6/3(土)TBS系列「王様のブランチ」に登場! 『愛されてんだと自覚しな』――著者・河野裕さんロングインタビュー
作家の書き出し Vol.25
〈インタビュー・構成:瀧井朝世〉
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◆千年分の記憶をもって、今世を生きる
——新作『愛されてんだと自覚しな』、もう本当に胸がときめくお話でした。あまりに面白くて、思わず二回読みました。
河野 ああ、よかったです。物語全体に大きな「仕掛け」を用意したこの作品を、どう楽しんでいただけるかなとドキドキしていたので、そう仰っていただけてほっとしました。
——初読と再読ではぜんぜん読み心地が違うんですが、どちらも最高に楽しかったです。
河野 ありがたいですね。なにしろ今回は、難しいことは考えずに、読んでいる間ひたすら楽しく幸せな気持ちになってもらえるような一冊を目指したので。
私はこれまで、メッセージ性を強く打ち出した小説を好んで書いてきました。でもいろいろとキツいことも多い日々の中で、純粋に楽しい物語を読みたい気持ちが強くなっていました。本作の準備を進めていたころ、自分の本棚を見渡してみると、気楽に読めてただ楽しいだけの本はほんの数冊しかみつからなかったんです。じゃあ自分が今本気で求めている小説を素直に書いてみようと。私にとって大切な人たちが純粋に笑って読めるような物語を書きたくて、そこで浮かんだのがこの作品のタイトル「愛されてんだと自覚しな」でした。ストーリーも何もない状態でこの言葉がひらめいたとき、小説のラストシーンも同時に見えた……という。
——なんと、あのぐっとくるシーンが最初にあったのですか。今回は、輪廻転生のお話ですよね。千年前、〝水神〟を袖にして怒りを買った人間の女とその恋人が川で命を落とす。水神に呪われた二人はその後、何度も生まれ変わっては出会いと別れを繰り返していきます。そして今世の生まれ変わり、岡田杏は現在二十三歳、神戸で守橋祥子という友人と平穏に暮らしています。ところがある日、封印されていた水神が顕現して……というところから物語が始まります。
河野 今、現実世界では暗い話題がたくさんありますが、長い歴史を振り返れば、人間はいろんな困難を乗り越えてきている。「千年」というスパンで見てみたら、悲劇的なこともからっと書けるんじゃないか、という発想です。
——水神の輪廻転生の呪いにはルールがありますね。〈男は生まれ変わるたびに輪廻を忘れ、しかし女の生まれ変わりを愛したとたんにそれを思い出す。女は逆さで、輪廻を覚えたまま生まれ変わり、しかし男の生まれ変わりを愛したとたんにそれを忘れる〉。これがもう、絶妙でした。こんなルールがあったら、運命の人と再会できたって絶対結ばれないじゃないですか。
河野 タイトルが浮かび登場人物たちが生まれ、ある程度構成が固まってきたら、自然とこのルールが浮かんだんですよね。「ああ、これでようやく書き始められる」と思いました。
——杏は非常に真面目で穏やかな性格。今の生活に満足していて、〈恋だとか愛だとか、そういうのはもう、充分ですから〉と思っている。彼女がとても魅力的です。
河野 杏は見た目は若い女性ですが、千年分の記憶があるので、達観したおばあちゃんのような人なんです。ご高齢の方って、いろいろ経験を経ているのに表面だけ見ると無垢に見える、みたいなところがある気がしていて。
——千年分の記憶があるから言葉選びも独特で、そこも面白かったです。
河野 時系列を無視して、新しい言葉も古い言葉も使うんですよね。彼女はすべての時間軸を超越して、いまの自分にとって心地よい言葉を選んでいます。だから「実にですね」という表現を使ったかと思えば、「マリアージュ」といった単語も口にする。
また、千年にわたる言葉の変遷を体感しているので、表現の原型も知っている。「こんばんは」ではなくて、「今晩はどういたしました?」と言うキャラクターだろうと意識していました。
◆幻の本をめぐる争奪戦
——杏と一緒に暮らす祥子も自由で楽しい女性ですね。普段は神戸三宮にあるカレー店「骨頂カレー」で働いているけれど、本業は正体不明の「盗み屋」。その祥子とともに、杏は「徒名草文通録」という幻の和綴じ本を盗み出そうとします。これは、杏と恋人の運命の鍵を握る大切な本なんですよね。
河野 そうなんです。そもそも、岡田杏がいつか再会する恋人のためにプレゼントを用意する話になるんだろうなと予想して考え始めたんですが、どんなプレゼントもしっくりこなくて。それで妻に「長年付き合いのある人にプレゼントをもらうとしたら、何がいい?」って訊いてみたんです。そしたら、「毎年ひとつずつ思い出の品みたいなものをコレクションして、何年後かにプレゼントされたら感動するかな」って。それはいいなと思い、「千年にわたって恋人たちの記憶が綴られた文通録をめぐるお話」という軸が生まれました。そういう意味では私でなく妻のおかげで生まれた設定です(笑)。
——杏たちの他にもこの文通録を狙う人々が続々と集まってきて、ついには神さまたちまで現れて騒動が起きる。彼らがなぜ文通録を求めているのか、それぞれの事情もユニークでした。
河野 編集さんとの打ち合わせの際、文通録にどんなページがあったら面白いだろうと羅列してみたんです。津軽三味線の楽譜とか、浮世絵とか、押し花とか……。そこから、文通録をほしがる人たちのキャラクターを作っていきました。
——物語は主に杏の視点で進みますが、折々に他の人たちの視点も入ってきます。さらに恋人たちがこれまでの千年間に経験した出会いや別れのエピソード、現世で文通録を求める人たちの事情も挿入され、そのひとつひとつが面白かったです。
河野 長篇の中に掌篇がたくさん挿入されるという構造にしてみました。ちゃんと書くと冗長になるところを、思い切って別の視点に飛んで、また新しい物語がはじまる。そうすれば、それぞれのエピソードの一番美味しいところを味わってもらえるかなと。
◆神さまたちとの知恵比べ
——物語の舞台となるのは、神戸や城崎温泉です。これがまた、作品の雰囲気を盛り上げていますよね。実在する場所を選んだのはどうしてですか。
河野 日本の神さまって、場所との縁が深いんですよね。だから自然といろんな地域を登場させることになりました。それに、今回はちょっとふわふわしたお話なので、リアルなものも出したほうが現実との接地面ができて読みやすいかな、とも考えました。
神戸については、兵庫県在住の私にとって馴染みのある、欠かせないエリアだから。作中に出てくる金星台も本当にある場所で、現実と齟齬がない感じで書いたつもりです。
——杏は兵庫県・伊和神社の伊和大神から、城崎温泉で開かれる神々の寄り合いに呼ばれます。そこに現れるのは伊和神社の下照姫や城崎温泉の四所神社の湯山主神、そして思金神。これがまたみんな個性的で。
河野 今回の執筆にあたって、日本の神話についていろいろ調べてみたのですが、これが本当に面白くって。日本の神話って結構あやふやな言い伝えも多くて、そのあやふやさが気持ちいいなと思いました。すごく偉い神さまとして書いても、威光のない神さまとして書いても成立するような懐の深さがある。
なかでも思金神という神さまが、飛びぬけてキャラが立っていたので、すごく助かりました。
——オモイカネさんですね。作中でも言及されていますが、岩戸に隠れた天照大神に扉を開けさせるために、扉の外で踊って騒ぐという案を立てたのが思金神なんですよね。
河野 天岩戸の解決策って、そんなに賢いやり方には思えないじゃないですか(笑)。けれど思金神は策略家で頭のいい神さまだとされていたので、他に何をしたのか調べているうちに「国譲り」のエピソードが見つかって。これもパッとしない作戦で成功させていたので、私の中ではっきりキャラが立った。最大の利益を得るためには、作戦遂行の過程で自分が汚名を被ることもいとわないという印象で一本筋が通ったので、物語に登場させやすかったです。
——恋人たちに呪いをかけた水神のイチさんは、播磨五川を統べていたけれど、暴れまわったため封印されていたという。イチさんはオリジナルの神さまですよね?
河野 はい、恋人たちに呪いをかける神さまなので、扱いが難しくてオリジナルにしました。
人間の罪を裁く神さまはいないかと探したんですけれど、日本の神さまは「裁く」という行為とは縁遠いんですよね。それよりどこか八つ当たり的に暴れている雰囲気があって、そんなコミカルさをイチさんに投影しています。
他はすべて日本神話の神さまです。伊和大神は、今でいう姫路から城崎あたりまで、他の神さまと闘いながら川を上っていったという言い伝えがあります。その時の川が播磨五川のひとつだということで、イチとの関係を作っていきました。
——小神たちも集まって、杏たちと知恵比べを始める寄り合いの場面は、私の中ではジブリアニメのような映像で脳裏に浮かびました。
河野 ああ、それが一番合いますよね。特に『千と千尋の神隠し』の神さまのイメージは強烈ですからね。そう言われてみれば、私もジブリ作品のようなイメージであのシーンを書いていた気がします。
◆読んでいるだけで幸せになる文体を目指した
——そこからまたてんやわんやの末、終盤でタイトルの言葉が出てきた時に、「あああっ」となりました。これは絶対に、もう一回頭から読み返したくなります。そして読み返すと、「あ、ここにこんな伏線が!」という発見の連続で。細心の注意を払って書かれたのではないかと思ったのですが。
河野 いえ、実はそんなことないんです(笑)。ミステリーではないし、楽しく読めるなら途中で仕掛けがわかってもいいのかな? と、連載を終えたところで編集さんに相談したぐらいで。単行本では物語の頭でネタを明かしてもいいんじゃないですかって。そしたら、「いや、後でわかったほうが楽しいですよ!」というお返事だったので。
——よかった(笑)。おかげで、読者にとっては二度美味しい小説になりました。「こういうことかな?」と気づいても面白く読めると思いますし。
話の主軸とはまた別に、くすっと笑える場面がたくさんあるのも魅力ですよね。私は杏たちが童謡「どんぐりころころ」の三番を自作する場面で笑いました。
河野 あのシーンは、自分でも何してるんだろうと思いながらものすごく真面目に考えたので、気に入っていただけてよかったです。「どんぐりころころ」の歌詞は「ころころ」という擬態語を使いこなすのが本当に難しいんですよ! オリジナルはすごくよくできているんだなと感嘆しました。
——もう、楽しすぎます。全体的にコミカルなテイストですが、文体のリズムやテンポなどはかなり意識されましたか。
河野 めちゃめちゃ意識しました。さきほど、ただ楽しく読める小説を探して本棚を見渡した話をしましたが、そのうちの一冊は、森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』でした。そこからの影響はかなりありますね。「くすっと笑える」という意味でも、レトロとモダンを混在させた文体という意味でも。影響を受け入れた上で、自分なりの軽やかさやリズム感を追求してみた感じです。
書いている間、自分でも純粋にとても楽しくて。結果、これまで書いてきた小説で一番、ひとに読んでもらいたい作品になりました。
◆小説とは、大きな海のようなもの
——これまでの小説はひとに読んでもらわなくてもいいと思っていたのですか、と訊きたくなりますが……。
河野 自分の中に、作家としての私とプロデューサー的な私がいて、プロデューサー的な私としては、もちろん読んでもらいたいです。けれど作家としての私はどこかで、誰にも読まれなくてもいいと思っているところがあった。作家と小説って、どうしても一対一の関係で完結しているところがあって、ともすれば、自分が納得する作品が書けたらそこがゴール、となってしまう。
でも今回、作家としての私が、みんなに読んで欲しいと思った。読んでくれるみなさんの顔を想像したんです。自分ではないひとがこの小説を読んだ時にどう感じるのか、これまでとは比べものにならないくらい考えましたし、自分の意識が外に開けてきたという感覚がはっきりありました。
——それは今後の作品の在り方にも大きな変化がありそうですね。
河野 そうですね。変わったというか、広がったというか。
私は根っこでは、小説は作者のエゴによって生み出されるものであって、そのためにはテーマが必要である、と考えています。どこまでエゴイスティックに作品を練り上げられるかが小説の本質だと信じています。だから私は、自分の信じる正義や倫理を主張するための物語を書きがちだったんです。
たとえば『昨日星を探した言い訳』や『君の名前の横顔』は、最初にテーマをきっちり決めて、そのテーマをキャッチーに伝えられるような展開を考えていきました。特に『昨日星を探した言い訳』はそうした手法を徹底して、これこそが私の小説の作り方なんだという手応えもあった。
でも、読者としての自分を思い返してみると、テーマから離れたところで物語にワクワクした経験がたしかにあったはずで、エンターテインメント性を小説の本質のひとつとして無視してはいけないという思いも年々強くなってきているように思います。
——なぜ河野さんの中で、そのような変化があったのでしょうね。
河野 それはおそらく、テーマ重視のエンタメ小説がここ十年で世の中にあふれてしまった、という危機感があるからです。かつては、テーマに対して真正面から向き合うのは純文学の役割で、エンタメ小説は純粋な面白さで勝負するものが多かった気がするんです。少なくとも私が大学生のころ、伊坂幸太郎さんや森博嗣さんの作品を語るときに、ことさらテーマ性を重視するということはありませんでした。エンタメ小説においては、私が理想としているような、テーマを前面に出して主張する作風は傍流に過ぎなかった。でも最近は、昔であれば純文学が扱っていたようなテーマをマイルドにしてエンターテインメント作品にした小説が本流になりつつある気がしています。
——たしかに最近のエンタメ小説は、何も考えずに読んでひたすら楽しい作品より、痛切なテーマをこめたものが多いかもしれません。
河野 いろんなテーマの本が並んでいるなら、それはそれで素敵なことです。でも、小説内で扱われるテーマ、それ自体にも偏りが生まれている印象があります。SNSの普及による影響も大きいのでしょうけれど、「このテーマは社会的に正しい」「このテーマはみなが考えるべき」というジャッジは、現実世界にはたしかに存在しているのかなと。ただ、それがそのまま小説の世界に持ち込まれてしまうと、取りこぼしてしまうものがある。というか「正しいテーマ」ばかりを追い求めてしまうと、小説というものがニッチなものになって、読むひと自体減ってしまうのではないかと思います。
小説って本来、もっともっと広い、大きな海のようなものなんじゃないかと思うんですよ。砂浜から眺めて海面が美しい海に多くのひとが集まるように、まずストーリーやキャラクターだけで「面白い!」といえる小説が業界の主役でいる方が、大勢のひとが本を読もうという気になるはずなんですよね。その面白い小説に守られた水面下のディープな世界まで潜ってはじめて、一部の小説が思いきり自分の考えを主張しているのをみつける。——一冊の本ではなく、小説の業界全体でみれば、こんな状況が理想だと思います。
でもなんとなく今は、「受け入れられるテーマ」をしっかり主張する小説の方が届きやすい印象があり、ちょっと危機感を覚えています。そもそも純粋なエンタメとして本を売るのが難しい時代なのかなと思うのですが、それでも小説は面白いと信じている身からすると、まっすぐ娯楽性だけで勝負する本を作りたいな、と。
なんて、ちょっと喋りすぎたでしょうか(笑)。
——いえいえ、深いところまでお話しくださってありがとうございます。いろいろ気づかされることが多くて、今、グサグサきています。
それにしても、今後、河野さんはいったいどのような作品を書いていかれるのでしょうね。純粋なエンタメ作品になるのか、ご自身が小説と一対一で向き合った作品になるのか……。
河野 しばらくは、開かれたエンタメ作品を目指したいと思っています。もちろん、どこかでまた一対一の関係で深掘りしていく作品にも挑戦すると思うのですが。
具体的な今後の予定としては、今年の夏に『昨日星を探した言い訳』を文庫化して、新潮文庫nexの『さよならの言い方なんて知らない。』の八巻を出した後、たぶん、KADOKAWAさんから単行本が出ます。
次の作品も、テーマ性よりエンターテインメントに振り切ったものを作ろうと最初は意気込んでいたのですが、考えているうちにどっしりとしたテーマが中心に据えられた設定になってきました。目下葛藤中です。
——どんな内容なのか気になります。
河野 数学者とヴァンパイアの話で、『愛されてんだと自覚しな』よりは、全体のタッチがシリアスなものになりそうです。その小説のために今は数学者について調べているところです。
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