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桃野雑派|お守り代わりのペンネーム

奇想天外な宇宙ミステリ小説『星くずの殺人』が大きな話題となり、最新刊『蝋燭は燃えているか』も好評発売中の桃野雑派さん。一度聞いたら忘れない、そのペンネームの由来は――?

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 フランク・ザッパの噂はギターを始めた頃から聞いていた。
 いわく、天才、奇才、二十世紀最大の芸術家、ザッパの前にも後にもザッパなし。
 そう称賛する声がある一方、奇人、変態、気難しい芸術家、不協和音にしか聞こえない音楽―などなど、くさす言葉も同じぐらい見聞きした。
 でも僕が興味をひかれた一番の理由は、あのスティーヴ・ヴァイが尊敬する音楽家だったからだ。

 ヴァイは今でも僕のアイドルだ。強烈な個性を持ったギタリストで、浮遊感のあるメロディ、複雑なリズム、凝りに凝った楽曲、それをさらりと演奏してしまう技術力、それでいてテクニック至上主義に陥らないエモーショナルなギタープレイを兼ね備え、同時にレコーディング技術にも精通し、ミキシングやプロデュースなども自分で行える一流の音楽家だ。
 ヴァイの曲を初めて聴いたときは、体中に電流が駆け抜けるような衝撃があった。特に、濃密なのに一音たりとも無駄無く敷き詰められたバンドアンサンブルは、強烈だった。安いCDラジカセから聞こえるチープなはずの音が、生で聴くオーケストラより迫力があったのを覚えている。
 ギターでこんなことができるのか! 俺もこれをやるんだ! 遊びだったギターが、真剣なものに変わった瞬間だった。以後、大学の四年間を音楽漬けで過ごすことになる。
 そんなヴァイが、あらゆるインタビューでザッパのことを称賛していた。音楽についてはもちろん、ビジネスの仕切り方、ミュージシャンとしての姿勢などなど。なにより、ヴァイのキャリアはザッパバンドの一員から始まっている。
 しかしその音楽を聴くのは簡単ではなかった。ザッパのアルバムは全て廃盤になっていたからだ。一九九三年に亡くなっているから、権利関係で問題でもあったのかもしれない。実際のところはわからないが。当時はネットがようやく普及し始めたばかりで、YouTubeも無かった。

 どうにかして聴く方法は無いかと調べていたら、市の図書館にCDが一枚だけ所蔵されているのを見つけた。
 アルバムのタイトルは、『The Lost Episodes』。ザッパファンにはオチが見えていると思うので、結論から書こう。
 激しく期待外れだった。
 それもそのはず、このアルバムは未発表音源や会話を集めたもので、決して一枚目に聴くようなものではない。
 トラック1から、知らないおっさん達の会話が始まる。英語だ。まず、ぽかーん、である。
 トラック2のルーズなブルースは、ハードでヘヴィな音楽を好む若者には退屈だった。しわがれ、かんだかいボーカルなど、男女の区別もつかず、不協和音にさえ思えた。
 トラック3で、おっさんの会話が再開される。どの声がザッパ本人かもわからない。時折メロディが口ずさまれるが、汚いうめき声にしか聞こえず、人生で最も無意味な一分に思えた。これがトラック5まで続き、CDを止めた。頑張った方だと今でも思っている。
 時間をおき、改めて残りを聴いた。格好いい曲もあるにはあったが、第一印象をくつがえすまでにはいたらず。CDを返却するときには、二度と再会することはないだろうと思っていた。

 それでもヴァイを追い続ければ、ザッパの話題が繰り返し目につく。知識が蓄積されていくに従い、どうやらあのCDは、最初の一枚としては不適切だったことにも気づけた。
 そんなある日、中古CDショップで奇跡的にザッパのCDを見つけた。アラブ風の衣装に身を包んだ男がジャケットに写っている。アルバムのタイトルは『Sheik Yerbouti』。
 悩んだ。また会話だらけだったらどうしよう。今度こそCDをたたき割るかもしれない。
 けど、これで駄目なら諦めもつくと、思い切って購入した。
 恐る恐るCDラジカセの再生ボタンを押した瞬間、世界が変わった。ヴァイのCDを初めて聴いたときにも感じた、いやそれ以上の濃密な音の空間が広がっていたのだ。
 スローなテンポの分厚いコーラス。わいなまめかしさの間を行ったり来たりする歌声に、誰かをおちょくるような歌詞。これらがこんぜんとなって、体中の細胞を震わせた。
 作り込まれた楽曲ばかりだった。そこにライブ録音した音が違和感無くミックスされ、ステージに迷い込んだような錯覚さえ覚える。演奏は徐々に勢いを増し、最後の最後まで緊張感が高められ……残ったのは、一冊の小説を読み終えたような充実感だった。濃密な体験だった分、疲労すらしていた。
 急いでネットを漁った。この頃にはAmazonが日本でも営業を開始しており、ネット通販を手軽に行えるようになっていた。
 それでも在庫は少なく、買えたのは『Zappa In New York』と『Guitar』の二つだけ。このアルバムに、さらなる衝撃を受けることになる。
『Zappa In New York』はわいざつだった。あらゆる要素がぐちゃぐちゃに詰め込まれ、ぎりぎりのところで統一性がとれているような緊張感に、心をわしづかみにされた。歌詞は全体的に卑猥なのに、音楽自体はプログレッシブさとブルージーさが混ざり合い、ジャンル分け不可能な摩訶不思議さがある。
『Guitar』は、ボーカル曲がひとつも収録されていない、純粋なインストゥルメンタル作品だった。ありがちなギターソロはひとつも無い。音の選び方やリズム、メロディの隅々にいたるまで、ザッパにしかつむげない代物だった。艶めかしさ溢れるギターの音色には、脳にこびりついたぜいにくがこそげ落とされていくような快感があった。
 そして、「Watermelon In Easter Hay」という曲に出会う。
 なんだこの曲は。ジャンルで言えばバラードだ。でも、唐突に異次元から現れたような、異質な美しさがある。ただただギターを楽しみたいと願う純粋な心が、そのまま曲になっていた。たっぷりの茶目っ気と、ほんの少しの照れ臭さが混じったザッパのウインクが、のうに浮かぶ。

 ザッパのルーツにあるのは、間違いなく現代音楽とクラシックだった。そこにドゥーワップやブルース、ロックが積み上げられ、時にはジャズ、レゲエ、ディスコまでもが突っ込まれ、ミュージカルのようにめまぐるしく展開していく。ストレートなロックを演奏しているときも、どこか構築された美しさを感じるのはそのためだろう。ロックバンドをオーケストラのように指揮している映像も残っているし、癌が見つかり余命が短いと知って着手したのは、オーケストラ作品だった。
 こんな音楽を作るなんて、どんな人なんだろう。ザッパ本人にも興味がわき、自伝や研究者の書籍を取り寄せた。
 すると、エキセントリックな作品とは打って変わって、仕事に対して非常にしんでストイックな姿が見えてきた。
 交響曲を作曲し、記譜できるほどの高度な知識や高い技術力は、なんと独学だった。
 教会には否定的で、政治的発言も臆さず、検閲には断固とした姿勢で立ち向かい、上院委員会の公聴会に出席して、居並ぶ政治家を相手にたんを切ることも辞さなかった。この時の様子を、後に「Porn Wars」という曲でネタにして、世間や政治家達をおちょくってもいる。
 ドラッグは、自身も含めバンドメンバーにも絶対に許さなかった。そもそも、ラリった状態でザッパの音楽を演奏するのは不可能だ。
 自分の原盤権は自分で管理し、他人に頼らないビジネスを構築した。レコード会社の都合で作品が改編され、発売中止に追い込まれた経験が、ザッパを優秀なビジネスマンにした。
 生涯に残したアルバムは六十二枚。ただし、録音されたアーカイブが多数残っているため、没後もアルバムがリリースされ続けた。現在では百枚を超えている。
 ザッパは、鉛筆とノートさえあれば、ひたすら五線紙に音楽を書き留めていたという。空港の待ち時間やトイレ中、ベッドの中、死の直前まで。
 同時に、ザッパは他人にも厳しい水準を求めた。
 ヴァイと同じく、かつてザッパバンドに所属したドラマー、テリー・ボジオが、こんな言葉でザッパをしのんでいる。
「フランクが亡くなったのは本当に残念で悲しい。でも、ひとつだけ悲しくないことがある。『ボジオ、ちょっと来いよ。いいこと思いついたんだ』と言われなくなったことだ。胃がキリキリして、死ぬほど怖かったんだぜ!」
 作風とは全く違ってれいてつでクレバーな仕事の鬼、なのに言動にはユーモアと皮肉がたっぷりまぶされている。そんなザッパがますます好きになった。

 そうこうしているうちに、僕もついに働く歳になった。しかし、時は超氷河期時代。内定をもらうことはできなかった。
 フリーランスのゲームシナリオライターになったのは、それしか選択肢が無かったからだ。たまたま求人を見つけて応募したところ、たまたま仕事になり、たまたま続いて、その後いろいろあって小説家を目指し、がわらん賞を受賞して、なんとかこうしのいでこられた。
 ここで、「職種は違えど仕事への姿勢だけはザッパをならわせてもらっている」などと言えれば格好がつくのだろうが、それはできない。ザッパと同じだけの仕事量なんて、常人にはまず不可能だ。
 なにより、得るもの以上に失うものが大きすぎる。
 ザッパは娘のムーン・ザッパから、同じ屋根の下に住んでいるのに会えなくて寂しいという手紙をもらったことがある。それが切っ掛けで二人はデュエットし、ザッパ史上最大のヒットを飛ばすことになるのだが……一般的な父親が得られるもの、与えられるもの、どちらからも縁遠かったことがわかる。
 何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない、ということだろうか。だとしたら、ザッパはあまりに大きなものを失いすぎた。五十二歳の若さで亡くなったのも、ワーカホリックであったことが関係しているだろう。
 そんな巨人の巨大な功績に目がくらみ、つい真似をしたくなるのが人情だが、もろつるぎだ。同じだけの苦労を背負い込む覚悟が無ければ、やめておいた方が良い。
 それに僕は、才能が無いと自覚してからが本当の努力の始まりだと思っている。負けを認めたからこそ踏み出せる次の一歩があると信じている。
 僕のような才能の無い人間は、天才の功績に敬意を払いながらも、地道にこつこつと努力を積み上げていくしかない。それに気づかせてくれたという意味では、ザッパは僕の仕事に大きな影響を与えている。
 だから、ザッパをもじったペンネームを使うのは、お守り代わりだと思って許してもらいたい。

桃野雑派(ももの・ざっぱ)
 1980年、京都府生まれ。南宋を舞台にした武俠小説『老虎残夢』で第67回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。桃ノ雑派の名義でゲームシナリオライターとしても活躍。他の著書に『星くずの殺人』、最新刊『蠟燭は燃えているか』を2024年4月に刊行。

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