『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』著者・汐見夏衛さん絶賛! 『ナースの卯月に視えるもの』書評
桜が咲き、梅雨入りし、猛暑が続き、秋が来て、クリスマスソングが流れ始め、再び桜の花びらが舞う。季節の移り変わり、ゆっくりと流れていく時間の優しさ、でも確実に時が過ぎて死が近づく残酷さ。
静かな病棟で今日も卯月は、緩やかに確かに死へと向かっていく患者たちに真摯に向き合い、終わりまでの長くはない期間を少しでも快適に過ごしてもらえるようにと、日々奮闘する。
本作には、私もいつか治る見込みのない病気になり終わりを見つめるときが来たら、是非とも卯月や山吹や透子さんや御子柴主任や香坂師長に看護やお看取りをしてもらいたい、と思わずにはいられない、静かで優しい世界が広がっていた。
特筆すべきは、どの患者さんもそう遠くない日に終わりを迎えることが分かっていながら、実際のお看取りの瞬間は描かれないことだと思う。避けられない別れを予感させつつも、患者さんの「思い残し」が晴れて清々しいお気持ちになったところで各話が終わっていることが、私にはとても優しく感じられた。
命の現場を扱う物語に触れると、これまで生きてきた中で失った身近な命が自然と思い出される。だからこそ、登場人物が命を終えるまさにそのときに直面すると、過去に経験した辛い気持ちが甦ってくることもあるので、終わりそのものは描かないという本作の優しさに救われた。
また、深夜の病棟の空気や病室の臭いなど、医療従事者ならではの臨場感ある描写に五感を刺激されて、一気に世界に引き込まれた。さらに、勤務病棟による看護師さんの業務内容や容姿の違いなど、ちょっとしたあるあるネタのようなものは、病院にあまり縁のない人間にとっては知らないことばかりで、非常に興味深く読むことができた。これぞお仕事小説の醍醐味だなあとじっくり味わわせていただいた。
話は変わるが、インターネットでときどき見かける『やさしいせかい』という言葉が、とても好きだ。見るたびにほっこりした気持ちになる。
そのようなコメントを受ける投稿に書かれた出来事自体に対しても勿論そうだし、そのような投稿(出来事)に対して『優しい世界ですね』と声をかける誰かの素直な心根を目の当たりにできたことにも、なんだかほっこりする。
誰かの優しさに触れて、その優しさを受け取り、それを見た人も優しい気持ちになるという連鎖。
私もできるかぎり人に対して優しくありたいし、優しい小説を書きたいし、優しい世界であってほしいと願っている。
とはいえ、自分の状況や精神状態によっては優しくできないこともあるし、優しくない他人の言動に傷つくこともある。
誰だって優しい世界であってほしいはずなのに、なかなかそうはいかない。世の中は難しい。
本作は、「誰かの悪意によって、または不運によって辛い境遇にあり、でも誰にも救いを求めることができないまま苦しんでいる人たち」と、「家族でも親戚でもない、友達でも恋人でもない、隣人でも仕事仲間でもない、言ってしまえばただの通りすがりの他人でありながら、苦しんでいる彼らに心を寄せ、心配し、なんとか救おうとする人たち」の物語だ。
長期療養型病棟で働くナースの卯月が出会う患者たちは、自らの死の間際にありながら「思い残す」ほどに強く深く、『誰か』に心を寄せている。そして卯月は、ある出来事をきっかけに得た不思議な力で患者たちの「思い残し」を解消しようと奮闘する。
人間、生きていると、嫌な思いをすることはある。
嫌な思いをすると、なんて嫌な世の中なんだと思う。
嫌な人ばかり目について、うんざりしたりする。
でも、忘れてはならないのは、なんの縁もゆかりもない『他人』であっても心から気にかけて、救おうと手を差しのべる人だっている、ということだ。
いや、むしろ、そういう人のほうが多いはずだ。悪意を振り撒く人より、良心的な人のほうが多いし、困っている人を見かけたら声をかける善意の塊みたいな人もいる。
思い残しのある患者たちもそうだし、卯月の同僚の看護師たちもそうだし、卯月自身もそうだ。深いつながりのない他人に、深い思いやりを向けている。
そうだよなあ。世界は優しい部分がほとんどなんだよなあ。でも、ときどき唐突に物凄い悪意に触れることがあって、普段は見えにくい世界の厳しい部分や暗い部分が目の前にあらわれて、驚いてあたふたしたり、傷ついて落ち込んだりしてしまう。
漫然と生きているうちに忘れがちな、見えなくなってしまいがちな、そんな「優しさ」を、見失いたくはない。
優しい世界が確かにあるのだと、忘れずに生きていきたい。
そんなことを、ナースの卯月の葛藤と成長の物語を読みながら、ずっと考えていた。
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