ピアニスト・藤田真央 #03「刻々と変容する世界、その中でわたしがピアノを弾く意味」
毎月語り下ろしでお届け! 連載「指先から旅をする」
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2022年3月7日、わたしはイタリア・ミラノのスカラ座の舞台に立っていました。
ミラノは、スタイリッシュな芸術の街。空港に着くと、ゲートにお迎えに来てくださった方が「Maestro Mr.Fujita」と書かれたプラカードを持っている。おお、わたし、マエストロ? と思っちゃいました。
イタリアでは芸術家のことを総称して「マエストロ」と呼ぶんですね。わたしが思い描いていた「巨匠!」ということではなかったのですが、なんだか背筋が伸びるような気持ちになりました。
ちょっと街を歩いてみても、ミラノはおしゃれな方ばかり。街ゆく人とすれ違うときには、フワッと香水の匂いが立ち上る。スカラ座の近くにはたくさんハイブランドの店舗が並んでいました。
スカラ座は、18世紀に建てられた歌劇場で、柿落としは、あのサリエリのオペラだったといいます。戦後はソプラノ歌手のマリア・カラスとレナータ・テバルディが人気を二分したりと、その歴史をたどればそのまま近代音楽史になってしまうような場所です。
建物はとにかく重厚かつ煌びやかで、一つひとつの装飾がどれをとっても繊細そのもの。客席は7階まで聳え立っていて、実際に見上げると驚きの高さです。
初めて会場を目にしたときには、こんな舞台に立てるのかという感慨が込み上げてきました。
今回のスカラ座での管弦楽コンサートは、当初の予定では、ロシア人の指揮者ヴァレリー・ゲルギエフとともに、チャイコフスキーの《ピアノ協奏曲第2番 ト長調 Op.44》を演奏するはずでした。しかし、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、彼がいまスカラ座で振ることは叶わなくなりました。
政治と音楽の関係の歴史を紐解くと、このようなことは過去にも何度も起きています。20世紀前半に長くベルリン・フィルの常任指揮者を務めたフルトヴェングラーは、ナチスへの協力が疑われ、戦後しばらく世界中で演奏禁止処分を受けました。
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