浅倉秋成|お茶が「りん」と鳴る
佐賀県・嬉野温泉にある和多屋別荘で〈ライター・インレジデンス〉を体験中の作家 浅倉秋成さんが、現地での体験をもとに書き下ろされたエッセイをお届け!
11/3(木・祝)の浅倉さんの講座・生配信をご覧の方はぜひこちらもお読みください。
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「香りを『聞く』んです」
はて、と宙を仰いだのはほんの一瞬で、気づけば妙な納得感に包まれていた。香りを「嗅ぐ」と表現してみるとどうだろう。一般的な表現であるには違いないが、これでは漂ってくる匂いをひとまず判別しようと、険しい表情でくんくんと鼻を動かす姿しか想起されない。香りを「味わう」ではどうか。対象物を眼前に近づけて鼻腔をむやみやたらに動かす無粋さは薄れたが、今度は余韻ばかりを堪能する何者かのしたり顔が目に浮かぶ。香りを「吸い込む」は論外だ。一切を吟味することなく、掃除機よろしく大量の空気を肺に送り込んでいるようにしか感じられない。
そこで、香りを「聞く」に至る。
当たり前だが、鼓膜で香りを察知することは適わない。しかしそこには、ひょっとすると――という微かな希望が見え隠れしている。顔を近づけ、目を閉じ、耳を澄ます。もちろん鼻を過剰に動かすような真似はしない。能動的に沈黙を貫き、どこまでも香りに傾注する。何かを感じ取りたいと切望しながらも、焦ってドアをノックするような無礼は慎む。やがて機械式時計のテンプが発する小さな駆動音のような、微かで儚い、ささやかな香りが、聞こえてくる――かもしれない。
佐賀県嬉野市にある老舗旅館「和多屋別荘」には、「聞師」と呼ばれる職業の人間が存在している。音ではなく「香り」の専門家だ。創香室と呼ばれる特別な空間で、オリジナルのフレグランスバッグ作りを手伝ってくれる。
用意された複数の香料を組み合わせることによって、思い思いのフレグランスを作ることができるのだが、私はせっかくなら嬉野の特産品であるお茶を多めに調合してみようかと考えた。他の香料より多めに三さじ。たっぷりと入れたつもりであったが、柔らかな茶の香りは爽やかなミントの中に埋もれてしまっていた。ひたすらミントの香りばかりが鼻腔をつく。比率を間違えた。一人静かに反省していたのだが、
「お茶の香りがしっかりと出ていますね」
聞師に言われ、改めて香りを「聞いて」みる。辛抱強く、耳を傾ける。すると遠くのほうで、確かに茶の香りが聞こえた。
「紅茶もコーヒーも有料なのに、日本茶は無料で提供される。これっておかしいじゃないですか」
お茶から話を広げてみるが、私にそう語ってくれたのは和多屋別荘の小原社長であった。実にもっともな指摘であるはずなのに、私は虚を突かれた。コーヒーは偉く、日本茶は偉くないなどという差別意識はまるでない。それでも我々はどこか日本茶のありがたみを軽視してしまう。定食屋で「コーヒーがセットでついてきます」と言われれば、なかなか気が利いているじゃないかと思う一方、「日本茶がセットになっております」と言われるとわざわざそんなことを口にしなくてもと、一抹の恩着せがましささえ覚える。理由は様々あるだろう。しかし私は敢えてその原因を、日本茶の「寡黙さ」のせいであると捉えてみる。
日本茶の味は、極めて非主張的だ。辛い、しょっぱい、酸っぱい。振り切った説明が難しいその味をどうにか説明しようとすれば、「ほんのり苦いような、甘いような」といった曖昧な表現に落ち着く。
我々はいつだって寡黙で主張の少ないものを軽んじてしまう。米や水はもちろん、ときに文学でさえ同じ憂き目に遭う。人が死んだり、何かが爆ぜたりするような派手な物語は別として、起伏のない日常が淡々と綴られるような作品は「結局、何が言いたいのかわからん」と一蹴されてしまうこともしばしばだ。
現代はいかに強く、短時間で、濃厚な刺激を与えられるかを競いがちだ。扇情的なヘッドラインでニュース記事へのアクセスを誘発し、二時間の映画をダイジェスト版で把握させ、イントロの長い曲は退屈だからと疎まれる。費用対効果ならぬ時間対効果が声高に叫ばれる。
そんな中にあって、我々はますます「寡黙」なものを受け入れる余裕を失っている。忙しい人間社会を責めても仕方のないことで、昔はよかったと安易な懐古主義に走ることにも賛同はできない。それでもかつては刺激の少ない日常の中、現代の我々よりも遙かに様々な機微を、繊細に拾い上げいたはずなのだ。
まさしく、聞いて、いたのだろう。
ささやかな香りを、日本茶の味を、米を、水を、文学を。あらゆるものに時間をかけて接し、ゆっくりと体に染みこませるようにして耳を澄ます。嗅ぐでも味わうでも吸い込むでもない。結論を急がず、時間をかけて静かなるものの正体を探る。
無論、すべてに耳を傾けてばかりでは身が持たないかもしれない。私もまたせかせかとした日常の中、見えない「イヤホン」で耳を塞いでしまうことが増えた。しかしわずかばかりでも時間を作ることに成功した旅の途中くらいは、時間を贅沢に使って寡黙な何かに耳を傾けてみたい。
きっとどこからか、ほんのり。優しい茶の香りが、「りん」と、聞こえてくる。
(了)
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