辻村深月|父と娘という新たな光を得て、彼女たち「娘」の作品や言葉が再び広く知られていくことを願う――梯久美子『この父ありて 娘たちの歳月』に寄せて
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本書に登場する「娘」の一人である詩人・石垣りんのこんな文章が、彼女の章の冒頭で紹介される。
独身で、父、義母、二人の弟と同居する家で唯一の働き手となり、椎間板ヘルニアの大きな病気をきっかけにようやく休養が取れたという彼女が、手術前夜を書いた〈その夜〉の一節だ。
本書の著者、梯久美子はこの詩に出会ったときのことを、「しびれるように身にしみた」と書いている。そして、本書によってこの詩に出会った私もまた、時を経て深い感動を覚えた。その石垣りんは、自分の家について、別の詩の中でこんな言葉を用いている。
「父と義母があんまり仲が良いので鼻をつまみたくなるのだ」
そう語る「父」とはどんな人物だったのか、彼女が、そして、その父が生きた時代とはどんなものだったのか。本書は、「書く女」とその父を描く連作ノンフィクションである。
本書に登場する「娘」は、渡辺和子、齋藤史、島尾ミホ、石垣りん、茨木のり子、田辺聖子、辺見じゅん、萩原葉子、石牟礼道子の九人。
著者は、子が親を書く目線には「近い目」と「遠い目」の両方が必要であると書く。前者は日常をともにした肉親の親密な目であり、後者は社会の一員としての親を一定の距離をとって見る目のことだ。
それぞれの章の扉には、在りし日の父と娘の写真と、娘が父を語った言葉が掲げられる。
「いい男だったわ お父さん 娘が捧げる一輪の花」と父の告別式の帰りのエピソードを詩に綴った茨木のり子、「私はまさしく父親の犠牲者としてこの世に生まれた」と書いた萩原葉子、「死ニタイ、シンドイ、結婚シタ事ヲ悔ヤム。ジュウ(父)ヲ捨テテキタバチカモ」と吐露する島尾ミホ。
それらの言葉を鍵として、娘たちの作品と人生を通じ、その父に迫る構成は、まるでミステリの謎解きで真相が開かれていくときのような読み心地がある。
中でも私が心を強く掴まれたのは、ノートルダム清心女子大学の元学長にして、ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者である渡辺和子のこんな言葉だ。
「私は父の最期のときを見守るために、この世に生を享けたのかもしれない」
和子の父は二・二六事件で青年将校に射殺された当時の教育総監、渡辺錠太郎であり、和子は九歳の時にその死の光景を目撃している。「九歳までに一生分愛された」と語る娘が父の凄惨な死を至近距離で目撃するのはどれほどむごいことだったか。しかし、和子は「あの場にいることができて本当によかった」と語る。なぜか──。その理由の言葉に触れた時、私は、驚きに言葉を失った。
娘のまなざしに基づいたそうした言葉が、本書の至るところにある。その父の娘だからこそ、彼女たちが自分の中にいる父を近づけたり遠ざけたりしながら、その影響を受け入れ、相対化できるまでに格闘してきた物語。『この父ありて』にまとめられたのは、彼女たちがなぜ、「ものを書く」という行為に惹かれ、書くことが必要であったのかという理由を辿る旅でもある。
僭越ながら、私もまた小説家──「書く女」のひとりである。テーマとしては「母と娘」を描くことが多い。そのうえで、本書が母の存在を示しつつも、父に焦点を絞って描かれた一冊であることにとりわけ大きな意味を感じる。親を書く時の「近い目」と「遠い目」の二つ。この目線は、同性の親である母とではなかなか結ぶのが難しいかもしれない、とも思うからだ。同性であるがゆえに持ってしまう同化と反発は、時に見る目の距離を歪める。しかし、異性の親である父に向けられる娘たちのまなざしは葛藤を持ちながらもどこか公平で、だからこそ、その奥にある弱さや強さ、憧憬も失望も、冷静に父の生きた時代の向こうにまで届いている。女が家の内にいるものとされ、外の社会で役割を担うのが圧倒的に男であった当時の時代背景もあるだろう。娘たちは父を書きながら、同時にその後ろに広がる社会を見ていた。
父の没した年齢を超えて生きた彼女たちの中に、親でありながらも他者として息づく父の物語は、著者のいうように「歴史が生身の人間を通過していくときに残す傷について書くこと」であり、「ひとつの時代精神を描き出」すことでもあったのだ。
本書を通じ、父と娘という新たな光を得て、彼女たち「娘」の作品や言葉が再び広く知られていくことを願う。私が石垣りんの〈その夜〉の詩と出会ったように。渡辺和子の、この父と娘でなければ語られなかった言葉に出会ったように。
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