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ピアニスト・藤田真央エッセイ #65〈世界一取りづらいチケットーーバイロイト音楽祭鑑賞〉

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 世界には数多の音楽祭がある。特に夏のシーズンは大小様々なフェスティバルが各地を彩る。私もピアニストとして沢山の音楽祭に出演し、それぞれの特色を味わってきた。しかし、私がどんなに切望しようとも絶対に出演できない音楽祭が存在する——バイロイト音楽祭だ。

 バイロイト音楽祭は、ドイツの小都市・バイロイトで毎年7月から約1ヶ月間開催される。驚くべきことに、このフェスティバルで演奏される演目は、ロマン派時代における最も重要で影響力のある作曲家の一人、リヒャルト・ワーグナーによる作品に限られる。(例外としてベートーヴェン《交響曲 第9番 Op.125》は演奏された過去がある)
 それもそのはず、この音楽祭はワーグナーが自身の作品を上演するために自ら創設した音楽祭なのだ。オペラ歌手や指揮者、オーケストラ団員でない私にとって、一生分のラッキーを積んでも、この音楽祭に出演するチャンスを得ることは望み薄だろう。

 音楽高校、及び音楽大学の音楽史の授業では、必ずワーグナーとバイロイトをセットで学んだものだ。しかしその頃は大して強い憧れを持ち合わせておらず、ただ知識として受け止めただけだった。それはどの作曲家においても同じことが言える。まさか自分が20代半ばになって、偉大な作曲家たちの生きた証に触れる機会にこんなにも恵まれるなど、思いも寄らなかったのだから……。
 やがてドイツに移住し、暇さえあれば劇場やコンサートホールに通う日々を経て、いつの日かバイロイト音楽祭に行ってみたいと願うようになった。そして今夏、その夢が叶ったのだ。

 バイロイト音楽祭は世界中のワグネリアンが集い、そのチケットは世界一入手が難しいと言われる。運よく1公演だけでもゲットするのに10年待ちという都市伝説も。まるで『チャーリーとチョコレート工場』のような夢物語ではないか! ではどうして、そんなプレミアチケットを私が手に入れることになったか。このいきさつをお伝えするには、今年2月まで遡る必要がある。

 2024年2月、当時私はミュンヘンにてバイエルン放送響と共演していた。指揮はセミヨン・ビシュコフ。私たちは素晴らしい時間を共に過ごしていた。ある日のリハーサル後、私は練習のためにホールに居残っていたのだが、ビシュコフの楽屋からもピアノの音が響いていた。耳を傾けると、馴染み深いライトモティーフが飛び込んできたではないか。これはワーグナーの楽劇《トリスタンとイゾルデ》の第1幕の冒頭、いわゆる”トリスタン和音”を含む動機に違いない。一体どうしてビシュコフはこの楽劇を勉強しているのだろう。
 どうにも気になって彼の公式サイトを覗くと、なんと今夏、彼はバイロイト音楽祭でこの演目を指揮するという。
 公演後、クラシカルなドイツレストランでのディナーの席で、私の心はそわそわと落ち着かなかった。切り出すタイミングを注意深く狙っていたのだ。遂にデザートの時間を迎えた時、恐る恐るビシュコフに「バイロイトに出演されるんですね」と話しかけた。招待券を譲ってもらえないかと尋ねると、彼はニヤリと笑って「私の可愛いボーイのためなら特等席を用意するよ」と快諾してくれた。感謝する私に、マエストロは「すぐにでも宿を押さえたほうがいい。既にホテルは埋まっている可能性がある」と付け加えた。早速その晩、私は興奮に震える指でバイロイト中央駅近くのホテルを押さえ、マネージャーには、その日にはいかなるオファーや代役をも退けるよう「!」マークいっぱいのメールを送った。

 それからというもの、バイロイト詣でを指折り数える日々が始まった。このような機会には2度と恵まれないかもしれないので、万全の準備で迎えねばならない。作品の構成、各キャラクターの性格、台詞、音楽の理解を深めるために、6月にはベルリン・ドイツ・オペラにてユライ・ヴァルチュハ指揮の《トリスタンとイゾルデ》を3度観劇した。ちなみにこの3公演は各10ユーロで観劇できた。学生にとっていかにベルリンが天国であるかお分かりいただけるだろう。まだ陽の明るい17時に開演するものの終演は22時を回り、劇場を出れば辺りは真っ暗だ。劇場が位置する”リヒャルト・ワーグナー通り”の夜風を浴びながら、家路で今宵の公演を振り返る。そんな幸福な毎日を過ごした。

 月日は流れ8月某日、ついにバイロイトへと向かった。ベルリンから電車で5時間ほど南下し、いざ恋い焦がれたその地に降り立つと、青空を指揮するワーグナーのモニュメントが出迎えてくれた。この像には番号が付いており、どうやら市内13箇所に同じ像が設置されているようだ。像にはそれぞれワーグナーゆかりの地のエピソードが添えられている。
 バイロイトの街はコンパクトで、駅前の大通りを10分ほど歩くと直ぐに旧市街へ辿り着く。通りには、これからバイロイト祝祭歌劇場に向かうのだと思しき正装の紳士淑女の姿がちらほら。秘められた熱気が既に感じられた。

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