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前川ほまれ|一緒に映画を観たい人

『藍色時刻の君たちは』で第14回山田風太郎賞を受賞した前川ほまれさんのエッセイが届きました。看護師として働きながら小説を書いている前川さんは、かつて映画の道を志した時期もあるくらいの映画好き。そんな前川さんの心に残った映画と、映画にまつわる記憶のお話。

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 私は元々、趣味が少ない。強いて挙げるとするなら、映画鑑賞だろうか。特に好きな映画のジャンルはないので、いつも直感で観る作品を選んでいる。
 小説の執筆においても、映画鑑賞後に新作のイメージがひらめくことが多々あった。たとえば私の既刊『セゾン・サンカンシオン』は、ジェームズ・マンゴールド監督の『17歳のカルテ』に強く影響を受けている。それに、作家として活動するようになってから、映画は心理的な避難場所としても機能していた。執筆がどうしても行き詰まった時は、一旦全てを投げ出して映画の世界に逃げ込む。コーラとキャラメルポップコーンを口に運びながらスクリーンに夢中になった後は、それまで煮詰まっていた頭の中がリセットされていることが多い。
 私は確かに映画好きだが、専門的な深い知識を有している訳ではない。毎回浅い考察しかできないし、世界の映画史だって語れない。それに映画好きとは言っても、兼業作家(私は現在も看護師として働いている)の忙しさを言い訳に、最近は月に一作品でも鑑賞できたら良い方だ。そんな私のもとに映画好きの友人が集まる訳もなく、間違っても映画評論家の知人はいない。心に残る作品を鑑賞した後は、独りで余韻に浸るのが常だった。しかし今年、是非とも誰かと感想を共有したくなる映画と出会った。
 その作品のタイトルは『aftersun/アフターサン』。監督は、本作が初長編映画となるシャーロット・ウェルズという方だ。私が『aftersun』を知ったのは、今年の初夏だった。その日はどうしてもようけんのシウマイ弁当が食べたくなって、新宿に向かった。たんのデパ地下で無事にシウマイ弁当を購入し、腹を鳴らしながら家路を辿たどる途中で『aftersun』のポスターを見かけた。ポスターの中では青く澄んだ空と海を背景に、サングラスを掛けた男性と女の子が並んで微笑んでいた。二人の背後の波打ち際にはビーチが広がり、水着姿の人々も小さく写っている。まるでバカンス中に撮った何気ない写真を、そのまま採用したようなポスターだった。そして、控え目な小さな文字で『最後の夏休みを再生する』というキャッチコピー。その短い文章からは、ほのかな不穏さがにじみ出ていた。新宿の片隅で直感がビンビン働くのを覚えながら、私はシウマイ弁当が入ったビニール袋を強く握り締めた。後日、事前にあらすじすら確認せずに、新宿ピカデリーへと足を運んだ。
『aftersun』の上映時間は、二時間にも満たなかった。映画館を出て新宿の雑踏を進みながら、私の直感が間違っていなかったことを確信した。短い感想に留めるが、とてつもない余韻に浸らせてくれる作品だった。主要登場人物の父親と娘の会話は素敵で、とてもナチュラル。そして、絶妙にすれ違っていた。同じ場所に居ても、大人と子どもでは目に映る世界は異なる。血が繫がっている者同士でも、相手を完璧に知ることなんてできないんだろう。もっと言えば、他人の本当を正確に理解することは永遠に難しい。しかしこの映画では、父親と娘が確かに同じ時間を共有したまばゆきらめきも描かれていた。だからこそ余計に、父親が抱えている痛みを想像すると胸が苦しくなるのだが。とにかくこの作品には、誰かの側に居たこと、或いは側に居ることへの、尊さや、悲しみや、歯痒さが美しい映像に溶け込んでいた。
 鑑賞後に独り新宿を彷徨さまよいながら、何故か祖母の横顔が脳裏に浮かんでは消えた。『aftersun』の登場人物である娘のソフィに、感情移入していたせいかもしれない。それとも私が幼い頃、映画を観る時には、いつも祖母が隣にいてくれたのを思い出したせいだろうか。
 私が初めて映画を観に行ったのは、小学一年生の夏だった。場所は映画館ではなく、地元のコミュニティセンター。そこには大きな多目的ホールがあり、定期的に映画を上映していた。両親は共働きだったため、祖母と二人でコミュニティセンターによく足を運んだ。初めて観た作品は『ドラゴンボール』だったような気がするが、もしかしたら『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』だったかもしれない。鑑賞した作品名は曖昧でも、鮮明に憶えていることがある。上映前に祖母が買ってくれたラムネの冷たさや、祖母と手を繫いで多目的ホールの傾斜した床を進む足音や、上映中にスクリーンの光を浴びた祖母の横顔など。当時の私は作品を楽しむというより、祖母と映画を観に行くという状況自体に胸を躍らせていた。幼い私が選ぶのは、毎回アニメ映画だった。上映を終え暗転していた会場に明かりが灯ると、私は開口一番「面白かった」といつも告げた。祖母も同調するように「面白かったね」と笑顔を浮かべていたのを記憶している。祖母はNHKニュースか、火曜サスペンス劇場しかテレビで観ない人だった。上映後の感想が本音だったかどうかは、未だにわからない。
 現在、祖母は認知症を患い、地元の高齢者施設で生活をしている。帰省した際は面会に行っているが、祖母からは毎回他人行儀な態度を向けられていた。去年面会に行った際は、私のことを羽毛布団を売るセールスマンだと最後まで思い込んでいた。今年会った時は、数学教師だった祖父の元生徒だとずっと勘違いされた。今はもう、完全に私の顔も名前も忘れてしまっている。
 新宿の片隅で『aftersun』の余韻に浸りながら、祖母が失った記憶を想った。来年面会に行った際は、一緒にコミュニティセンターに映画を観に行ったことでも話してみようか。ふと気付く。私が一緒に映画を観たい人は、映画好きな友人でもなく、映画評論家でもなく、祖母なのだろうと。上映後に「面白かったね」と短く言い合えたなら、それだけで十分だ。たとえそれが、本音ではなかったとしても。

前川ほまれ(まえかわ・ほまれ)
一九八六年生まれ、宮城県出身。看護師として働くかたわら、小説を書き始める。二〇一七年『跡を消す 特殊清掃専門会社デッドモーニング』で、第七回ポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。一九年『シークレット・ペイン 夜去医療刑務所・南病舎』で第二二回大藪春彦賞候補。二三年『藍色時刻の君たちは』で第一四回山田風太郎賞を受賞。他の著書に『セゾン・サンカンシオン』がある。

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