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今村翔吾「海を破る者」 #008

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 繁と剣を交えて、令那から故郷の名を聞いてから三月ほど経った。あれから徐々に寒さは和らぎ、今では桜の花が綻び始めるようになっている。結局、あれが今年最初で最後の雪になった訳だ。
 うららかな昼下がりのことである。六郎はづくえに向かっていた。風を取り込むために障子を開け放っている。小鳥が時折さえずり、差し込んだ陽が廊下を暖かに照らしている。
「来たか」
 跫音が近づいてくるのを察し、六郎は筆をいた。姿を見せたのは繁、そして令那である。月に一度ほど、二人と語る時を持つのは続いている。
 これまでは令那の倭語の練習の時間という性格が強かった。だが故郷について令那が触れたことで、今日は出来ればその話をしたいと思っていた。
 令那が最近では炊事にも携わっていること、繁が弓の腕を上げたと庄次郎が言っていたことなど、日頃の他愛も無い話をした後、六郎は静かに切り出した。
「令那の国について尋ねてもよいか?」
 繁の唇がぴくりと動く。興味が無い訳ではないだろうが、繁も不用意に訊くことを躊躇っていたのだろう。
「うん」
 令那は嫌そうな顔をせずに頷いた。
「名を『るうし』……と、言ったな。何処にあるのだ」
「ずっと、ずっと西のほう」
「どれくらい歩いたか解るか? それとも船か?」
 令那の故郷は凡そ西だと聞いていたが、北西、南西など、様々に考えられる。南西ならば海があるはずで、琉球という国、さらにその先にはソンという国があり、そこから海路でてんじくに辿り着けることまでは、大陸の商人から聞いたことがある。
「船には乗っていない」
「ならば陸路という訳だな」
 六郎は顎に手を添えて唸ると、令那はこくんと頷いた。
「暫く止まったこともあるけど……歩いていたのを足すと、一年よりも多い」
「一年もか」
 伊予から船でに渡り、そこから鎌倉まで歩いてひとつきと少し。一年以上も、しかも詳しく聞くと、途中、生き物に乗って移動したこともあるというではないか。それでかなりの距離を移動したのだろうと判明した。さらに令那は乗った生き物を、
「こぶの……二つの丸い……」
 と、身振り手振りを交えて説明した。
らくだな」
「そうかな? ええと、砂ばっかりのところをずっと。砂の海みたいな」
「砂漠か」
「そこを駱駝……? それに乗ってずっと」
 ——なるほど。
 その話で見当が付いた。遥か昔から西域よりこの国に至る長大なみちがある。まだ京が大和やまとにあった頃から、西域の物が唐、高麗を経てこの国にまで流れてきているのだ。途中、想像もつかぬほどの砂漠地帯があると、これも宋の商人から耳にしたことがあった。
 令那はその路を通ってここまで来たのだろう。途中に見た景色、建物のことを聞くと、どうも六郎の予想は当たっているらしい。
「私の故郷とは違う建物ばかり」
「ほう」
 六郎は身を乗り出して聞き入った。令那が見たという建物は仏教の影響を深く受けているらしい。それは「るうし」の建築様式とは大きく異なっているというのだ。
「私は石の家」
「石垣が組まれているということか?」
 六郎は文机に向かい、簡単な絵を描いてみた。基礎に石垣を組み、その上に木で作られた家といったものだ。
「ううん。屋根だけ木。壁も石」
「おお、壁もなのか」
 令那の国は石の加工技術にけているらしい。ほぼ同じ大きさの四角い石に加工し、それを交互に積み上げる。四方を石で組み上げた後、屋根だけを木やわらくというのだ。そのような建物は六郎の知る限りこの国には無い。
「王の家だけでなくか?」
 脇から繁が尋ねた。高麗は宋の影響を色濃く受けているため、城塞は石で組み上げる。一方、民家となると木で作られたものばかり。ゆえにそのように思ったらしい。
「皆、ほとんどが石の家。道にも石が貼ってある」
「そうなのか」
 それには繁も驚いたようで口をへの字に曲げた。
「町の高いところにあるデティネツ……何て言うんだろう」
 令那はひょいと首を捻って困り顔になった。町の高いところにあるもの。六郎が思いつくのは寺院、あるいは城である。それをぶつけてみると令那はあっと声を上げた。
「そう、城」
「これは大変そうだ」
 六郎はうなじに手を回して苦笑した。
 あまりにも文化、暮らしの様式が異なり、単純にこの国のもので置き換えられるものが無い場合が多いらしい。
 令那が言うところの「でてぃねつ」は石造りの城であり、これまた石で築かれた塔が立っていたりする。
 一方、この国でいうところの「城」の意味する範囲は広い。山そのものが城と化した大規模な山城から、小さな砦のようなものまで包括してそのように呼ぶ。この河野屋敷も一応は「城」である。故に、
 ——ここのような建物。
 と言えばすぐに伝わるはずなのだが、規模が小さすぎるからか、あるいは令那の国では「屋敷」の性格が強いのか、そのようには指し示さなかった。話を聞き取るにあたって、これからもこのようなことは多々あるだろうと考え、大変だと思った。
「それに『るうし』には王様はいないの」
「王がいない……?」
「うーん。難しい」
 令那は目じりに両手を添え考え込む。またその姿に愛嬌があり、六郎と繁はふっと息を漏らすのだ。
「多分、ろくろのような感じ」
「俺……?」
 六郎は鼻先に指を置いて尋ねた。
「うん。『おやかたさま』だと思う」
「待ってくれ。まず王について聞かせてくれるか」
 まず令那の言う「王」が日ノ本の概念と揃っているかどうかから始める。次にその王は何処にいるのかを聞くと、「るうし」の歴史にまで言及せねばならぬこととなった。はんとき近くじっくり聞き取ったところで、六郎はおぼろながらようやく理解した。
「なるほど。その『くにゃあじ』は大御家人のようなものだな」
「るうし」を治める領主の呼称である「くにゃあじ」に符号する者はこの国にはいないが、王より一等落ちるらしい。
 その「くにゃあじ」が治める小国が手を取りあって出来たのが、「るうし」という連合国家であり、盟主たる者を「べりきい」と呼ぶ。
 その点は日ノ本にも何処か似ており、「べりきい」を幕府、「くにゃあじ」を自らの土地の政を行う御家人に置き換えればしっくりくる。
「故郷では……田畑を耕していたのか?」
 繁は咄嗟に尋ねたものの、踏み込み過ぎたと思ったのか、
「答えたくなければ答えなくていい」
 と、付け加えた。
「ううん。何て言うんだろう……」
 令那は話したくないという訳ではなく、言葉が上手く出てこない様子である。
 令那は自らの国の言葉で言った。
「ぼやあれ?」
 六郎が訊き返すと、令那は頷く。
「うん。難しいな……しょうじろ様のような」
「郎党か」
 令那は必死に覚えている倭語を駆使して説明した。「くにゃあじ」と先祖を同じくし、その下で政や戦を行う家の者らしい。そういった意味では「ぼやあれ」は、貴族としての性質も持っている。
「貴族か……なるほど」
 六郎は唸った。想像こそしていなかったが、令那は初めて会ったときから、気品のようなものを醸し出しており、聞けば納得するものである。
 話を聞き終えた後、六郎はそう言ったきり、家について、次の問いはしなかった。領主の娘が奴隷にまで身をやつすとなれば、凡その見当はついてしまう。大抵は戦である。となると、相手はモンゴル帝国とみて間違いなかろう。
 令那も視線を宙に外しており、どこか寂しそうな目をしている。少し尖った上唇が微かに震えているようにも見えた。
「話させてすまないな」
「ううん」
 令那は我に返ったように微笑みを取り戻した。
「どんな村だ。良かったら聞かせてくれ」
 繁も察したように話を転じた。
「村……町かな?」
「大きいのか」
「とっても。町の名前は——」
 令那は町の名を口にしたが一度では聞き取れなかった。
「もう一度、頼む」
 六郎は苦笑しつつ頼んで耳を傾けた。令那はふふと声を上げて笑い、もう一度ゆっくりと発音してくれた。
「きいえふ……か」
 六郎が真似をすると、令那は小刻みに二度頷いた。
「綺麗な町。市場があって、沢山の人がいる」
「そうなのだな」
 六郎はめいもくして糸を吐くように息をした。「るうし」という国の、「きいえふ」という町。白亜の石造りの建物が立ち並び、道にも石材が用いられている。水居津のような賑やかな市場を、令那の容姿に似た老若男女が行き交う。想像している光景はあっているのかは判らないが、まぶたの裏に思い浮かべた。
「私の家はその外れに……あるの」
 令那の言葉が一瞬詰まったことが気に掛かった。
 ——あったの。
 そう言いかけて止めたのではないか。令那の今の境遇を思えば、もう家は無いと考えるほうが自然である。それでもそのように言ったのは、口に出せばもう二度と帰る場所がないことを認めることになるからか。
「伊予も綺麗」
 令那も微妙な間を感じ取ったらしく、薄い唇を綻ばせた。
「ありがとう」
「繁の町は?」
 令那は繁の顔を覗き込むと、繁はさっと視線を外して軽く手を振った。
「俺の故郷は町なんてものじゃあない。小さな村だ」
「何があるの?」
「何も無い。山と海だけだ。何処か伊予に似ているかもな」
「じゃあ、綺麗な場所」
「かもな」
 六郎には過去を聞くなという殺気にも似た雰囲気を醸すくせに、顔を赤らめてたじたじとなっている。
 根拠は何も無い。だが六郎は海の向こうには幸せが満ち溢れていると思っていた。外の世への羨望がそうさせていたのだろう。
 だがこの国と同じように悲哀もある。それを知った今も六郎は失望していない。少しずつ、ほんの少しずつでもいい。彼らの悲哀も含め理解していきたい。六郎はそのようなことを考えながら、無邪気にやり取りする二人を眺めていた。

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