佐野徹夜さんが辿り着いた、自分にとっての『人間失格』——『透明になれなかった僕たちのために』インタビュー
中学時代に双子の弟・ユリオを自殺で失った大学生の樋渡アリオは、「人を殺したい欲望」を隠しながら、日々を空虚に生きていた。しかし、かつての初恋相手である深雪と再会を果たし、また容姿端麗な蒼、アリオと瓜二つの市堰とも出会うことでアリオの生活は変わり始める。
それと並行して、SNSでは現実に起きた殺人事件の〝真犯人〟だと自称するアカウント「ジョーカー」が話題になりはじめていた。そしてジョーカーが殺害の証拠としてアップロードしていた写真、そこに写っていたのは、見覚えのあるマークだった。ジョーカーは一体だれだ? アリオは謎を追っていくうち、自身の出生にまつわる秘密へと迫っていく。生まれてきた理由、生きる意味を問いかけるサスペンス・ストーリー。それが佐野徹夜さんの3年ぶりの新刊、『透明になれなかった僕たちのために』である。
「デビュー作の『君は月夜に光り輝く』が『走れメロス』だとしたら、文豪の名作になぞらえるのは少しおこがましいですが、『透明になれなかった僕たちのために』は『人間失格』に近いと思います」
太宰治の名作になぞらえて、これまでに執筆してきた作品をそう表現した佐野さん。2016年、第23回電撃小説大賞で応募作4878篇の頂点に輝き、以降はメディアワークス文庫や新潮文庫nexなど、いわゆる〝ライト文芸〟とされるジャンルの第一線で活躍してきた。
なかでもデビュー作の『君は月夜に光り輝く』は映画化もされている、佐野さんの代表作だ。それが『走れメロス』とは、どういう意味だろう。
「実は『君は月夜に光り輝く』はイレギュラーな作品だと思っていて、自分の歪んだ部分をカットして綺麗なところを出したつもりなんです。太宰治という作家のパブリックイメージは『人間失格』に端的に表現されていると僕は思っているのですが、もし、太宰が『走れメロス』でデビューしていたらまったく違うイメージの作家として受け取られていたと思うんです。そういう意味で『透明になれなかった僕たちのために』ではやりたいことをやりきって、僕はこういう作家だ、と再デビューするつもりで自分を示せました。綺麗なところを出すだけではなくやりたいことをやりきる、僕にとっての『人間失格』のような作品になったんじゃないかと思います」
しかし、〝再デビュー〟と佐野さん自身が位置付けている本作の執筆は、決して順調な道のりではなかった。
「いまから5年ほど前に『文藝』に短篇を載せるためのやりとりをしていて、そのときから長篇にしようという話は持ち上がっていました。ただ、短篇を掲載していただいてからの3年間は、一度書いたものを自分で没にする、という作業を何回も繰り返していました。そして手応えのあるものが書き上がってからも、『これは必要だな』と思った調べものを入念にして物語を補強していきました」
そう、『透明になれなかった僕たちのために』は、同タイトルの作品が世に複数存在している。
まずは佐野さんが高校時代に執筆した2004年版、次に『文藝 2019年春季号』に掲載されて本作のプロトタイプにもなっている短篇版、そして初めての書き下ろし単行本となる本作。いずれも内容は大きく異なっており、本作では双子の弟を亡くした大学生のアリオが潜在的な殺意と向き合いつつ自身の出生にまつわる謎を追っていくという、「生まれた意味・生きている意味」を探しながらサスペンスとミステリーの要素が入り混じる作品となっている。
「今回、初めて長篇の単行本を書くにあたって、エンターテイメント要素を取り入れながら物語を膨らませていこうとは編集さんとも約束していました。そして、サスペンスの要素を入れたい、とも」
しかし、これまでの佐野さんは、サスペンスやミステリーを強く意識して作品を書いてきたわけではない。
「ミステリーをきちんと読んできたわけではないので、ミステリー的な構造が見えてくるまでは試行錯誤を繰り返しました。Excelで表を作ってトリックを分析したり、たくさんのドラマや小説に触れてどんなトリックがあるのかを勉強したり。構造ができたあともサスペンスとして伏線の仕込みと回収を細かく調整しています。たとえば作中に登場する野崎は執筆の最後の最後、締切を過ぎてから突然思いついて、彼の追加に合わせて物語を全面的に書き直しました」
そして試行錯誤は、ミステリーやサスペンスの要素をどう取り入れるか、だけに留まらない。
「世間からはそう思われていないのかもしれませんが、僕はけっこう文章の読み味へのこだわりが強いんです。今回はライト文芸で書いていたときよりも一般文芸に寄せた文体にしようと心がけていました。口語的な地の文を減らして、少し大人びた文章にしています。一般文芸の単行本は文庫本よりも値段が高いので、完成度やシリアスさの面で、値段に見合う価値があると思っていただけるような作品を目指しました」
試行錯誤を重ねる一方で、佐野さんの一貫した強い意志を感じさせる箇所もあった。
たとえば2004年版から本作に至るまで一度も変わることなくタイトルになっている、〈透明〉という言葉。この〈透明〉には、どのような意味が込められているのだろう。
「僕が10代のころは、〈透明〉という言葉に〝世の中から疎外されている〟〝誰からも認知されない〟といった意味合いで用いられる、特殊な文脈があったと思うんです。それが日本の文学のテーマのひとつにもなっていたと感じます。そして当時の僕はそうした〝世間から見えない〟〝この世からいなくなる〟といったようなネガティヴイメージに捻くれた憧憬を抱いていました。ただ、生まれてきて生きていく以上は、どうやってもその境地に辿り着けないんですよね。辿り着けない諦念があるからこそ起こり得る人生の好転を、表現できたらいいと思っています」
だが、〈透明〉という言葉の受け取られ方は、2004年版が書かれた当時と本書が刊行された2023年では大きく変わってきている。
「ここ数年、〈透明〉という言葉は、かつて内包されていた意味が忘却されて、〝透明感〟のようなオシャレな言葉として流行していると感じています。それに対する苛立ちもあったので、逆張りのようなタイトルでこの作品を出せて良かったかなと感じています」
2004年、2019年を経て2023年、本作で〝再デビュー〟を果たした佐野さん。それでは2024年以降に待ち構えている〝未来〟はどう見据えているのだろう。
「これまでは〝読む人の救いになるようなものを書きたい〟という気持ちと同時に〝書いていくうちに救われたい〟とも思いながら書いていましたが、近頃は書いても書いても救われないので、自分が救いを求めるのは現実的ではないのかな、と思うようになりました。だからいまは〝こうであってくれたらいい〟と祈りをこめるつもりで書いています。今回『人間失格』に近いトーンのものを出し、〝こういう作家だよ〟ということは伝えられたと、やりきった感覚があります。
なので次回はこれまでよりは少し自分を出さないようにして、より多くのひとに好意的に読んでもらえる、一般文芸を読むひとにも影響を及ぼせるような作品を書きたいと思っています。テーマも生と死から離れて、尖っていないものにチャレンジしたいです」
チャレンジの先に、佐野さんはとある野望を抱いていた。
「売れる、ということ以外の評価軸も欲しいと思っているタイプなんです。たとえば賞にノミネートされたり、書評を書いていただいたり、翻訳されたり、インタビューをしていただいたり……。だから、こうした機会をいただけて本当に嬉しかったです」
取材・構成:あわいゆき
撮影:佐藤亘
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