズドな世界を描けないという難しさはありました。「一緒にいるから大丈夫」「私たちの世界は最高」という昂揚感で、何かをごまかすことができない。だから、圭吾にどうやって、安心して恋愛に没入してもらうかは慎重に考えました。

——圭吾は観光ホテルで働いていて、同僚たちの年齢もバラバラです。いろんなタイプの人がいる物語の舞台として、ホテルっていいなと感じました。

大前 以前、カプセルホテルでアルバイトをしていたことがあるので、そのときの経験を活かせました。スタッフ同士、お互いに踏み込みすぎない空気感とかは、今回の作品に合っていたなと思います。

——圭吾に片思いをしている金井かない君という仕事仲間の男の子がいたりと、さまざまな恋愛の形が出てきますよね。

大前 モノアモリーとポリアモリー、異性愛と同性愛。それらは対立するものでも、ぱきっと分けられるものでもなくて、グラデーションのように存在しているものだと思うんです。そして、それぞれ考え方や性的指向が異なっていても、ひとを想う気持ちには、重ね合わせられる部分がきっとあるはず。その重なっているところが、「愛」と呼べるものだったらいいなと考えていました。

——他にも圭吾の同僚としては、彼が「師匠」と呼んでいる年下の女友達、青木あおきさんも登場しますね。彼女も魅力的なキャラクターでした。

大前 青木さんは最初、圭吾を恋愛対象としてみているという設定だったんです。ただ、編集者さんから「恋愛が絡まない形で、圭吾は異性とどんな関係を築ける人なんでしょうか」と訊かれて。そこから発想が膨らみ、圭吾が気軽に仲良くできる女友達として、「師匠」というキャラクターになりました。

それぞれの形で幸せになったらいいじゃん

——こっそりBL漫画を描いていた人も出てきますよね。BL漫画家のペンネームには大笑いしました(笑)。彼女は読者受けを狙って自分の漫画にミソジニーの男性を登場させていて、そんな自分に疲れてしまっている。ここでも、旧来のコンテンツへの違和感が描かれていますね。

大前 最近はSNSで「バズる」ことと仕事が直結するのが当たり前になってきていますが、そうするとよりキャッチーにするために、敢えて大味でテンプレート型の表現を求められることもあると思うんです。ただ、それを続けていると書く側も読む側も苦しくなってくる気がしていました。

——同時に、そうして生まれた作品を楽しんで読んでいる人もいる、ということも書かれていますね。

大前 ジェンダーの不均衡が内包されたものを読みたいという人もいるだろうし、依存のような恋愛が楽しいと思う人もいる。そういう人たちのことを否定したいわけじゃない。「みんなそれぞれの形で幸せになったらいいじゃん」という気持ちを込めました。

——作中には圭吾が好きだった架空のアニメも出てきます。『真夏の日のソフィア』といって、世界を救うために戦う小学生の女の子たちのお話です。少年の頃の圭吾は、女子向けアニメを見ていることを、誰かにからかわれるんじゃないかと怯えていたという。

大前 アニメや特撮ものから刷り込まれているものってあるなと思いますね。男の子向けの商品は黒とか青で、女の子向けの商品はピンク、とか。

——怯えていた圭吾も、大人になった今では、そのアニメのキャラクターのキーホルダーをリュックにつけているところに変化を感じます。そういえば、大前さんの作品は登場人物の身体的な特徴の描写が少ないほうでは。

大前 そうかもしれません。容姿のことを書くと、どうしても客観的な評価がにじんでしまいそうで、ためらいがありますね。「美人だ」とか「イケメン」とか、わざわざ書かなくてもいいかな、とか。

——圭吾が入会する「お片づけサークル」も架空の設定ですよね。自宅の物を捨てる決心がつかない人のところに行って、片づけを手伝うという。面白い発想の集まりですね。

大前 Netflixで、片づけコンサルタントのこんまりさんの番組を見たんですよ。アメリカでこんまりさんが人の家に行って片づけを手伝うんですけれど、依頼者と一緒に家に向かってお祈りをしたりするんです。そうした工程を経て、依頼者の持ち物を捨てることへの罪悪感を取り除いているんですよね。

番組を見ていて、付随する思い出にとらわれて物を捨てられないことと、他人に執着してしまうことってどこか似ているな、とぼんやり思ったんです。そして、何かを取捨選択することに、ひとは無意識に罪悪感を覚えるのかもしれないと。

——そんな「お片づけサークル」も、コロナ禍で休止してしまいます。

大前 現実でもそういうことがたくさん起きていましたよね。ステイ・ホームが要請される中では、親しい友達や恋人には会うけれど、たとえば友達の友達にはわざわざ会わない。こうして知らず知らずのうちに、人間関係でも取捨選択のようなことが起きていくんだなと僕自身もぞっとしました。

自分の感情を、口にできれば楽になる

——そのなかで圭吾は晴れてあやめさんと付き合うことになるけれども、彼女がポリアモリーであることに葛藤しますよね。彼女には自由でいてほしい、でも彼女の他の恋人が気になる……。

大前 圭吾に嫉妬という感情を自覚させることで、ちょっと楽になってほしかったんです。自分の感情を抑えつけすぎると苦しくなってしまいそうだったので、もうちょっと我儘になったっていいんじゃない? と彼に語りかけるようなつもりで書きました。圭吾が徐々に周囲の友人たちに自分の嫉妬心を打ち明けられるようになっていったように、誰かに自分の苦しい気持ちを伝えることができるならそれが一番だと思います。言語化できただけで楽になれることは結構ありますよね。

——それにしても、恋愛観が個人個人で違うなかで、理想的な関係って一概にはいえませんよね。

大前 いわゆる「現代的なモラル」のうえでは、対等な関係が「正しい」とされているのでしょうけれど、それがその人にとって本当に望ましいものなのかは分からないですよね。そのあたりは結局、一人ひとりが自分にとって自然な形を悩みながら模索していくしかないのだと思います。
登場人物たちが納得できるラストにしたかった

——この本の登場人物たちはみんな悩んでいますが、その根っこにはさびしいという感情があるのかな、と。

大前 自分に足りないもの、欠けている何かを埋めたくて、ひとは恋愛をするのかもしれません。そう考えると、「好き」と「さびしい」は、背中合わせの感情なんじゃないかなあ、と。読んでくださっている方が恋愛にはあまり興味がなくても、さびしいという感情なら共有しやすいかも、という思いもありました。

——それにしても、どういう結末にするかを考えるのは大変だったと思うのですが。

大前 書き手の都合で彼らの行く末を決めてしまうのではなく、登場人物たちにできるだけ寄り添って、彼らが納得できる結末にしたかったんです。

——こういう結末になるのか、と感嘆しました。今回って、大前さんの中で一番長い作品ですよね。

大前 そうですね。長篇を書いたのは、初めてです。

——小説を書き始めたのはいつですか。

大前 大学生のとき、就活になんだか疲れてしまって、ちょっと違うことをやりたいなと思って始めたんです。1000字いかないくらいのものを書いて、それをブログにあげていました。それまでは小説を書こうなんて考えたこともなかったですね。学校の作文の時間は好きでしたが。

——小さい頃から空想するのは好きでしたか。

大前 大好きでしたね。たとえば漫画を読んでいても、『ONE PIECE』だったら何の悪魔の実を食べるだろうとか、『HUNTER×HUNTER』だったら自分はどういう念能力を持つのかなとか、設定を勝手に考えたりしていました。

——ブログで小説を発表するのと同時期に、新人賞にも応募されていたわけですね。

大前 はい。短篇ばかり書いていた頃に、ちょうど「GRANTA JAPAN」や、できたばかりの雑誌「たべるのがおそい」で短篇を募集していたんです。自分の書きたい作品に合った場があって良かったなあと。

——「GRANTA JAPAN」の公募プロジェクトに応募した「彼女をバスタブにいれて燃やす」が16年2月に最優秀作に選出されてデビューが決まり、同年10月には文芸誌「たべるのがおそい」に「回転草」が掲載されました。その頃の短篇は、動物や植物がよく出てきたり、意外と猟奇的だったりする。ああいうのはぱっと浮かんだイメージを膨らませていくのですか。

大前 デビューしたての頃は、とにかく頭に浮かんだものをひたすら文章にしていくという感じでした。人間の生活をリアルに書いた話にあまり興味がなくて、せっかく活字なんだから、実写やアニメでは表現しづらいものにできたら楽しいなと思っていました。

——最近のものでも、短篇はイメージを膨らませて一気に書いている印象です。逆に中長篇は、今の時代に生きている人の違和感や悩みを掬いとっていますが、それは自然とそうなるのですか。

大前 そうですね。短篇は、着手したときの興味関心の勢いのままに、1~2週間で一気に書ききってしまいます。一方、長篇だと執筆中に考え方も移ろいゆくので、自分の変化と向き合いながら進めていくことになります。執筆期間が長ければ長いほど、作品が自分の生活の一部になっていく。その中で感じたことを作品に写し取ろうとした結果、いま現在の空気感を織り込めているのかな、と思います。

いまの世界は、「アップデート」されている?

——『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』で大前さんはジェンダーの問題に敏感だという印象を強く持ちました。まわりを見ても、同世代にはそういう人が多いと思いますか。

大前 世代の問題ではないかな、と思います。それよりも周りの環境、たとえば、どの地域に住んでいるのかとか、どんなコミュニティに属しているのかで変わってくるような気がしますね。

たとえば、僕は兵庫の田舎の出身なんですが、家の周りに全然娯楽がなかったんです。そうすると、みんなが共有できる話題が人間関係、それこそ恋愛くらいしかない。その結果、人間関係自体がコンテンツ化してしまうというか、過剰に「お約束」や「こうあるべき」が増えてしまうのかな、とは感じていました。その中で、自分固有のジェンダー観を口にすることって、勇気がいることですよね。

いわゆるホモソーシャルが他者を排除することで成り立つということもありますし、苦しいと思ってそこから抜けようとしても、誰かから攻撃されるのではないかという恐れから、自分の心にブレーキをかけてしまう。それは世代問わず起きている現象でしょうし、まさにいま、悩んでいる人は多いんじゃないかと思います。

——昨年に刊行された中篇『おもろい以外いらんねん』は芸人コンビと彼らを見守る幼馴染の10年間の話ですが、お笑い文化の変化を掬いとっていますよね。これはご自身がコロナ禍でお笑いの配信を見ている時、攻撃的なネタに辛くなったというご経験によるものだったそうですが。

大前 そうですね。コロナ禍に入ってから、みんなが「面白い」と感じるものが少しずつ変わってきているような気がして、『おもろい以外いらんねん』ではそのようなことにも少し触れてみました。

いま、「あの人は敵か? 味方か?」といった、二項対立のような考え方が拡大しているような気がして。先ほど、コロナ禍で人と直接会いづらくなると、無意識に人間関係の取捨選択を行ってしまうという話がありましたが、その延長線上に起きていることなのかもしれません。

——今の時代って価値観が変わってきているとよく言われますが、実際にアップデートされていると感じますか。

大前 多くの作品で、いろいろな新しい価値観が表現されるようになってきていますし、それはすごくよいことだと思いますが、受け取る側がどれだけ受容しているかは分からないです。社会構造や法律が変わらない限り、本質的にアップデートされたとは言えない部分もありますし。そういうことに興味がない人のほうがまだまだ多いんじゃないかなとも思います。

一方で、SNSで語られる、「アップデートしなくてはならない」という圧のようなものに息苦しさを感じる人もいるのではないかと感じています。わりと強い言葉とか、断定する言葉がしんどくなっている人もいるでしょうし。

だからこそ、僕は小説では、あまり追い込みすぎないように、「こういう考え方の人もいるよ」くらいのスタンスでいたいなと思っています。最近、もしかしたら、小説は、「SNSに投稿された言葉ではない」というだけで、読む人にとってある種の逃げ場になれるのかも、と感じることがありました。

小説の登場人物たちが、さまざまな悩みを抱えていることで、「こういうことで悩んでいるのは自分だけじゃない」と、少しでもほっとできるのであればいいなあ、と思っています。

——最近は絵本も作られていましたよね。『ハルには はねがはえてるから』。

大前 そうなんです。宮崎夏次系みやざきなつじけいさんが絵を描いてくださって、それがとても嬉しかったですね。もともと宮崎さんの漫画のファンだったので。

——背中に羽根が生えているハル、目からビームが出るナツ。そんな、「ふつう」とは違う力を持つ女の子たちの話ですね。どういう絵本を作ろうと思ったのですか。

大前 絵本にしてはだいぶ抽象的な書き方をしていますし、グロテスクな話でもあるので、漠然と、いわゆる「中二病」の小中学生に届いたらよいなと思っていました。僕も中学生のとき暇を持て余して、ずっと妄想や空想の世界に浸っていたので。そんな、後から振り返ると本人にとっては黒歴史かもしれないような時期を過ごしている子が、ひっそり手に取って、ひっそり楽しむような絵本になったらいいなって。

——今後の執筆活動の予定を教えてください。

大前 3月に、『まるみちゃんとうさぎくん』というヤングアダルト小説が刊行されます。同じく3月には初めての短歌集が出版されまして、その後、「文藝」に掲載された中篇「窓子」が単行本になります。これはジャンルでいうとホラー小説になるのかな。

これからも書き方を固めすぎずに、自分の描ける世界の幅を広げていきたいですね。ミステリーにも挑戦してみたいです。

——編集者からテーマを投げられたほうが書きやすいですか。

大前 長篇はあったほうがありがたいですね。『きみだからさびしい』でもそうでしたが、打ち合わせで話している時にアイデアが出てきたりもしますし。

——今年、京都から東京に引っ越しされたそうですね。

大前 関西から出たことがなかったんです。今年30歳になるので、1回出ておくか、みたいな感じです。

——今後、小説の舞台も変わっていくかもしれませんね。

大前 そうですね。僕は散歩を日課にしているので、住む街の景色が変わったのは新鮮な刺激になっています。京都の街中は坂道が少なく、通りも直線で構成されていましたが、東京は起伏に富んでいる。匂いや音もだいぶ違う。そういうところから、考えることや感じることも変わっていくかもしれません。

撮影:佐藤亘


プロフィール

大前粟生(おおまえ・あお)
1992年、兵庫県生まれ。2016年、「彼女をバスタブにいれて燃やす」が「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」の公募プロジェクトにて最優秀作に選出され小説家デビュー。20年刊行の『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』によってジェンダー文学の新星として各メディアで取り上げられ、国内外から注目を集める。21年、『おもろい以外いらんねん』が第38回織田作之助賞候補。同年、『岩とからあげをまちがえる』が第14回日本タイトルだけ大賞を受賞。他の著作に、『回転草』、『私と鰐と妹の部屋』、『ハルには はねがはえてるから』(絵・宮崎夏次系)、『話がしたいよ』、『まるみちゃんとうさぎくん』(絵・板垣巴留)などがある。


『きみだからさびしい』(文藝春秋)
想いを伝えたら、あやめさんはこう言った。「私、ポリアモリーなんだけど、それでもいい?」ポリアモリーとは、複数の人とオープンな恋愛関係を持つこと。彼女のことは丸ごと受け入れたい。だけど……。対等でありたいともがき、傷つけませんようにと願う。「恋がしづらい」私たちのための、100%の恋愛小説。

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